少子高齢化が進む日本では、外国からの移住者が増加しています。その中には、イスラム教を信仰する人たちもいます。
イスラム教文化は、多くの日本人にとって、まだ馴染みのない文化と言えるでしょう。また、イスラム教徒(ムスリム)にとって、日本はまだ生活するのに不便なことが多いのが現状です。
平和で幸せな世界の実現のため、イスラム教についても理解を深めておきましょう。イスラム教の起源や基本的な教義、ムスリムの生活習慣など、イスラム教の基礎知識を分かりやすく解説します。
イスラム教とは

イスラム教は、唯一神アッラーへの絶対的な服従を基盤とした、世界三大宗教の1つです。約20億人の信徒を擁し、世界各地で独特な文化と歴史を築き上げてきました。
クルアーン(コーラン)と呼ばれる神の言葉を記した聖典と、預言者ムハンマドの言行をまとめたハディースに基づき、「ムスリム」と呼ばれる信徒たちは日々の生活を送ります。
イスラム教は単なる宗教にとどまらず、法体系や社会規範、文化までを包括する、奥深い思想体系と言われています。
イスラム教を国教とする国とムスリムの多い地域
2024年現在、 24カ国の憲法でイスラム教を唯一の公式な宗教と定めている国々があります。
- 中東(サウジアラビア、クウェート、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン、イエメン、バングラデシュ、モルディブ)
- 北アフリカ(モーリタニア、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、スーダン、ソマリア、ジブチ)
- 西アフリカ(コモロ、モルディブ)
- 南アジア パキスタン
- 東南アジア(マレーシア、ブルネイ)
- ヨーロッパ(コソボ)
これらの国では、イスラム教の法に基づいた政治や社会制度が整備されています。また、イスラム教を国教としていない国でも、ムスリム人口が多い地域はたくさんあります。その中でも特に多いのが、以下の地域です。
- 中東(イラン、イラク、トルコ、ヨルダン、レバノン、パレスチナ)
- 南アジア(インド、インドネシア)
- 東南アジア(タイ、ミャンマー)
- 中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン)
- アフリカ(ナイジェリア、エチオピア)
これらの地域では、ムスリムと非ムスリムが混住しており、宗教間で緊張関係が生じている場合もあります。*1)
イスラム教の歴史

イスラム教の歴史は7世紀にアラビア半島で始まり、以来、中東、アフリカ、アジアと広範囲に広がりました。現在では、イスラム教徒の数は世界の4分の1を占めるとも言われています。
とはいえ、これまでのイスラム教の歴史は平坦ではありませんでした。その歴史は、まるで壮大な叙事詩のように、波乱万丈に満ちています。
そのような数々の苦難を乗り越え、時代とともに大きな変容を遂げ、今日の姿へと至っているのです。
【イスラム教の歴史】
年代 | 内容 |
---|---|
570年頃 | ムハンマド、メッカに生まれる |
610年頃 | 預言者ムハンマドが天使ジブリールから啓示を受け、預言者となる |
610年頃~622年 | ムハンマド、メッカでイスラム教を布教 |
619年 | メッカの有力者から迫害を受け始め、信者と共にヤスリブ(後のマディーナ)へ移住 |
622年 | ヤスリブをマディーナに改名 |
622年~632年 | マディーナでイスラム教共同体を形成し、周辺部族と戦う |
624年 | バドルの戦いで勝利 |
627年 | ウフドの戦いで敗北 |
629年 | フダイビーヤの和議を結ぶ |
630年 | 無血入城、メッカを征服 |
632年 | ムハンマド、マディーナで死去 |
632年~661年 | 正統カリフ時代 |
661年 | ウマイヤ朝初代カリフ、ムアーウィヤ即位 |
680年 | フサインの殉教、シーア派とスンナ派の分裂(カルバラーの悲劇) |
750年 | アッバース革命、ウマイヤ朝滅亡アッバース朝初代カリフ、アブー・アッバース即位 |
9世紀 | アッバース朝の最盛期 |
10世紀以降 | アッバース朝の衰退 |
1258年 | モンゴル帝国によるバグダッド陥落、アッバース朝滅亡 |
1260年 | イル汗国成立、マムルーク朝成立 |
1291年 | アッコ陥落、十字軍国家消滅 |
1405年 | ティムール帝国によるバグダッド略奪 |
1299年 | オスマン帝国、オスマン1世即位 |
1453年 | コンスタンティノープル陥落 |
1517年 | エジプト征服 |
1501年 | イスマーイール1世によるサファヴィー朝成立 |
1512年 | (サファヴィー朝)タブリーズを首都に遷都 |
1526年 | バーブルによるムガル帝国成立 |
1547年 | (サファヴィー朝)シーア派を国教に制定 |
16世紀 | オスマン帝国、ムガル帝国の最盛期 |
1683年 | (オスマン帝国)第二次ウィーン包囲戦敗北 |
17世紀 | オスマン帝国、ムガル帝国の衰退 |
18世紀 | フランス革命勃発 |
19世紀 | イスラーム復興運動勃発 |
20世紀 | イスラーム諸国の独立 |
21世紀 | ムスリムと西洋の対立激化 |
7世紀初頭:始まりと拡大
イスラム教は7世紀初頭、アラビア半島のメッカで生まれました。預言者ムハンマドが天使ジブリールから啓示を受け、唯一神アッラーの教えを説き始めたことが起源です。
当初はメッカでの信者は少数に過ぎませんでしたが、徐々に広がりを見せていきました。しかし、ムハンマドの教えに反対する勢力があり、622年にメッカから逃れてマディーナ(メディナ)に移住することになります。
この出来事を「ヒジュラ(聖遷)」と呼び、以後がイスラム暦※の始まりとされています。マディーナでムハンマドは「ウンマ」と呼ばれる共同体を築き、徐々に影響力を強めていきました。
ムハンマドの死後、最初の4人のカリフ※が続きました。その後ウマイヤ朝が成立し、イスラム帝国は大きく拡大していきました。
ウマイヤ朝イスラム帝国は、シリア、エジプト、イラクなどを制圧し、さらにはイベリア半島まで勢力を広げました。この時期、イスラム教はアラビア半島を越えて中東全域に浸透していきました。
【マディーナ】
661年~750年頃:分派の形成
しかし、ウマイヤ朝の下では、政治的な対立が生じ、やがてシーア派とスンナ派の分派が生まれることになります。ムハンマドの従弟アリーを支持するシーア派と、正統カリフ制を支持するスンナ派の対立は激化し、680年に内乱が勃発しました。
この対立は、後のイスラム世界に大きな影響を及ぼすことになります。シーア派とスンナ派は教義や慣習、政治的立場など、多くの点で異なる主張を展開するようになりました。
この分裂は今日に至るまで、イスラム教に大きな影響を残しています。
シーア派
シーア派は、アラビア語で「党派」という意味の「シーア」という言葉に由来します。シーア派の人々は、ムハンマドの血統を引く人物こそが正統な指導者であると考えており、特にムハンマドのいとこであり娘婿でもあるアリーとその子孫であるイマームを特別な存在として崇拝します。
スンナ派
スンナ派は、アラビア語で「慣習」という意味の「スンナ」という言葉に由来します。スンナ派の人々は、ムハンマドの言行録であるハディースに基づいて指導者を選出するべきだと考えており、必ずしも血統にこだわるわけではありません。
スンナ派は、ムスリム全体の約85~90%を占め、世界中のムスリムの大多数を占めています。
イバード派
イバード派は、イスラーム教の主要な3つの宗派の1つで、オマーン主体の宗派です。歴史的には、ムハンマド預言者の死後約20年後にあたる650年頃に興った比較的古い宗派で、スンナ派やシーア派よりも先に成立しました。
アラビア半島のオマーンを中心に、アルジェリア、チュニジア、リビア、東アフリカの一部にも信徒が存在しています。
【国ごとのイスラム教の分布】

750年~1258年:アッバース朝とその後
ウマイヤ朝に代わってアッバース朝が台頭すると、イスラム帝国は再び繁栄の時代を迎えます。アッバース朝では、アラブ人とイラン人の融和が進み、文化的にも大きな発展を遂げました。
しかし、やがてアッバース朝も内部の対立に苦しむようになり、各地の地方勢力が独立するようになりました。さらにはオスマン帝国の台頭などもあり、イスラム世界は分裂の時代を迎えます。
1258年~1501年頃:イル・ハン国、マムルーク朝時代
13世紀半ば、モンゴル帝国の西進によってイスラム世界は大きな変革を迎えました。モンゴル帝国のフレグ(フラグ)がムスリムの都市を破壊し、アッバース朝を滅ぼしたのです。
しかし、その後、モンゴル帝国の一部族であるイル・ハン朝※がイスラム教に改宗し、新たなイスラム勢力として台頭します。
一方、エジプトではマムルーク朝が成立し、十字軍の侵攻を防ぎました。マムルーク朝は奴隷兵士によって構成された王朝で、高度な軍事力と商業力で繁栄しました。
両者は時に対立しつつも、イスラム文化の発展に大きな影響を与えました。この時代、建築や美術、学問の分野でイスラム文化が大きく花開きました。
13世紀~16世紀:オスマン帝国の台頭
14世紀後半になると、アナトリア半島に勃興したオスマン帝国が急速に勢力を拡大します。15世紀にはコンスタンティノープル(後にイスタンブール)を攻略し、東ローマ帝国を滅ぼしました。この出来事は、ヨーロッパを大きく震撼させたと言われています。
スレイマン1世の治世下でオスマン帝国は最盛期を迎え、バルカン半島、中東、北アフリカの大部分を支配下に置きました。優れた軍事力、文化、そして法制度を持ち、イスラム世界の盟主として君臨しました。
1501年~1736年:サファヴィー朝
16世紀初め、イラン高原ではシーア派のイスラム王朝であるサファヴィー朝が成立しました。サファヴィー朝はシーア派を国教とし、独自の文化を発展させました。
サファヴィー朝はオスマン帝国と対立し、長期的な戦争を繰り広げました。また、ヨーロッパ列強との交流も深め、イスラム世界における新たな潮流を生み出しました。
1526年~1857年:オスマン帝国の衰退
16世紀末から17世紀にかけて、オスマン帝国は徐々に衰退していきます。
これは、
- ヨーロッパ列強の台頭
- 内部の腐敗
- 経済的な停滞
などが原因とされています。
19世紀に入ると、オスマン帝国は近代化改革を模索し、タンジマートと呼ばれる改革を実行しました。しかし、改革は十分な成果を上げることができず、帝国は依然として弱体化が続きました。
タンジマート
タンジマート改革が行われた背景には、オスマン帝国が18世紀後半から19世紀にかけて、ヨーロッパ列強との間で軍事力や経済力において大きく差をつけられてきたという状況がありました。
ヨーロッパ列強は、産業革命によって軍事力や経済力を大きく向上させていました。オスマン帝国は、こうしたヨーロッパ列強の脅威に対抗するためには、近代化改革が必要不可欠であると認識していたのです。
18世紀~19世紀:ヨーロッパ列強の進出とイスラム世界の変革
18世紀以降、ヨーロッパ列強はイスラム世界に積極的に進出していきます。イギリス、フランス、ロシアなどの列強は、植民地支配を拡大し、イスラム世界の政治、経済、文化に大きな影響を与えました。
一方、イスラム世界の知識人たちは、西洋の学問や技術を取り入れ、近代化への挑戦を始めていきます。さまざまな改革運動や社会運動が起こり、イスラム世界は新たな時代に突入しました。
19世紀~現在:近代・現代
近代に入ると、ムスリムの間から「正しいイスラム教」への回帰を求める運動が起こりました。これが、「イスラーム復興」の潮流です。
一方で、世俗主義的な改革も試みられましたが、必ずしも成功したわけではありません。
現代のイスラム世界は、依然としてスンナ派とシーア派の対立、世俗派とイスラーム主義者の対立など、さまざまな分断が存在しています。しかし、ムスリムの信仰心は根強く、イスラム教は今日も世界で大きな影響力を持ち続けているのです。
次の章では、イスラム教の教えについて詳しく見ていきましょう。*2)
イスラム教の教え

イスラム教の教義は、単なる信仰の体系にとどまらず、信徒の日常生活や社会システムにも深く関わっています。イスラム教の教義を理解することは、ムスリムが多数を占める地域の文化や歴史、さらには世界情勢を理解する上で重要な鍵となります。
イスラム教の根幹をなすのは、唯一の神アッラーへの絶対的な帰依と、預言者ムハンマドの教えに従うことです。この二つの信仰の柱の上に、六つの信仰箇条と五つの信仰行為が構築されています。これらの教義は、ムスリムの生活規範や価値観の基盤となっているのです。
タウヒード:唯一神アッラーへの信仰
【アッラーの紋章】
イスラム教の根幹にあるのは、唯一神アッラーへの信仰です。アッラーは全知全能の存在であり、宇宙万物を創造した唯一の存在と考えられています。偶像崇拝は固く禁じられ、ムスリムはアッラーにのみ祈り、従順であることが求められます。
クルアーン(コーラン)
クルアーンは、イスラム教徒にとって最も神聖な書物であり、神の言葉をそのまま書き記したものであると信じられています。預言者ムハンマドに、天使ジブリールを通して啓示されたものがまとめられており、具体的には、
- 神の存在と唯一性
- 預言者ムハンマドの使命
- 倫理観、道徳観
- 法律、規則
- 過去の預言者や聖典に関する物語
- 来世に関する教え
などが書かれています。クルアーンはアラビア語で書かれ、韻律的な文章で構成されています。
預言者ムハンマドの尊崇
【ムハンマドの誕生】
イスラム教では、ムハンマドが最後の預言者であり、アッラーから啓示を受けた者とされています。ムスリムは、ムハンマドの教えを忠実に実践することが求められます。
ハディース
ハディースは、預言者ムハンマドの言行録をまとめたものです。ムハンマドの言葉を直接聞いた人々が記憶し、語り継いだものが、後に収集・編纂されました。
具体的には、
- クルアーンの解釈
- 礼拝、断食、巡礼などの具体的な作法
- 道徳的な教え
- 社会生活に関する規範
- 預言者ムハンマドの人柄やエピソード
などが書かれています。これらは、6大ハディース書と呼ばれる書物にまとめられ、クルアーンに次ぐ重要な聖典として扱われています。
六信と五行
六信と五行は、ムスリムにとって信仰生活の根幹を成すものであり、日常生活や人生観に深く根付いています。これらの教えは、時代や地域によってさまざまな解釈や実践が見られますが、いずれもムスリムのアイデンティティを形作る重要な要素となっています。
六信
六信は、ムスリムが信じるべき6つの信仰箇条です。
- アッラーへの信仰:唯一神アッラーの存在を信じ、アッラーにのみ絶対服従すること。
- 天使への信仰:ジブラーイール、ミカイルなどの天使の存在を信じ、彼らが神の命を伝える役割を果たすと信じること。
- 啓典への信仰:クルアーン、トーラー、インジルなどの神の言葉を信じること。クルアーンは、最後の預言者であるムハンマドに伝えられた神の言葉を記録したものであり、ムスリムにとって最も重要な聖典となっている。
- 預言者への信仰:アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、そして最後の預言者であるムハンマドなど、神が人類に遣わした預言者たちの存在を信じること。
- 来世への信仰:死後の審判、天国と地獄の存在を信じること。
- 天命への信仰:全てのアッラーの意志によって起こると信じること。
五行
五行は、ムスリムが実践すべき5つの義務のことです。
- 信仰告白(シャハーダ):唯一神アッラーと預言者ムハンマドへの信仰を公言すること。これは、ムスリムとなるための必須条件であり、日常的に唱える言葉でもある。
- 礼拝(サラー):1日に5回、キブラ(メッカの方角)に向かって礼拝を行うこと。礼拝は、アッラーへの感謝と服従を表す最も重要な義務の1つ。
- 喜捨(ザカート):一定額の財産を困窮者に施すこと。これによって、社会の公平性を保ち、貧困を救済することが目的。
- 断食(サウム):イスラム暦9月のラマダーン期間中、日の出から日没まで断食すること。断食は、精神的な鍛錬と、恵まれない人への共感心を養うことが目的。
- 巡礼(ハッジ):一生に一度、メッカにあるカアバ神殿を巡礼すること。ハッジは、ムスリムの連帯感を高め、信仰心を深める重要な行事。
来世観
イスラム教では、現世での行いによって最後の審判の後、天国、高壁、地獄の3つの領域に分けられるとされています。善行を重ねた者は天国に、悪行を重ねた者は地獄に送られるのです。
天国(ジャンナ)
天国は、ムスリムが死後に辿り着く理想的な場所であり、永遠の幸福と安らぎが約束されています。クルアーンの中では、天国は美しい庭園として描かれ、そこでは果実や泉、そして美しい衣服や住居が用意されているとされています。
天国に入るためには、アッラーを唯一神として信仰し、神の教えに従って善行を行うことが必要です。具体的には、礼拝を欠かさずに行い、喜捨を行い、断食を守り、巡礼を行うなどが求められます。
ムスリムにとって、天国は現世での努力の報いであり、信仰生活の究極的な目標と言えるでしょう。
高壁(アル=アララーフ)
高壁は、天国と地獄の中間に位置する場所であり、善行も悪行もしていない者たちが辿り着くとされています。高壁からは天国と地獄を見ることができ、善行者は天国への希望を持ち、悪行者は地獄への恐怖を感じる場所とされています。
高壁にいる者たちは、最終的には天国または地獄へ行くことになりますが、そのタイミングはアッラーの慈悲によって決められるとされています。
高壁の存在は、ムスリムに善行の重要性を説くと同時に、アッラーの慈悲の深さを示すものと考えることができます。
地獄(ジャハンナム)
地獄は、不信仰者や悪行を行った者が永遠の苦しみを受ける場所です。クルアーンの中では、地獄は燃え盛る炎と熱湯、そしてさまざまな拷問器具が存在する恐ろしい場所として描かれています。
地獄に入るためには、アッラーを唯一神として信仰しないこと、礼拝を怠ること、喜捨をしないこと、断食を守らないこと、巡礼を行わないことなどが挙げられます。
ムスリムにとって、地獄は現世での罪悪の報いであり、神の教えに背いた者の行く末とされています。
ジハード:イスラム教と戦争
イスラム教と戦争の関係性については、しばしば誤解や偏見が生じています。特に、「ジハード(聖戦)」という概念が、しばしば「イスラム教は好戦的」というイメージを強めてきました。
確かに、クルアーンにはジハードに関する記述がみられます。しかし、それらは必ずしも攻撃的な性格のものばかりではありません。むしろ、クルアーンの中のジハードは、防衛的な側面が強調されています。
例えば、「汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。だが、こちらから不義を仕掛けてはならぬ」といった記述からは、攻撃的ではなく、正当防衛的な性格が読み取れます。
また、ジハードの意味は時代とともに変容し、必ずしも武力行使を意味するものではなくなってきました。アッバース朝期には、「言葉のジハード」や「筆のジハード」といった非武力的なジハードの概念も登場しています。
これらは、不信仰者への説得による改宗や、イスラム社会の道徳の改善を目的としたものでした。
中東における戦争の背景
一方で、第二次世界大戦以降の中東地域における戦争の多発は事実です。しかし、その背景にあるのは必ずしもイスラム教の教義ではありません。
むしろ、植民地支配以来の中東地域の人工的な国家体制の成立や、大国の覇権主義的な介入が大きな要因となっています。例えば、レバノン内戦やイラン・イラク戦争の背景には、欧州列強による中東の分割統治や、冷戦下での大国の利害関係の介入などが指摘されています。
また、パレスチナ問題の背景にも、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義とシオニズム※の台頭、さらには冷戦下での米国のイスラエル支持など、宗教的要因以外の複雑な歴史的経緯が存在しています。
イスラム教への偏見の払拭
このように、イスラム教と戦争の関係性については、しばしば偏見や先入観に基づいた議論がされてきました。しかし、冷静に見れば、イスラム教の教義そのものが必ずしも好戦的ではなく、むしろ中東地域における戦争の背景には、宗教以外の複雑な要因が存在していることがわかります。
今後、イスラム教に対する理解を深め、偏見を払拭することが重要です。そうすることで、ムスリムと非ムスリムが共生し、中東地域の平和的な発展につながるでしょう。国際的に日本も、中東和平への積極的な役割を果たすことが期待されています。*3)
ムスリムの生活・習慣

イスラム教は、単なる宗教的信仰にとどまらず、ムスリムの日常生活全般にわたって大きな影響を及ぼしています。クルアーンやハディースに基づいて定められたシャリーア(イスラム法)は、ムスリムの社会生活を律する包括的な指針となっているのです。
日本とは異なる文化や習慣を持つムスリムの暮らしは、時に神秘的で理解しがたいものと捉えられがちです。しかし、その背景にある深い信仰心と、そこから導き出される合理的な考え方を知ることで、互いの理解を深め、尊重し合える社会を築くことを目指しましょう。
礼拝と清浄:サラー
イスラム教では、1日5回の定時の礼拝(サラー)が義務付けられています。礼拝を行う前には必ず身体を清めることが重要視されます。これは、身心を清浄に保ち、神に対する敬虔な気持ちを保つためです。
クルアーンには「あなたがたは礼拝の際には、顔と両手を洗い、頭を撫で、両足首まで洗いなさい」と記されており、この教えに基づいて、ムスリムは礼拝前に完全な清浄状態を保つよう心がけています。
身体の清浄は単なる清潔さだけではなく、心の清浄さを表す象徴的な意味合いも持っています。ムスリムにとって、「清浄さ」は単なる外見だけではなく、内面の清らかさを表す重要な概念なのです。
食事の制限:ハラール
イスラム教では、「ハラール」と呼ばれる、食事に関するさまざまな戒律が定められています。ブタ肉やアルコール飲料の摂取が禁止されているほか、動物性タンパク質については、イスラム教の定める方法で屠殺されたものしか認められません。
これらの制限は、単なる衛生面での配慮だけではなく、ムスリムの生活様式全体を通した「清浄」の概念に基づいています。ブタは「不浄」な動物とされ、アルコールは理性を奪う有害なものと考えられているのです。
また、ハラールの屠殺方法には、動物の苦しみを最小限に抑える配慮がなされています。これは、神の被造物である動物に対する思いやりの心を表すものでもあります。
【関連記事】ハラルとは?メリットや具体的なハラルフード・ハラル認証マークを解説
服装の規制

イスラム教では、男女ともに適切な服装が求められます。特に女性に対しては、髪や体の一部を覆うヒジャーブの着用が義務付けられています。
これは、性的な誘惑を避け、女性の尊厳を守るためだと説明されています。クルアーンには「信仰する人たちよ、あなたがたの視線を下げ、あなたがたの恥部を守りなさい」「信仰する女性たちよ、あなたの視線を下げ、あなたの恥部を守りなさい」と記されており、この教えに基づいて、ムスリムの女性は公の場で体の一部を露出しないよう心がけています。
一方で、男性にも体の一部を覆うことが求められており、一般的に膝下までの長さの服を着用することが推奨されています。また、男性も体の一部を露出させることは避けるべきとされています。 この背景にあるのは、男性も自己抑制と節度ある態度を保つことが重要視されているためです。
その他の習慣・生活
その他にも、ムスリムには特徴的な習慣や生活があります。
巡礼:ハッジ

ハッジは、ムスリムにとって一生に一度は行うべき義務的な巡礼です。メッカにあるカアバ神殿を訪れ、さまざまな儀式を行うことで、ムスリムは神への信仰心を深めることができます。
ハッジは、イスラム教の五大義務の1つに数えられており、経済的・身体的に可能な限り、全てのムスリムが参加することが求められています。メッカへの旅は、ムスリムの一体感を醸成し、信仰心を高める重要な機会となっています。
ハッジでは、以下の5つの儀式を行います。
- イフラーム:白い布をまとい、巡礼の準備を整える
- タワフ:カアバ神殿を7周回する
- サイ:サファ山とマルワ山の間を7往復する
- アラファートの立ち止まり( الوقفة)※:アラファート平原で神への祈りを捧げる
- ジュマル:悪魔を象徴する石を3回投げる
大規模集会:ビッショ・イジュテマ
ビッショ・イジュテマは、ムスリムが一堂に会して行う大規模な集会です。地域のムスリムが参加し、礼拝、講演、ディスカッションなどを通じて、相互理解と親睦を深めることが目的です。
この集会は、ムスリムのアイデンティティと結束を強化する役割を果たしています。定期的な開催により、ムスリムの信仰実践を促進し、コミュニティの絆を深めることができるのです。
断食月:ラマダンと、断食明け祭り:レバラン
ラマダンは、イスラム教の聖なる月です。ムスリムは日中の断食を義務付けられ、夜間に食事をとります。断食は、自己抑制と神への信仰心を培うことを目的としています。
レバランは、ラマダンの断食が終わった後に行われる祭りです。家族や友人と一緒に食事を共にし、喜びを分かち合うことで、ムスリムのつながりを深めることができます。
このラマダンとレバランは、ムスリムの信仰生活において重要な役割を果たしています。
ムスリムの生活習慣には、クルアーンやハディースに基づくさまざまな戒律が反映されています。これらの規律は、ムスリムの日常生活を通して、神への信仰心を醸成し、社会的秩序を維持することを目的としているのです。*4)
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イスラム教についてよくある疑問

近年、国際社会におけるムスリムの存在感はますます高まっており、私たちにとって身近な存在になりつつあります。しかし、その一方で、イスラム教に対する誤解や偏見も根強く残っています。
真の世界平和と共生を実現するためには、異なる文化や宗教を持つ人々が互いを理解し、尊重し合うことが不可欠です。そこで今回は、ムスリムに関するよくある質問を取り上げ、最新の研究成果なども踏まえながら、回答していきます。
禁止行為・やってはいけないことは?
イスラム教では、
- 神への不信仰
- 殺人
- 盗み
- 姦淫
- 嘘つき
- 利息を取る行為
などが禁止されています。これらの行為は、神の教えに反し、社会秩序を乱すものと考えられています。
しかし、これらの禁止事項は、杓子定規に解釈されるものではありません。例えば、正当防衛や緊急時の殺人は許容される場合もあります。また、利息に関しては、イスラム金融と呼ばれる独自の金融制度が発展しており、一定の条件下であれば利息を取ることも認められています。
1日に何回お祈りする?
ムスリムは、1日に5回、メッカの方角に向かって礼拝を行います。礼拝は、信仰心を深め、神への感謝の気持ちを捧げる場であり、規律正しい生活習慣を身につけるとされています。
礼拝の時間は、日の出前、正午、午後、日没後、夜間にそれぞれ1回ずつです。礼拝を行う際には、体を清め、キブラと呼ばれるメッカの方角を示す目印に向かって、クルアーンの朗読や特定の動作を行います。

断食するのはなぜ?
イスラム教では、毎年のラマダン月(イスラム暦の9月)に、日の出から日没までの間、
- 飲食
- 喫煙
- 夫婦関係
などを控える断食(サウム)が義務付けられています。これは自制心を養い、アッラーへの信仰と感謝の念を深めることを目的としています。断食中は、精神的な浄化と自己反省の機会となり、ムスリムにとって重要な宗教的実践の1つです。
どうしてキリスト教と仲が悪いの?
イスラム教とキリスト教は、どちらもアブラハムを始祖とする一神教ですが、歴史的に対立してきた側面があります。キリスト教では「三位一体」の概念が重要ですが、イスラム教ではこれを認めていません。また、預言者の位置づけにも違いがあります。
ただし、近年では両者の対話と理解が深まりつつあり、共通点を見出す努力も行われています。宗教間の対立を乗り越え、お互いの違いを認め合うことが重要だと考えられています。
ムスリムにとってイスラエル・パレスチナ問題とは?
イスラエル・パレスチナ問題は、19世紀末からユダヤ人のシオニズム運動によりパレスチナへの移住が始まり、1948年のイスラエル建国を経て、現在に至るまで続く紛争です。
この主な争点は、パレスチナ人の故郷への権利と、ユダヤ人の祖国建設の正当性をめぐるものです。この問題は、宗教的・民族的アイデンティティの対立が絡む非常に繊細で複雑な問題なのです。
ムスリムからみれば、この問題は
- パレスチナはイスラム文化の中心地の1つであり、聖地も多数存在する。
- パレスチナ人の土地への権利は正当なものである。
- イスラエルの建国は、アラブ諸国に対する侵略行為であり、多くのパレスチナ人を難民化させた。
- イスラエルによるパレスチナ人への占領、抑圧、差別は、人権侵害であり、許容できない。
- アメリカなどの西側諸国がイスラエルを支持していることに対し、強い不信感を持っている。
などの理由から、パレスチナ人の正当な権利が侵害されていると捉えられています。私たちは、歴史的経緯や宗教的背景を踏まえつつ、人権や正義の観点から、双方の主張を公平に理解し、偏見なく検討することが重要です。
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ムスリムにとって日本人はどんな存在?
日本は、ムスリムにとって、比較的理解が深い国の1つと言えます。日本には約30万人のムスリムが暮らしており、彼らはおおむね日本社会に順応しながら生活しています。
一方で、日本人の多くはイスラム教についてよく知らないのが現状です。しかし、日本は宗教的に寛容な国民性を持ち、ムスリムに対する偏見も比較的少ないと評価されています。
今後、相互理解を深めていくことで、ムスリムにとっても日本は住みやすい国になっていくことが期待されます。
イスラム教の国や地域に行ったら気を付けることは?
イスラム教の国を訪れる際には、その国の文化や習慣を尊重することが大切です。特に、以下の点に注意しましょう。
- 肌の露出を控える
- ラマダン月には、日中は飲食を控える
- 礼拝所内では静かに過ごす
- 女性は、男性の前では頭を覆う
これらのルールを守ることは、ムスリムへの敬意を表すだけでなく、トラブルを避けるためにも重要です。
日本のムスリムが生活で困っていることは?
日本在住のムスリムの多くは、日本社会になじむよう努力していますが、いくつかの課題も抱えています。
例えば、ハラール(イスラム教の教えに則った)な食事の確保が困難な場合があります。また、職場や学校でのお祈りの場所の確保にも苦労しているムスリムが少なくありません。
さらに、イスラム教の祝祭日が日本の祝日と重ならないため、仕事や学業の都合で参加できない場合もあります。
こうした生活面での配慮が、日本社会においてさらに進められることが期待されています。
イスラム教とSDGs
実は、イスラム教の教義の中には、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に貢献するものが数多く見られます。
環境保護・エネルギー問題
まず、イスラム教の根本的な教えの1つであるタウヒード(唯一神信仰)は、自然と人間社会の調和を説いています。クルアーンには「大地と天空を無秩序に創造したのではない」と記されており、この教えは、
- SDGs目標7:エネルギーをみんなに そしてクリーンに
- SDGs目標13:気候変動に具体的な対策を
- SDGs目標15:陸の豊かさも守ろう
につながっています。
イスラム教では、自然は神(アッラー)によって慎重に設計され、調和のとれた存在であると捉えられています。したがって、ムスリムにとって、自然を大切にし、環境を保護することは、神の創造物を尊重し、その秩序を乱すことのない、正しい行為なのです。環境破壊は、神の創造の秩序を乱すものと見なされるのです。
貧困や格差の解消
イスラム教では貧困や格差の解消にも重点が置かれています。クルアーンには「貧しい人々に施しをするように」(クルアーン 2:177)と説かれており、
- SDGs目標1:貧困をなくそう
- SDGs目標2:飢餓をゼロに
に寄与しています。
男女平等
イスラム教は男女平等を説いており、女性の教育や社会参画を奨励しています。「男女は平等である」という教えは、
- SDGs目標5:ジェンダー平等を実現しよう
と同じです。しかし、イスラム教における男女平等の概念は、日本人にとって理解しにくい面があるかもしれません。
私たちから見ると、ムスリムの社会には、男女不平等が見られます。イスラム法では、男女の権利や義務に違いがあり、女性の自由が制限される傾向にあります。
例えば、証言の価値が男性の半分とされたり、相続分が男性の半分に過ぎないなどの例があります。しかし、日本でも例を挙げると、男性は外で働き、女性は家事・育児を担うという固定観念が根強く、女性の社会進出や意思決定への参画が十分ではありません。
それぞれの文化的・宗教的背景によって、「平等」という概念は、違ったものになることもあるのです。重要なのは、両者のステレオタイプやバイアスを乗り越え、お互いの違いを理解し、尊重し合うことです。
イスラム教について理解を深めることが資するSDGs目標
私たち非ムスリムがイスラム教について理解を深めることが、どのようにSDGsの実現に資するのでしょうか。
まず、ムスリムとの対話と交流を通じて、互いの文化や価値観の違いを認め合うことが重要です。これは、
- SDGs目標10:人や国の不平等をなくそう
- SDGs目標16:平和と公正をすべての人に
のために不可欠です。
一方で、イスラム教の教えの中には、時代とともに変容が必要なものもあると指摘されています。例えば、一夫多妻制や女性の権利に関する解釈などです。
これらについては、イスラム教の中でも議論が行われており、SDGsの目標達成に向けて、教義の再解釈や改革の動きも見られます。このように現在でも様々な議論が続けられていますが、それも含めてイスラム教についての知識と理解を深めることは、SDGsの達成に大きく貢献するのです。*5)
>>各目標に関する詳しい記事はこちらから
まとめ

イスラム教は、7世紀にアラビア半島で誕生した一神教です。「イスラム」とは「服従」を意味し、唯一神アッラーに服従することを信仰の中心としています。
創始者はムハンマド預言者で、彼に啓示されたクルアーン(アッラーの教え)がイスラム教の根本教典となっています。イスラム教は、信仰と生活が一体化しているのが大きな特徴と言えます。
イスラム教でない国や地域では、ムスリムに対して、長年にわたる偏見と差別が存在してきました。例えば、テロリズムとの関連付けや、女性の地位の低さなどのステレオタイプが根強く残っています。
しかし、これらは必ずしも正しい理解とは言えません。また、イスラム教には、他の宗教にはない優れた点もあります。
- シンプルな教え:イスラム教の教えは、比較的シンプルで分かりやすいと言われています。複雑な神学論争や教義解釈は存在せず、信者は神の言葉に従って生活を送ることが求められます。
- 強いコミュニティ:ムスリムは、強いコミュニティ意識を持っています。礼拝や断食などの宗教行事を通して、互いに助け合い、支え合う関係を築いています。
- 社会福祉:イスラム教では、貧しい人々を助けることが神の義務とされています。ザカートと呼ばれる喜捨制度は、一定の資産を持つムスリムが毎年一定額を貧困者に施すことを義務付けるものです。
などが、その例です。
平和で幸せな社会の実現に向けて
世界が本当の平和と幸せな社会を実現するためには、異なる宗教の人々が互いを理解し、尊重し合うことが不可欠です。
- 偏見や差別をなくす:宗教に対する偏見や差別は、互いの理解を妨げ、対立を生み出す要因となります。正しい知識に基づいて異なる宗教を理解し、尊重することが重要です。
- 対話と交流:異なる宗教の人々との対話と交流を通して、互いの文化や価値観を理解することができます。積極的に交流し、互いの違いを認め合うことが大切です。
- 共存の精神:異なる宗教の人々が共存し、互いの違いを尊重しながら共に生きていくための志や精神が必要です。寛容な心で、互いの信仰を受け入れることが重要です。
イスラム教は、世界の人口増加と共に、今後も信者を増やすことが予想されています。ムスリムと非ムスリムの相互理解と共生は、21世紀における重要な課題の1つです。
世界の人々にとって、宗教は精神的な支えであり、アイデンティティの源泉となるものです。宗教は、多くの人々に生きる意味を与え、困難を乗り越える力を与えてくれる存在でなのす。
真の宗教の自由には、自らの信仰を自由に選択・実践できることだけでなく、他者の信仰を尊重し、寛容であることも必要です。これからは、
- それぞれの宗教についての正しい知識
- 宗教の多様性の尊重
- 異なった宗教間での対話
などがますます重要になると言えるでしょう。宗教の違いを超えて、互いを理解し、尊重し合う寛容な社会を目指しましょう。
<参考・引用文献>
*1)イスラム教とは
ハラル・ジャパン協会『イスラム教について』
東京大学『イスラム学研究室』
日本中東学会『「イスラム教は寛容な宗教」』
東京学芸大学『イスラム教と私達の生活』
土屋 紀義『中国のムスリム 歴史と現況』(2004年3月)
東京国際大学『イスラームの栞「イスラームの基本理念」』(2013年8月)
松山 洋平『イスラム教の論理』(2018年)
日本ムスリム協会『イスラームとは』
明治大学『イスラームについての基礎知識』
日本経済新聞『ムスリム、気がつけば隣人 在日信者20万人超』(2024年4月)
日本経済新聞『イスラム教大巡礼、150万人メッカへ ガザ犠牲者家族も』(2024年6月)
*2)イスラム教の歴史
WIKIMEDIA COMMONS『Madina Haram at evening』
WIKIMEDIA COMMONS『Islam by country』
平和政策研究所『宗教間対話運動と日本のイスラーム理解 —日本社会におけるムスリムとの共生に向けて—』(2023年8月)
広島大学『「イスラームと戦争―その関係性の変容と中東―」』(2002年3月)
内藤 正典『17億のムスリムとの共生』(2021年9月)
文部科学省『イスラーム教のおこりと発展』
加賀谷 寛『イスラム史観と近代化』
在エジプト日本国大使館『エジプト基礎情報~歴史』
*3)イスラム教の教えについて
加藤 博『イスラム経済の基本構造』(2015年10月)
ハラル・ジャパン協会『ハラル(ハラール)基礎知識』
公安調査庁『インドでの宗教間対立をめぐるイスラム過激組織の動向』
WIKIMEDIA COMMONS『Istanbul, Hagia Sophia, Allah』
WIKIMEDIA COMMONS『Birth of Muhammad from folio 44a of the Jami‘ al-tawarikh』
*4)ムスリムの生活・習慣について
トヨタ財団『「私」のまなざし◎マレーシアでムスリムとの触れ合いから学んだこと』(2022年10月)
在インドネシア日本大使館『断食月(ラマダン)における注意喚起』(2024年3月)
日本貿易振興機構『イスラム教の祭典ビッショ・イジュテマが開催、渋滞に注意』(2024年2月)
日本ハラール協会『ハラール(ハラル)とは』
国土交通省『ムスリム旅行者 受入の心得』
総務省『宗教的配慮を要する外国人の受入環境整備等に関する調査ームスリムを中心としてーの結果』(2017年12月
名古屋国際センター『フードダイバーシティ(食の多様性) ~ムスリム(ムスリム)の食生活事情とは⁉~』(2023年9月)
ユーグレナ『バングラデシュとはどんな国?文化や生活スタイルを解説』(2024年2月)
日本看護科学学会『イスラム教 – 異文化看護データベース』
Isram House『サラー(礼拝)に関する法規定』
イスラム文化のホームページ『サラート・礼拝』
*5)イスラム教とSDGs
国際連合広報センター『SDGsのポスター・ロゴ・アイコンおよびガイドライン』
松永 繁『イスラームに学ぶ多文化共生』(2017年8月)