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アフガニスタン難民の現状は?発生原因や私たちにできることも

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その昔、ユーラシア大陸を東西に貫くシルクロードにおいて、アフガニスタンは重要な位置を占めていました。多くの物資が行き交うアフガニスタンは文明の十字路と呼ばれ、さまざまな文化が交流する場だったのです。

しかし、20世紀後半から、アフガニスタンは血なまぐさい戦争の舞台であり続けました。容赦なく襲い掛かる戦火から逃れるため、多くの人々が難民として国外に脱出したり、国内で安全な場を求めて避難する国内避難民となりました。

なぜ、アフガニスタンは紛争の舞台であり続けるのでしょうか。その背景には、大国の思惑や民族問題、宗教問題などが複雑に絡み合ったアフガニスタン独特の歴史があります。今回はアフガニスタン難民の現状や難民を生み出した歴史、日本政府やNPO・NGOの活動、SDGsとの関わりなどについて解説します。

アフガニスタンについて

アフガニスタン国旗

アフガニスタンという国の名前は、時折ニュースなどで目にすると思います。しかし、アフガニスタンがどのような国か、詳しいことはわからないかもしれません。この国の基本情報や地政学的重要性について解説します。

アフガニスタンの基本情報

アフガニスタンは日本からおよそ6,200キロ離れた内陸の国です。国土面積は日本の約1.7倍、人口は3,980万人ほどとなります。パシュトゥン、タジク人、ハザラ人、ウズベク人などが住む多民族国家で、主な宗教はイスラム教です。*1)

国土の4分の3が山岳地帯であり、平野は北部や南西部の一部に限られます。気候は全体的に乾燥しており、水の入手が難しい土地です。夏は暑く、冬は寒い内陸性の気候の土地で、地震が多い場所でもあります。*2)

アフガニスタンの地政学的重要性

アフガニスタンはユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路で重要な位置を占めています。そのため、「文明の十字路」の異名を持った国でした。19世紀になると、イギリスとロシアの覇権争いに巻き込まれ、20世紀後半には米ソ冷戦の舞台となり、国情は安定しませんでした。*3)

近年は、アフガニスタンに眠る鉱物資源を巡って中国がアフガニスタンに関心を示しています。また、中国やパキスタンと対立するインドの思惑もあり、ターリバーンが復活した2021年以後も、国情は安定しません。このように、アフガニスタンは地政学的に重要な位置にあるため、外国からの干渉が絶えず、紛争が起こりやすい国になっているのです。*3)

アフガニスタン難民の現状

アフガニスタンでは1978年以降、断続的に争いが続いています。その間、多くの人が命を守るため難民として国外に逃れました。ここでは、アフガニスタン難民の現状についてまとめます。

難民数の推移

ソ連がアフガニスタンに侵攻した1979年の難民数は50万人でした。戦いが長期化するにつれ難民の数も増大し、1980年代は毎年4〜500万人の人々が難民として国外に逃れています。1989年にソ連が崩壊すると、アフガニスタンの混乱に拍車がかかり、1990年には633万人もの人々が難民となってしまいました。*4)

2000年代以降、難民数は概ね200万人台となっており、2016年から2020年までの5年間は250〜270万人台で推移しています。*4)

難民受け入れ国

国外に逃れた多くの人々は、隣国であるパキスタンイランに逃れ、難民として暮らしています。両国だけでアフガニスタン難民の90%にあたる200万人を引き受け、避難所を提供しています。*5)

しかし、難民支援には多額の費用がかかるため、両国の資源やインフラに大きな負荷がかかっていることも事実です。

他にもドイツオーストリアスウェーデンフランスギリシャスイスオーストラリアなどの国々が、1万人以上の難民を受け入れています。なかでもドイツは13万人以上受け入れています。*4)

国内避難民が増加している

また、2010年以降はアフガニスタン国内で国内避難民が増加しています。

国内避難民

内戦や暴力行為、深刻な人権侵害や、自然もしくは人為的災害などによって家を追われ、自国内での避難生活を余儀なくされている人々

出典:OCHA(国連人道問題調整事務所)*6)

その理由としては、2002年のアメリカ軍の侵攻により、ターリバーンが政権を追われたことが関係しています。ターリバーンが政権を追われた後、首都カブールに成立したカルザイ政権は国内を完全統一する力がなく、混乱が続いたのです。*25)

また、アメリカ軍は2015年にターリバーンの指導者オマル師を殺害し、翌年にもマンスール師を殺害しました。しかし、ターリバーンの勢いは衰えず、アメリカ・中国・パキスタン・アフガニスタンの和平プロセスも失敗しました。*26)

加えて、度重なる干ばつが発生したことから国内避難民が増加し続けました。

【難民と国内避難民の推移(1979年~2021年)】

出典:UNHCR*7)

上のグラフは、アフガニスタンにおける難民(Refugees)と国内避難民(IDPs)の推移を示したものです。2021年に国内避難民が350万人を超えていますが、これはターリバーン政権成立時の混乱を避けるため、80万人の国内避難民が発生したことが原因です。*7)

その後、混乱が収束するにつれ、治安が改善した地域では国内避難民の帰還が実現しました。しかし、地域のインフラの多くが破壊されているため、生活基盤が大きく損なわれている状態です。*7)

そして追い討ちをかけるように、2022年6月22日にアフガニスタン南東部を震源とするM5.9の地震が発生しました。この地震により1,000人以上が亡くなり、3,000人が負傷しました。*8)国内避難民の置かれている状況がより一層厳しいものとなっています。

日本におけるアフガニスタン難民受け入れ状況

アフガニスタンが長期にわたって混乱している状況を踏まえ、日本政府もアフガニスタン難民を受け入れています。しかし、その数は決して多いとはいえません。

日本が受け入れたアフガニスタン難民

出入国管理庁のデータをもとに、直近5年間のアフガニスタン難民の難民申請数を整理します。

難民申請者総数アフガニスタン人の難民申請
2018年10,493人4人*9)
2019年10,375人24人
2020年3,936人9人
2021年2,413人12人
2022年3,772人182人

出典:出入国管理庁*10)、出入国管理庁*11)

2022年だけ突出して数が多いのは、2021年のガニ政権崩壊時に退避した日本大使館で働いていた現地スタッフやその家族の分が含まれているからで、その後、98人が難民として認定されています。*12)

しかし、日本が受け入れている難民の数は世界的に見るとごくわずかです。合計で200万人を受け入れているパキスタンやイランはもちろんのこと、欧米諸国のような1万人単位の難民受け入れと比べると、非常に少ないことがわかります。*10)

その理由としては、日本の難民認定が非常に厳しいものであることが関係しています。

【難民認定数の各国比較】

出典:難民支援協会*13)

法務省は適正な審査の結果としていますが、他国に比べて審査が厳しいということについては留意しておくべきでしょう。

ここまで、アフガニスタン難民の現状を見てきました。次からは、難民となっている原因についてもう少し詳しく見ていきましょう。

アフガニスタンで難民が発生する原因を歴史を踏まえて

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アフガニスタンは1978年のソ連によるアフガニスタン侵攻以来、40年以上、難民が発生し続けている国です。その背景にあるのは、アフガニスタンの戦乱の歴史でした。

アフガニスタン紛争の流れ

アフガニスタン紛争の流れを把握するため、最初に年表で流れを整理します。

18世紀アフガニスタン王国建国
19世紀イギリスとロシア帝国の争い(グレートゲーム)に巻き込まれる
1919年第3次アフガニスタン戦争 →イギリスの保護国から完全独立
1978年アフガニスタンで社会主義政権が成立 →イスラム系反政府勢力(ムジャヒディーン)が蜂起
1979年ソ連のアフガニスタン侵攻 →社会主義政権を支援するため
1989年ソ連がアフガニスタンから撤退
1992年社会主義政権崩壊 →アフガニスタンが内戦状態となる
1996年イスラム原理主義勢力ターリバーン(タリバン)政権が首都占領
2001年アメリカ軍がアフガニスタンに侵攻 →ターリバーン政権が崩壊し、カルザイ政権成立
2021年アメリカ軍がアフガニスタンから撤退 →ガニ大統領の政権が崩壊し、ターリバーンが政権に復帰

対立構図の変化

アフガニスタンでの争いは45年の長きにわたって続いています。その間、5つの転換点がありました。そのたびに、対立構図が変化し、事態を複雑化させたのです。アフガニスタン問題を理解する5つのターニングポイントについて解説します。

ソ連とムジャヒディーンの戦い

アフガニスタン王国は18世紀に建国されましたが、19世紀にはイギリスとロシア帝国による覇権争い(グレートゲーム)に巻き込まれ、両者の緩衝国として扱われます。

緩衝国

利害が対立する国家の間にあって、その衝突を和らげる役目をする国

出典:デジタル大辞泉*14)

その後、ロシア帝国が革命で滅亡し、イギリスが第一次世界大戦で疲弊した隙をついて1919年に完全独立を果たしました。この王政は1973年まで続きますが、クーデタで崩壊。さらに、1978年に再びクーデタがおきて人民民主党による社会主義政権が成立します。

成立した社会主義政権は政権基盤が弱体で、イスラム原理主義勢力の反発や部族対立を抑え込めませんでした。そこで、ソ連のブレジネフ政権がアフガニスタンに派兵します。

アフガニスタンに入ったソ連軍は、社会主義政権とともにイスラム原理主義勢力を弾圧しました。これに憤ったイスラム原理主義勢力は、ソ連軍との戦いをジハード(聖戦)と位置づけ、ムジャヒディーンとよばれる民兵組織を立ち上げて抵抗します。この混乱の中、多くの人々が難民となり、パキスタンやイランに逃れました。

ソ連撤退後の内戦

ソ連軍はムジャヒディーンとの戦いで決定的な勝利を収めることはできず、多くの戦死者を出していました。そしてゴルバチョフ書記長は、1988年にアフガニスタンからソ連軍を完全撤退させます。

ソ連軍の撤退後も、ソ連はアフガニスタンの政権を支えていました。しかし、1991年にソ連が崩壊したことで、支援を失ったアフガニスタンの社会主義政権も1992年に幕を閉じました

軍事的空白地帯となったアフガニスタンは8つの派閥が分裂抗争する泥沼の内戦に突入します。このソ連崩壊とその後の内戦により、多数の難民が発生したのです。

ターリバーンの台頭

1994年、突然現れたのがターリバーン(タリバン)でした。最高指導者オマル師に率いられたイスラム教スンナ派の集団で、アフガニスタン最大の民族であるパシュトゥン人を主体として構成されていました。彼らはイスラム神学校(マドラサ)で教育を受けた神学生で、南部のカンダハールを本拠地とします。*15)

勢力を拡大したターリバーンはアフガニスタンの最大勢力に成長し、1996年に首都カブールを制圧しました。*15)このとき、バーミアンにあった石仏を破壊したため、国際的な批判を浴びます。

アメリカ軍の侵攻

その中で2001年9月11日には、アメリカで同時多発テロが発生しました。ブッシュ政権はターリバーンがテロを実行した国際テロ組織アルカイダをかくまっているとして、アフガニスタンに侵攻しました。*16)

その後、2001年11月にアメリカ軍が首都カブールを制圧し、同月にカルザイ政権を成立させます。次のオバマ政権もアフガニスタン駐留のアメリカ軍を増員しました。

その結果、2011年に隣国のパキスタンに逃れていたアルカイダの指導者ビンラディンを殺害するなどの戦果を挙げたものの、イスラム原理主義勢力の壊滅には至りませんでした。*16)

ターリバーンの政権復帰

事態が大きく動いたのは、アメリカでトランプ政権が成立した際です。トランプ大統領はアフガニスタンのガニ政権の反対を押し切ってターリバーンと交渉し、2021年にアメリカ軍を撤退させることで合意。次のバイデン政権もこの方針を踏襲しました。そして、2021年9月にアメリカ軍が撤退すると決まります。

アメリカ軍の撤退が目前に迫ると、政府軍は急速に弱体化しました。そして、撤退目前の2021年8月15日、ガニ大統領が首都カブールを脱出し、政権が崩壊します。アメリカ軍は予定通り8月31日に撤退し、ターリバーンの復権が確実なものとなりました。

この混乱により、先ほど述べたように、多数の難民や国内避難民が発生しています。

アフガニスタン難民解決に向けた取り組み

1978年から45年ものあいだ、内戦が続いたアフガニスタンに対し、国や民間団体はどのように支援しているのでしょうか。

日本政府の支援

日本政府は、アフガニスタンに対し金銭面・物質面で支援を行ってきました。今回はその中でも2002年と2021年の支援について紹介します。アメリカ軍侵攻の翌年である2002年やガニ政権崩壊後の2021年10月に大規模な支援を行っています。

2002年の大規模支援策

2001年9月27日、国連は国際社会に対し、アフガニスタンの難民を支援するため総額5億8,400万ドルの支援を要請しました。これを受け、日本政府は最大1億2,000万ドルまでの支援を行うことを表明し、その一環としてUNHCRに約600万ドルを支援しました。他にもWFP(世界食糧計画)や赤十字国際委員会、ユニセフなどに総額3,685万ドルを拠出しました。*17)

物質面では10人用テント1,525張をUNHCRに提供しています。さらに、現地で活動するNGOやNPO、アフガニスタンの周辺国にも支援を行いました。*17)

2021年の緊急無償資金協力

2021年にガニ政権が崩壊すると、アフガニスタンで深刻な人道危機が発生しました。日本政府は周辺国であるパキスタン・イラン・タジキスタンへの支援として、UNHCRに810万ドルの緊急無償資金協力を申し出ました。*18)

支援内容は以下のとおりです。

  • シェルターキットの配布
  • 保護モニタリング
  • 精神保健・心理社会的支援
  • 医療センターの改修
  • 機材の提供
  • テントや緊急支援物資の調達・提供

*18)

民間団体による支援活動

NPOやNGOもアフガニスタン難民への支援を行っています。今回はペシャワール会とAAR JAPANの活動を紹介します。

ペシャワール会

ペシャワール会は1983年に医師の中村哲氏の活動を支援するために作られたNGO団体です。中村氏は医療活動にとどまらず、食糧不足を解消する活動も行っていました。加えて、干ばつ砂漠化した農地の回復や灌漑水利事業も展開していました。*19)

中村氏が灌漑を行った土地は16,500ヘクタールに及びます。彼が切り開いた用水路は65万人分の命を支えたとされますが、2019年12月に何者かによって殺害されます。*20)

2021年にターリバーンが政権を掌握した後も、ペシャワール会の活動は継続しています。しかし、資金不足などから思うように灌漑事業を進められていないのが現状です。*20)

AAR JAPAN

AAR JAPANはインドシナ難民の支援を目的として、日本で発足した難民支援団体です。特定の思想信条に偏らず、立場の弱い人を支援するとしています。65か国以上で活動している実績があります。(現在は16か国で活動。)*21)

AAR JAPANは国内避難民の対策に力を入れており、具体的には困窮世帯に食料品や必要物資の配布などを行っています。*22)

また、継続した活動としてアフガニスタンでの地雷除去事業を行っています。地雷回避の教育や地雷被害者を含む障害者の支援など幅広い活動を展開しています。*22)

アフガニスタン難民解決に向けて私たちにできること

今もなお、命の危機にさらされている多数の難民や国内避難民に対し、私たちができることは何でしょうか。最も確実なのは難民支援団体に寄付することです。

難民支援団体への寄付

ガニ政権の崩壊により、アフガニスタン経済は壊滅的な打撃をこうむりました。干ばつの長期化や食料価格の高騰、失業などにより2,500万人ものアフガニスタン人が苦境に立たされています。

UNHCR JAPANは600万人が食糧不足に陥り、100万人の子どもが深刻な栄養不良となるリスクを指摘しています。こうした状況を改善するため、国連は約44億ドルの支援を必要としていますが、確保できたのは半分以下の41%に過ぎません。*7)

こうした状況を改善するには、難民支援を行っている団体への資金援助が効果的です。現地で活動するNGO・NPO団体に寄付することで、状況を好転させることが可能です。

【関連記事】NPO法人テラ・ルネッサンス |カンボジアで地雷だらけの村を救った「家畜銀行」

アフガニスタン難民とSDGs

アフガニスタン難民の問題は「だれ一人取り残さない」というSDGsと密接にかかわる問題です。複数のSDGs目標と関連がありますが、とりわけ、平和や公正に関わる目標16との関連が深いといえます。

目標16「平和と公正をすべての人に」との関わり

SDGs目標16は、世界の平和と公正の実現をめざす目標です。紛争解決はもちろんのこと、暴力や差別の根絶や公正な法制度などについても解決するべきと考えています。

【SDGs目標16の概要】

アフガニスタンの紛争では、子どもたちも兵士として参戦を余儀なくされています。子どもであれば敵をだましにくく攻撃しにくいことや、大人よりも安く働かせられるといった利点があるからです。中には自爆テロの実行者として子ども兵を利用することさえあります。*24)

こうした状況を改善するには、国に平和をもたらし、子どもたちに安全な場所で教育を受けさせることが必要です。学校で生きていくために必要な知識を身につけることで、社会復帰できるようにするといったプログラムの実行が求められます。

まとめ

今回はアフガニスタン難民をテーマに、難民の現状や難民が生み出された歴史的背景、難民問題解決への取り組み、SDGsとのかかわりなどについて解説しました。

2022年にウクライナとロシアの戦争が起きたこともあり、アフガニスタンを含むアジアやアフリカ諸国の難民問題について、関心が薄らいでいるかもしれません。しかし、どの地域の話であれ、命の重さに差はないはずです。

ウクライナへの支援と同じく、アフガニスタンやアフリカ諸国の難民に対しても積極的な支援をしていくことで初めて、だれ一人取り残さない持続的な成長を達成できるのではないでしょうか。

参考
*1)外務省「アフガニスタン基礎データ
*2)KeyNoters「KeyNoters – アフガニスタン基本情報
*3)ロイター「焦点:アフガン巡る三つ巴戦略ゲーム、中国とパキスタンとインド
*4)UNHCR「難民データファインダー
*5)国連UNHCR協会「アフガニスタン
*6)OCHA「国内避難民
*7)UNHCR「アフガニスタンについて知ってほしい5つのこと
*8)日本赤十字社「【終了】2022年アフガニスタン地震救援|活動実績
*9)gooddoマガジン「アフガニスタンの難民申請、日本や世界の現状とは
*10)出入国在留管理庁「令和4年における難民認定者数等について
*11)出入国管理庁「令和 2年における難民認定者数等について
*12)NHK「アフガン避難民98人を難民認定 日本大使館スタッフら 年間最多
*13)難民支援協会「日本の難民認定はなぜ少ないか?-制度面の課題から
*14)デジタル大辞泉「緩衝国(かんしょうこく)とは? 意味や使い方 – コトバンク
*15)外務省「アフガニスタンの現状と問題
*16)NHK「アフガニスタン撤退 アメリカの失敗 NHK解説委員室
*17)外務省「日本のアフガニスタン難民・避難民支援
*18)UNHCR JAPAN「日本政府による緊急無償資金協力:「アフガニスタン及び周辺国の人道支援のための緊急無償資金協力」
*19)ペシャワール会「私たちについて|ペシャワール会/PMS
*20)NHK「65万人の命を救った日本人医師
*21)AAR JAPAN「AAR Japan[難民を助ける会]:日本生まれの国際NGO
*22)AAR JAPAN「【アフガニスタン支援】ご協力をお願いします。
*23)スペースシップアース「SDGs16「平和と公正をすべての人に」の現状と日本の取り組み事例、私たちにできること
*24)スペースシップアース「子ども兵士(子ども兵、少年兵)とは?世界の現状と撲滅のための取り組み・私たちにできること
*25)UNHCR「At A Glance -2012年vol.2 アフガン難民問題の戦略的解決
*26)立命館大学アジア・日本研究所「21世紀年表|アフガニスタン|エリアマップ|アジア・日本研究所|立命館大学

スペースシップアース「難民キャンプ問題とは?現状や支援の取り組み事例とSDGsの関係を紹介