
2025年10月21日、日本で初めての女性首相が誕生しました。1885年(明治18年)に内閣総理大臣(首相)を置くことを内閣制度に定めてから140年という長い月日を経ての出来事でした。世界に目を向けてみると、イタリアやアイスランド、ネパール、過去には韓国やタイなど、いくつかの国で女性の首相はすでに活躍しています。
この記事では、日本における女性首相誕生までの歴史、高市総理が誕生した背景、世界における女性首相誕生の背景、女性首相一覧、なぜ女性は首相に選ばれにくいのか、SDGsとの関係を解説します。
目次
日本における女性首相誕生までの歴史
はじめに、日本における女性首相誕生までの歴史を振り返ります。長い間、女性が選挙に参加して国家の意思決定に関わる、いわゆる参政権のような制度はありませんでした。女性が首相になるまでには、政治に参加する権利を求める女性参政権運動が大きな役割を果たしています。近代の政治を中心に、動きを追っていきましょう。
政治結社や政談集会への参加禁止ー1900年
明治時代初期、これまで薩摩や長州の出身者が実権を握っていた政府を、国民が参加できる仕組みにすることを目指した自由民権運動が起こります。政府はこの運動の広がりを封じ込めようと、政治結社や政治集会を規制する「集会条例」(1880年)を公布しました。これは後に、「集会及政社法」(1890年)、そして女性の政治結社や政談集会への参加を禁止する「治安警察法」(1900年)と引き継がれます。
一方、治安警察法に反対して、社会主義者の結社である平民社の女性たちが改正を請願します。この請願は実を結びませんでしたが、女性の地位向上や政治活動の自由を求める新婦人協会に継承されます。そして、新婦人協会の請願により治安警察法の一部が改正され、女性の政談集会への参加が認められたのは1922年です。
女性が参政権を獲得ー1945年
1922年に女性の政談集会への参加が認められたものの、政治結社への参加と参政権は獲得できませんでした。これから、女性たちによる参政権獲得への運動は、本格的に進められていきます。1923年には、これまで活動してきた大小の組織が集まり、婦人参政同盟が設立されました。以後、婦人参政同盟をはじめ、婦選獲得同盟、婦人参政権協会の3つの組織が男性と同じ政治的権利の獲得に向けて活動していきます。
満州事変や日中戦争が始まると、戦争に協力的な運動を行う組織がいくつか発足し、先の3つの組織は合流や解散して姿を消しました。そして戦後の1945年、治安警察法の廃止と衆議院議員選挙法の改正により、女性の結社と参政権が認められます。翌年の1946年4月には、女性が投票する初めての選挙が行われました。
女性初の衆議院議長が誕生ー1993年
1946年4月の衆議院議員総選挙では、約1,380万人の女性が投票し、39名の女性国会議員が誕生しました。当初、女性の投票率は低いとみられていましたが、男性79%、女性67%と高い結果となりました。また、立候補者に対する当選者の割合は、男性16%、女性49%と、女性に対する関心の高さがうかがえます。1960年には女性初の厚生大臣が就任したことをはじめ、経済企画庁長官や環境庁長官などにも入閣しました。
1993年には衆議院議長、2004年には参議院議長に女性が初めて就任。さらに、麻生元首相が選ばれた2008年の自民党総裁選では、初めて女性1名が立候補しています。また、2021年の同総裁選では、高市首相を含め女性2名が立候補し、日本における女性首相の誕生の兆しとも言える出来事がありました。1)
高市総理が誕生した背景
2025年10月、自民党総裁選に当選した高市氏は、第104代内閣総理大臣に選出されました。自民党総裁選に立候補した女性は過去に3人しかいない状況で、高市氏が首相になった背景には、主に3つの事項が挙げられます。
保守層の支持
1つ目は、憲法改正や防衛力強化などを掲げる高市氏の保守的な政治姿勢が、自民党員・党友票の支持を集めたことです。また、自民党総裁選では、保守層の支持回復を狙う麻生氏が、決選投票で高市氏に投票するよう同派議員に呼びかけたといわれています。結果、高市氏は、議員票と都道府県連票を合わせて185票を獲得し、小泉氏に29票の差をつけて自民党総裁に選ばれました。
政策の実績
2つ目は、経済安全保障の制度化や科学技術政策、宇宙政策などの実績が評価されたことです。経済安全保障担当大臣(2022年8月~2024年8月)として、経済安全保障推進法に基づくサプライチェーンの強靱化や、経済安全保障重要技術育成プログラム(K Program)推進のほか、総務大臣(過去2回)として、マイナンバーカードの拡大などが政策の実績として評価されました。
日本社会の変化
3つ目は、女性が首相になる社会に日本が変化したことです。国際的に女性のリーダーが増える中、日本社会でもこうした女性像が浸透してきたとも言えます。女性には、能力や実績があるにもかかわらず昇進を阻まれる「ガラスの天井」があるといわれてきました。これを破った高市氏は一方で、組織が危機的状況のときほど女性が選ばれやすい「ガラスの崖」に立たされたという見方もあります。2)
世界における女性首相の歴史
日本の女性首相誕生までは、女性参政権運動が大きく影響したことは間違いありません。そして、世界の女性首相についても、同様の背景がありました。人権や参政権を中心にたどっていきます。
人権宣言ー1789年
世界初の女性首相が生まれる以前の1789年、フランス革命において人権宣言が採択されました。人権宣言には、人は生まれながらにして権利を持っていることをはじめ、自由や平等、基本的人権の尊重などが記されています。世界に影響を及ぼしたこの思想は、近代国家の憲法にも継承されています。「国民は、すべての基本的人権の享受を妨げられない」などを定めた日本国憲法もその1つです。
しかし、この人権宣言は男性の権利のみを指し、女性は含まれていませんでした。当時の多くの国も同様に、女性は政治参加や教育、家庭内の役割などに制限がありました。女性に対する差別意識は、日本だけでなく世界でも見られ、現在でも根の深い問題として残っています。
女性参政権運動の本格化ー19世紀後半~20世紀前半
フランス革命などの市民革命後、女性たちは、当時なかった政治参加や離婚の自由、女性の財産権などを求め運動を起こします。1848年には、アメリカで初めての女性権利会議が開かれ、女性の参政権や教育の機会、職業選択の自由などを求める12の決議が採択されました。19世紀後半には、アメリカやイギリスなどで女性参政権運動が本格化し、世界的にも広がっていきます。
初めて参政権が認められたのは、1893年ニュージーランドでした。続いて1902年オーストラリア、1906年フィンランドです。フィンランドは同時に、女性の被選挙権も獲得しています。日本で女性の参政権が認められたのは1945年であり、50年ほどの開きがあります。
世界初の女性首相の誕生ー1960年
女性の政治参画が進む中で、1960年に世界初の女性首相が誕生しました。スリランカ(当時セイロン)のシリマヴォ・バンダラナイケ氏です。首相だった夫の死後、その志を継いで自由党の最高指導者になり首相に就任しました。その後も、インド(1966年)やイスラエル(1969年)などで女性首相が就任し、その数は増えてきてはいるものの、少数にとどまっています。
こうした状況の中、国連は女性のリーダーシップと参画の拡大などに取り組む国連女性機関(2010年)を設立しました。また、フランスや韓国などでは、クオータ制を政治分野に導入し、選挙の候補者の一定数を女性とすることを定めて政治参画を促進しています。3)
女性首相一覧
ここで女性首相の一覧を見ていきましょう。日本を含め、現在まで122名の女性首相が就任しています。
(引用元:選出もしくは任命された女性の政府首脳の一覧 – Wikipedia)
| 氏名 | 国名 | 就任日 | 退任日 |
| シリマヴォ・バンダラナイケ | セイロン | 1966年1月24日 | 1965年3月27日 |
| インディラ・ガンディー | インド | 1969年3月17日 | 1977年4月24日 |
| ゴルダ・メイア | イスラエル | 1970年5月29日 | 1974年6月3日 |
| シリマヴォ・バンダラナイケ | セイロン→ スリランカ | 1975年1月2日 | 1977年7月23日 |
| エリザベート・ドミシアン | 中央アフリカ | 1979年5月4日 | 1976年4月7日 |
| マーガレット・サッチャー | イギリス | 1979年7月1日 | 1990年11月28日 |
| マリア・デ・ルルデス・ピンタシルゴ | ポルトガル | 1980年1月15日 | 1980年1月3日 |
| インディラ・ガンディー | インド | 1980年7月21日 | 1984年10月31日 |
| ユージェニア・チャールズ | ドミニカ国 | 1981年2月4日 | 1995年6月14日 |
| グロ・ハーレム・ブルントラント | ノルウェー | 1982年5月16日 | 1981年10月14日 |
| ミルカ・プラニンク | ユーゴスラビア | 1986年5月9日 | 1986年5月15日 |
| グロ・ハーレム・ブルントラント | ノルウェー | 1988年12月2日 | 1989年10月16日 |
| ベーナズィール・ブットー | パキスタン | 1990年3月17日 | 1990年7月6日 |
| カジミラ・プルンスキエネ | リトアニア | 1990年11月3日 | 1991年1月10日 |
| グロ・ハーレム・ブルントラント | ノルウェー | 1991年3月20日 | 1996年10月25日 |
| カレダ・ジア | バングラデシュ | 1991年5月15日 | 1996年3月30日 |
| エディット・クレッソン | フランス | 1992年7月11日 | 1992年4月2日 |
| ハンナ・スホツカ | ポーランド | 1993年6月13日 | 1993年10月25日 |
| タンス・チルレル | トルコ | 1993年6月25日 | 1996年3月6日 |
| キム・キャンベル | カナダ | 1993年7月10日 | 1993年11月4日 |
| シルヴィ・キニギ | ブルンジ | 1993年7月18日 | 1993年10月27日 |
| アガート・ウィリンジイマナ | ルワンダ | 1993年10月19日 | 1994年4月7日 |
| ベーナズィール・ブットー | パキスタン | 1994年8月19日 | 1996年11月5日 |
| チャンドリカ・クマーラトゥンガ | スリランカ | 1994年10月17日 | 1994年11月14日 |
| レネタ・インジョワ | ブルガリア | 1994年11月14日 | 1995年1月25日 |
| シリマヴォ・バンダラナイケ | スリランカ | 1995年11月7日 | 2000年7月10日 |
| クローデット・ウェルレイ | ハイチ | 1996年6月23日 | 1996年2月27日 |
| シェイク・ハシナ | バングラデシュ | 1997年3月17日 | 2001年7月15日 |
| ジャネット・ジェーガン | ガイアナ | 1997年12月5日 | 1997年12月19日 |
| ジェニー・シップリー | ニュージーランド | 1998年8月30日 | 1999年12月5日 |
| アンネ・エンガー | ノルウェー | 1999年5月4日 | 1998年9月23日 |
| イレナ・デグティエネ | リトアニア | 1999年7月22日 | 1999年5月18日 |
| ニャムオソリン・トゥヤ | モンゴル | 1999年10月27日 | 1999年7月30日 |
| イレナ・デグティエネ | リトアニア | 1999年12月5日 | 1999年11月3日 |
| ヘレン・クラーク | ニュージーランド | 2001年3月3日 | 2008年11月19日 |
| マーム・マジョル・ボイ | セネガル | 2001年10月10日 | 2002年11月4日 |
| カレダ・ジア | バングラデシュ | 2002年7月11日 | 2006年10月29日 |
| 張裳 | 韓国 | 2002年10月3日 | 2002年7月31日 |
| マリア・ダス・ネヴェス | サントメ・プリンシペ | 2003年4月17日 | 2004年9月18日 |
| アンネリ・ヤーテンマキ | フィンランド | 2003年6月28日 | 2003年6月24日 |
| ベアトリス・メリーノ | ペルー | 2004年2月17日 | 2003年12月15日 |
| ルイサ・ディオゴ | モザンビーク | 2004年5月12日 | 2010年1月16日 |
| ラドミラ・シェケリンスカ | 北マケドニア | 2004年11月3日 | 2004年6月12日 |
| ラドミラ・シェケリンスカ | 北マケドニア | 2005年1月24日 | 2004年12月15日 |
| ユーリヤ・ティモシェンコ | ウクライナ | 2005年5月4日 | 2005年9月6日 |
| シンシア・A・プラット | バハマ | 2005年6月8日 | 2005年6月22日 |
| マリア・ド・カルモ・シルヴェイラ | サントメ・プリンシペ | 2005年11月22日 | 2006年4月21日 |
| アンゲラ・メルケル | ドイツ | 2006年3月30日 | 2021年12月8日 |
| ポーシャ・シンプソン=ミラー | ジャマイカ | 2006年4月19日 | 2007年9月11日 |
| 韓明淑 | 韓国 | 2007年12月18日 | 2007年3月7日 |
| ユーリヤ・ティモシェンコ | ウクライナ | 2008年3月31日 | 2010年3月3日 |
| ジナイダ・グレチャヌイ | モルドバ | 2008年9月5日 | 2009年9月14日 |
| ミシェル・ピエール=ルイ | ハイチ | 2009年1月6日 | 2009年11月11日 |
| シェイク・ハシナ | バングラデシュ | 2009年2月1日 | 2024年8月5日 |
| ヨハンナ・シグルザルドッティル | アイスランド | 2009年7月6日 | 2013年5月23日 |
| ヤドランカ・コソル | クロアチア | 2009年12月18日 | 2011年12月23日 |
| セシル・マノロハンタ | マダガスカル | 2010年5月26日 | 2009年12月20日 |
| カムラ・パサード=ビセッサー | トリニダード・トバゴ | 2010年6月22日 | 2015年9月9日 |
| マリ・キビニエミ | フィンランド | 2010年6月24日 | 2011年6月22日 |
| ジュリア・ギラード | オーストラリア | 2010年7月8日 | 2013年6月27日 |
| イヴェタ・ラジチョヴァー | スロバキア | 2011年3月19日 | 2012年4月4日 |
| ロサリオ・フェルナンデス | ペルー | 2011年4月3日 | 2011年7月28日 |
| シセ・マリアム・カイダマ・シディベ | マリ | 2011年8月5日 | 2012年3月22日 |
| インラック・シナワット | タイ | 2011年10月3日 | 2014年5月7日 |
| ヘレ・トーニング=シュミット | デンマーク | 2012年1月5日 | 2015年6月28日 |
| ポーシャ・シンプソン=ミラー | ジャマイカ | 2012年2月10日 | 2016年3月3日 |
| アジャト・ジャロ・ナンディーニャ(暫定首相) | ギニアビサウ | 2013年3月20日 | 2012年4月12日 |
| アレンカ・ブラトゥシェク | スロベニア | 2013年9月1日 | 2014年9月18日 |
| アミナタ・トゥーレ | セネガル | 2013年10月16日 | 2014年7月8日 |
| エルナ・ソルベルグ | ノルウェー | 2014年1月22日 | 2021年10月14日 |
| ライムドータ・ストラウユマ | ラトビア | 2014年7月22日 | 2016年2月11日 |
| アナ・ハラ | ペルー | 2014年9月22日 | 2015年4月2日 |
| エヴァ・コパチ | ポーランド | 2014年12月20日 | 2015年11月16日 |
| フローランス・ギヨーム(暫定首相) | ハイチ | 2015年3月21日 | 2015年1月16日 |
| サーラ・クーゴンゲルワ | ナミビア | 2015年6月22日 | 2025年3月21日 |
| ナタリア・ゲルマン(暫定首相) | モルドバ | 2015年8月27日 | 2015年7月30日 |
| バシリキ・タヌー(暫定首相) | ギリシャ | 2015年11月16日 | 2015年9月21日 |
| ベアタ・シドゥウォ | ポーランド | 2016年4月6日 | 2017年12月11日 |
| アウンサンスーチー | ミャンマー | 2016年7月13日 | 2021年2月1日 |
| テリーザ・メイ | イギリス | 2017年6月29日 | 2019年7月24日 |
| アナ・ブルナビッチ | セルビア | 2017年9月17日 | 2024年3月20日 |
| メルセデス・アラオス | ペルー | 2017年10月26日 | 2018年4月2日 |
| ジャシンダ・アーダーン | ニュージーランド | 2017年11月30日 | 2023年1月25日 |
| カトリーン・ヤコブスドッティル | アイスランド | 2018年1月29日 | 2024年4月9日 |
| ヴィオリカ・ダンチラ | ルーマニア | 2018年5月25日 | 2019年11月4日 |
| ミア・モトリー | バルバドス | 2018年12月16日 | (現職) |
| サロメ・ズラビシュヴィリ | ジョージア | 2019年6月3日 | 2024年12月29日 |
| ブリギッテ・ビアライン | オーストリア | 2019年6月8日 | 2020年1月7日 |
| マイア・サンドゥ | モルドバ | 2019年6月27日 | 2019年11月14日 |
| メッテ・フレデリクセン | デンマーク | 2019年10月27日 | (現職) |
| ソフィー・ウィルメス | ベルギー | 2019年12月10日 | 2020年10月1日 |
| サンナ・マリン | フィンランド | 2020年7月16日 | 2023年6月20日 |
| ローズ・クリスティアンヌ・オスカ・ラポンダ | ガボン | 2020年9月28日 | 2023年1月10日 |
| ヴィクトワール・トメガ・ドグベ | トーゴ | 2020年11月25日 | 2025年5月3日 |
| イングリダ・シモニーテ | リトアニア | 2021年1月26日 | 2024年12月12日 |
| カヤ・カッラス | エストニア | 2021年5月24日 | 2024年7月23日 |
| フィアメ・ナオミ・マタアファ | サモア | 2021年6月21日 | (現職) |
| ロビナ・ナッバンジャ | ウガンダ | 2021年8月6日 | (現職) |
| ナタリア・ガブリリツァ | モルドバ | 2021年10月6日 | 2023年2月16日 |
| ミルタ・バスケス | ペルー | 2021年10月11日 | 2022年2月1日 |
| ナジュラ・ブデン | チュニジア | 2021年11月30日 | 2023年8月2日 |
| マグダレナ・アンデション | スウェーデン | 2022年5月16日 | 2022年10月18日 |
| エリザベット・ボルヌ | フランス | 2022年9月6日 | 2024年1月9日 |
| リズ・トラス | イギリス | 2022年10月22日 | 2022年10月25日 |
| ジョルジャ・メローニ | イタリア | 2022年11月25日 | (現職) |
| ベッツィー・チャベス | ペルー | 2023年1月25日 | 2022年12月10日 |
| ボリャナ・クリシュト | ボスニア・ヘルツェゴビナ | 2023年2月1日 | (現職) |
| マヌエラ・ロカ・ボテイ | 赤道ギニア | 2023年9月15日 | 2024年8月16日 |
| エビカ・シリニャ | ラトビア | 2024年6月12日 | (現職) |
| ジュディス・スミンワ | コンゴ民主共和国 | 2024年8月18日 | (現職) |
| ペートンターン・シナワット | タイ | 2024年9月24日 | 2025年8月29日 |
| ハリニ・アマラスリヤ | スリランカ | 2024年12月21日 | (現職) |
| クリストルン・フロスタドッティル | アイスランド | 2025年1月10日 | (現職) |
| イザベル・ベロ=アマデイ | モナコ | 2025年1月17日 | 2025年7月21日 |
| マリア・ベンビンダ・レヴィ | モザンビーク | 2025年3月21日 | (現職) |
| サラ・ザアフラニ | チュニジア | 2025年4月10日 | (現職) |
| ブリギッテ・ハース | リヒテンシュタイン | 2025年5月1日 | (現職) |
| カムラ・パサード=ビセッサー | トリニダード・トバゴ | 2025年7月17日 | (現職) |
| ユリヤ・スヴィリデンコ | ウクライナ | 2025年9月12日 | (現職) |
| スシラ・カルキ(暫定首相) | ネパール | 2025年9月25日 | (現職) |
| インガ・ルギニエネ | リトアニア | 2025年10月21日 | (現職) |
| 高市早苗 | 日本 | (現職) | (現職) |
女性首相のほか、女性社長や大統領代行、政府機関などのメンバー、総督などは英語版ウィキペディアに掲載されています。→List of elected and appointed female state leaders – Wikipedia
なぜ女性は首相に選ばれにくいのか
女性の国家元首、または首相である国は、5年前から6カ国増えたものの、まだ27カ国にとどまっています。(2025年6月時点)なぜ、女性は首相に選ばれにくいのでしょうか。原因と考えられる点を3つ取り上げます。
男性の影響力が強い政治構造
日本や世界の女性首相誕生までの歴史で見てきたように、政治は長く男性のものでした。女性が政治参画してから、わずか100年ほどしか経っていません。また、現在の国家元首や首相のほとんどは男性です。男性の影響力はいまだにあり、女性リーダーが育ちにくい環境と指摘されています。
家事・育児負担による時間の制約
男性は仕事、女性は家事・育児といった性別による役割分担の考え方は、政治参加を阻む要因の1つと指摘されています。女性は、男性よりも多く家事や育児、介護などを担っているのが実態です。日本の家事・育児に費やす時間の男女差は、他の先進国などと比べて大きい傾向にあります。
<参考>
下のグラフは、日本を含む5カ国における家事分担の割合を調査した結果です。中でも日本は、家事を分担している人の割合が56.0%と最も低く、5カ国平均79.4%を大きく下回っています。
■Q2. あなたは、配偶者(パートナー)と家事を分担していますか。(単一回答 N=500)
上記5カ国のうち、韓国、ドイツ、スウェーデンは、すでに女性首相が誕生しています。一方、家事分担の割合の最も大きいアメリカに、まだ女性首相がいないのは興味深い結果です。
ジェンダー・ステレオタイプ
「女性は政治には向かない」などといった性別に対する固定観念や思い込みといったは、差別や不平等につながります。その結果、女性がリーダーになりにくい環境をつくり出してしまうことに加え、自身に当てはめて政治に関して積極的になれない、なりたくないなどの影響が出ることも考えられます。
自民党支持者のうち女性首相反対は20%
高市首相が誕生する前の2019年に、女性首相に反対する人がどのくらいいるかを調査したデータがあります。調査によると、女性首相に反対する人は男女に大きな差はなく約10%と低かった一方で、自民党支持者の中では20%と高い結果でした。このことも一種のステレオタイプと考えられています。4)
女性首相とSDGs
最後に、女性首相とSDGsとの関係を確認します。女性首相は特に、SDGsの目標5「ジェンダー平等を実現しよう」の達成に欠かせないことに加え、目標4「質の高い教育をみんなに」にもつながっています。
目標5「ジェンダー平等を実現しよう」
目標5「ジェンダー平等を実現しよう」は、ジェンダー平等を実現し、女性に対する差別をなくすことや、政治、経済、公共の場での意思決定に女性が参画し、平等なリーダーシップの機会を持つことを掲げています。また、女性が自ら意思決定し、状況を変革する力をつけるための政策や法律を導入することを目標にしています。
女性首相の誕生は、女性の政治的な権利を獲得することを求めた女性参政権運動が土台にあります。この運動の結果、女性が参政権を得られたことはジェンダー平等につながり、SDGsの目標実現に通じる成果となりました。また、現在は圧倒的に少ない女性首相を生み出していくには、国連による女性のリーダーシップと参画の拡大への取り組みも重要です。今後は、政治構造や家事育児分担、ジェンダー・ステレオタイプを見直していくことが、さらなるSDGsの達成に結びつくでしょう。
目標4「質の高い教育をみんなに」
目標5を達成するためには、目標4「質の高い教育をみんなに」の実現も不可欠です。教育を受けることにジェンダー格差があっては、女性首相は増えません。女性に対しても質の高い教育を平等に提供し、活躍の場を得られる機会を均等に設けることは、目標5と共にSDGsの取り組みに貢献します。
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ
日本で初めて女性の首相が誕生して2カ月ほどが経ちました。(2025年12月末時点)高市内閣の支持率は10〜12月に70%台と高い割合を維持しています。女性首相が誕生するまでには、日本をはじめ、世界の女性による女性参政権運動の活動がありました。しかし、政治の分野では依然、ジェンダーの不平等は課題です。今後、女性首相は後に続くのか、現在の高支持率と政治の行方を見守る中で、ジェンダー平等の意識を高めていく必要があるでしょう。5)
<参考>
1)日本における女性首相誕生までの歴史
コラム4:参政権をめぐる女性と政治|アジア歴史資料センターインターネット特別展「普選」への道」
総務省|MIC MONTHLY MAGAZINE 2025 December Vol.300 創刊300号
女性参政権行使70年 | 内閣府男女共同参画局
Listening:<毎日新聞1946>衆院選、初の女性参政権 予想上回る善戦 | 毎日新聞
総務省 MONTHLY MAGAZINE 選挙のあゆみと今 2025 December Vol. 300|総務省
2)高市総理が誕生した背景
衆議院議員6期目&7期目:総務大臣としての実績【平成26年9月~平成29年8月】 | 実績 | 高市早苗(たかいちさなえ)
日本のために働いた記録 | 高市早苗(たかいちさなえ)
総裁選 自民党:麻生太郎氏「決選投票は高市早苗氏を支持」と麻生派議員に伝える…43人所属の唯一残る派閥 : 読売新聞
天井の先「ガラスの崖」はある?ない? 女性がリーダーになる時とは:朝日新聞
自民党総裁選挙2025 最新ニュース 立候補者紹介 開票結果|NHK
3)世界における女性首相の歴史
「女性と人権」 | 人権に関するデータベース | 人権ライブラリー
執務提要 | 内閣府男女共同参画局
セネカ・フォールズ女性権利会議|アメリカ郵趣研究会
UN Women(国連女性機関) | 内閣府男女共同参画局
4)なぜ女性は首相に選ばれにくいのか
「女性の政治的リーダーシップが低下、2025年は女性幹部数が減少」 – 認定NPO法人 国連ウィメン日本協会 | 世界の女性と少女に希望の未来を届けたい。
Why so few women are in political leadership, and five actions to boost women’s political participation | UN Women – Headquarters
RIETI – 日本初の女性首相の誕生
Full article: Opposition to Women Political Leaders: Gender Bias and Stereotypes of Politicians Among Japanese Voters
5)まとめ
高市内閣、70%台の支持率10~12月維持 小泉・安部政権と似る – 日本経済新聞
この記事を書いた人
池田 さくら ライター
ライター、エッセイスト。メーカーや商社などに勤務ののち、フリーランスに転身。SDGsにどう取り組んで良いのか悩んでいる方が、「実践したい」「もっと知りたい」「楽しい」と思えるような、分かりやすく面白い記事を書いていきたいと思っています。
ライター、エッセイスト。メーカーや商社などに勤務ののち、フリーランスに転身。SDGsにどう取り組んで良いのか悩んでいる方が、「実践したい」「もっと知りたい」「楽しい」と思えるような、分かりやすく面白い記事を書いていきたいと思っています。
