戦後復興とは?特徴や出来事をわかりやすく解説!

img

焼け落ちた家、こわれた道路、食べ物も仕事も足りない――。

第二次世界大戦が終わった直後の日本は、まさに焼け野原でした。人々は明日のくらしさえ見えない中で、「この国は本当に立ち直れるのか」と不安をかかえていました。

しかし、日本はそこから立ち上がります。GHQによる占領のもとで社会のしくみが大きく変えられ、財閥の解体や農地改革、日本国憲法の制定など、戦前とはまったくちがう国づくりが始まりました。一方で、物価の急上昇や失業など、復興への道は決して平たんではありませんでした。

それでも、労働者の権利を守る法律や教育の改革が進み、日本は少しずつ力を取りもどしていきます。やがて朝鮮戦争をきっかけに経済は回復し、世界も注目する成長をとげました。

この記事では、戦後復興期とは何かを年表とともに整理し、その特徴や出来事、日本が世界に与えた影響、そして今のSDGsにつながる意味まで、わかりやすく解説します。

戦後復興期とは

戦後復興期とは、第二次世界大戦で負けた日本が、社会や経済を立て直していった時代です。はっきりした決まりはありませんが、1945年にGHQによる統治が始まってから、1955年ごろまでを指すことが多くなっています。

この時期の日本は、戦争で大きな被害を受け、食べ物や仕事が足りず、物の値段が急に上がるなど、さまざまな問題をかかえていました。それでも改革や復興の取り組みが進み、経済は少しずつ回復していきます。その結果、1956年には政府の経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれ、国民の所得は1940年と同じ水準まで戻りました。*1)

GHQによる日本占領

GHQは、第二次世界大戦後の日本を管理するために連合国が設けた組織です。GHQは「連合国最高司令官総司令部」の略で、1945年に東京に置かれました。トップに立ったのはマッカーサーで、日本の占領政策を進める中心的な役割を果たします。

日本の占領の大きな特徴は、日本政府を残したまま命令を出す「間接統治」だった点です。これは、連合国が直接国を治めたドイツとは大きく異なります。しかし、法律や予算などの重要なことはGHQの許可が必要で、日本政府はその指示にそって政治や改革を進めました。このGHQによる占領統治は1952年まで続きました。*2)

東京裁判と公職追放

東京裁判と公職追放は、戦後復興期に行われた大きな出来事の一つです。東京裁判は正式には極東国際軍事裁判といい、1946年から1948年にかけて開かれました。太平洋戦争を起こした責任を問うため、日本の指導者たちが裁かれ、A級戦犯とされた人たちの多くが有罪となりました。この裁判は戦争のけじめをつける目的がありましたが、「勝った国が負けた国を裁いた」という見方もあります。*3)

また、公職追放は、GHQが戦争を進めた人や強い国家主義の考えを持つ人を、政治や社会の表舞台から外すために行った政策です。多くの政治家や軍人、会社の上層部が職を失い、戦後の社会では新しい指導者が生まれるきっかけとなりました。こうした動きは、日本が新しい国として出発するための土台づくりでした。*4)

戦後復興期の歴史を年表で確認

戦後復興期は、一般に1945年から1955年ごろまでの時期を指します。ここでは、その間に起こった主な出来事を年表で整理します。

【戦後復興期の主な出来事】

年代月日主な出来事
1945年10月GHQが幣原首相に五大改革指令
1945年12月第一次農地改革衆議院議員選挙法の改正
1946年5月東京裁判が始まる
1946年11月日本国憲法の公布
1947年3月第二次農地改革教育基本法・学校基本法の公布
1947年4月労働基準法の公布独占禁止法の制定
1947年5月日本国憲法の施行
1950年6月朝鮮戦争の勃発 →GHQの方針が民主化・非軍事化から自立化・復興に変化
共産主義の拡大防止を目指す(反共の防壁)
1951年8月警察予備隊法の制定
1951年9月サンフランシスコ平和条約を締結日米安全保障条約を締結
1952年7月破壊活動防止法の制定
1954年3月第五福竜丸事件
1954年6月自衛隊法の制定

この年表からわかるように、戦後復興期は社会や政治のしくみが大きく変わった時代でした。改革と混乱をくり返しながら、日本は少しずつ自立した国へと進んでいきました。

戦後復興期の特徴①:金融・経済面

戦後復興期の日本では、経済の立て直しが大きな課題でした。財閥の解体や農地改革が進められる一方、物価が急に上がる激しいインフレも起こり、くらしや経済は大きく変化しました。

財閥解体と独占禁止法の制定

戦後復興期の日本では、経済のしくみを大きく変える改革が行われました。その一つが、財閥解体と独占禁止法の制定です。戦前の日本では、三井・三菱・住友・安田の四大財閥を中心に、限られた大企業が経済を動かしていました。

戦後、GHQの指示によって、これらを含む32の財閥が解体され、財閥に属していた会社はそれぞれ独立した企業となります。その結果、一部の企業だけが強い力を持つ状態は改められました。*5)

また、1947年には独占禁止法が作られ、会社どうしがこっそり話し合って価格を決めるなどの行為(カルテル)が禁止されます。この法律では、取り引きが正しく行われているかを見守るために、公正取引委員会を設けることも決められました。*6)

農地改革

農地改革とは、戦後に行われた土地のしくみを大きく変える改革です。戦前の日本では、大地主が多くの土地を持ち、農民の多くは土地を借りて働く小作人でした。小作人は収穫の多くを地代として取られ、生活はとても苦しいものでした。*7)

戦後、GHQの方針のもとで農地改革が進められ、国が地主の土地を買い取り、それを小作人に売り渡しました。その結果、多くの小作人が自分の土地を持つ自作農となり、地主の強い力は弱まりました。

具体例として、作家・太宰治の実家である津島家があります。津島家は津軽地方でも有数の大地主で、その大きな屋敷は今も「斜陽館」として残っていますが、農地改革によって多くの土地を手放すことになりました。この改革により、農民の生活は安定し、日本社会では平等意識が高まりました。

激しいインフレ

戦後直後の日本では、生活に大きな影響を与える激しいインフレが起こりました。インフレとは、物の値段が上がり、お金の価値が下がることです。実際、1945年から1949年にかけて、物価は短い期間で何倍にも上がりました。日本銀行の統計では、卸売物価指数は約3年で60倍、小売物価指数も70倍以上に上昇しています。*13)

【インフレが起こった主な原因】

  • 戦争で工場や交通がこわれ、食料や日用品が不足した
  • 軍需企業への支払いなどで、お金が大量に出回った
  • 国民が預金を引き出し、生活に必要な物を買い求めた

この結果、物は少ないのにお金だけが増え、物価が急に上がりました。

政府はインフレをおさえるため、預金を一時的に使えなくする金融緊急措置を行い、旧円の使用を禁止しました。また、石炭や鉄などの重要産業に資金を出すため、復興金融金庫を設立します。しかし、この融資が原因で、かえって物価が上がる「復金インフレ」も起こりました。*8)*9)

その後、GHQは吉田内閣に対し、赤字を出さない予算を組むドッジ・ラインの提示や、税のしくみを整えるシャウプ勧告を行い、日本政府もそれに従ったため、インフレは少しずつおさえられていきました。*10)*11)*12)

戦後復興期の特徴②:政治・外交面

戦後復興期の日本では、政治や外交のあり方が大きく変わりました。国際情勢の変化の中で、日本は新しい国家の形を作っていきました。

男女平等の普通選挙

戦後復興期には、男女平等の普通選挙が実現しました。普通選挙とは、財産や学歴などの条件を設けず、一定の年齢に達した国民が選挙に参加できる制度のことです。日本では戦後、この普通選挙が男女平等の形で実現しました。

戦前と戦後の選挙権の違いは、次の表のとおりです。

項目戦前戦後
選挙権の年齢25歳以上20歳以上(現在は18歳以上)
女性の参政権なしあり

戦後、女性も一票を持つようになったことで、より多くの国民の声が政治に反映されるようになりました。男女平等の普通選挙は、日本が民主主義国家として再出発する大きな転換点となりました。*14)

日本国憲法の制定

戦後復興期の政治面で大きな転換点となったのが、日本国憲法の制定です。日本国憲法は1946年に公布され、1947年に施行され、日本の国のあり方を大きく変えました。

【日本国憲法の主な特徴】

  • 国民主権
  • 平和主義
  • 基本的人権の尊重

国民主権とは、国の主権者が天皇から国民に変わったことを意味します。平和主義では戦争を放棄し、戦力を持たないと定めました。また、言論や信教の自由など、国民の基本的人権が憲法で保障されました。これにより、日本は民主主義国家として新たな歩みを始めました。*15)

冷戦の始まりと占領政策の転換

冷戦とは、アメリカとソ連が直接戦争はせず、政治や軍事、考え方の違いで対立した状態のことです。1947年ごろから世界は冷戦の時代に入り、この流れはGHQによる対日占領政策にも大きな影響を与えました。

【冷戦前と冷戦後の占領政策の違い】

時期占領政策の考え方重視された点
冷戦前日本の非軍事化を優先民主化や非軍事化を重視
冷戦後日本を支援する政治の安定経済の復興再軍備

占領の初め、GHQは日本が再び脅威にならないよう、民主化と非軍事化を進めました。しかし冷戦が始まると、アメリカは日本を共産主義に対抗する存在として重視するようになります。

アメリカの陸軍長官ロイヤルが「日本は共産主義の防壁」と発言したように、政策は日本の自立と復興を優先する方向へ転換しました。これが、戦後日本の進路を大きく変えるきっかけとなりました。

サンフランシスコ平和条約で独立を回復

戦後復興期の大きな出来事の一つが、サンフランシスコ平和条約による独立の回復です。この条約は1951年に日本と連合国48か国の間で結ばれ、1952年4月に発効しました。これにより、日本はGHQの占領を終え、主権を取り戻します。

一方で、すべての国が参加したわけではなく、全面的な講和とはなりませんでした。また、同時に日米安全保障条約も結ばれ、日本は安全をアメリカに大きく頼る体制となりました。

戦後に復興した日本が世界に与えた影響

戦後の日本は、焼け野原から立ち上がり、短い期間で復興を成し遂げました。その歩みは、世界に大きな影響を与えることになります。

「敗戦国でも復興できる」という前例を示した

戦後に復興した日本は、「敗戦国でも復興できる」という大きな前例を世界に示しました。日本は第二次世界大戦の敗戦によって、都市の多くが空襲で焼け野原となり、工場や交通、生活の基盤が失われました。

戦後しばらくは、食料不足や激しいインフレ、失業などの混乱が続きましたが、改革と復興政策を進めることで状況は少しずつ改善していきます。そして終戦からわずか10年ほどで経済は立ち直り1956年の経済白書には「もはや戦後ではない」と記されました。この日本の歩みは、戦争で深い傷を負った国々にとって、大きな希望と参考例となりました。

戦後復興期とSDGs

戦後復興期の日本では、社会のしくみを大きく見直す中で、人びとの権利や平等が重視されるようになりました。こうした取り組みは、現代のSDGsが目指す考え方とも深くつながっています。

SDGs目標5「ジェンダー平等を実現しよう」との関わり

戦後復興期に実現した男女普通選挙は、SDGs目標5「ジェンダー平等を実現しよう」と深く関わっています。第二次世界大戦では多くの命が失われ、社会の仕組みそのものを見直す必要に迫られました。その結果、戦前には実現しなかった男女平等の選挙制度が1945年に実現します。1946年の総選挙では、市川房江をはじめ、39人の女性議員が初めて国会に誕生し、女性が政治に参加する道が開かれました。

しかし、ジェンダー平等が十分に達成されたとは言えません。2024年10月の総選挙時点でも、女性議員の割合は衆参両院で19.0%にとどまっており、地方議会でも女性比率は低い状況が続いています。戦後復興期の改革が示した「平等への転換」は、今なお道半ばです。SDGs目標5の達成に向けて、政治や社会の中で女性が活躍できる環境をさらに整えていくことが求められています。

>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから

まとめ

今回は戦後復興期について解説しました。第二次世界大戦で大きな被害を受けた日本は、GHQによる占領のもと、政治・経済・社会のしくみを根本から見直していきました。財閥解体や農地改革、激しいインフレへの対応といった経済改革に加え、男女平等の普通選挙や日本国憲法の制定など、民主主義を支える制度も整えられました。

また、冷戦や朝鮮戦争といった国際情勢の変化は、日本の進路にも大きな影響を与えています。こうした改革と努力の積み重ねにより、日本は短期間で復興を果たしました。戦後復興期の歩みは、現代社会やSDGsを考える上でも、多くのヒントを与えてくれます。

参考
1)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「もはや戦後ではない
*2)百科事典マイペディア「GHQ
*3)山川 世界史小辞典 改定新版「極東国際軍事裁判
*4)山川 日本史小辞典 改定新版「公職追放
*5)山川 日本史小辞典 改定新版「財閥解体
*6)山川 日本史小辞典 改定新版「独占禁止法
*7)日本大百科全書(ニッポニカ)「農地改革
*8)精選版 日本国語大辞典「金融緊急措置例
*9)日本大百科全書(ニッポニカ)「復興金融金庫
*10)山川 日本史小辞典 改定新版「経済安定九原則
*11)百科事典マイペディア「ドッジライン
*12)ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「シャウプ勧告
*13)大蔵省財政金融研究所「戦後インフレーションとドッジ安定化政策
*14)山川 日本史小辞典 改定新版「普通選挙
*15)山川 日本史小辞典 改定新版「日本国憲法
*16)改定新版 世界大百科事典「対日占領政策
*17)旺文社世界史事典 三訂版「サンフランシスコ平和(講和)条約

通知設定
通知は
0 Comments
Oldest
Newest Most Voted
Inline Feedbacks
View all comments

SHARE

この記事を書いた人

馬場正裕 ライター

元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。

元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。

前の記事へ 次の記事へ

関連記事