
1992年、青森市で県営野球場建設前の調査で偶然発見された遺跡があります。
小中学校の教科書に登場し、つい最近、世界遺産にも登録された三内丸山遺跡です。縄文時代前期から中期にかけて存在した同遺跡は、これまでの縄文時代の常識を覆すものでした。
その後も、全国各地で縄文時代の遺跡発掘が進められ、以前に比べて多くのことがわかってきました。
縄文時代は、およそ12000年という途方もない期間続きましたが、やがて稲作中心の弥生時代へと移り変わります。
今回は、縄文時代の流れや代表的な遺跡、彼らが使った道具、縄文人たちの暮らしぶりについて解説します。加えて、縄文時代が終わった理由や現代のSDGsとの関連についても考察します。
目次
縄文時代とは?

縄文時代とは、弥生時代以前の縄文文化の時代のことです。
今から12000〜13000年前に始まったと考えられ、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に区分されます。*1)
縄文人はどこに住んでいた?
縄文時代の人々は、主にどこに住んでいたのでしょうか?遺跡の発掘調査から、彼らの多くは東北地方、関東地方、中部地方といった地域に暮らしていたと考えられています。
これらの地域だけで、縄文人の約8割が生活していたようです。*1)
また、縄文時代の遺跡は、山や丘、平野といった場所だけでなく、海辺や湖、川の近くなど、実に様々な場所に点在しています。このことから、縄文時代の人々は、環境への適応能力が非常に高い人々であったと言えるでしょう。*2)
縄文時代と旧石器時代の違い
旧石器時代とは、縄文時代の一つ前の時代区分です。両者にはどのような違いがあるのか、表でまとめてみました。
比較ポイント | 旧石器時代 | 縄文時代 |
---|---|---|
道具 | 打製石器、骨角器など | 磨製石器、骨角器など |
土器 | なし | あり(縄文土器) |
生活スタイル | 移動生活 | 定住生活 |
住居 | テント暮らし | 竪穴住居 |
気候 | 寒冷で厳しい環境 | 温暖な環境 |
主な食料 | 大型動物(ナウマンゾウやマンモス)木の実など | 中小型動物(シカ・ウサギなど)魚介類木の実など |
両者を比べると、使用している道具や生活スタイル、気候などが大きく異なることがわかります。
特に、旧石器時代では石を打ち砕いた単純な石器である打製石器でしたが、縄文時代になると石器を磨いて加工する磨製石器を使っている点が大きな違いです。
縄文時代の流れと特徴

縄文時代は約12000から13000年もの間続いた長い時代ですが、その間にも様々な変化がありました。この時代は複数の区分に分けられており、それぞれの時期で特徴的な遺跡が残されています。ここでは、縄文時代の時期区分と代表的な遺跡についてご紹介します。
縄文時代の時代区分と各時代の特徴
縄文時代は、使用された土器の特徴などから6つの時代に区分されます。年表形式で見てみましょう。
時代区分 | 年代(紀元前) | 主な出来事 | 世界史 |
---|---|---|---|
草創期 | 13000~9000年 | 土器の使用開始ムラの出現 | |
早期 | 9000~5000年 | 温暖化が進む貝塚の出現 | 長江下流で稲作 |
前期 | 5000~3000年 | 拠点集落の登場 | 中国文明メソポタミア文明 |
中期 | 3000~2000年 | 大規模集落の出現ヒスイや黒曜石の交易 | クフ王のピラミッドインダス文明 |
後期 | 2000~1000年 | 集落の分散化・小規模化 | ハンムラビ法典殷王朝ツタンカーメン |
晩期 | 1000~400年 | 遮光器土偶の出現九州北部に稲作が伝来 | 春秋時代 |
縄文時代は、学校で習う世界の文明(いわゆる四大文明)よりも古い時代から発達していたことがわかります。
縄文時代の代表的な遺跡
縄文時代を代表する有名な遺跡として、以下の2つを取り上げます。
- 三内丸山遺跡
- 北海道・北東北の縄文遺跡群
三内丸山遺跡
三内丸山遺跡は青森県青森市にある日本最大級の昔の村の跡地です。
約5500年前から4000年前までの長い期間、人々が住み続けていました。この場所では、昔の家や建物、お墓、物を保管する穴、道などが見つかっています。広さは野球場約40個分もあります。
土器や石の道具、人形、飾り物なども多く出てきました。また、遠く離れた地域から運ばれてきた宝石や琥珀も発見され、他の地域との交流があったことがわかります。
クリの木やひょうたんなどを育てていた証拠も見つかり、計画的に村を運営していたことがうかがえます。
この発見により、昔の人々が思っていたよりもずっと高度な社会を築いていたことが明らかになり、2021年には世界遺産として認められました。*3)
北海道・北東北の縄文遺跡群
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、2021年に世界遺産に登録された価値ある場所です。約1万年前から長い間、この地域の人々は農業ではなく、木の実を集めたり動物を獲ったりして暮らしていました。暖かく湿った環境の中で定住生活を送り、すばらしい文化を作り上げました。
世界的に見ると、この時代は中石器・新石器時代にあたります。農業や牧畜を行っていた遺跡は世界中にありますが、狩りや魚とりを中心にした生活の跡がこれほど良い状態で残っているのはとても珍しいことです。
北海道の6か所と青森県の9か所、岩手県と秋田県の各1か所、合わせて18の場所が含まれています。三内丸山遺跡などの有名な場所もこの中に入っています。*4)
縄文人が使った道具とは?
縄文時代の人々は、多彩な道具を使用していました。ここでは、採集・漁労・狩猟・その他の4つに区分して、彼らの使った道具を紹介します。
採集の道具
木の実や山芋などの植物を採取するため、石斧という石の斧を使いました。収穫した木の実(ドングリやクルミなど)は、石皿・すり石・たたき石などですりつぶされ、食べ物に加工されます。木の実を採集するためのカゴや編み物などを作成していたことがわかっています。
漁労の道具
縄文時代の人々は、海や川の近くに住み、魚や貝などを捕るために様々な道具を活用していました。
彼らは木をくりぬいて作った「丸木舟」に乗り、沖まで出て漁を行っていました。獲物を捕まえるために、動物の骨や角で作られた「釣り針」を使用していたことが発掘調査から明らかになっています。
また、大型の魚を獲るときは先端が鋭くとがった「銛」という道具で突いて捕獲していました。小さな魚に対しては植物の繊維で編んだ「網」を活用し、それを水中に沈めるために「石のおもり」を取り付けていたようです。
このように縄文の人々は、自然の素材を巧みに加工して、環境や対象に合わせた漁具を工夫し、豊かな水辺の生活を実現していたのです。*5)
狩猟の道具

縄文時代の人々は、動物を捕まえるために様々な道具を開発し、活用していました。
彼らが主に使っていたのは「弓矢」です。矢の先端には黒曜石などの鋭利な石を付け、離れた場所から獲物を仕留めることができました。また、動物を突き刺すための「石やり」も重要な狩猟具でした。
これらの直接的な武器だけでなく、「落とし穴」という罠も広く利用されていました。地面に大きな穴を掘り、獲物が落ちるのを待つという方法です。
獲得した獲物はシカやイノシシなどの大型動物から、ノウサギやキツネといった小動物、さらには鳥類や海獣まで多岐にわたります。
捕獲した生き物は食料として活用するだけでなく、毛皮は衣服に、骨や角は様々な道具に加工され、無駄なく利用されていました。さらに、狩りを効率的に行うためのパートナーとしてイヌも飼育していたことが分かっています。*6)
土偶

縄文時代の土偶は粘土を焼いて作られた人形で、この時代を代表する遺物の一つです。大きさは10~30センチメートル程度のものが多く、時期や地域によって形や文様が異なります。
初期の土偶は顔や手足の表現が簡素でしたが、中期になると目・鼻・口などが表現され、妊娠した様子や乳児を抱いた姿など特徴的な形が現れました。
後期には全国に広まり、関東地方では筒形やハート形の顔をした種類が作られました。
晩期の東北地方では、特徴的な目を持つ精巧な造りの遮光器形土偶が代表的でした。
土偶は単なる玩具ではなく、宗教的な意味を持っていたと考えられています。
多くの土偶が女性の特徴を表しており、豊かな実りを願う祈りの道具だったという説や、病気やけがの身代わりとして使われたという解釈もあります。墓から発見された例もあり、当時の人々の信仰と深く関わっていたことがうかがえます。*7)
縄文時代の暮らしについて
縄文時代の人々は、現代の私たちとは全く違う環境で生活していました。
彼らは電気やガス、スーパーマーケットなどがない中で、どのように日々の生活を送っていたのでしょうか?
ここでは、縄文時代の人々が厳しい自然環境の中でどのように適応して生き抜いたのかを、「衣服」「食べ物」「住まい」の3つの基本的な生活面から紹介します。
縄文時代の衣服

当時の人たちが身に着けていたものは現在まで残っていないため、詳細は解明されていません。
ただし、研究によると、彼らは樹木の皮から糸を抽出し、それを組み合わせて布を生み出し、着るものを作成していたと考えられています。
実際に青森県にある三内丸山遺跡では、このような織物の断片が発掘されました。
この発見は、昔の日本に住んでいた方々が布を織る技術を持っていたことを証明する重要な証拠となりました。
さらに、彼らは狩猟によって捕まえた鹿や猪などの獣の皮も、防寒具として活用していたようです。これらの素材を使って、生活に必要な衣類を工夫して作り上げていたのです。*8)
縄文時代の食事

縄文時代の人々は、周囲の豊かな自然から様々な食べ物を得ていました。
森からはクリやクルミなどの実や山菜を集め、川や海からは貝や魚を捕り、弓矢を使ってシカやイノシシなどを捕まえていました。
特にクリは保存がきくため大切な食料でした。トチの実などは水に長く浸して、苦み成分を取り除いてから食べていました。硬い実は石の道具ですりつぶして粉にしていました。
漁には丸木舟や釣り針、網などの道具が使われていました。網には重りとなる石が取り付けられていました。
土器が作られるようになると、煮炊きができるようになり、食材を柔らかくしたり苦み成分を取り除いたりすることが簡単になりました。
これにより、自然からより多くの種類の食べ物を利用できるようになり、安定した食生活が送れるようになりました。*9)
縄文時代の住居
縄文時代の人々は地面に穴を掘り、その上に柱を立てて「竪穴住居」という家に暮らしていました。
日本各地で約800か所の遺跡から1,000以上の住居の跡が発見されています。これらの家は地面から50センチほど掘り下げられ、4〜6本の支柱で支えられていました。
形状は時代や地域によって円形や四角形などさまざまでした。住居の中央部には火を使う場所が設けられ、そこで料理や暖を取っていたようです。
当時の人たちは食料を求めて移動する生活をしていましたが、狩猟や魚取りに適した海や川の近くの高台を見つけると、そこに集まって村を形成していました。*10)
縄文時代が終わった理由

長きにわたり続いた縄文時代はなぜ終わってしまったのでしょうか。その理由として、気候が寒冷化したことを上げる研究があります。ここでは、縄文文化の終焉と気候の寒冷化の関連を解説します。
気候が寒冷化したから
縄文時代の終わりについて、気候の寒冷化が大きな要因だったという説があります。三内丸山遺跡の事例はその典型的な例と言えるでしょう。
東京大学の研究によると、約5900年前に気温が現在より2℃ほど高くなった時期があり、この温かい環境でクリやドングリなどの木の実が豊富に実りました。
そのため、三内丸山遺跡では多くの人々が集まって暮らせるようになりました。
しかし約4200年前、気温が急に2℃ほど下がる変化が起きました。これは気候帯が南へ230kmほど移動したのと同じくらいの大きな変化でした。
その結果、木の実の収穫量が大幅に減り、動物も少なくなったため、食べ物を確保するのが難しくなりました。
人々は大きな集落を維持できなくなり、三内丸山の集落は放棄されることになりました。
この現象は三内丸山だけでなく、日本中の縄文集落で見られました。同じ時期に縄文人の数が全体的に減少し、多くの集落が衰えていきました。
さらに、中国や西アジアなどの地域でも同様の文明衰退が確認されており、広い範囲で気候の変化が人々の生活に影響を与えたと考えられています。*11)
縄文時代とSDGs
縄文時代の人々は、自然の恵みを無駄なく活用し、必要な分だけを得て暮らしていました。
このような持続可能な資源利用の姿勢は、現代のSDGs目標12「つくる責任 つかう責任」と深く通じるものがあります。
SDGs目標12「つくる責任つかう責任」との関わり
縄文時代の人々は、自然と調和しながら必要な分だけを採取し、資源を無駄にせず大切に使う暮らしを営んでいました。
狩猟や採集、漁労によって得た食料や道具は、すべてが貴重なものであり、壊れたものは修理し、使い切ることが当たり前でした。
このような生活スタイルは、現代のSDGs目標12「つくる責任 つかう責任」が掲げる、持続可能な生産と消費のあり方と深く重なります。
大量生産・大量消費がもたらす資源の枯渇や廃棄物の増加が問題となっている現代社会において、縄文文化の「必要なものを必要なだけつくり、使い切る」という精神は、私たちが持続可能な社会を目指すうえで大切なヒントを与えてくれます。
縄文時代の知恵や価値観を見直し、限りある資源を大切に使う責任を果たすことが、SDGsの実現につながるのです。*12)
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ
今回は、縄文時代についてまとめました。約12000年続いた縄文時代は、土器の使用や定住生活が特徴です。縄文人は自然の恵みを活かし、竪穴住居に住み、狩猟・漁労・採集で食料を得ていました。
三内丸山遺跡などの発掘により、高度な文化を持っていたことが判明しています。
気候の寒冷化によって衰退し、稲作文化の弥生時代へと移行しましたが、縄文人の自然と調和した暮らしは現代のSDGsにも通じる持続可能な知恵を私たちに伝えています。
参考
*1)百科事典マイペディア「縄文時代」
*2)世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群「縄文遺跡群を知る」
*3)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「三内丸山遺跡」
*4)世界遺産詳解「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」
*5)JOMONぐるぐる「漁労」
*6)JOMONぐるぐる「狩猟(しゅりょう)」
*7)日本大百科全書(ニッポニカ)「土偶」
*8)JOMONぐるぐる「服 」
*9)世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群「縄文時代について」
*10)NHK for School「縄文時代の住居」
*11)東京大学 大気海洋研究所「三内丸山遺跡の盛衰と環境変化 -過去の温暖期から将来の温暖化を考える」
*12)北海道世界文化遺産活用推進実行委員会「「北の縄文を学ぼう!」縄文学びのガイド【先生用】ビデオクリップ⑤~縄文×SDGs~」
この記事を書いた人

馬場正裕 ライター
元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。
元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。