
1995年5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の大地震が発生しました。いわゆる「阪神・淡路大震災」です。都市直下を襲った激しい揺れは、神戸を中心に甚大な被害をもたらし、日本の災害対策のあり方を大きく揺さぶりました。
家屋倒壊や火災、ライフライン停止など、当たり前の暮らしが一瞬で奪われた現実は、多くの人の記憶に深く刻まれています。しかし、絶望の中から始まった復興は、街を再生させただけでなく、社会全体の防災意識や制度、技術の進化へとつながりました。
本記事では、被害の実態から復興の歩み、そして震災から学ぶべき防災の心得までをわかりやすく解説します。震災後に何が変わったのかー
その答えが、未来の命を守るヒントとなるはずです。
目次
阪神・淡路大震災とは

阪神・淡路大震災とは、1995年1月17日早朝に淡路島北部を震源として発生した大規模な直下型地震で、神戸市を中心に壊滅的な被害をもたらした災害です。震度7の激しい揺れにより多くの住宅や建物が倒壊し、火災の発生、道路・鉄道・港湾など都市インフラの広範な崩壊が起きました。
死者6,434名、負傷者4万3千人を記録し、戦後最悪規模の被害となりました。地震後は「阪神・淡路大震災」と政府により命名され、その後の日本の防災体制や都市づくりに大きな影響を与えた出来事です。
各地の震度
阪神・淡路大震災では、震度5以上の強い揺れが近畿を中心に広範囲で観測されました。震度5では多くの人が恐怖を覚え、震度6になると立って歩くことが困難になります。最も大きい震度7では、木造建物だけでなく鉄筋コンクリート製建物の一部も倒壊するほどの激しい揺れでした。*2)
以下に震度6以上の地域をまとめます。
【各地の震度】
| 震度 | 地域 |
| 震度7 | 神戸市須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川付近、宝塚市の一部、淡路島北部(北淡町・一宮町・津名町の一部) |
| 震度6 | 神戸市、洲本市 |
| 震度5 | 豊岡市、彦根市、京都市 |
*1)
震度7は神戸市の中心部から阪神間にかけて帯状に広がり、特に長田区・兵庫区・中央区など都市部で壊滅的な被害をもたらしました。また淡路島北部でも断層近くの地域で震度7が確認されています。
震度6は神戸市全域と洲本市で観測され、強烈な揺れが市街地を直撃しました。震度5は豊岡、彦根、京都など広範囲に及び、近畿地方を中心に揺れが拡散したことがわかります。
地震発生のメカニズム
阪神・淡路大震災は、都市直下を襲った強烈な揺れによって甚大な被害を引き起こしました。その大きな理由の一つが、この地震が「活断層型地震」であった点です。では、活断層型地震とはどのような地震なのでしょうか。
【活断層型地震の特徴】
- 陸側プレート内部の断層がずれて発生する地震
- 震源の深さが 30kmより浅い
- 活断層が確認されていない地域でも浅い地震が発生することがある
- 断層の真上では 揺れが極端に大きくなる特徴
*3)
阪神・淡路大震災では、淡路島北部に走る野島断層が一気にずれ動き、そのエネルギーが地表に近い場所で解放されたことで、神戸市など都市部を直撃する非常に大きな揺れとなりました。
阪神・淡路大震災による被害

阪神・淡路大震災では、激しい揺れにより多くの命が失われ、建物倒壊や道路・鉄道の寸断といった甚大な被害が広がりました。さらに、水道・電気・ガスなどのライフラインが長期間停止し、日常生活は大きく混乱。企業活動や物流も止まり、地域経済にも深刻な影響が及びました。
人的被害
阪神・淡路大震災では、多くの命が奪われ、負傷者も非常に多く発生しました。
【人的被害の概要】
| 区分 | 人数 |
| 死者 | 6,434名(うち神戸市内4,571名) |
| 行方不明者 | 3名 |
| 負傷者(重傷者) | 10,683名 |
| 負傷者(軽症者) | 33,109名 |
| 負傷者合計 | 43,792名 |
*1)*4)
阪神・淡路大震災の死者6,434名のうち、神戸市内が71%(4,571名)を占め、とくに60歳以上の高齢者が59%と多数を占めました。死因は家屋倒壊による圧死・窒息死が大半で、強い揺れが一瞬で建物を崩壊させたことがわかります。また、火災による焼死・焼骨も多く、特に長田区ではゴム工場や古い商店街が密集していたことから焼死者が突出しました。
区別では、東灘区(1,470名)、灘区(934名)が最も多く、両区だけで全体の半数以上を占めます。倒壊家屋と家具転倒による圧死が集中したためです。
一方で、兵庫区・長田区は震災後の大規模火災により1,744名が犠牲となり、新長田駅周辺だけで700名以上が焼死しました。市内西部(須磨以西)は比較的被害が軽く、震災の被害が市内東部に集中したことが明らかです。
物的被害
阪神・淡路大震災では、住宅や公共施設、交通網、河川、農業施設など多方面にわたって甚大な物的被害が発生しました。とくに住宅の倒壊と交通インフラの寸断は都市機能を大きく麻痺させ、復旧に長い時間を要しました。
1. 住宅・建物被害
震災では住宅を中心に多数の建物が倒壊し、生活基盤そのものが大きく損なわれました。
【住宅の被害】
| 種別 | 被害数 |
| 全壊 | 104,906棟 |
| 半壊 | 144,274棟 |
| 一部破損 | 390,506棟 |
*1)
地震の強烈な揺れにより、合計約64万棟の住宅が被害を受けました。とくに木造住宅の倒壊が多く、多くの住民が長期避難を余儀なくされました。学校や公共施設も壊滅的な状況となり、行政機能や避難所運営にも大きな支障が生じました。
2. 交通インフラの被害
道路・鉄道・港湾などの交通網が広い範囲で寸断され、都市の移動や物流が麻痺しました。
【交通インフラの被害】
| 種別 | 被害内容 |
| 港湾 | 埠頭の沈下・液状化 |
| 鉄道 | 13社が不通(新幹線高架橋の倒壊を含む) |
| 道路 | 27路線36区間が通行止め(阪神高速が倒壊) |
*1)
3. ライフラインの被害
生活に欠かせない水・電気・ガス・通信が広範囲で途絶え、市民生活に深刻な影響が及びました。
【ライフラインの被害】
| 種別 | 被害規模(ピーク時) |
| 水道 | 約130万戸が断水 |
| ガス | 約86万戸が供給停止 |
| 電気 | 約260万戸が停電 |
| 電話 | 30万回線超が不通 |
断水は130万戸に達し、生活用水の確保に大きな困難が生じました。電気やガスも広く停止し、寒い季節の生活環境は非常に厳しいものとなりました。通信手段が失われたことで、安否確認や情報収集も困難を極めました。
4. 河川・地盤・農業施設の被害
地震は河川や地盤に大きな損壊をもたらし、農業施設にも深刻な被害が広がりました。
【被害一覧】
| 種別 | 被害内容・規模 |
| 河川 | 堤防や護岸の損傷:774か所 |
| がけ崩れ | 347か所 |
| 地すべり | 西宮市の仁川百合野町で34名が犠牲 |
| 農業施設 | 被害総額、約900億円 |
堤防や護岸が損傷し、水害リスクが高まりました。多数のがけ崩れや地すべりも発生し、二次災害として命を奪うケースもありました。農地・ため池なども壊滅的な被害を受け、農林水産業への経済的打撃は900億円にのぼりました。
阪神・淡路大震災後の復興はどのように進んだのか

阪神・淡路大震災の復興は、応急対応から都市再生まで段階的に進み、多くの制度や防災施策が整備されました。その歩みは、現在の防災体制にも大きな影響を与える重要な教訓となっています。
復興の道のり
阪神・淡路大震災の復興は、応急対応から都市再生まで段階的に進められました。
【復興の道のり】
| 時期 | 主な取り組み |
| 直後~数日 | ・避難所の7割が当日開設され、住民が自主運営を実施 ・警察・消防が救助にあたるが、被害範囲が広く住民救助が中心 ・発災3日後から応急仮設住宅の建設開始(最終的に48,300戸建設) |
| 1カ月後 | ・災害廃棄物は約2,000万トンに達する ・フェニックス計画により海面埋立で大量処理を開始 |
| 半年後 | ・ライフラインがほぼ復旧(電気1週間/電話2週間/ガス・水道約3か月/鉄道・道路3か月〜1年半) |
| 1年後 | ・復興公営住宅の整備が進む |
| 数年後 | ・兵庫県住宅再建共済制度(フェニックス共済)創設(2005年〜)地域防災訓練・学校連携の強化が進むコミュニティ分断の教訓から、仮設住宅の「元の居住地ごとの入居」方式が全国に反映 |
*5)
阪神・淡路大震災の復興は、まず避難所開設や救助活動など命を守る段階から始まり、1か月後には大量の災害廃棄物処理、半年後にはライフラインの回復が進みました。1年後には恒久住宅への移行が進行し、数年後には住宅再建制度や防災まちづくりが整備されました。
復興後に整備されたもの
阪神・淡路大震災の教訓を受け、日本では防災・減災のための制度や仕組みが大きく整備されました。
【整備されたものの具体例】
| 整備されたもの | 内容 |
| DMAT(災害派遣医療チーム)の創設 | 発災直後の医療不足を教訓に、迅速に現場へ向かう医療チームを全国制度として整備 |
| ボランティア受け入れ体制の整備 | 1995年を「ボランティア元年」とし、社会福祉協議会を中心に受入窓口・登録制度が確立 |
| 被災者生活再建支援法の制定 | 自宅再建の支援が不十分だった反省から、国が被災者の生活再建を金銭的に支援する仕組みを創設 |
| 建築基準法の改正(耐震基準強化) | 多くの建物倒壊を受け、耐震診断・耐震改修の促進と基準強化が進められた |
| 人と防災未来センター(HAT神戸) | 震災の記録と教訓を伝え、防災研究を行う拠点として整備された |
阪神・淡路大震災は、日本の防災体制を大きく変える転機となりました。医療・救助体制の強化としてDMATが創設され、ボランティア受け入れの仕組みも整えられました。
さらに、被災者支援制度の見直しにより生活再建支援法が制定され、建築基準法の耐震化も進展。人と防災未来センターの整備を通じ、防災教育と研究の基盤が築かれました。
阪神・淡路大震災から学ぶ防災の心構え

阪神・淡路大震災は、日常の備えが命を守るうえでどれほど重要かを私たちに強く示しました。大きな揺れは突然訪れます。だからこそ、身の回りの危険を知り、住む地域の災害リスクを理解し、家の中の安全対策を進めておくことが何より大切です。
身の回りにどんな危険があるか考える
「身の回りにどんな危険があるか考える」ことは、防災の重要ポイントです。阪神・淡路大震災では、家屋倒壊や家具転倒による圧死・窒息死が多数を占めました。とくに木造住宅の倒壊やタンス・本棚の転倒が大きな被害要因となり、日常空間に潜む危険が命を奪うことが明らかになりました。*6)
この教訓から、私たち一人ひとりが自宅や職場にどんな危険が潜んでいるかを把握することが重要だといえます。
たとえば、倒れやすい家具がないか、落下する物がないか、避難経路は確保されているかなどを点検します。地震は突然起こるため、事前に危険を見つけて対策を取ることが、被害を最小限に抑え命を守るキーポイントとなります。
ハザードマップを見る
ハザードマップとは、発生が予測される自然災害について、その被害が及ぶ範囲や被害の程度、さらに避難経路や避難場所などを示した地図のことです。洪水・土砂災害・津波・地震など、地域ごとに想定されるリスクを視覚的に把握でき、住民が適切な避難行動をとるための重要な指標となります。*7)
【主なチェックポイント】
- 自宅・職場・学校周辺の災害リスク(浸水・土砂災害・揺れやすさ等)
- 想定される浸水深や土砂災害の危険区域
- 最寄りの避難所と避難経路
- 通学路・通勤路の危険地点
- 夜間・雨天時に避難が困難になる場所
ハザードマップでは、自宅や職場周辺にどのような災害リスクがあるのかを具体的に確認できます。浸水想定区域や土砂災害警戒区域に自宅が含まれる場合、避難方法やタイミングは大きく変わります。
また、避難所までの経路に危険地点がないかを把握しておくことで、いざというときに迷わず避難できます。さらに、通学路や通勤路のリスクを知ることで、家族全員が安全に行動するための共通認識が持てます。
ハザードマップを事前に確認することは、災害時の判断力と行動力を高め、被害の最小化につながります。
阪神・淡路大震災とSDGs

阪神・淡路大震災の経験は、持続可能で安全な都市づくりの重要性を世界に示しました。その教訓はSDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」に深く結びつき、災害に強い社会の実現に生かされています。
SDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」との関わり
阪神・淡路大震災では多くの住宅が倒壊し、多数の犠牲者が発生しました。この教訓を受け、2000年に建築基準法が改正され、特に木造住宅の耐震性が大きく向上しました。
これは、災害に強い住宅を整備し人命を守るという、SDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」が掲げる理念に直結しています。安全な住まいの確保は、災害時の被害軽減だけでなく、誰もが安心して暮らし続けられる持続可能な都市の実現に欠かせない取り組みです。*8)
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ
今回は、阪神・淡路大震災について解説しました。1995年の震災は都市直下を強烈な揺れが襲い、建物倒壊や火災、ライフライン寸断によって街は壊滅的な被害を受けました。復興は避難・救助から始まり、仮設住宅の建設、インフラ復旧、そして都市再生へと段階的に進められ、制度や仕組みの整備にもつながりました。
とくに住宅倒壊の教訓から耐震基準が強化され、防災教育やハザードマップ活用など、日常の備えの重要性が広く共有されました。これらの取り組みは、災害に強く持続可能な都市を目指すSDGs目標11とも深く結びついており、震災の経験が未来の命を守る力となっています。
参考
*1)内閣府「阪神・淡路大震災教訓情報資料集阪神・淡路大震災の概要」
*2)気象庁「その震度、どんな揺れ?」
*3)防災科研「海溝型地震と活断層型地震 | J-SHIS」
*4)神戸市「阪神・淡路大震災詳細| BE KOBE 神戸の近現代史」
*5)兵庫県教育委員会「阪神・淡路大震災からの復旧・復興」
*6)内閣府「阪神・淡路大震災教訓情報資料集【02】人的被害」
*7)デジタル大辞泉「ハザードマップ」
*8)日本耐震診断協会「阪神・淡路から20年。耐震基準が明暗をわけた」
この記事を書いた人
馬場正裕 ライター
元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。
元学習塾、予備校講師。FP2級資格をもち、金融・経済・教育関連の記事や地理学・地学の観点からSDGsに関する記事を執筆しています。