旧ユーゴスラヴィアで起きていたボスニア紛争末期の1995年、セルビア人勢力がボスニア東部の街スレブレニツァを占領しました。このとき、セルビア人勢力は街にいた8,000人近くの男性や少年をことごとく殺戮します。
殺害した理由は「イスラム系の住民だから」でした。民族や文化、宗教の違いが理由で相手を意図的に抹殺する行為をジェノサイドといいます。なぜ、そのようなことが起きてしまうのでしょうか。
ジェノサイドは旧ユーゴスラヴィアだけで起きたわけではありません。カンボジア内戦やアフリカのルワンダの内戦でも対象となる人々を抹殺するような行為が行われていたのです。
本記事ではジェノサイドの定義や理由、過去に発生した3つのジェノサイド、ジェノサイドという言葉が生まれるきっかけとなったナチスドイツによるホロコースト、ジェノサイド条約の現状や日本の立場などについて解説します。
ジェノサイドとは
ジェノサイドとは、第二次世界大戦中の1944年にユダヤ系ポーランド人法学者ラファエル・レムキンによって生み出された合成語です。ギリシャ語で人種や種族を意味する「genos」と、ラテン語で殺戮を意味する「cide」を組み合わせて作られ、日本語では『集団殺害罪』と訳されます。*1)
中世以前の戦争において、勝者が敗者を皆殺しにする例は多数存在しました。チンギス・ハーンは、逆らった都市の住民を皆殺しにし、生き残った人々を奴隷で売り払いました。十字軍戦争では、異教徒であるという理由だけで相手を皆殺しにすることも起きています。
ただし、これらの殺戮・虐殺は特定の民族を計画的・意図的に消滅させるジェノサイドとは意味合いが違うものでした。次では、ジェノサイドの定義やジェノサイドが起きてしまう理由について解説します。
ジェノサイドの定義
ジェノサイドは大まかに言えば、特定の集団(国民・民族・人種・宗教など)の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為を指します。
1948年に締結されたジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約(以下、ジェノサイド条約)では、以下の行為がジェノサイドにあたると明記されました。
- 集団の構成員を殺害すること
- 集団の構成員に重大な身体的または精神的な危害を加えること
- 集団にその全部または一部の身体的破壊をもたらすよう意図した生活条件を故意に課すこと
- 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと
- 集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと
出典:東京大学*2)
ジェノサイドはなぜ起こるのか
ジェノサイドが起きる理由はさまざまあります。例えば、文化の違い、宗教の違い、経済的な背景など、多くの問題がジェノサイドの理由となり得ます。これらのことに共通して言えるのは、自分たちのテリトリーから他者を排除しようとする強い意志です。
カンボジアではポル=ポト率いるクメールルージュは、極端な農業主体の国づくりを目指し、政策の邪魔者とみなされた都市の知識人を殺戮しました。
ユーゴスラヴィア連邦の崩壊によって起きたいくつかの内戦の一つであるボスニア内戦では、セルビア人・クロアチア人・イスラム系のボシュニャク人を虐殺するスレブレニツァの虐殺を引き起こしました。
ルワンダでは、ツチ族とフツ族が周辺国を巻き込みながら、対立する相手を徹底的に殺害しあうという悲惨な状況となりました。
いずれの現場でも、民間人か否かを問わず殺害の対象となり、自分のテリトリーから相手を消し去ろうとしていた点で共通しています。
ジェノサイドの例を歴史を踏まえて紹介

これまで繰り返されたジェノサイドは、特定の民族を文字通り地上から消し去ろうと計画的に行動していました。たとえ偶然起きたトラブルがスタートであっても、「考えられた虐殺」だったのです。ここからは、過去に起きたカンボジア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、ルワンダの事例を取り上げます。
カンボジアのポル・ポト政権による大量虐殺
カンボジア内戦はベトナム戦争に巻き込まれる形で、1970年に始まりました。きっかけは親米派のロン=ノル将軍のクーデターです。1976年、左派のクメールルージュがロン=ノル政権を打倒して首都プノンペンに入りました。
このとき、政権を握ったのがクメールルージュの指導者であるポル=ポトです。中国の毛沢東の影響を強く受けていたポル=ポトは、極端な農業中心主義の政策を実行します。
この間、都市の知識人を中心に170万人もの人々が飢餓・拷問・処刑・強制労働などによって亡くなったとされています。*3)加えて、イスラム系民族のチャム族やヴェトナム系民族の大量虐殺も行われたとされています。
ポル=ポト政権下の虐殺をテーマとして作られた映画「キリング・フィールド」は日本でも公開され話題となりました。
カンボジア内戦終結後、ポル=ポト政権の元高官2人が裁判にかけられ、大量虐殺の罪で有罪の判決が下りました。*4)
ボスニア内戦の民族浄化
第二次世界大戦後、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人などが中心となってユーゴスラヴィア連邦が成立しました。しかし、連邦をまとめていたチトーが死去すると連邦は求心力を失い、急速に崩壊しました。
1991年、スロベニアとクロアチアが独立宣言したことでユーゴスラヴィア内戦が始まります。1992年3月には、ユーゴスラビア連邦の一国だったボスニア=ヘルツェゴビナ(以下、ボスニア)が独立宣言しました。しかし、ボスニアでは独立を支持するクロアチア人とイスラム系(ボシュニャク人)と反対するセルビア人の間で内戦となります。*5)
その後、クロアチア人とボシュニャク人の間でも戦闘が始まりました。こうしてセルビア人・クロアチア人・ボシュニャク人が三つ巴の争いを繰り広げたのです。*5)
この3勢力は信仰する宗教にも違いがありました。セルビア人はセルビア正教、クロアチア人はカトリック、ボシュニャク人はイスラム教を信仰していました。こうした違いがあったせいもあり、互いの対立はエスカレートしていきます。*5)
1995年7月、PKO部隊としてオランダ軍が守っていたスレブレニツァをセルビア人勢力が占領しました。セルビア人勢力はボシュニャク人の男性を隔離したうえで次々と虐殺します。合計8,000人のボシュニャク人の男性や少年が殺害されました。*6)
ルワンダの大量虐殺
ルワンダは、アフリカのほぼ中央部に位置する国で、ベルギーの旧植民地でした。ベルギーは自国の統治を有利に行うため、住民をフツ族とツチ族に明確に分け、両者の違いを際立たせました。そして、ツチ族を優遇して多数派のフツ族を支配するのに利用します。
植民地支配が終わっても、両者の対立感情は残りました。1961年、ルワンダでフツ族の政権が成立すると、少数派のツチ族に対する迫害が激しくなります。ツチ族側はルワンダ愛国戦線(RPF)を結成して政府軍と戦います。*7)
政府軍とRPFの戦いは内戦に発展し、1990年にルワンダ内戦が勃発します。内戦時、フツ族の過激派はツチ族を無差別に殺害したため、ツチ族は難民となり国境付近に逃げ延びました。*7)
そして1994年、形勢が逆転してRPFが政権をとると、今度は復讐を恐れたフツ族が難民となって逃げなければならなくなりました。*7)現在は、RPFの指導者であるカガメが長期政権を維持しています。
ジェノサイドとホロコーストとの違い

ジェノサイドという言葉を生み出したのはユダヤ系ポーランド人のレムキンです。彼がこの言葉を作ったのは、ナチスドイツがユダヤ人を大量虐殺する「ホロコースト」を引き起こしたからでした。ここでは、ジェノサイドとホロコーストの違いが分かるよう、ホロコーストについて解説します。
ホロコーストとは
ホロコーストとは、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺を指す言葉です。*8)ナチスのユダヤ人政策にはいくつかの段階があります。
1935年 | ニュルンベルク法 | ユダヤ人がドイツの市民権を失う |
1938年 | 水晶の夜 | 反ユダヤ主義暴動シナゴーグや住宅、ユダヤ人商店が襲撃され略奪される |
1941年 | 強制収容所の稼働 | ユダヤ人を強制収容所に送り込み、大量虐殺を実行 |
*9)
ナチスドイツは「ユダヤ人問題の最終解決」を計画しました。この計画の内容はユダヤ人を計画的に大量虐殺することです。大量虐殺の方法は大きく分けて2つあったと指摘されています。*9)
1つ目は占領地に居住していたユダヤ人を大量に射殺することです。大量虐殺は東欧の1,500以上の市町村で行われたとされます。ユダヤ人を一カ所に集めて射殺することもあれば、一酸化炭素を使って窒息死させることもあったといいます。虐殺を行う部隊は「アインザッツグルッペン」と呼ばれていました。*9)
2つ目は絶滅収容所に集めて殺害することです。1941年末、ナチスは占領したポーランドに絶滅収容所を建設し始めました。こうして作られたアウシュビッツなど5つの絶滅収容所はユダヤ人を大量虐殺するためのものでした。*9)
絶滅収容所では毒ガスなどを使ってユダヤ人を大量に殺害します。これらの収容所に送るため、ユダヤ人は貨物列車に載せられて移送されました。こうした絶滅収容所で殺害されたユダヤ人の数は270万人に及びました。*9)
強制収容所に送られなくても、ドイツ占領下のユダヤ人の状況は悲惨なものでした。都市や町の一部をユダヤ人居住区「ゲットー」に指定し、狭い地域にユダヤ人を押し込めたのです。そして、新たに占領した地域で次々とゲットーを設定していきます。*9)
閉じ込められたユダヤ人は強制労働に従事しますが、ごくわずかな食料しか与えられず、劣悪な環境であったため、次々と命を落としていきました。
劣悪な環境のゲットーでしたが、その一部は居住していた住民が虐殺され、区画全体が物理的に解体されてしまいました。*9)
このような背景から、ホロコーストのような悲惨なことを二度と繰り返さないため、ジェノサイド禁止条約が結ばれたといわれています。
ジェノサイド条約と世界・日本の状況

1948年12月9日、第3回国連総会で「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」が採択されました。この条約の通称をジェノサイド条約といいます。これは、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人殺害に対する批判として成立した条約でした。ここでは、ジェノサイド条約の加盟国数や世界・日本の状況についてまとめます。
ジェノサイド条約の加盟国
1948年にジェノサイド条約が採択されたとき、署名した国は20か国余でした。(条約は1951年1月に発効)*10)2022年の時点で条約を批准している国は、全世界の国の4分の3にあたる152か国に及びます。
国際刑事裁判所の設置
世界各地で発生している紛争が、ジェノサイドに該当するか判断するのは非常に困難です。例えば冷戦時代であれば、米ソが対立していたため、国際社会がジェノサイドとして認定し行動するのは容易なことではありませんでした。
その中で冷戦終結後の1998年、戦争犯罪や集団虐殺、人道に反した罪などを裁くための国際刑事裁判所の設置が決められました。EU諸国は積極的に賛同しましたが、アメリカは一度署名したものの、政権交代後に脱退しています。
国際刑事裁判所は2003年に発足したものの中国やロシアは加盟していません。しかし、ジェノサイドを裁く場が設けられたことは大きな前進と考えられます。
次は、日本に目を向けてみましょう。
日本はジェノサイド条約を批准していない
日本はジェノサイド条約に批准していません。その理由は、国内法が整備されていないからです。2022年には与野党の議員がジェノサイド条約の批准を政府に求めましたが、批准していない状態は変わっていません。*11)
しかし、先ほど述べた国際刑事裁判所の設置条約については批准しています。これにより、ジェノサイド条約の内容の多くの部分に賛同していると見なせます。
ジェノサイドを撲滅するために私たちにできること
ジェノサイドは相手の存在を認めず、徹底的に排除する非人道的な行為です。こうした行為は武力によって行われるため、武器を持っていない私たち一般人ができることは限られます。しかし、何もせずに手をこまねいていれば、集団虐殺を黙認してしまうことにつながります。ここでは、私たちにできる2つのことを紹介します。
支援団体への寄付
私たちにできることの一つは、ジェノサイドが発生した地域でコミュニティを再建するなどの活動を行う組織に寄付することです。具体的には、ジェノサイドによって生み出される大量の難民への支援が挙げられます。
たとえば、スレブレニツァ以外でも虐殺が多発した旧ユーゴスラヴィア紛争では300万人が故郷を追われ、70万人が国外に逃れました。*12)ひとたびジェノサイドが発生すると、国土は荒れ果て、住人の多くが命を落とし、多数の難民が発生してしまうのです。
こうした難民たちを支援するNGO、NPOなどに寄付することで住民の安定化を図り、復讐の連鎖を断ち切る手助けができるでしょう。
ボランティア活動への参加
難民支援を行う団体の活動にボランティアとして参加することも、私たちにできることの一つです。ジェノサイド後のルワンダなど現地で活動することや、資金集めのため日本国内で活動することもできます。
難民支援を行っている団体の公式サイトを見たうえで、それぞれの団体とコンタクトを取り、必要とされているボランティアを調べて参加することも可能です。
最後に、ジェノサイドとSDGsの関係について確認しましょう。
ジェノサイドとSDGs目標16「平和と公正をすべての人に」との関わり
ジェノサイドは戦闘員だけではなく、非戦闘員の命を無慈悲に奪うという意味で許されざる犯罪行為です。
ジェノサイドの中には子どもや乳幼児が犠牲になる事例も多数報告されています。ジェノサイドを非難し防ぐことは、全ての人々の持続的な発展を願うSDGsの理念にも合致します。
SDGs目標16は、持続可能な社会の実現には平和な社会が必要だという考えのもと、紛争や暴力で命が失われない世界の実現を目指しています。
ジェノサイドは相手に存在を許さず、徹底的に排除する考えのもとで実行される残虐な行為です。しかも、偶発的な紛争というよりは「計画的」に相手を滅ぼそうとしているため、非常に悪質です。
ジェノサイドという言葉が生まれるきっかけになったナチスドイツのホロコーストでは、「ユダヤ人問題の最終解決」の名のもとに、多くのユダヤ人が殺害されました。今回取り上げたカンボジアやボスニア、ルワンダでも数百万人単位の人が殺害されたり、故郷を追われたりしています。
2022年に始まったウクライナでの戦争では、北部のブチャで多くの民間人がロシア軍によって殺害されました。ロシア側はウクライナによるフェイクと主張していますが、多数の遺体が見つかっているのは動かしがたい事実です。*14)
加えて、ロシアの占領地では子どもたちが連れ去られているとの報道もあります。これも、ジェノサイド条約の要件に該当します。*15)
また、欧米メディアは中国が新疆ウイグル自治区でイスラム系少数民族のウイグル族にジェノサイドを実施していると報じています。ウイグル族が不当に拘束され、拷問や強制避妊、性暴力の被害に遭ったと報じているのです。*16)
中国政府は全面的に否定していますが、女性の出産を妨害しているのが事実だとすれば、戦闘行為はなくてもジェノサイドの要件に該当します。
こうした行為を防ぐためにも、日本はジェノサイド条約に批准し、こうした行為に加担しないことを明確に示すべきではないでしょうか。
まとめ
冷戦時代は米ソ両大国の対立もあって、せっかく結ばれたジェノサイド条約の効力が発揮しにくい状況が続いていました。冷戦後、国際刑事裁判所が設置され、少しずつではありますがジェノサイドを抑制する方法が見えてきました。
ところが、現実には世界各地で起きる紛争で相手をせん滅するまで戦っていたり、対象となる地域の文化を滅ぼすような行為が続いています。
こうした惨劇を繰り返さないため、国際社会が連携してジェノサイド防止に行動しなければなりません。そうすることで、SDGsが目指す「誰一人取り残さない」社会が実現できるのではないでしょうか。
参考
*1)ブリタニカ国際大百科事典「ジェノサイドとは?」
*2)東京大学「ジェノサイドの定義」
*3)ECCC「Introduction to the ECCC | Drupal」
*4)BBC「https://www.bbc.com/japanese/46231709」
*5)ブリタニカ国際大百科事典「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(ボスニア・ヘルツェゴビナふんそう)とは?」
*6)BBC「https://www.bbc.com/japanese/53378750」
*7)内閣府「ルワンダ – 国際平和協力本部事務局(PKO)」
*8)山川 世界史小辞典「ホロコーストとは?」
*9)ホロコースト博物館「ホロコーストとは」
*10)ホロコースト博物館「ジェノサイドの時系列」
*11)日本経済新聞「ジェノサイド条約批准を 与野党議連、政府に要望」
*12)国連難民高等弁務官事務所「破壊の先に希望は見えるか」
*13)スペースシップアース「SDGs16「平和と公正をすべての人に」の現状と日本の取り組み事例、私たちにできること」
*14)BBC「【検証】 ウクライナ・ブチャの住民虐殺 衛星画像がロシアの主張を否定」
*15)BBC「ウクライナの母親たち、連れ去られた我が子奪還のため敵地へ」
*16)BBC「中国のウイグル族弾圧を「ジェノサイド」と認定」