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トルコと日本の関係は?過去の出来事を元にわかりやすく解説!

2024年のパリ五輪において、「無課金おじさん」こと、トルコ人のユスフ・ディケチさんが、Tシャツにユニフォームだけのシンプルな姿で登場し、銀メダルを獲得したことが話題となりました。

トルコは日本と古くからの友好国であり、100年以上にわたって交流を続けてきた歴史があります。ユスフさんの件以外でもさまざまな結びつきが存在していたのです。では、両国には、どのような関係があったのでしょうか。

今回は、日本とトルコの関係や交流の歴史にスポットを当て、両国の100年以上の関係を掘り下げます。また、両国友好のシンボルとなっている出来事についても取り上げますので、ぜひ、参考にしてください。

トルコと日本の関係は?

日本とトルコの現在の関係は、互いを「戦略的パートナー」と位置づける緊密な友好関係にあります。2024年に外交関係樹立100周年を迎えた両国は、政治・経済・文化など多岐にわたる分野で協力関係を深めています。

経済面では日本企業のトルコ進出が進み、経済連携協定(EPA)締結に向けた交渉も活発化しています。また、文化交流や観光促進も盛んで、両国間の人的往来も年々増加傾向にあります。*1)

この現在の関係の根底には、明治時代にまで遡る深い歴史的絆があります。その象徴的な出来事が1890年のエルトゥールル号事件です。その後1985年、イラン・イラク戦争の際には日本人をトルコ機が救出するという「返恩」の出来事もありました。

このように両国の関係は互いの危機に際して助け合った経験を基盤としており、「困ったときの友」としての信頼関係が築かれています。歴史を通じて培われた相互理解と尊重の精神が、現在の多面的かつ戦略的な協力関係を支えているのです。  

トルコは有数の親日国

トルコは世界有数の親日国として知られています。2012年に外務省が実施した世論調査では、トルコ人の83.2%が日本との関係を「友好関係にある」または「どちらかというと友好関係にある」と回答しました。この高い親日意識は両国の歴史的繋がりに根ざしています。*1)

1890年のエルトゥールル号事件での日本人による救助活動や、1985年のイラン・イラク戦争時に多数のトルコ人を救出した日本の支援など、互いに助け合った歴史が基盤となっています。

文化交流も盛んで、1998年5月にはアンカラに「土日基金文化センター」が開館。2013年5月には設立15周年式典に安倍首相夫妻が出席し、両国関係の深さを示しました。トルコからの訪日観光客は約4万人を記録し、年々増加傾向にあり、2国間の交流は今も続いています。

トルコと日本の歴史:初期の交流

日本とトルコの友好関係は、明治時代から続いています。ここでは、オスマン帝国との接触や、日本とトルコの友好の象徴となっているエルトゥールル号事件について解説します。

オスマン帝国との接触

日本とオスマン帝国(現在のトルコ)の関係は19世紀後半から始まり、徐々に深まっていきました。

※オスマン帝国(1299~1922)

オスマン帝国は1299年から1922年まで存続した、イスラム世界最大の帝国。アナトリアを起点に拡大し、バルカン半島、中東、北アフリカへと勢力を拡大した。17世紀以降は西欧諸国の台頭により徐々に衰退し、第一次世界大戦での敗北により解体された。*2)

1873年に岩倉使節団から別れた福地源一郎らが、イスタンブールを訪問したのが最初の公式接触となります。その後、1875年には上野景範駐英公使が国交樹立交渉を試み、1876年には外交官の中井弘と渡辺洪基がオスマン帝国外相と会談するなど、両国の接触は活発化していきました。

1878年には日本海軍の軍艦「清輝」がイスタンブールに入港し、井上良馨中佐がスルタン・アブデュルハミト2世に謁見します。さらに1887年には、小松宮彰仁親王夫妻がスルタンを訪問し、翌年には明治天皇からスルタンへ大勲位菊花大綬章が贈られるなど、両国間の友好関係は着実に発展していきました。

エルトゥールル号事件

ここでは、エルトゥールル号事件の概要と経緯について整理します。

エルトゥールル号事件とは

エルトゥールル号事件は、1890年9月16日夜に発生した海難事故です。オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で台風に遭遇し、岩礁に激突して沈没しました。乗員600名以上のうち500名以上が犠牲となりましたが、地元住民の懸命な救助活動により69名が救出されました。

エルトゥールル号が日本に来た経緯

エルトゥールル号は、オスマン帝国が親善のために派遣した軍艦です。1887年に、小松宮夫妻がイスタンブールを訪問したことに対する返礼として派遣されたのです。エルトゥールル号は無事、日本に到着し、スルタン・アブデュルハミト2世の親書を明治天皇に渡し、その務めを果たしました。

使節団は、東京に3カ月滞在したのち、1890年の9月15日に帰国の途に就きます。日本政府は9月は台風シーズンであることから、艦船の修理を済ませてから出向するよう勧めましたが、帰国を急ぐ使節団は、修理をせずに出航してしまいます。

海難事故の発生と住民による乗員の救出

1890年9月16日、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号は横浜港を出港した翌日、和歌山県串本町大島樫野崎沖で台風に遭遇しました。猛烈な波と強風により操船能力を失った船は、古くから船乗りたちに恐れられていた船甲羅岩礁に激突してしまいました。

海水が船内に流入し機関の爆発を引き起こした結果、オスマン海軍少将を含む587名もの乗組員が命を落とし、生存者はわずか69名という大惨事となりました。

この悲劇的な海難事故に対し、大島の島民たちは献身的な救助活動を展開しました。彼らは不眠不休で生存者の救助と看護にあたり、また亡くなった方々の遺体捜索と引き上げ作業も行いました

この事故のニュースは日本全国に伝わり、多くの日本国民から義援金や支援物資が集まりました。

救助された69名の生存者はまず神戸で治療を受け、同年10月5日に日本海軍の軍艦「比叡」と「金剛」に乗せられて故国へ送り届けられました。翌1891年1月2日、彼らは無事イスタンブールに到着し、感謝の念に満ちたトルコ国民の歓迎を受けました。*3)

この出来事は日本とトルコの友好関係の礎となり、両国の絆を深める歴史的な出来事として今日まで語り継がれています。

トルコと日本の歴史:外交関係の樹立

エルトゥールル号の救助活動によって結ばれた日本とトルコの絆は、オスマン帝国が滅んだ後も続きました。

トルコ共和国の成立

トルコ共和国は、第一次世界大戦後にオスマン帝国が崩壊した後の1923年10月29日に誕生しました。

戦争に負けたオスマン帝国は、連合国からセーヴル条約という厳しい条件を押しつけられました。この条約は、領土を大きく失い、国としての自由も制限されるものでした。

この危機に立ち上がったのが、ムスタファ・ケマル(後にアタテュルクと呼ばれる)という指導者です。彼はアンカラに「トルコ大国民議会」を設立し、祖国を守るための戦いを始めました。特にギリシャ軍との戦いで勝利を収めたことはよく知られています。

1922年にはスルタン(皇帝)制度が廃止され、オスマン帝国は完全に終わりました。翌年にはローザンヌ条約を結んで、トルコの領土と独立を認めさせることに成功しました。そして共和制の新しい国が誕生し、ケマルが初代大統領になりました。*

新しいトルコは、首都をイスタンブルからアンカラに移し、宗教と政治を分離する世俗主義を進めました。こうしてトルコは新たな近代国家として歩み始めたのです。

トルコと日本の国交樹立

トルコ共和国が成立した後、日本は1924年8月6日にローザンヌ条約に批准し、日本とトルコは正式に国交を樹立しました。国交を結んだ翌年の1925年には、日本はトルコに大使館を開設し、同じ年に、東京にもトルコ大使館が開設され、本格的に外交関係が始まりました。

1930年、日本とトルコの間で初めての条約となる通商航海条約が結ばれ、両国間の貿易や船舶の行き来についての取り決めを定めるなど、結びつきは徐々に強まっていったのです。*5)

また、1926年には日本とトルコの相互理解や友好親善を目的とした「日土協会」が設立されるなど、民間での交流も活発化しました。

トルコと日本の歴史:現在の関係

トルコと日本は、現代でも強い結びつきをもっています。ここでは、両国の結びつきがはっきりと表れた3つの出来事を紹介します。

日本人救出作戦での協力

1985年3月17日、イラン・イラク戦争の激化に伴い、イラクのサダム・フセイン大統領が「48時間後にイラン上空の航空機を無差別攻撃する」と警告を発しました。テヘランに滞在していた多くの日本人は脱出を試みましたが、民間航空便は満席で避難できない状況に陥りました。

日本政府は安全確保の懸念から救援機派遣を見送る中、トルコ政府は即座に対応し、トルコ航空の特別機を派遣しました。*1)この救援機により、215名の日本人全員が攻撃開始のわずか1時間前にイランから無事脱出することができました。

この救援劇の背景には、1890年に和歌山県沖で起きたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事故があります。当時、地元の日本人が乗組員を献身的に救助した歴史的恩義に対する「恩返し」だったのです。駐日トルコ大使は「エルトゥールル号の借りを返しただけ」と語り、95年の時を超えた両国の絆の深さを世界に示しました。*3)

この出来事は、国家間の友情が世代を超えて継承される美しい実例として、日本とトルコの友好関係を象徴する重要な歴史的瞬間となっています。

東日本大震災でのトルコの援助

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、トルコは日本に対して迅速かつ手厚い支援を行いました。トルコ政府は発災直後に32名の救助・支援チームを派遣し、宮城県利府町にベースキャンプを設営して活動を展開しました。

このチームは主に七ヶ浜町などの被災地で約3週間(3月21日から4月8日まで)活動を続け、海外からの支援チームの中では最長期間の活動となりました。

さらに、トルコからは4月4日に成田空港へ支援物資を満載した貨物機が到着し、缶詰約6万個、水約18.5トン、毛布約5,000枚が宮城県や福島県の被災地に届けられました。*1)

トルコ地震での日本の援助

日本とトルコの絆は、災害時の支援を通じてより深まっていきました。2011年10月、トルコ東部ヴァン県でマグニチュード7.2の地震が発生した際には、日本政府がテント500張を緊急援助物資として提供し、仮設住宅支援のため1000万ドルの無償資金協力を行いました。

この援助活動中、11月9日の余震で日本のNGO職員2名が被災し、1名が亡くなるという悲しい出来事がありましたが、トルコ政府は彼らに対して心のこもった対応をしました。

また2023年2月には、トルコ南東部でマグニチュード7.8の大地震が発生した際、日本は救助チームや医療チームの派遣、自衛隊機による物資輸送、テントや毛布などの緊急援助物資の提供、さらに850万ドルの緊急無償資金協力を実施しました。

さらに日本は復興支援として、がれき処理や医療機材提供のための50億円の無償資金協力、復旧・復興支援の800億円の借款など、総合的な支援を表明しました。*1)

『海難 1890』の製作

映画『海難 1890』は、日本とトルコの深い友好関係を象徴する作品として2015年に製作されました。この映画は、1890年のエルトゥールル号遭難事故と1985年のテヘラン邦人救出劇という、両国の絆を象徴する2つの歴史的出来事を描いています。*6)

日本とトルコの友好125周年を記念して合作された本作は、時代と国境を越えた人々の真心と絆を描き出しています。映画の製作過程では、両国政府や地元自治体、民間企業など、幅広い支援の輪が広がりました。

『海難 1890』は単なる映画製作にとどまらず、日本とトルコの現在の友好関係を再確認し、さらに深める契機となりました。この作品は、両国の絆が過去の出来事に根ざしながらも、現代に至るまで脈々と受け継がれていることを如実に示しています。

SDGsとの関係

トルコは日本から8,000キロメートル以上離れた場所にある国です。一見、まったく共通点がないように思われますが、実は両国とも地震が発生しやすい国なのです。ここでは、両国の防災面の協力とSDGs目標11「住み続けられるまちづくり」との関わりを紹介します。

SDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」との関わり

日本とトルコの防災面での協力は、SDGs目標11「住み続けられるまちづくり」の達成に重要な役割を果たしています。両国は地震大国として共通の課題を抱えており、「日・トルコ防災協働対話」という枠組みを通じて官民一体となった協力関係を構築しています。*7)

特に研究機関同士の連携により、災害リスク軽減のための共同工学研究が進められており、その成果は2022年11月のデュズジェ市で発生した地震において顕著に表れました。1999年の同地域での地震と比較して被害が大幅に軽減されたことは、両国の協力が具体的な防災力向上につながったことの証明といってよいでしょう。*8)

このような協力関係は、レジリエントな都市づくりを目指すSDGs目標11の本質に合致するものであり、安全で持続可能な居住環境の確保に貢献しています。防災技術や知識の共有を通じて、両国は互いの経験から学び、より強靭な社会基盤の構築を進めているのです。


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まとめ

今回は、トルコと日本の関係について解説しました。両国の友好関係は、1890年のエルトゥールル号海難事故における日本人による救助活動に端を発します。この出来事はトルコの人々に深く感銘を与え、その後の1985年のイラン・イラク戦争時にトルコが日本人救出という形で「恩返し」を果たしたことは有名なエピソードです。

現在、日本とトルコは「戦略的パートナー」として、政治・経済・文化など多岐にわたる分野で協力関係を深めています。特に近年は、地震などの自然災害に対する防災分野での協力関係強化が目覚ましく、両国の絆はますます強固なものとなっています。

参考
*1)外務省「トルコ基礎データ
*2)山川 世界史小辞典 改定新版「オスマン帝国
*3)串本町「日本とトルコの絆をつないだ物語
*4)日本大百科全書「トルコ革命
*5)外務省「特別展示「日本とトルコ―国交樹立90年―」III トルコ共和国の成立と日土国交樹立概説と主な展示史料
*6)映画『海難 1890
*7)国土交通省「日本とトルコの防災分野における協力関係を一層強化! ~トルコ共和国イスタンブールにて防災セミナーを開催~
*8)JICA「トルコと日本の研究機関による災害リスク軽減のための共同工学研究を支援