
地動説は、単なる惑星の運動理論ではなく、世界観そのものを変えた科学革命の象徴です。コペルニクスやガリレオの挑戦、ニュートンの理論的統合を経て、地動説は人類の知の進化を導きました。
天動説から地動説への歴史を学ぶことで、固定観念を超えた柔軟な思考や、多様な価値観を受け入れる力が養われます。地動説の基本的な内容や、それを裏付けた科学的根拠についてもわかりやすく解説します。
目次
地動説とは
【地動説の図(コペルニクスの「大宇宙の調和」挿絵)】
地動説(Heliocentric Model)とは、「太陽を中心に地球や他の惑星が公転している」という宇宙のモデルのことです。現代に生きる私たちにとって、「地球は太陽の周りを回っている」ということは疑う余地のない真実、あまりにもあたりまえの常識です。しかし、この「あたりまえ」の真実にたどり着くまでには、約2000年もの長い探求の歴史がありました。
地動説の概要
地動説の核心は、宇宙の中心に太陽があり、地球はその周りを公転する一惑星に過ぎないというものです。この理論によれば、地球は
- 自転(自分の軸を中心に回る運動)
- 公転(太陽の周りを回る運動)
という二つの動きをしています。
地球の自転によって昼と夜が生じ、公転によって四季の変化が生まれます。
【地球の公転と自転】


天動説との違い
地動説の対義語は天動説(Geocentric Model)と言えるでしょう。天動説は、地球が宇宙の中心に静止しており、太陽、月、惑星、恒星などのすべての天体が地球の周りを回っていると考えるモデルです。
夜空を見上げると、太陽や月、星々が東から昇って西へ沈んでいくように見えることから、私たちの日常感覚によく合った考え方と言えます。
【天動説の図】
天動説の主な提唱者
天動説の考え方自体は古代から存在しましたが、紀元150年頃に古代ギリシアの天文学者クラウディオス・プトレマイオスによって数学的に体系化されました。
彼は著書「アルマゲスト」の中で、地球を中心としつつも、惑星の複雑な動き(特に空中で一時的に逆向きに進むように見える「逆行」現象)を説明するために、「従円」と呼ばれる大きな円軌道の上に、さらに「周転円」という小さな円軌道を組み合わせる非常に巧妙なモデルを提唱しました。
【「アルマゲスト」(トラペヅンティウスによるラテン語版、1451年頃)】
天動説とキリスト教
プトレマイオスの天動説は、
- 当時の観測データから天体の位置をかなり正確に予測できたこ
- 航海や暦の作成といった実用的な目的にも十分に役立った
という理由から、コペルニクスが登場するまでの約1400年間にわたり、ヨーロッパやイスラム世界で最も科学的な宇宙モデルとして広く受け入れられました。
また、地球が宇宙の中心に位置するという考え方は、天地創造の中心に人間(地球)を置くという、当時のキリスト教的世界観とも整合性が高く、その思想的な権威によっても支えられていました。
地動説を唱えた主な人物
見かけの天体の動きなどからは、一般の人々の多くは「地球が自転し、さらに太陽の周りを他の太陽系惑星とともに公転している」という発想にはなかなか至りませんでした。しかし、地動説の概念を提唱した人物は、古代から存在しました。
アリスタルコス
【古代ギリシアの天文学者・数学者アリスタルコス】
紀元前3世紀頃の古代ギリシアの天文学者アリスタルコスは、太陽が地球よりもはるかに大きいことを推測し、「大きな太陽の周りを小さな地球が回っているはずだ」という論拠から地動説を提唱しました。これは科学的な推論に基づくものでしたが、当時の技術では観測による検証が難しく、プトレマイオスの天動説のような体系的な裏付けもなかったため、主流となるには至りませんでした。
ニコラウス・コペルニクス
【ニコラウス・コペルニクス】
16世紀になり、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが、古代の考え方を再び数学的に洗練させ、地動説を体系的な宇宙モデルとして再構築しました。コペルニクスは、既存の天動説の複雑さに疑問を持ち、神が創造した宇宙はもっと単純で美しいはずだという新プラトン主義的な哲学思想の影響も受けたと考えられています。
しかし、彼の地動説も発表当初は天動説と比べて精度や実用面で決定的な優位性がなく、すぐに広く受け入れられたわけではありませんでした。
ジョルダーノ・ブルーノ
イタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノは、コペルニクスの地動説を強く支持した人物です。彼はさらに進んで、宇宙は無限であり、太陽系のような世界が無数に存在するという壮大な宇宙観を唱えました。
彼の思想は当時の宗教的権威と相いれず、最終的には異端として火刑に処されました。
【処刑されたローマ、カンポ・デ・フィオーリ広場のジョルダーノ・ブルーノ像】
ヨハネス・ケプラー
ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、膨大な精密観測データを残した天文学者で占星術師、ティコ・ブラーエの弟子でした。その観測データを数学的に徹底的に分析した結果、惑星の運動に関する有名なケプラーの三法則(後述)を発見しました。
【ヨハネス・ケプラー】

この発見は、地動説に基づいた惑星の位置計算の精度を飛躍的に向上させ、地動説の科学的な正しさを決定的に裏付けるものとなりました。ケプラーは、宇宙の秩序に神の姿を見出そうとするなど、探求の動機に神学的・形而上学的な要素も持ち合わせていました。
ガリレオ・ガリレイ
【ガリレオ・ガリレイの肖像がデザインされている2000リラ紙幣】
イタリアの物理学者・天文学者ガリレオ・ガリレイは、自作した望遠鏡を使って天体を観測しました。その結果、
- 月の表面が滑らかではなくクレーターがある
- 木星の周りを回る衛星(ガリレオ衛星)が存在する
- 金星が月のように満ち欠けする
などを発見しました。
これらの発見は、アリストテレスやプトレマイオスの宇宙観では説明が難しく、地球だけが特別な天体ではないこと、そして地動説が示す宇宙構造を支持する強力な観測証拠となりました。彼は地動説を積極的に擁護しましたが、その主張は当時の宗教的権威との対立を招き、裁判にかけられることになりました。
また、彼は物体落下の法則に関する実験など、物理学の分野でも画期的な研究を行いました。
【フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂にあるガリレオの墓】
アイザック・ニュートン
ガリレオの死後約一年、イギリスに誕生した物理学者アイザック・ニュートンは、地上の物体が落ちる原因と天体の運動が同じ法則に従うと考え、万有引力の法則を発見しました。この法則を用いることで、なぜ惑星がケプラーが発見したような楕円軌道を描くのかを物理学的に説明できるようになり、地動説に確固たる理論的な裏付けを与えました。
【アイザック・ニュートン(1702年の肖像画)】
ニュートンの古典力学は、その後の物理学や天文学の基礎となり、宇宙の仕組みを理解するための新しい時代を切り開きました。
現代の常識が、いかに多くの人々の知的な探求と発見の積み重ねの上に成り立っているかがわかりますね。次の章では、地動説の内容について詳しく見ていきましょう*1)
地動説の具体的な内容
【「天球の回転について」に描かれているコペルニクスの宇宙】
地動説が単なる思想的な仮説から科学的な事実として認められるまでには、数多くの観測データや物理的証拠が必要でした。長い間「常識」とされてきた天動説を覆すには、説得力のある証拠と論理的な説明が不可欠だったのです。
地動説を裏付ける科学的根拠は何だったのでしょうか。地動説を裏付ける主な科学的証拠とその意義を見ていきましょう。
惑星の逆行運動の合理的説明
【地動説と天動説】
惑星の逆行運動とは、通常東から西へと動いている惑星が、一時的に逆方向(西から東)へ動いているように見える現象です。この不思議な動きは、天動説では説明が非常に複雑でした。
【2003年における地球から見た火星の逆行現象】
例えば、夜空で東に進んでいた火星が、数ヶ月間西向きに後戻りするように見えるのがこの現象にあたります。天動説では、この現象を説明するために「周転円」という概念が必要でした。
天動説では、惑星は地球を中心とする大きな円の上を動くだけでなく、その円上の点を中心とする小さな円(周転円)の上も同時に動くという複雑なモデルで説明しました。さらに、観測結果との誤差を小さくするために、周転円の中心がずれた「離心円」や複数の周転円を組み合わせるなど、モデルは次第に複雑化していきました。
しかし実際は、地球と他の惑星はそれぞれ異なる速度で太陽の周りを公転しています。地動説では、惑星の逆行運動を非常にシンプルに説明できます。
地球が内側の惑星(水星・金星)や外側の惑星(火星・木星・土星)を追い越すとき、相対的な位置関係から、その惑星があたかも逆方向に動いているように見えるのです。これは、高速で走る電車の中から見える景色が、列車の進行方向とは逆に動いているように見える現象と似ています。
金星の満ち欠け現象
【金星の満ち欠けと等級】
ガリレオ・ガリレイが1610年に望遠鏡で観測した金星の満ち欠け現象は、地動説が支持される決定的な証拠となりました。天動説によれば、金星は常に地球と太陽の間に位置するため、地球から見た金星は常に三日月から半月の形に見えるはずです。
しかし、ガリレオの観測により、金星には満月のような満ち欠けがあることが明らかになりました。これは、金星が太陽の周りを回っており、時には太陽の向こう側に位置するという地動説でのみ説明可能な現象でした。
さらに、金星の見かけの大きさも公転軌道上の位置によって変化することが分かりました。金星が地球に最も近づく時は三日月状で大きく見え、最も遠い時は満月状で小さく見えます。
これらの観測結果は天動説では説明できず、「金星が太陽の周りを公転している」という地動説の強力な証拠となりました。
木星の衛星の発見
【ガリレオ衛星:左からイオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト】

ガリレオは望遠鏡で木星を観測し、木星の周りを回る4つの天体(衛星)を発見しました。現在「ガリレオ衛星」と呼ばれるイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストです。
この発見は、天動説に大きな打撃を与えました。天動説では、すべての天体は地球を中心に回っているとされていましたが、発見された衛星は明らかに木星を中心に回っていたからです。このことは、宇宙には複数の中心があり得ることを示し、地球が唯一の中心であるという考えに疑問を投げかけました。木星の衛星の発見は、太陽系の構造が階層的であり、惑星が衛星を従えて太陽の周りを回っているという地動説のモデルと一致していました。
この観測結果は、地球が宇宙の中心ではなく、太陽の周りを回る惑星の一つに過ぎないという地動説の考え方を支持する重要な証拠となりました。
ケプラーの法則による精密な軌道計算
ヨハネス・ケプラーは、師である天文学者ティコ・ブラーエの精密な観測データを分析し、惑星の運動に関する3つの法則(ケプラーの法則)を発見しました。
- 楕円軌道の法則:惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道上を動く
- 面積速度一定の法則:惑星と太陽を結ぶ線分が等しい時間に描く面積は等しい
- 調和の法則:惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する
これらの法則により、惑星の運動を高い精度で予測することが可能になりました。特に重要なのは第一法則で、コペルニクスが地動説で保持していた「完全な円運動」という古代ギリシャからの概念を修正し、惑星の軌道が実際には楕円であることを明らかにしました。
ケプラーの法則は、単純な数学的関係で惑星の複雑な動きを精密に記述できることを示し、それまでの天動説の複雑なモデルよりも遥かに優れた予測能力を持っていました。
これにより、地動説の数学的・理論的基盤が大幅に強化されました。
【ケプラーの法則を動画で示した図】
ニュートンの万有引力による理論的裏付け
アイザック・ニュートンの万有引力の法則と運動の三法則※は、地動説に物理的な説明を与えました。ニュートンは、二つの物体の間には質量に比例し、距離の2乗に反比例する引力が働くことを示しました。
【万有引力の法則における万有引力定数 G】
この理論により、なぜ惑星が太陽の周りを回るのかが物理的に説明できるようになりました。太陽の巨大な質量が生み出す重力が惑星を引きつけ、惑星はその引力と自らの慣性の釣り合いによって太陽の周りを楕円軌道で公転しているのです。
ニュートンの理論は、ケプラーの三法則を理論的に導き出せることも示しました。こうして、地動説は単なる幾何学的モデルから、物理法則に基づいた確固たる科学理論へと昇華したのです。
地動説を支持する観測結果と理論的裏付けは、時代とともに積み重なり、最終的には科学的事実として広く受け入れられるようになりました。現代の宇宙観は、これらの科学者たちの勇気ある挑戦と緻密な研究の上に成り立っています。
彼らの業績は、「当たり前」と思われていた常識に疑問を持ち、証拠に基づいて真実を追求することの重要性を教えてくれます。*2)
地動説の歴史

夜空を見上げる人類の歴史は、宇宙の真実を求める科学者たちの挑戦の連続でした。地球中心説から太陽中心説への転換は、観測技術と数学的思考が織りなす壮大なドラマです。
この変革の軌跡を5つの転換点からたどります。
紀元前3世紀:古代の挑戦者たち
古代ギリシャのアリスタルコスが初めて地動説を提唱し、月の大きさと太陽までの距離を計算しました。しかし、当時の技術では金星の満ち欠けや恒星の視差を観測できず、アリストテレスの天動説が優勢になります。
【アリスタルコスの『太陽と月の距離と大きさについて』の写本(10世紀頃)】
エジプトやインドでも独自の天文学が発展し、プトレマイオスは2世紀に周転円と離心円を組み合わせた精密な天動説モデルを完成させました。この体系は約1300年間、天体予測の標準として君臨します。
1543年:コペルニクスの静かな革命
【ニコラウス・コペルニクスの著書『天球の回転について』(1543年)の注釈付き写本】

ポーランドの司祭であり天文学者のニコラウス・コペルニクスが「天球の回転について」を刊行しました。火星の逆行運動を地球の公転で説明する簡潔なモデルを提示しました。
しかし円軌道に固執したため予測精度に課題が残り、教会からは「計算の便法」として容認されるにとどまりました。この頃、日本では戦国時代の真っ只中で、西洋の天文学知識はまだ伝来していません。
天球の回転について
「天球の回転について」は、コペルニクスが1543年に自身の死の直前に刊行した著書です。この中で、太陽を中心とした惑星の円運動を詳細に記述し、惑星の軌道周期と太陽からの距離の間に一定の関係があること(後にケプラーの法則として数学的に証明される関係性の萌芽)を示すなど、その数学的な理論と計算方法から、宇宙の体系的な構造示しました。
惑星の逆行などをより自然に説明できましたが、当時は専門家向けで予測精度も大きく変わらなかったため広くは受け入れられず、後に教会から禁書に指定されました。
1600〜1633年:血で染まった真実の追求
【2018年に発見されたガリレオの手紙の一部】
イタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノが無限宇宙論を展開し、1600年に火刑に処されました。1616年、ローマ教皇庁が地動説を公式に禁止します。
また、ガリレオ・ガリレイが1632年に「天文対話」を出版したことで宗教裁判にかけられ、自説の撤回を強要されます。この時代、デンマークのティコ・ブラーエが火星の精密観測データを蓄積し、弟子のケプラーに託しました。
天文対話
【「天文対話」の口絵】
ガリレオ・ガリレイが出版した「天文対話」は、3人の登場人物による4日間の対話形式で、天動説と地動説を比較検証した科学書です。
- 第1日:望遠鏡観測に基づき、天上界も変化しうることを示し、アリストテレス哲学や伝統的宇宙観を批判
- 第2日:地球の自転運動を論じ、運動の相対性や反論への応答を通じて地球の回転の可能性を探る
- 第3日:地球の公転運動を扱い、惑星の逆行運動など天文現象を合理的に説明し地動説の必然性を論証
- 第4日:地球の自転と公転の合成運動による潮汐の説明を展開し、太陽中心説の決定的根拠とすることを試みる
これは、潮汐を地球の運動で説明する最終議論は誤りを含みましたが、宗教裁判で禁書処分を受けるほど挑戦的な内容でした。
1609〜1687年:数学が描く宇宙の真実
ヨハネス・ケプラーが1609年に「楕円軌道理論」を発表し、火星の不規則な動きを解決します。さらに、アイザック・ニュートンが1687年の「自然哲学の数学的原理」で万有引力法則を確立し、月の運動とリンゴの落下を同一の法則で説明しました。
日本ではこの頃、本木良永らがオランダ語文献を通じて地動説を紹介し始めます。
楕円軌道理論
【地球近傍小惑星クルースン(赤)と地球(青)の軌道】
ヨハネス・ケプラーは、精密な観測データ分析に基づき、惑星が太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描くという法則を発見しました。これは、古代ギリシャ以来信じられていた天体は完全な円を描くという常識を打ち破るものであり、天動説よりもはるかに正確に惑星の運動を記述することを可能にしました。
自然哲学の数学的原理
17世紀の科学革命期、アイザック・ニュートンは「自然哲学の数学的原理」で、万有引力の法則と運動の法則を含む、新たな力学体系を数学を用いて構築しました。これにより、地上と天上の現象を一つの普遍的な法則で説明可能になりました。
従来の自然哲学を覆したこの体系は、近代科学の基礎を築きました。
1727〜1838年:技術が証明した地球の動き
ジェームズ・ブラッドリーが1727年に光行差※を発見し、地球の公転速度を計算しました。続いて、1838年、フリードリヒ・ベッセルがはくちょう座61番星の年周視差※を測定し、地球の公転を直接証明しました。
1851年にはレオン・フーコーが振り子実験で地球自転を可視化し、市民にも理解可能な証拠を提示します。
フーコーの振り子
フーコーの振り子は、地球の自転を直接的に示す実験装置で、1851年にフランスのレオン・フーコーが考案しました。長い糸に重りをつるして振り子を振動させると、その振動面が時間とともにゆっくり回転する現象が観察されます。
この回転は地球の自転によるもので、
- 北半球では右回り
- 南半球では左回り
となり、地動説の物理的証拠として画期的な役割を果たしました。
【北極点におけるフーコー振り子のシミュレーション】
地動説の受容は単なる天文学上の論争ではなく、人類が権威に盲従せず自ら思考する能力を獲得した歴史そのものです。19世紀末までに完全に定着したこの理論は、現代のGPS技術や宇宙開発の基盤となりました。
次の章では、このパラダイムシフトが社会に与えた広範な影響を探ります。*3)
地動説による影響

地動説の登場は、単なる天文学上の理論変更にとどまらず、人類の世界観や社会の在り方に根本的な変革をもたらしました。宇宙の中心が地球から太陽へ移ったことで、私たちの「当たり前」が問い直され、科学・宗教・文化・教育など多方面に波及しました。
この歴史的転換は、世界と日本にどのような影響を与えたのでしょうか。
世界への影響:科学革命と近代社会の幕開け
地動説は、16世紀のコペルニクス、17世紀のガリレオやケプラー、ニュートンらによって理論と観測の両面から確立されました。この「コペルニクス的転回」は、絶対的な権威とされていた天動説や聖書解釈に疑問を投げかけ、人間の理性や実証的思考の重要性を強調するきっかけとなりました。
地動説の普及は、科学的な方法論の確立を促し、観察・実験・論証を重視する近代科学の基礎を築きました。また、宇宙の中心から外れた地球という認識は、人間中心主義からの脱却を促し、哲学や宗教、倫理観にも大きな影響を与えました。
キリスト教会は当初、地動説を異端とし厳しく弾圧しましたが、やがて科学との対話を通じて立場を見直すようになり、信仰と科学の共存という新たな関係が模索されていきます。
この変革がもたらした科学リテラシーの向上は、天文学だけでなく物理学や地理学、技術革新にも波及し、産業革命や現代社会の発展の土台となりました。
日本への影響:知識の受容と近代化への道
【本木良永訳 天地二球用法】
日本に地動説が本格的に伝わったのは18世紀後半、蘭学者の本木良永らによるオランダ語文献の翻訳がきっかけでした。江戸時代の天文学は伝統的な天動説に基づいていましたが、ヨーロッパの新しい知識が「天地二球用法」などを通じて紹介されると、次第に地動説も受け入れられるようになりました。
【本木良永】
また、彼の弟子筋にあたる志筑忠雄は、ケプラーの法則やニュートン力学を盛り込んだ「暦象新書」を翻訳し、西洋の最新科学を日本に伝えました。彼は「地動説」や「重力」「引力」といった現在も使われる多くの科学用語を創出した人物としても知られています。
【刻白爾天文図解(1808年、司馬江漢訳)】
当初は、既存の暦学や社会制度との摩擦がありましたが、開国とともに西洋科学が急速に普及し、明治維新以降は教育や技術の近代化に大きく貢献しました。地動説の受容は、日本の科学教育や思考様式に変革をもたらし、世界との知的交流を深める契機となりました。
【東京科学博物館にフーコー振り子が設置されたことを報じる新聞記事※】
地動説とSDGs
地動説の歴史は、科学的思考や批判的リテラシー、国際的な知識交流の重要性を社会に広めました。これらはSDGsの目標達成に不可欠な、
- 科学教育
- 多様な価値観の尊重
- 地球規模の協働
などの基盤となっています。地動説の精神は、現代の環境・社会課題に対しても、分野横断的な連携と柔軟な発想で解決策を生み出す力となります。
地動説の精神が大きく貢献できるSDGs目標と、具体的な活動例を見ていきましょう。
SDGs目標4:質の高い教育をみんなに
科学革命の象徴である地動説は、「自ら考え、疑い、証拠をもとに判断する」力を育む科学教育の礎となりました。現代でも、探究学習やSTEAM教育※、批判的思考の育成など、地動説の精神を受け継ぐ教育活動が世界中で展開されています。
こうした教育は、持続可能な社会の担い手を育てる上で不可欠です。
SDGs目標9:産業と技術革新の基盤をつくろう
地動説は、観測技術や数学の発展、印刷術による知識の共有を促し、産業革命や現代科学技術の礎となりました。現代では、AIやデータサイエンス、宇宙開発など、分野横断的な技術革新がSDGs達成のカギとなっています。
異分野協働やイノベーションを推進する姿勢は、地動説の時代から続く人類の財産です。
現代社会がSDGsの目標を達成するために活用している科学技術(例えば、再生可能エネルギー技術、病気の治療法、食料増産技術、気候変動の予測モデルなど)は、こうした科学革命以降の科学の発展の上に成り立っています。
地動説を含む科学革命は、現代科学技術の基盤となる科学的方法や世界観を確立しました。この結果としてSDGsが目指す持続可能な社会の実現に必要な技術や知識を生み出し、間接的に貢献していると言うことができるでしょう。*5)
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ

地動説の歴史は、人類が「常識」を問い直し真理を追求する営みの結晶です。16世紀のコペルニクスから19世紀のベッセルまで、300年にわたる科学者たちの挑戦が、宇宙観の大転換を成し遂げました。
2025年現在でも、気候変動対策やデジタル格差の解消には、地動説の受容時に見られた「多様な視点の統合」と「技術革新の民主化」が必要です。また、地動説の歴史を学ぶ意義は、単なる知識の蓄積ではなく「思考の柔軟性」を養う点にもあります。
GPS技術や衛星通信が地動説を前提とする現代、私たちは日常的に宇宙的視点を活用しています。しかしAI倫理や気候変動といった新たな課題には、過去のパラダイムシフト同様、個人の批判的思考と国際協力が求められます。
- 自分が信じる「当たり前」は本当に正しいか?
- 異なる立場の意見にどう向き合うか?
このような問いを常に持ち、過去の知恵を現代に活かしましょう。地動説が証明したように、真理は多様な視点の交差点に存在します。
一人ひとりが小さな疑問を大切にし、対話を重ねることで、持続可能な未来の道は開かれていくのです。宇宙の果てまで続く人類の探求心を、地上の課題解決にもつなげましょう。
<参考・引用文献>
*1)地動説とは
WIKIMEDIA COMMONS『Heliocentric』
WIKIMEDIA COMMONS『Cellarius ptolemaic system』
WIKIMEDIA COMMONS『Almagest 1』
WIKIMEDIA COMMONS『Nikolaus Kopernikus』
WIKIMEDIA COMMONS『Brunostatue』
WIKIPEDIA COMMONS『JKepler』
WIKIMEDIA COMMONS『Lire 2000 Galileo Galilei』
WIKIMEDIA COMMONS『Tomb of Galileo Galilei』
WIKIMEDIA COMMONS『Sir Isaac Newton by Sir Godfrey Kneller』
Wikipedia『地動説』
Wikipedia『ケプラーの法則』
Wikipedia『科学革命』
Wikipedia『ニコラウス・コペルニクス』
世界史の窓『科学革命』
世界史の窓『地動説』
Lab BRAINS『【地球の運動について】地動説はどう証明された? 分かりやすく解説』(2024年2月)
摂南大学『運動を解明した人々:コペルニクス・ケプラー・ガリレイ』
国立天文台『天動説 (Geocentrism)†』
鈴木 孝典『プトレマイオスとコペルニクスの評価について』
国立天文台『季節はなぜ変化するのか?†』
*2)地動説の具体的な内容
WIKIMEDIA COMMONS『Copernican heliocentrism theory diagram』
国立天文台『地動説 (Heliocentrism)†』
WIKIMEDIA COMMONS『Аномалии』
世界史の窓『コペルニクス』
専修大学『自然科学論・科学史101 第一部:肉眼観測による宇宙の姿』
名古屋市科学館『天動説から地動説へ』
情報通信研究機構『時空分野関連の歴史年表』
大橋 由紀夫『地動説から古典力学へ』
兵庫県立大学西はりま天文台『2.重力』
天文教育『望遠鏡 400 年【1】望遠鏡の発明とガリレオの初めての天体観測』(2008年1月)
Mathematica『ヨハネス・ケプラー』
京都産業大学『微積分が導いた宇宙の法則—万有引力の発見は数学の賜物—』
WIKIMEDIA COMMONS『The Galilean satellites (the four largest moons of Jupiter)』
国立天文台『金星の満ち欠けと等級』(2007年)
WIKIMEDIA COMMONS『NewtonsLawOfUniversalGravitation』
Wikipedia『万有引力定数』
*3)地動説の歴史
The Royal Society『The reappearance of Galileo’s original Letter to Benedetto Castelli』(2018年10月)
Wikibooks『天動説と地動説』
Wikipedia『年周視差』
Mathematica『第1回 科学のはじまり:天文学の源流「バビロニア文明」』
Mathematica『プトレマイオス』
高橋 憲一『科学革命初期の宇宙論と創造』(2008年)
世界史の窓『ジョルダーノ=ブルーノ』
和歌山大学『天文学の歴史』
国立天文台『江戸時代後期書物に見る「宇宙のはて」
国立天文台『江戸時代の宇宙観』
鈴木 孝典『アラビア天文学から科学史を見直す』(2020年2月)
弘前大学『フーコーの振り子』
舟越 清『科学とヨーロッパのキリスト教的世界像(一)』
高エネルギー加速器研究機構『江戸時代後期の日本の天文学』(2018年2月)
Canon『望遠鏡で初めて月の表面を見た科学者 ガリレオ・ガリレイ』
産経新聞『地動説が禁じられた世界の天文学者』(2024年10月)
広島大学『科学史からみた天空のイメージ--宇宙の中の人間の位置--』
杉山 直『宇宙観のパラダイムシフト』
AstroArts『歴史に埋もれかけた、宇宙膨張の真の発見者』(2011年11月)
Wikipedia『レオン・フーコー』
Wikipedia『フーコーの振り子』
*4)地動説による影響
国立国会図書館『天地二球用法 4巻 ウィルレム・ヨーハン・ブラーウ[著] 本木良永訳 松村元綱校 [江戸末期]写 4冊 <W383-10>』
WIKIMEDIA COMMONS『本木良永』
国立国会図書館『4. 海外知識の受容(1)異国を知る (2)天文・気象・本草』
Wikipedia『本木良永』
天文教育『江戸幕府の天文学(その 6)』(2008年7月)
Springer Nature『発見されたガリレオの手紙から新事実』(2018年9月)
飯田 洋治『地動説の授業』
Yahoo!ニュース『地球が宇宙の中心と信じられていた時代に、地動説を訴えた人々 漫画「チ。」で描かれた地動説の始まりとは』(2025年1月)
中村 士『宇宙観の革命 : 天動説から地動説へ(<特集>科学と工学における論争)』(2011年4月)
慶応大学『7.3 天動説から地動説へ』
北海道大学『第2章 自然界の秩序』(2016年1月)
PRESIDENTOnline『ガリレオでもニュートンでもない…”シンプルで美しい理論”で物理学の発展に大貢献した”天文学者の名前”』(2024年8月)
森 一夫『自然 認識 の 発達 と 形 成 (皿)一 宇 宙 観 の 発 達 過 程 と 理 科 指 導 計 画 の 設 計 一』
芦名 定道『キリスト教と近代自然科学一一ニュートンとニュートン主義を中心にーー』
小池 康郎『ケプラーについての一考察』
NRI『天動説のかけらを拾う』(2018年)
真貝 寿明『天文と文化の交流 日本に西洋物理学を紹介した蘭学者たち』(2020年10月)
*5)地動説とSDGs
国際連合広報センター『SDGsのポスター・ロゴ・アイコンおよびガイドライン』(2020年7月)
この記事を書いた人

松本 淳和 ライター
生物多様性、生物の循環、人々の暮らしを守りたい生物学研究室所属の博物館職員。正しい選択のための確実な情報を提供します。趣味は植物の栽培と生き物の飼育。無駄のない快適な生活を追求。
生物多様性、生物の循環、人々の暮らしを守りたい生物学研究室所属の博物館職員。正しい選択のための確実な情報を提供します。趣味は植物の栽培と生き物の飼育。無駄のない快適な生活を追求。