ミャンマー内戦とは?原因や特徴、解決策をわかりやすく!

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2021年2月1日にミャンマーで発生したクーデターから、5年が経過しました。

当時、自由と民主主義への挑戦として取り上げられたこの政変は、その後世界中で相次いだ戦争や政治体制の激変に押しやられ、今やほぼ顧みられることはなくなっています。

ミャンマーではなぜこんなに対立や争い、弾圧が起き、なぜ解決できないのでしょうか。

現在進行中の動きや今後の展望と合わせて、この国の歩みを振り返ってみましょう。

ミャンマー内戦とは

ミャンマー内戦とは、主に第二次世界大戦後から国内を統治してきた軍事政権と、民主化運動勢力など複数の反対勢力が国内で争いを続けてきた状態をいいます。

インド、中国、タイに囲まれた国ミャンマーでは、独立以来、政府と反政府勢力が常に大規模な戦闘を繰り広げてきました。具体的には

  • 軍事政権への抵抗と民主化運動への弾圧
  • 政府内での軍によるクーデター
  • 国内の少数民族武装勢力との紛争

が絶え間なく続いています。一時的に平和な時期はあったものの、ミャンマー国内は常に分裂し、事実上内戦に近い状態で現在に至っているのです。

2021年クーデター

ミャンマーで新たな内戦の火種となったのが、

軍による2021年2月1日のクーデターです。

このクーデターでは、ミンアウンフライン率いる軍部がアウンサンスーチー国家顧問や政権幹部を突如拘束し、議員宿舎や中央銀行を包囲します。

直後に軍出身の副大統領が非常事態宣言を出し、国の全権を掌握しました。

こうした動きに対し、市民の抵抗運動が全国に広がります。しかしあろうことか、軍は抗議する丸腰の国民に対して発砲、武力による弾圧を行ったのです。

これによって少なくとも1万人を超えるとも言われる多数の民間人の犠牲者を出し、市民は自衛と抵抗のために武装し闘争を始めました。暴力の連鎖はさらに泥沼化し、解決の出口は見えていません。

ミャンマーの内戦の歴史

ミャンマー(旧国名:ビルマ)は、19世紀に英領インドの一部としてイギリスの植民地となりました。第二次世界大戦で一時日本の占領下に入った後、戦後1948年にイギリスから独立を果たします。そこから現在に至るまで、ミャンマーでは常に軍が政治に関与する状況が続いてきました。

政党政治の始まり(1948〜1962年)

独立後のミャンマーでは、1947年に制定された憲法の下で議会制政党政治が始まりました。この時代には、議院内閣制や市場経済、開かれた外交政策などを進めましたが、国内は不安定な状況が続きました。

1958年10月、与党の分裂による政治の混乱に乗じ、軍がクーデターを起こしました。権力を移譲させた軍は選挙管理内閣として1年半ほど統治した後、撤退します。

社会主義軍事政権の時代(1962〜1988年)

1962年、ネーウィン率いる軍部は再びクーデターを起こして政権幹部を拘束し、国家の全権を完全に掌握します。今回は前回のように一時的なものではなく、社会主義に基づいて政治経済の変革を図るものでした。政党はビルマ社会主義計画党(BSPP)しか認められず、軍人か元軍人が政府の要職を占める事実上の軍事独裁政権となります。

軍の直接統治の時代(1988〜2011年)

1988年には社会主義の限界が露呈し、経済の落ち込みも深刻になっていたことで、長く続くネーウィン独裁への不満が噴出し始めます。

国民の間で高まる憤りや学生を中心とした反政府運動によって、

  • 7月:ネーウィン辞任
  • 8月8日:「8888革命」と呼ばれる大規模なデモやストライキ

などの動きが起こります。

この時登場したのが、独立の英雄・アウンサンの娘であるアウンサンスーチー(以下スーチー)です。

絶大なカリスマ性を持つスーチーの下で民主化運動が盛り上がると思われましたが、その矢先に軍による3度目のクーデターが発生します。軍は1974年憲法を廃止し、政権を直接統治するようになりました。

なお翌年1989年には、国名を「ビルマ」から現在の「ミャンマー」に改めています。

1990年選挙と民主化勢力とのせめぎ合い

1988年クーデターの名目上の目的は治安の安定でした。軍は複数政党制の選挙を約束する一方で民主化運動の弾圧を進め、スーチーらを逮捕して軟禁状態に置いています。

1990年の総選挙では、スーチーを中心に結成された国民民主連盟(NLD)が大勝を果たします。しかし軍はこの選挙結果を認めず、軍に都合の良い憲法を起草するための国民会議を一方的に設置。NLDは軍の圧力で国民会議への参加を余儀なくされました。

1995年にNLD党首やスーチーらが解放されると、NLDは息を吹き返して軍への抵抗を強めました。しかしその結果、2000年には再びスーチーが軟禁されてしまいます。

2008年には軍主導による憲法が制定され、2010年に解放されたスーチーとNLDは、政権奪取を果たすためにこの2008年憲法を不本意ながら受け入れ、軍事政権と和解します。

民政移管(2011〜2016年)

2011年にミャンマーは突如、軍事政権から民政への移管に踏み切ります。ただしそれは、国民からの声ではなく軍による「上からの移行」でした。

大統領に就任したテインセイン以下、軍事政権時代の幹部が多数政権に居座るなど、民政と言うには疑わしい目で見られた新政権ですが、

  • 外部からのブレーンを招いた政策形成
  • 結社の自由:土地返還運動や学生運動復活
  • 言論の自由:検閲廃止、メディアの民間参入、インターネットの普及
  • 少数民族武装勢力との部分的和平

など、予想を超えて改革が進んだことで、一定の安定や経済成長が実現されます。

スーチー政権時代(2016〜2021年)

2015年の総選挙ではNLDが再び圧倒的な支持を受けて大勝し、政権を奪取しました。

スーチーは配偶者や子どもが外国籍の者(つまり自分)は大統領になれないという憲法条文の改定を軍に求めますが、受け入れられませんでした。そのためスーチーは大統領の上に国家顧問という役職を新設し、自らがその地位に就くことで実質的な国家元首となります。

スーチー新政権では、

  • 実務経験者や有識者を閣僚に起用し、軍の占めるポストを削減
  • 議会の要職や地方政府の長をNLDで占める

など、軍の影響力を削ぐ政権運営を進めていきます。

政策面では、

  • 少数民族武装勢力との和平
  • より民主的な憲法への改正
  • 国民の生活改善を目指す経済開発

を公約に掲げますが、実働部隊の弱さ、非協力的な軍などのため、経済政策以外は目立った成果を出すことができませんでした。

困難になる軍との共存

スーチー政権後期には、ロヒンギャ問題で国際的非難を受けるなどラカイン州での少数民族の統治に失敗し、軍と少数民族武装勢力との衝突も増加します。

また新型コロナウイルスへの初動対策が遅れたことも軍の政権不信を助長しました。全体的にコロナ対策に大きな問題はなかったものの、情報の共有不足による軍の孤立により、政権内での勢力的なバランスが崩れていきます。

そんな中で行われた2020年の総選挙では、NLDが前回を上回る議席数で大勝しました。

公約達成が不十分でNLDが大きく議席を減らすと予測していた軍にとって、この結果は受け入れられないものでした。軍は選挙の不正を訴え再得票を求めますが、政府はこれを拒絶。これが翌年のクーデターへと続く引き金となるのです。

ミャンマー内戦の原因

ミャンマーがここまで長い間内戦状態に陥っているのはなぜなのでしょうか。

そこには、ミャンマーが抱える特異な事情が絡んでいます。

原因①国家基盤の脆弱さ

原因のひとつとして、国内の基盤が不安定なまま、見切り発車で独立したことが内戦を生み出したと言えます。

もともとミャンマーは135もの少数民族が混在する多民族国家です。特に自治権を求める20の少数民族組織と多数派のビルマ民族とは、植民地時代イギリスが分割統治を行ったせいで、一つの国民としての意識が希薄でした。

さらに、これをまとめようと尽力した独立の立役者・アウンサンが暗殺されたことで、統合のシンボルとなる指導者を失います。結果的に第二次大戦終戦直後のミャンマーは、

  • 英国型民主主義に懐疑的な急進派の存在
  • 言語や文化、宗教の違う多民族による国家の分断
  • 経済格差による被害者意識や排他的な思想の蔓延

といった要因から「国民意識」が全国規模で共有できず、近代国家建設の初期段階でつまづいてしまったことが軍部の台頭を許すことになったのです。

原因②大国の介入を受けやすい国際環境

ミャンマーが内戦に陥った理由には、中国やインドなど大国に隣接する地理的要因と、東西冷戦という時代背景から、大国の介入を受けやすい環境にあったことも関係します。

ミャンマーは、中国との国境を接する北部に特に多くの少数民族が存在し、ビルマ共産党やカレン民族同盟(KNU)、中国から侵入してきた国民党軍など、各々が武装勢力を形成して政府に対し武装蜂起をしていました。

こうした勢力に対し、アメリカは

  • CIAを使って少数民族武装勢力を支援
  • 共産党に対抗し国民党軍を支援

などの内政干渉を行ってきました。そのため、ミャンマーの軍事政権は過剰なまでに他国との接触を避け、外交、貿易においても鎖国同然の内向きな政策を取るようになります。

原因③スーチーと民主化勢力への脅威

近年のミャンマーで内戦をもたらした一番の要因は、軍がスーチーと民主化勢力の力を恐れたためです。

独立の英雄だった父の存在、女性であり人目をひく容姿、大衆を魅了する演説の才能や対外経験などによって、スーチーは絶大な人気を誇る国民的カリスマとなります。

さらに軍とスーチー側との間では、

  • 権益争い徹底して軍の力を削ごうと図るスーチーとNLD vs 権力を奪い返したい軍
  • 国家観の違い:大衆運動で民主主義を実現させたいスーチーとNLD vs 国土防衛と国内の脅威を抑えたい軍
  • 欧米諸国の支持:人権と民主主義の象徴スーチー vs 内政干渉と反発する軍

という埋められない溝があり、スーチーの権力が強くなるにつれ両者の対立は深刻なものになっていきました。こうしたスーチーとNLDへの脅威と、選挙結果への不満が頂点に達したことで、2021年のクーデターが引き起こされたのです。

ミャンマー内戦の特徴

ミャンマー国内で起こってきた争いは、他の国には見られない特徴を示しています。

そしてこうした特徴が、ミャンマーの内戦状態が終わらない原因ともなっています。

特徴①軍主導のクーデターが複数回成功

大きな特徴は、ミャンマーでは独立以来4回もクーデターが起きていること、その全てが軍が主導であること、そして4回とも成功していることです。

1950年から2023年の間に世界で起きたクーデターの成功率は約50%と、決して高くはありません。クーデターは失敗した時のリスクが大きいため、綿密な計画と内部の意思統一が重要になります。

しかし、ミャンマーでは軍によるクーデターが易々と成功しており、2021年のクーデターでは1発の銃弾も撃たれることなく軍が全権を掌握しました。2008年憲法で保障されている国軍の特権をスーチー政権が撤廃できなかったことからも、この国の政府でいかに軍の影響が強いかがわかります。

特徴②時代に逆行する行動

ミャンマー内戦で目立つ特徴は、クーデターが起きるたびに軍がとった、他の国とは異なる特異な行動です。

  • 1950〜60年代:一党独裁共産主義に移行/鎖国同然の閉鎖性・孤立主義
  • 1980〜90年代:民主化運動を弾圧し市民に向けて発砲
  • 2021年:クーデター後再び市民への弾圧

こうした行動はどれも、国内市場の開放と経済開発への移行、冷戦終結後の民主化運動、グローバル化といったその当時の世界の動きに逆行するものでした。

ミャンマーは、軍が政権を奪うたびに内外の変化への適応に失敗し、国の舵取りを間違えてきたのです。

特徴③国際社会の無関心

特に今回、2021年のクーデターで顕著だったのが、国際社会の関心の薄さです。

クーデター発生後、ミャンマー軍は平和的に抗議を続ける市民に発砲し、丸腰の市民を虐殺するという暴挙に出ます。

こうした行動には国際社会から強い非難の声が上がり、経済制裁も課されました。

しかし、ロシアによるウクライナ侵攻と、イスラエルによるパレスチナ侵攻という世界を巻き込む2つの紛争が発生したことで、ミャンマーの政変は注目されなくなっていきます。

東南アジアの国内問題であり、また長く国を閉じていたことから、世界的な関心を向けにくいという事情もあるでしょう。しかし、こうした無関心が「国際社会は助けてくれない」という諦めを生み出し、市民が非暴力路線から武力闘争へと転換する一因になったのです。

ミャンマー内戦の現状

2021年のクーデターでの政権掌握後、軍は一年間と決めたはずの非常事態宣言を延長し続けてきました。そんなミャンマーの現状は一体どうなっているのでしょうか。

NUGの発足と市民の武装化

民主化勢力側の動きとして挙げられる大きな出来事が、国民統一政府(NUG)の発足と、前章でも少し触れた市民の武装化です。

国民統一政府(NUG)発足

NUGは、軍の拘束を免れたNLD議員が作ったオンライン上での対抗政府です。

NUGは拘束されたスーチーとウィンミン大統領をトップに頂き、軍の政権掌握を否定して内外に自分たちの正当性を訴え続けました。しかし、消極的な国際社会に業を煮やしたNUGはほどなく「自衛のための戦い」を宣言、非暴力路線を転換して人民防衛軍(PDF)を組織します。

PDFは、カレン民族同盟(KNU)、カチン独立機構(KIO)という2つの少数民族武装勢力と連携して訓練や武器の供給を受け、軍政府に対し共闘を続けています。

市民の武装化

クーデター当初ミャンマー市民は、鍋を打ち鳴らす音による抵抗や、仮装やミニコンサート、SNSなども活用した非暴力の街頭デモを行いました。同時に医療従事者や公務員、民間の労働者らも、CDM(市民的不服従)に基づくストライキを決行します。

これらはいずれも、かつてスーチーが行った平和的な抵抗運動でした。

しかし、軍はこうした非暴力・CDMに対しても容赦ない攻撃を加え、多数の市民が虐殺される事態となりました。激化する軍の弾圧と消極的な国際社会に絶望した一部の市民は、武力による抵抗の道を選びます。若者の中には自発的に武装組織を立ち上げたり、PDFへの参加・協力を行う者が増えていくなど、武力紛争は悪化していくばかりです。

2025-2026年総選挙の実施

こうした不安定な国内情勢の中、軍は2025年7月に非常事態宣言を解除、同年末に総選挙を実施しました。結果は国軍系の連邦団結発展党(USDP)が計203議席を獲得、憲法が定める軍人枠166議席と合わせ、軍を支持する勢力が上下両院の過半数を占めることになりました。しかしこの選挙は

  • 拘束中のスーチー率いるNLDを解散させ選挙から排除
  • 治安上の理由で664議席中76議席の選挙が行われない
  • 海外の選挙監視団のいくつかが国軍司令官の歓迎を受けていたと報道

などの理由から、その正当性には大いに疑問があると言わざるを得ません。

選挙の実施に際しても、NUGなど抵抗勢力は国民に対し総選挙に協力しないよう呼びかけ、選挙への国民の関心も低いものでした。これに対し軍は「選挙保護法」を制定、軍および選挙実施に反対する言動を厳しく取り締まるなど、今回の選挙が自由で公正な状況で行われたものでないことは明白です。

今後の見通し

今回の選挙結果を受け、ミャンマーでは3月に議会が招集され、4月に新政府の発足と大統領が選出される予定になっています。

現時点ではミンアウンフライン総司令官の大統領就任が濃厚ですが、議会招集後に大統領選挙があることから今後の展開は不透明です。

一方、国際社会では、この選挙を正当な選挙とはみなせないとする声も多く、ASEANの非公式外相会合でも「承認していない」という声明を出しています。

こうした状況での選挙実施だけでは、国際社会からの承認を得ることは困難です。ミャンマーの軍部はこうした声にどう応えるか。NUGや少数民族武装勢力は今後どのような動きに出て、軍は彼らとどう対峙していくのか。見通しは未だ不透明です。

ミャンマー内戦の解決策

ミャンマーの内戦を終わらせ、この国に民主的な社会が築かれるには、どのような取り組みが求められるのでしょうか。ミャンマーに根付く問題はあまりに深く複雑であるため、そう簡単に解決策を見出せるものではありません。

それでも、今までのようなやり方に固執して現在のような状況を続けている限り、軍と抵抗勢力との闘争は終わらず、ミャンマーの政治危機と軍政の国際的孤立は今後も続くでしょう。

スーチーらの解放と民主派との対話

ミャンマー国内での解決策としては、スーチーたちの解放抵抗勢力との対話は避けて通れません。

過去の選挙結果でもわかるように、国民のスーチーとNLDへの支持は根強いものがあります。ロヒンギャ問題の失敗などはあったものの、少数民族支配地域でもスーチー人気が高いことは2020年の選挙でも明らかです。

当然これまでの経緯から、軍がスーチーとNLDへの弾圧をやめることは考えられません。

しかし、現状のまま新しい政権ができても、自由主義国の国々の承認も、対外援助や民間企業による投資も期待できないでしょう。さらに国民の不安と困窮が続けば社会の混乱も進み、軍は結果的に自分たちの首を絞めることになります。

スーチーがすでに高齢であることを考えると、残された時間はそう多くありません。

国際社会の働きかけ

国際社会がすべきこととして考えられるのは、国際的に連携して軍へ働きかけることです。

もっとも、現在の国際情勢や国連の力が弱まっている現状では、対立する軍と民主化勢力の仲介や介入はどの国、国際機関でも困難です。

そのために必要なのは、

  • 中立的で包括的・透明性のある人道支援の拡大
  • すべての当事者と公式・非公式につながり、情報と人脈を蓄積する
  • 軍が状況を左右する現実を直視しながら粘り強く方向転換を働きかける

などの、国際的な連携による圧力ではない働きかけが考えられます。それは当然、軍に迎合することではありません。平和、民主主義、人権の原理原則を堅持した上で、軍による統治を承認せず、それでも軍と接触するという曖昧さを戦略的に使うことが重要です。

ミャンマー内戦とSDGs

ミャンマー内戦は、他の国際紛争と同様、SDGs(持続可能な開発目標)の観点からも看過できない問題です。

内戦下にある国々では、平和と公正(目標16)だけでなく、飢餓(目標2)、健康と福祉(目標3)、教育(目標4)、経済成長(目標8)、産業(目標9)など、人が尊厳を持って生きるためのありとあらゆる大事なことが損なわれます。

戦後80年にわたり内戦状態が続いてきたミャンマーでは、それらすべてが奪われてきたといっても過言ではありません。

>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから

まとめ

世界中で起きているさまざまな問題に埋もれ、ミャンマーの内戦問題はすっかり忘れられてしまったかのようです。しかし、ミャンマーの人々は長い間暴力と抑圧に晒され、教育や経済成長の恩恵も受けられないまま過ごしてきました。

世界的に民主主義が危機に立たされている現在、ミャンマーの内戦を収束に向かわせることは非常に困難です。それでも、同じ時代、同じ世界に生きる者として、私たちはこの状況を放置せず、その声を拾い、連帯し、救いの手を伸ばすことをやめてはいけないはずです。

参考文献・資料
ミャンマー現代史 / 中西嘉宏著. 岩波書店, 2022.
ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか / 西方ちひろ著. ホーム社, 2025.
世界のクーデターの歴史的発展におけるアフリカの重要性 COFACE TRADE JAPAN
ミャンマー総選挙、軍支持勢力が過半数 国軍の統治維持見通し:時事ドットコム
ミャンマーで政変後初の総選挙開催、軍系政党が過半数獲得 | 地域・分析レポート – 海外ビジネス情報 – ジェトロ
2025-2026年ミャンマー総選挙――正当性なき国軍主導の民政移管へ 渡邊 康太 : IDE スクエア — 世界を見る眼, p. 1-8, 2025-12

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この記事を書いた人

shishido ライター

自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。

自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。

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