
世界には、やむを得ない事情で祖国にいることができずに他国に逃れて暮らす人々が数多く存在します。それらの人々は、ある人は難民として、またある人は亡命者として決死の思いで国境を超えていきました。この記事では主に亡命にスポットを当てて解説し、人はなぜ亡命するのか、過去にどのような人が亡命をしてきたのかなどについて見ていきます。
目次
亡命とは

そもそも亡命とは、どのようなことを言うのでしょうか。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の定義によると、亡命(Asylum)とは
自分の国籍のある国または在住の国以外にいて、迫害、重大な危害、またはその他のやむを得ない理由からの安全を求めている人に、国によって与えられる保護のこと
を言います。さらにこの説明では、
この保護には、危険にさらされること(強制送還)からの保護、亡命国に滞在する許可、人道的な扱い、永続的な解決策へのアクセスなど、さまざまな要素が含まれる
とされており、何らかの理由で自分の国にどうしても居られない人が他国に逃げ、安全や保護を保証されるのが亡命と呼ばれる行動です。
難民との違い

現在、同じように自国にいることができずに他国に逃れている、難民(refugee)と呼ばれる人々が世界中で増加しています。これらの難民と亡命との違いは何でしょうか。
難民とは
難民とは、「人種、宗教、国籍、特定の社会集団または政治的見解の理由で迫害される根拠のある恐れにより、国籍の国外にいて、またはそのような恐れのために、その国(自国)の保護を利用することを望まない」人々のことです。(1951年の難民条約による定義)
ただこの定義だと、亡命との明確な違いはほとんどありません。
一般的に難民の場合、上記の理由の他に
- 干ばつや洪水、自然災害
- 外部からの侵略や支配
- 国内の紛争や内乱
- 特定の人種・民族集団への迫害
- 不特定多数を標的とした大規模な政治的弾圧
などによって国外に避難するケースが多数です。そのため、難民は個人というより、集団で国外に逃れることを指す場合がほとんどと言えるでしょう。
亡命と呼ばれるケース
これに対し亡命者と呼ばれる人の場合は、主に政治的な理由や宗教弾圧の他、思想や言論などによって政府や公的機関から迫害される危険が高い人がほとんどです。
つまり亡命の場合は、
- 政治・思想・宗教による理由が中心
- 政府や政治権力からの迫害を受ける恐れが高い
- 集団というより主に個人
- 明確に自分が迫害対象として特定されている(その恐れがある)
というケースが多いと言えます。つまり、亡命(者)は広い意味では難民に含まれますが、中でも「政治・思想背景などで迫害される特定の個人」を指す場合が多いと思えばいいでしょう。
なぜ亡命するのか

亡命せざるを得ない人々は、みなそれぞれ異なった事情を抱えています。ここでは亡命の理由についてもう少し踏み込んで見ていきましょう。
政治亡命
亡命で最も多いのはこの状況です。ある人物が、政府や権力機構からの迫害を逃れるために他国に逃亡し保護を求めることが政治亡命になります。主な例をあげると
- 失脚した政治家が政敵に生命などを狙われる恐れがある
- 失脚した政治家が民衆からの暴力を受けて国の保護を得られない
- 政権や体制批判を理由に逮捕・拘束の恐れがある
などがあり、いずれの場合も基本的人権や思想信条の自由が保証されない、権威主義国家で起こるケースがほとんどです。
宗教弾圧を逃れるための亡命
宗教の自由がない国では、国や国に保護される宗教勢力などからの弾圧を逃れるために、他国に亡命する場合もあります。
こうした宗教弾圧は古くからありましたが、現在でも
- サウジアラビア:イスラム教スンニ派を事実上国教とし、少数派のシーア派を迫害
- イラン:バハイ教信徒への逮捕や拷問、財産没収、高等教育禁止などの弾圧
- 中国:新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒への迫害
- 北朝鮮:宗教家を処刑、拷問、収監していると報告
など、「他の宗教や宗派・教義を認めない国」や、「そもそも宗教そのものを認めない国」は少なくありません。それらの国では、政府による逮捕・拘束や財産没収、宗教施設の破壊、民衆による差別や暴力などが行われています。
これらはほとんどが独裁的な権威主義国家ですが、近年では世界的なナショナリズムの高まりから欧米でもイスラム教徒が差別や迫害に晒されるなど、自由主義国家でも宗教弾圧が起こる可能性が強まっています。
思想・学問上の亡命

政治や宗教以外には、学問や思想による迫害・弾圧から逃れる亡命があります。
これは主に思想・表現の自由を制限している国で、国の方針にそぐわない思想や芸術活動をしている個人が国などからの抑圧・迫害を逃れて活動を続けるためです。
具体的には
- 戦前の社会主義・共産主義者
- 共産主義国家での資本主義を求める人々
- 独裁国家での民主化を求める活動家
- 国から禁止されている方法で表現する芸術家
といった人々が思想・学問上の亡命者であり、思想家、作家、教育者、芸術家などが該当します。
上記であげたような理由で亡命する人々は、自国では犯罪者、あるいはその疑いのある者と見なされるため、政府や法律の庇護は得られません。また、犯罪者でなくとも、国が危険からの法的な保護を保証してくれない場合も、十分亡命の動機となり得ます。
亡命に成功・失敗するとどうなるのか

難民条約と人権条約では、亡命希望者と難民に対し保護を受ける権利と受け入れ国の責任を定めています。そのため亡命者は、自国を逃れ他国に入国し、亡命を申請した時点で本来そうした諸権利が得られるはずです。しかし、実際にはそうした亡命が認められる場合と認められないケースが存在します。
亡命が成功した場合
亡命を望む人は、難民条約に基づいて逃げ込んだ国の基準に従い、難民(亡命者)として受け入れられるか否かの審査を受けます。難民と判断された場合、非強制送還の原則に基づいて出身国に戻されることはありません。
- 難民条約を締結している国では、亡命した人に対しても
- 就業の権利
- 住宅、土地、財産に対する権利
- 教育を受ける権利
- 社会的保護を受ける権利
などの権利が保障されており、亡命者は新しい土地で平穏な日常生活を取り戻し、自立へと向かうことが可能になります。
亡命が失敗した場合

亡命を望んだ人のすべてが難民(亡命者)として受け入れられるとは限りません。
通常、難民条約の締結国であれば、難民に該当しない場合であっても「送還しても基本的人権が侵害される重大な危険はない」と判断されるまでは、原則として送還できません。
しかし、受け入れ国の審査が不十分な場合には亡命申請が却下され、本国に送還されてしまうことがあります。現在でも、国によっては送還された亡命希望者が送還後に逮捕や拘束、殺害されてしまう例は後をたちません。
また、国によっては難民申請に時間がかかるため、申請中は仮滞在扱いとなり、就労や就学、社会保障などで制限が生じることもあります。
これまでに起きた亡命事件

歴史上、国や権力からの迫害を逃れ他国へ移住する人々は数知れません。その中でも、近代になって起きた亡命事件の中からいくつかの事例を紹介していきます。
アルバート・アインシュタイン:科学者(ドイツ→アメリカ)
相対性理論で知られた物理学者のアインシュタインも亡命者でした。
彼の出身はドイツでしたが、ユダヤ人であったため1930年代に政権をとったナチス・ドイツからの迫害の恐れがありました。
この時、すでに物理学者として世界的な名声を得ていたアインシュタインは、1933年にアメリカへ渡り、プリンストン高等研究所の教授となります。1935年にはアメリカ国籍を取得し、その後の生涯をアメリカで過ごしました。
ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府(中国→インド)

チベット仏教の指導者であり、1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世は、1959年に中国共産党政府の弾圧を逃れ、現在に至るまでインドで亡命生活をしています。
1951年に中国に武力併合されたチベットでは、平和協定を無視して社会主義政策を強制する中国に反発し、大規模な反乱や武装蜂起が相次ぎました。
1959年、ダライ・ラマ師が中国政府に拉致、連行されることを危惧したチベットの民衆は宮殿を囲んで人民解放軍と対峙します。
流血の事態になることを恐れたダライ・ラマ師はインドへ亡命、師を慕う8万人のチベット人もインドへ逃れ、亡命政府と呼ばれるようになりました。
非暴力を訴えながらチベットの独立回復に向けて取り組むダライ・ラマ師は国際的な影響力を持つようになりましたが、中国政府は現在も彼の主張を否定し続けています。
岡田嘉子さん:俳優(日本→ソ連)
第二次大戦直前、日本からソ連へ亡命したのが、当時のトップ女優、岡田嘉子さんです。
岡田さんは1938年、当時恋人だった共産主義者の演出家・杉本良吉と共に樺太へ向かい、国境を越えてソ連へ入国。この亡命事件は当時の新聞を賑わす一大スキャンダルとなりました。
しかし、亡命後2人はスパイ容疑をかけられ、杉本は銃殺、岡田さんは強制収容所へ送られてしまいます。
戦後、出所した岡田さんはソ連でアナウンサーやプロデューサーなどの仕事に従事し、1972年、34年ぶりに日本へ帰国。日本で映画やドラマなどに出演したのち、再びソ連へ戻り生涯を終えています。
ピエリアン・アウンさん:元プロフットサル選手(ミャンマー→日本)
ピエリアン・アウンさんは、サッカーのミャンマー代表として2021年5月に来日。
しかし、日本戦の試合前、ミャンマー国軍のクーデターに抗議の意を示す行動をしたことで軍事政権にマークされるようになり、日本の出国直前に帰国を拒否、亡命を申請しました。
難民申請が認められたアウンさんはフットサルチームのY.S.C.C.横浜へ加入し、1年間プレーした後に引退。現在は在日ミャンマー人とサッカーを楽しみながら、都内のミャンマー料理店で働いています。
周庭さん:政治活動家(香港→カナダ?)
近年メディアを騒がせたのが、香港の政治活動家・周庭(アグネス・チョウ)さんの亡命事件です。周庭さんは中国政府による香港の民主主義抑圧政策に抗議する学生運動に参加しますが、当局によって逮捕されてしまいます。
周庭さんはほどなく釈放されましたが、その後警察への定期的な出頭など、厳しい管理下に置かれることを求められました。
そのため周庭さんは2023年9月、留学のためカナダに渡航後「おそらく一生、香港に戻らない」とSNSに投稿。事実上の亡命を表明しますが、翌年香港警察は周庭さんを指名手配するという事態になっています。
周庭さんは今年7月に大学院を卒業したと発表しており、今後カナダが亡命者として受け入れるかが注目されます。
亡命に対する日本の対応

現在、他国で迫害を受けた人物が日本に亡命を希望する場合、日本政府はどのような対応をとっているのでしょうか。
日本も1982年に難民条約と難民の地位に関する議定書に批准しており、日本の難民認定基準は難民条約の第1条に準じています。
しかし、2024年の日本での難民申請12,373人に対し認定者はわずか190人で、認定率でいうと2.2%に過ぎません。前年2023年の認定率も3.8%と、他国と比べても日本は極めて難民を受け入れない国です。
その理由として
- 日本は難民条約第1条の定義を非常に狭く解釈している
- 「身の危険」を証明する明確な証拠を日本語で提出することを必要としている
- 就労目的の難民申請が多いことを警戒している
などがあり、前述のピエリアン・アウンさんのようなケースはむしろ幸運な例と言っていいでしょう。また、近年問題視されている入管の収容施設での人権侵害もあり、日本は迫害や弾圧を逃れてやって来た人々に対し、亡命のハードルが非常に高いのが現実です。
亡命は他人事?

ここまで読んだ方の中には、政治的弾圧も、人種・宗教の迫害も思想も自分には関係ないし、日本人でいる限り亡命なんて他人事だと思う人も多いでしょう。
しかし、本当にそうでしょうか。
木下理仁さんの著書『難民の?(ハテナ)がわかる本』では「20XX年の茶髪禁止法」という設定で、髪を染めたというだけで逮捕され、社会で居場所を失い、海外へ亡命を余儀なくされる家族の架空の物語が描かれています。
果たしてこれを突拍子もない設定だと笑えるでしょうか。私たちの祖父母、曽祖父母の時代にはこれ以上に生活が制限され、抗議や抵抗した者が容赦なく弾圧されました。
それからほんの80年後、再びそうした時代に戻りたがる政治家が支持を集め始めている現在の社会で、日本も亡命者が出るような権威主義国家にならないという保証はありません。
亡命とSDGs

亡命を求める人を適切に保護し、再起への手助けをすることは、SDGs(持続可能な開発目標)の目標16「平和と公正をすべての人に」の観点からも行わなければならない取り組みです。
政治体制や宗教、人種に関わらず、あらゆる場所において法の支配を促進し、全ての搾取や暴力、迫害を根絶することが求められています。
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ

21世紀に入り、世界の右傾化や権威主義への傾倒は非常に大きな懸念材料となっています。
そうした中、さまざまな自由を奪われ、国境を越えて亡命を望む人々は後をたちません。
亡命や難民が世界からなくなるためには、原因となる独裁政治や権威主義の消滅が不可欠です。しかし、2021年時点で実は日本出身の難民も39人存在しているなど、自由主義国家でも亡命と無縁ではありません。
亡命せざるを得ない人々を生み出す本当の原因は、社会と人間の無知や偏見、不寛容であることを、私たちは肝に銘じなければなら
ないと言えるでしょう。
参考資料・文献
Asylum and refugee status – UNHCR Frequently asked questions
亡命とは?意味・歴史・法的側面まで徹底解説 – Influencer Marketing Guide
Refugees | UNHCR
イラン:少数派宗教バハイ教徒への容赦ない弾圧 : アムネスティ日本 AMNESTY
サウジアラビア、世界の表舞台に隠される残酷さ | GNV
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難民の?(ハテナ)がわかる本:木下 理仁/太郎次郎社エディタス,2023年
この記事を書いた人
shishido ライター
自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。
自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。