
火薬は、単なる「武器の材料」ではありません。その誕生は戦争の形を変え、国家のあり方を揺さぶり、世界史の流れそのものを大きく動かしました。
不老不死を求めた研究から偶然生まれた火薬は、やがて火砲や鉄砲として実戦に投入され、「軍事革命」と呼ばれる大転換を引き起こします。城は崩れ、騎士は没落し、集団を統率する力を持つ者が時代を制するようになりました。
この記事では、火薬の発明史から軍事革命の実像、オスマン帝国や戦国日本での具体的な運用例を解説し、その影響が現代のSDGsにまでどうつながっているのかを読み解きます。歴史の裏側にある「力の変化」を、わかりやすく見ていきましょう。
目次
火薬の発明に関する歴史

火薬とは、熱や衝撃によって急激な化学反応を起こし、爆発や燃焼を生じる物質です。硝石・硫黄・木炭を混合した黒色火薬は中国で発明され、軍事利用を通じて各地に広まりました。のちに火砲や銃の発射薬として用いられ、戦争の形や国家のあり方を大きく変える要因となりました。*1)
ここでは、火薬の歴史を年表形式で簡単に振り返ります。
【火薬の歴史】
| 年代 | 内容 |
| 7世紀 | 中国で黒色火薬の製造が始まる |
| 11世紀 | 北宋で火薬の武器使用が始まる |
| 13世紀 | モンゴル帝国や元が火薬を武器として積極的に使用 |
| 14世紀前半 | ドイツで火薬の製造が始まる |
| 1453年 | オスマン帝国がコンスタンティノープル攻略で火砲を使用 |
| 1514年 | チャルディランの戦いで鉄砲を活用 |
| 16世紀後半 | 戦国大名が戦いで鉄砲を活用 |
| 1618~1648年 | 三十年戦争で軍事革命が進展 |
| 1867年 | ノーベルがダイナマイトを発明 |
火薬は不老不死の研究から生まれた
火薬は、最初から戦争のために生まれたものではありません。その起源は、中国で行われていた不老不死を求める錬丹術や、祭りの場で楽しまれた花火にあります。硝石・硫黄・木炭を調合する過程で、強く燃えたり破裂したりする性質が偶然知られるようになり、その知識がやがて軍事技術者に受け継がれて兵器へと応用されました。
初期の火薬兵器は、現在のような強力な爆発を目的としたものではなく、火を放つ焼夷効果や、大きな音や光による威嚇、敵を混乱させる心理的効果が中心でした。
その後、中国では火炎を噴き出す火槍(かそう)、推進力で飛ぶ火箭(かせん)、投げて燃え広がる火毬(ひまり)など、さまざまな火薬兵器が工夫され、体系的に発展していきます。*2)
こうして火薬は、信仰や祭礼の世界から、歴史を動かす軍事技術へと姿を変えていったのです。
軍事革命とは

軍事革命とは、火薬を使った火砲や鉄砲が戦場で本格的に使われるようになり、戦い方や軍隊のあり方、さらには国家の仕組みまでが大きく変わった歴史的な変化のことです。各地の具体例を通して、その特徴を見ていきます。
軍事革命とは
軍事革命とは、小銃や大砲といった火砲が戦争の主役となり、戦い方そのものが大きく変わった歴史的な転換を指します。
中世までの戦争では、騎士や武士など個人の武勇が重視されていましたが、火砲(小銃・大砲)の登場によって状況は大きく変化しました。小銃を持った歩兵が集団で戦い、大砲がその進撃を援護する戦術が広まり、戦闘の中心は騎兵から歩兵へと移っていきます。その結果、戦争は個人の腕前ではなく、部隊の統率や訓練、装備の運用が勝敗を左右するものとなりました。
軍事革命という言葉の使い方は時代や地域によって異なりますが、今回は、火砲の登場と運用によって生じた軍事の構造的な変化を「軍事革命」と定義します。
各地域の運用例
軍事革命はヨーロッパだけで起こったのではありません。ここでは、以下の3つの事例をとりあげます。
- オスマン帝国のコンスタンティノープル攻略とチャルディランの戦い
- 日本の戦国時代の鉄砲活用
- 三十年戦争の三兵戦術
それぞれの活用事例を紹介します。
オスマン帝国による火砲の活用

オスマン帝国は、火砲を効果的に活用することで勢力を拡大した国家です。小アジアに成立したトルコ系国家で、14世紀にはバルカン半島へ進出し、本拠地を移しました。*3)
代表的な事例が1453年、皇帝メフメト2世によるコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)攻略です。この都市は二重の堅固な城壁に守られ、長年にわたり外敵の侵入を防いできましたが、オスマン帝国は巨大なウルバン砲を投入し、城壁を破壊して最終的に陥落させました。*4)
もう一つの事例が1514年のチャルディランの戦いです。この戦いでは、鉄砲で武装したイェニチェリが、騎馬隊中心のサファヴィー朝軍を撃破しました。これらの事例は、火砲の運用が戦局を大きく左右したことを示しています。*5)*6)
戦国時代の鉄砲戦術

戦国時代の戦い方は、火縄銃の伝来によって大きく変化しました。
火縄銃は15世紀後半にヨーロッパで発明され、日本には1543年に種子島へ漂着したポルトガル人によってもたらされました。黒色火薬と鉛弾を銃口から装填し、火縄で点火する仕組みで、発射速度は遅いものの高い貫通力と命中精度を備えていました。
戦国大名たちはこの新兵器をいち早く取り入れ、国産化と大量配備を進めます。鉄砲は個人で扱うだけではなく、隊列を組んで運用され、射撃と再装填を分担する集団戦術が工夫されました。
1575年の長篠の戦いでは、足軽を中心とした歩兵による鉄砲運用が敵軍を打ち破った例として知られています。さらに戦国時代末期には、日本国内に数十万丁もの火縄銃が存在していたとされ、鉄砲は合戦に欠かせない主力兵器となっていました。
こうして日本の戦争は、武勇重視から集団と統率を重んじる形へと変化していったのです。
三十年戦争の三兵戦術

三十年戦争は、火砲を中心とした戦い方が本格的に確立した軍事革命の代表的な事例です。1618年から1648年にかけてドイツを主戦場として続いたこの戦争では、宗教対立を背景に多くの国が介入し、戦争の長期化と大規模化が進みました。その中で大きな役割を果たしたのが、スウェーデン王グスタフ2世アドルフによる三兵戦術です。
従来は槍兵と銃兵が密集した縦深の深い方陣を組む戦術が主流でしたが、三兵戦術では槍兵を中心に銃兵と騎兵を横に配置する薄い横隊を採用しました。これにより銃の火力を最大限に活用し、機動力の高い戦いが可能となります。この戦術は三十年戦争を通じて各地に広まり、近代的な歩兵戦術の原型となりました。
火薬の発明が与えた影響

火薬の発明は戦場だけでなく、社会や国家の仕組みにも大きな影響を与えました。騎士の時代の終わりや王権の強化、城や要塞の変化など、火薬がもたらした歴史的な変化を見ていきます。
騎士の没落と王権強化
火薬の発明は、中世ヨーロッパ社会の基盤であった騎士階級を衰退させ、王や君主の権力を強める大きな要因となりました。小銃や大砲が戦場で使われるようになると、重装備の騎士による騎馬戦術は次第に通用しなくなります。
代わって、小銃で武装した歩兵が集団で進撃し、大砲がそれを支援する戦い方が一般的になりました。これにより、封建領主が騎士として戦場で戦う役割は失われ、封建制度そのものが弱体化していきました。
その結果、軍事力を直接統制する王権が強まり、中央集権的な国家が台頭します。火薬による軍事革命は、戦術の変化を通じて、近代国家成立への流れを後押しした重要な転換点だったのです。
防御施設の変化
火薬の発明と大砲の普及は、城や要塞といった防御施設の構造を大きく変化させました。中世の城は高くそびえる城壁で敵を防ぐ造りでしたが、火砲の砲撃には弱く、城壁は容易に破壊されてしまいます。
そこで近世ヨーロッパでは、高さよりも厚みと耐久性を重視した防御施設が求められるようになりました。その代表例が星形要塞です。
星形要塞は、城壁の外側に稜堡を星形に配置し、互いに援護射撃ができる構造を持っています。これにより死角を減らし、敵の接近や砲撃に効果的に対処できるよう設計されました。防御施設は単なる城ではなく、火砲を前提とした軍事設備へと進化したのです。
日本でも幕末にこの築城思想が取り入れられ、北海道の五稜郭はその代表例として知られています。火薬の発明は、防御のあり方そのものを合理的に作り替えたと言えるでしょう。*11)*12)
火薬は日本にどのような影響を与えたのか

火薬は日本にも早くから伝わり、元寇での使用や戦国時代の鉄砲普及を通じて、戦い方を大きく変えました。個人の武勇中心の戦闘から、集団による組織的な戦争へと移行した過程を見ていきます。
火薬は元寇でも使われた
火薬は、日本において戦国時代の鉄砲伝来以前から使われていたと考えられています。その代表例が、13世紀に起きた元寇です。
1274年と1281年に蒙古軍が日本へ侵攻した際、彼らは「てつはう」と呼ばれる火薬兵器を使用しました。てつはうは、陶器などの容器に火薬を詰め、投げると破裂して大きな音や火炎、煙を発する兵器です。殺傷力そのものよりも、爆音や閃光による威嚇や心理的効果が大きかったとされています。
当時の日本側は、一騎討ちを重んじる戦い方が主流であり、集団で火薬兵器を用いる戦術は未知のものでした。そのため、元寇における火薬兵器の使用は、日本の武士たちに強い衝撃を与えたと考えられます。元寇は、日本が初めて本格的に火薬兵器と遭遇した出来事だったのです。*13)
鉄砲の普及で集団戦への移行が加速した
鉄砲の普及は、日本の戦い方を大きく変え、集団戦への移行を一気に進めました。1543年に鉄砲が伝わると、戦国大名や商人たちはその威力に注目し、短い期間で国産化と大量生産を実現します。
鉄砲は一人で活躍する武器ではなく、隊を組んで使うことではじめて力を発揮する兵器でした。そのため、兵士の配置や統率、射撃の順番など、組織的な運用が重視されるようになります。
合戦では個人の武勇よりも、どれだけ多くの兵を動かし、統制できるかが勝敗を左右しました。鉄砲隊による集団的な攻撃は、日本の戦争を一騎討ちの時代から、計画的な集団戦の時代へと変えていったのです。
軍事革命とSDGs

軍事革命は戦争のあり方を変えただけでなく、国家や社会の仕組みにも大きな影響を与えました。その歴史を振り返ることで、現代のSDGs目標16が目指す「平和と公正」の意味を考えます。
SDGs目標16「平和と公正をすべての人に」との関わり
軍事革命の歴史は、SDGs目標16「平和と公正をすべての人に」を考えるうえで多くの示唆を与えてくれます。
火薬と火砲の普及によって、戦争は個人の武勇による争いから、国家が人と資源を組織的に動員する大規模なものへと変化しました。その結果、国家の統治力は強まりましたが、同時に戦争の被害は一般の人々にまで及ぶようになります。
火薬と軍事革命の歴史は、暴力や権力をどのように管理し、制御するかが社会の安定に直結することを示しています。
SDGs目標16は、暴力の抑制や法の支配、公正な制度の確立を重視していますが、これは軍事革命以降に拡大した国家の力を、平和的にコントロールしようとする一つの答えといえるでしょう。
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まとめ
今回は火薬と軍事革命について解説しました。火薬は不老不死を求める研究から生まれ、中国で発展したのち、世界各地に広まり、戦争の形を根本から変えていきました。
火砲や鉄砲の登場は、騎士や武士の個人的な武勇を重視する戦いを終わらせ、集団を統率する力が勝敗を左右する時代をもたらします。その影響は、国家の成立や城郭の構造、日本の戦国時代の戦い方にも及びました。
また、軍事革命の歴史は、現代のSDGs目標16が掲げる「平和と公正」を考える手がかりにもなります。火薬がもたらした変化を知ることは、過去だけでなく、これからの社会を考えるヒントになるでしょう。
参考
*1)旺文社世界史事典 三訂版「火薬」
*2)日本鉄砲史学会「世界史から見た火薬と銃砲の歴史」
*3)デジタル大辞泉「オスマン帝国」
*4)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「コンスタンチノープル」
*5)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「チャルディラーンの戦い」
*6)改定新版 世界大百科事典「イェニチェリ」
*7)日本大百科全書(ニッポニカ)「火縄銃」
*8)山川 世界史小辞典 改定新版「グスタフ2世アドルフ」
*9)山川 世界史小辞典 改定新版「三十年戦争」
*10)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「三兵戦術」
*11)デジタル大辞泉「星形要塞」
*12)防衛研究所「軍事革命の歴史についてー「ナポレオン戦争」を中心にー」
*13)漂着物学会「蒙古襲来絵詞の”てつはう”」
*14)改定新版 世界大百科事典「鉄砲」
この記事を書いた人
馬場正裕 ライター
元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。
元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。