
オリンピックの開催が近づくと、出場を目指す選手はもちろんのこと、国全体の期待も高まってきます。オリンピックは誰もが認める大きなスポーツの祭典となりました。
時代々々の影響を受けながらも成長してきたオリンピックの歴史を、一緒におさらいしていきましょう。
目次
オリンピックとは

普段私達が「オリンピック」と言っている近代オリンピックは、フランスのクーベルタン男爵の提唱により古代ギリシアのオリンピックを19世紀に復興させたものです。
オリンピックは、スポーツを通して人類の発展や世界平和を実現していこうというオリンピズム(オリンピック哲学)を基に、「オリンピック憲章」さらには「国際オリンピック倫理規定」に従って開かれている祭典です。
現在は、夏季オリンピックと冬季オリンピックがあり4年に1度開かれています。夏季と冬季が重ならないよう、夏季オリンピックの中間年に冬季オリンピックが開かれています。
目的
その目的については、オリンピック憲章に以下のように記されています。
” オリンピズムとオリンピズムの価値の則って実践されるスポーツを通じ、若者を教育することにより、平和でより良い世界の構築に貢献すること “
クーベルタンは、スポーツを通して心と体を鍛え、世界の国々が交流し、平和な世界を築いていこうとオリンピック復活を提唱したのです。
オリンピック・シンボル:五輪旗
現在シンボルとして使われている五輪の旗も、クーベルタンが1941年に考案したものと言われています。
青・黄・黒・緑・赤は5つの大陸を表し、それに地の白を加えた6色で世界の国旗のほとんどを描けることから、「世界の団結」を表しています。日本では「五輪」はオリンピックを指す言葉としても使われています。
オリンピックの歴史①:草創期

クーベルタンはどんな想いでオリンピック復活を提唱し、その後どのように発展あるいは紆余曲折を経て現在に至るのか、歴史を振り返りながら一緒に考えていきましょう。
古代オリンピック
近代オリンピックの前身となったのは、古代ギリシャの祭典競技でした。紀元前9世紀ごろと言われています。この古代オリンピックは神々を崇めるための宗教行事で、種目も競走や格闘技などが中心で、男子のみ参加することができました。4年に1度開催され、1000年以上も続きました。
戦争の絶えない時代でしたが、この祭典の期間だけは休戦し、協議の勝利者を称えたとされています。クーベルタンはこのような祭典のルールにも注目したのではないでしょうか。
その後、ローマ帝国に支配されたギリシャは独自の信仰を維持することが難しくなり、393年の大会が最後となりました。実に293回の開催でした。
近代オリンピックの誕生
クーベルタンの提唱により第1回近代オリンピックは1896年ギリシャのアテネで開催されました。
| 回 | 開催年 | 開催地 | 競技数 | 参加国地域 | 参加選手数 | 特記事項 |
| 1 | 1896 | アテネ | 8 | 14 | 241 | 男子選手のみ |
資金難や運営方法など、初めての開催ならではのハードルも高かったようです。運営が軌道に乗るにはまだ数回の経験が必要とされました。第5回大会までは草創期とも言えるでしょう。
| 回 | 開催年 | 開催地 | 競技数 | 参加国地域 | 参加選手数 | 特記事項 |
| 2 | 1900 | パリ | 16 | 24 | 997 | 万博の付属大会 女子選手参加 |
| 3 | 1904 | セントルイス | 16 | 12 | 651 | 万博の付属大会 欧州外のため参加減 |
| 4 | 1908 | ロンドン | 23 | 22 | 2,008 | 個人から国別参加へ 「参加することに意義」 |
| 5 | 1912 | ストックホルム | 15 | 28 | 2,407 | 政治からの「独立」 日本発参加 |
5回大会までの歴史を整理すると、万博の付属扱いだったり、各国の政情に翻弄されたりしながらも、近代オリンピックの基礎が固まっていったことが分かります。
オリンピックの歴史②:激動期
<アントワープ(ベルギー)大会ポスター>
基盤が固まったオリンピックですが、その後激動の時を迎えます。
戦争とオリンピック
第6回オリンピックはドイツのベルリンで開かれる予定でした。しかし直前に始まった第一次世界大戦のためヨーロッパは戦火に包まれ、ベルリン大会は中止となってしまいました。
その後1920年には再開され、パリ大会、アムステルダム大会と再び安定するかのように思われましたが、1936年のベルリン大会は、当時のナチス政権が国威発揚に利用した大会となりました。そして第二次世界大戦でオリンピックは2度中止となってしまいました。
| 回 | 開催年 | 開催地 | 競技数 | 参加国地域 | 参加選手数 | 特記事項 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 6 | 1916 | 第一次世界大戦のため中止 | ||||
| 7 | 1920 | アントワープ | 23 | 29 | 2,622 | オリンピック旗の披露 |
| 8 | 1924 | パリ | 19 | 44 | 3,088 | 冬季大会開始 マイクロホン使用開始 |
| 9 | 1928 | アムステルダム | 16 | 46 | 2,883 | |
| 10 | 1932 | ロサンゼルス | 16 | 37 | 1,328 | 欧州外のため参加減 満州事変の中日本参加 |
| 11 | 1936 | ベルリン | 21 | 49 | 3,956 | ヒトラーが大会総統 聖火リレー開始 記録映画作成 |
| 12 | 1940 | 第二次世界大戦のため中止 | ||||
| 13 | 1944 | |||||
1940年の第12回大会は東京で開かれる予定でした。しかし、1937年から日中戦争が始まっており、オリンピック開催辞退となってしまいました。また、1944年の第14回大会はロンドンで開かれる予定でしたが、ヒトラーのポーランド侵攻から第二次世界大戦に突入し、再中止となってしまいました。
このようにこの時期のオリンピックは戦争に翻弄された激動期でした。
冬季オリンピック
1924年の第8回パリ大会から冬季オリンピックも開催されるようになりました。第1回大会はフランスのシャモニー・モンブラン地方でした。16か国から258人の選手が参加し、スキー・スケート・ボブスレー等4競技16種目を競いました。
1992年まで夏季大会と同じ年に行われ、始めは夏季大会の一部のような感がありました。しかし1994年以降は「独立」した形となり、夏季大会の中間年に行われています。
オリンピックの歴史③:復活と発展期
1945年、第二次世界大戦がようやく終わり、オリンピック再開を望む声が大きくなってきました。そしてついに1948年、第14回大会がロンドンで開かれる運びとなりました。その後紆余曲折を経ながら、夏季オリンピックは33回、冬季オリンピックは24回を数えるまで続けられています。
ここからは、視点を定めてその歴史をまとめていきます。各大会の詳細はこちらからご覧になれます。
オリンピック再開
第二次世界大戦後のオリンピックは1948年に再開されました。ロンドンでの開催でしたが、戦後間もないこともあり、資金や施設など多くの点で難題を抱えた再開でした。しかしヨーロッパやアメリカを始めとする多くの国々の協力で開催の運びとなりました。59の国と地域から4064選手の参加があり、まさに「団結」を再認識した大会にもなりました。
この時、日本とドイツは戦争責任を問われて、招待されませんでした。
日本の再参加が認められたのは、その次の第15回ヘルシンキ大会からです。この大会にはソ連も初参加、参加選手数も大幅に増えた大会となりました。
1940年・1944年と中止された冬季オリンピックも再開され、第15回大会がスイスのサンモリッツで再開されました。
1964東京大会


<武道館(左)での柔道競技と国立競技場での開会式入場行進>
1940年の東京大会中止後、ヘルシンキ大会から復帰を果たしていた日本は、自国開催を望んできましたがなかなか叶わず、ようやく1964年に開催にこぎつけました。アジアで初めての開催となりました。
当時、日本はすでに高度経済成長期に入っていましたが、オリンピック開催に伴う施設の建設、新幹線や高速道路、ホテルの建設などのインフラ整備は、経済成長にさらに拍車をかけることになりました。
国民や選手たちの高揚感も高く、日本の金メダル獲得数は16、アメリカ・ソビエトについで3位でした。競技のテレビ視聴率もバレーボールや体操、柔道、ウェイトリフティングを中心にかなり高い記録を残しました。
1972年には、冬季オリンピックも初めて日本で開催されました。第11回札幌大会です。
日本は、70メートル級ジャンプで金銀銅メダルを獲得しました。
| 回 | 競技数 | 参加国地域 | 参加選手数 | 日本人選手 | 特記事項 |
| 18 | 20 | 93 | 5,152 | 237 | 新種目:柔道・バレーボール |
| 11 | 6 | 35 | 1,006 | 110 |
<上18回夏季・下11回冬季>
パラリンピックとの共同開催
パラリンピックは国際パラリンピック委員会が主催する障がい者スポーツの総合競技大会です。夏季は1960年、冬季は1976年から始まっていましたが、2004年の第28回アテネ大会から、夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営することが決まり、オリンピックの後同じ開催国で実施される現在のような形となっています。
パラリンピックについての詳細はこちらから。
戦後、競技数・参加国と地域・選手数も増え、オリンピックは世界的イベントに成長し巨大化してきました。この時期は、多くの国が集い開催国が盛り上がるオリンピック発展期と言えます。しかし、巨大化に伴う問題が芽生え始めた時期でもありました。
オリンピックの課題

戦争期を乗り越え、華々しい歴史を重ねてきたように見えるオリンピックですが、決して明るい面ばかりではありません。そしてそれは、今日の課題の芽と言えるものもありました。この章では、その課題に直結する部分を解説していきます。
政治に左右されるオリンピック冬の歴史
オリンピックが大きなイベントになるほど国を挙げての大会となり、政治に左右されるようになりました。
テロ事件:ミュンヘンとアトランタ大会
1972年第20回ミュンヘン大会では、イスラエル選手に対するパレスチナ過激派によるテロ事件が起きました。選手・関係者およびテロリスト計17人が死亡するという大事件でした。大会は中断はされものの続行されました。
1996年の第26回アトランタ大会では公園爆破事件が起き、2人が犠牲になっています。
大きくなったオリンピックは、テロリストがアピールする格好の舞台となっていたと言えます。
ボイコット:モスクワ、ロサンゼルス、北京大会
1980年の第22回モスクワ大会は東西冷戦の影響から西側諸国の多くが参加しませんでした。報復として1984年のロサンゼルス大会へはソ連と東欧諸国が不参加でした。
また、2022年の北京大会では、中国における人権侵害への抗議として、アメリカやイギリスなどが、選手は派遣するが政府高官は派遣しないという「外交的ボイコット」を行いました。
政治がオリンピックの理念にボイコットという形でのしかかった3大会でした。参加を目指してきた選手にとっては深い痛みを伴うことになりました。
国際オリンピック委員会は政治的中立を強調していますが、現在でも払拭できたとは言えない課題です。2023年には、ウクライナへの武力侵攻を理由に、ロシアとベラルーシには国を代表する選手の参加が停止されています。
財政問題と商業主義
オリンピックが巨大化するに従って経費も膨大になり、1976年第21回モントリオール大会は大幅な赤字運営となってしまいました。
それを黒字に変えたのは、1984年ロサンゼルス大会です。この大会の委員長ピーター・ユベロス氏は、オリンピックをショービジネスととらえ、高額なスポンサー料を設定したり、聖火リレー走者から参加費を徴収したりしたのです。その結果「儲かるオリンピック運営」への道が開かれ、誘致運動を加熱させることにも繋がりました。
「儲かるオリンピック」は選手個人や国全体の意識にも変化をもたらし、ドーピング問題も起きてきました。またアマチュア条項も削除され、プロの参加も認められるようになりました。
パンデミック下で開催されたオリンピックもありました。
- 1920年第7回アントワープ大会:スペイン風邪による
- 2021年第32回東京大会:新型コロナウィルスによる
の2大会です。アントワープ大会は、第一次世界大戦から復興を強く願う風潮から、比較的影響の少なかったベルギーで開かれました。東京大会は1年延期の上「無観客」という異例の状況で開催され、大きな赤字を残した大会になりました。
さらに、オリンピックで使用された施設を終了後どのように利用していくかも大きな財政問題です。
政治と財政が複雑に絡まっていることが、近年のオリンピック最大の課題と言っても過言ではないでしょう。
オリンピックとSDGS
最後にオリンピックとSDGsの関わりについてお話しします。特に2024年のパリ大会は、SDGsを強く意識した大会であったと言えます。中でも
- SDGs目標13「気候変動に具体的な対策を」
- SDGs目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」
の2つの目標と深く関わっています。
SDG目標13「気候変動に具体的な対策を」との関わり
パリ大会では、使用するほとんどの設備を既存あるいは仮設のもので賄いました。
新しい工事を極力抑えることで、環境への負荷を減らそうという意図からです。また、選手や観客の移動に公共機関や自転車、徒歩を推奨しました。自動車の場合もゼロエミッション車を使用するなど、CO2の排出をできるだけ抑えようとしました。
SDGs目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」との関わり
開催国オリンピック委員会の意図は参加選手・役員そして観客にも伝わり、選手村や各競技会場ではプラスチックの使用を少なくしたり、ゴミを出さないという意識を共有したりなど、人々のSDGsへの行動を促しました。
メディアを通じて地球温暖化対策をアピールしたことで、オリンピックを家庭で視聴している人にも大いに伝わったのではないでしょうか。
日本でもスポーツ庁がスポーツを通してSDGsに貢献しようという「スポーツSDGs」キャンペーンを広げています。
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ
オリンピックの歴史を大きな流れの区切りごとにまとめてきました。長い歴史の中で、それぞれの時代を背景にしながら大きくなってきたオリンピックです。課題を明確にしたことで、今後のオリンピックへの見方に新しい視点を持っていただけたでしょうか。
スポーツは自ら行ったり、選手や大会運営をサポートしたり、観客として楽しんだりすることができます。誰もがそれぞれの形で関わることができます。戦争や財政難、政治の介入などの課題から目を背けず、オリンピック理念である「人類の発展と世界平和」を見失わなければ、オリンピックに楽しく有意義に関わっていけるのではないでしょうか。
<参考資料・文献>
*1) オリンピックとは
olympiccharter2024.pdf
第3回 オリンピック憲章を読んでみよう II(2/3)|JOC – 日本オリンピック委員会
*2) オリンピックの歴史
1.オリンピックの誕生|JOC – 日本オリンピック委員会
4.再び世界を明るく照らす聖火|JOC – 日本オリンピック委員会
オリンピックを知る|JOC – 日本オリンピック委員会
1920年アントワープ大会 – オリンピック開催地一覧&ポスター|JOC
1964年 東京オリンピック開会式実況中継(一部)
オリンピック競技大会|JOC – 日本オリンピック委員会
オリンピックの歴史|JOC – 日本オリンピック委員会
オリンピック関連年表 – Wikipedia
東京オリンピック開催へ|オリンピックを知る|JOC – 日本オリンピック委員会
日本パラリンピック委員会(JPC)
*3) オリンピックの課題
4.再び世界を明るく照らす聖火|JOC – 日本オリンピック委員会
*4) オリンピックとSDGs
SDGs:蟹江憲史(中公新書)
スポーツSDGs:スポーツ庁
オリンピック競技大会|JOC – 日本オリンピック委員会
スポーツと環境|オリンピックを知る|JOC – 日本オリンピック委員会
この記事を書いた人
くりきんとん ライター
教師・介護士を経た、古希間近のバァちゃん新米ライターです。大好きなのはお酒と旅。いくつになっても視野を広めていきたいです。
教師・介護士を経た、古希間近のバァちゃん新米ライターです。大好きなのはお酒と旅。いくつになっても視野を広めていきたいです。


