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華族とは?歴史や廃止された背景、現代社会との関係も

「身分制度は過去のもの」と思っていませんか?実は、つい80年ほど前まで、日本には「華族」と呼ばれるエリート階級が存在していました。彼らは皇族に次ぐ特権階級として、政治や経済に強い影響力を持っていたのです。

今では想像もつかないかもしれませんが、華族たちは特別な教育を受け、議会でも特別な地位が与えられ、さらには経済的な特権も持っていました。しかし、第二次世界大戦後の日本国憲法によって、この制度は完全に廃止されることになります。

この華族制度の歴史を振り返ることは、現代の平等や公平について考える上で重要な示唆を与えてくれます。実は、これは今日のSDGsが掲げる「不平等の是正」という目標にも深く関わる問題なのです。華族制度の廃止は、日本の民主化における重要な一歩だったと言えるでしょう。

本記事では、華族について詳しくまとめていきます。

華族とは

華族とは、明治時代に制定された新たな身分です。*1)華族の地位は天皇の一族である皇族の下ではあるものの、一般的な武士である士族よりは上とされました。

華族という名称は、もともと公家の格式の一つで、摂関家の一つ下にあたる上流貴族の呼び名でした。その後、1869年以降は上流貴族である公卿と大名を合わせた身分の呼び名となりました。*2)

貴族との違い

貴族は日本の歴史の中でもずっと昔、奈良時代から平安時代にかけての律令制度が始まった頃から存在していた身分です。藤原氏が最も有名な貴族として知られていますが、他の家系でも朝廷から五位以上の位を授かった人々は貴族として扱われていました。

一方で、華族は比較的新しい身分制度で、明治政府によって新たに作られました。つまり、華族は明治時代になってから誕生した近代的な制度だったということです。

このように、貴族が古代からの伝統的な身分制度であったのに対し、華族は明治時代に新しく定められた制度という大きな違いがあります。

華族のランク

日本の爵位※制度には、最上位から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵という5段階のランクがあり、これらをまとめて五爵と呼んでいます。

※爵位(しゃくい)

貴族のランクのこと

その中で最高位の公爵となったのは、大きく分けて三つのグループがありました。一つ目は藤原氏の本家筋を引く近衛家、鷹司家、九条家、一条家、二条家という五摂家です。

二つ目は徳川家や毛利家、島津家といった江戸時代の有力大名です。そして三つ目は、明治維新で重要な役割を果たした三条家や岩倉家、また初代内閣総理大臣として明治政府で活躍した伊藤博文のような功績のあった人物たちです。

1884〜87年にかけて華族となった人は合計で566名おり、そのうち483名が公卿や大名などでした。新たに任命された華族は83名で、その過半数は薩長の出身者でした*2)。

女性は爵位を与えられなかった

華族令では、公・侯・伯・子・男といった爵位は家長である男性にのみ与えられていました。そのため、女性が家の長であっても爵位をもらうことはできませんでした。しかし、家の長が男性に代われば、その家の代表として爵位を受けることができました。

1907年の法改正で、女性が家の長になることは認められなくなりましたが、爵位はなくても華族としての待遇は受けられました。つまり、女性は爵位を持つことはできませんでしたが、華族社会の一員として認められていたのです。

華族の地位や爵位は返上できた

華族になった人は、自分の意思で華族としての地位や爵位を手放すことができました。例を挙げると、自由民権運動の代表的な人物として知られる板垣退助は、明治維新での功績が認められて伯爵の爵位を受けていました。

しかし板垣本人は、爵位は一代限りで終わるべきだと考えており、華族制度そのものに反対の立場を取っていました。その考えを受け継いだ息子の鉾太郎は、板垣が亡くなった後、父から引き継ぐはずだった伯爵の地位を自ら辞退することを選んだのです。*11)

華族が生まれた背景

華族は明治時代になって生まれた新たな身分です。ここでは、明治になって華族が登場した背景を考えます。

公家と大名を統合した新たな身分を作ったから

1869年に行われた版籍奉還※で公家(公卿)や大名(諸侯)といった名称が廃止され、両者を合わせたものとして華族という新しい身分が生まれました。

※版籍奉還

1869年に、全国の藩主が土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還したこと。これにより、藩主は天皇が任命する知藩事となった。*3)

明治政府は朝廷に代々仕えてきた上級貴族である公家と、藩を支配していた1万石以上の大名(諸侯)を統合することで、公家と武家の上層部を統合したのです。明治政府は、華族に皇室の藩屏となることを期待していました。

王家や皇帝家(日本であれば天皇家)を守護するもの*4)

一般民衆よりも天皇家に近い存在であった華族は、いわば天皇家の守護者としての役割を期待されていました。特に明治初期は、江戸幕府崩壊後の混乱の中で新たな社会秩序を模索していた時代です。

天皇を中心とした国家体制を築き上げるためには、天皇の権威を守り、支える存在が不可欠であったと考えられます。華族は、「皇室の藩屏」として皇室を守る役割を担う存在として期待されていたと言えるでしょう。 

華族に与えられた特権について

華族にはさまざまな特権が与えられていました。ここでは、政治・教育・財産の3つの分野で華族に与えられた特権を整理します。

貴族院議員になれる

華族であれば、貴族院議員になることができました。貴族院議員になれたのは以下の人々です。

  • 成年に達した皇族
  • 30歳以上の公爵・侯爵
  • 30歳以上の伯爵・子爵・男爵の5分の1
  • 天皇が任命した人(勅選議員)
  • 多額納税者

大日本帝国憲法において、貴族院は衆議院と対等と定められていました。そのため、貴族院は日本の政治に大きな影響を及ぼすことができたのです。たとえば、衆議院を通過した地租軽減法案が、貴族院の審議未了や否決で不成立に終わったり、衆議院を通過した普通選挙法案が貴族院で否決されたりといったことが起こりました。

しかし、貴族院は絶対の力を持っていたわけではありません。1924年に成立した清浦圭吾内閣は貴族院を基盤とした内閣でしたが、世論や政党(政友会)の反対で倒されました。大きな力を持っていた貴族院ですが、絶対的な力ではなかったのです*5)。

学習院に入学できる

学習院は、1877年に東京で開校された学校で、明治天皇が名付け親となりました。主に皇族や華族の子どもたちの教育を目的としていましたが、士族や平民の子どもたちも入学することができました。宮内省が運営を担当し、初等科から高等科まで一貫した教育を提供していました。*6)

特筆すべきは、学習院の高等科を卒業すると、当時最高峰の高等教育機関である帝国大学への進学が可能だったことです。帝国大学は1886年から1947年まで存在した国立の総合大学で、現在の東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学が該当します。これらは「旧七帝大」と呼ばれ、日本の高等教育の中心的な役割を担っていました。*7)

このように、華族の子どもたちは学習院で質の高い教育を受け、さらに帝国大学への道も開かれていたのです。

財産が保護された

明治時代、かつての貴族であった華族たちの財産は、「華族世襲財産法」という法律によって特別な保護を受けていました。この法律では、土地や建物などの不動産や、国債などの公債証書が主な保護対象となっていました。*8)

この法律では、不動産や公債証書に加えて、庭園や宝物などを「世襲財産の付属物」として申請できるようになっていました。これにより、華族たちは、自分たちの財産だけでなく、歴史と伝統を象徴する貴重な財産も、将来の世代へと受け継いでいくことができたのです。

華族が廃止された理由

明治時代に定められた華族の制度は、大日本帝国憲法が続くまで存続しました。しかし、戦後に定められた日本国憲法で、華族制度の廃止が決定します。ここでは、華族制度の廃止理由について解説します。

日本国憲法第14条で貴族制度が廃止されたから

華族制度が廃止された直接の理由は、日本国憲法第14条2項で「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」*9)と定められたからです。

日本国憲法第14条の第1項は、「法の下の平等」として知られる条項です。第14条では「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定められています*9)。

華族制度は、社会的身分または門地(家柄)による差別に該当するため、日本国憲法では廃止対象となったのです。

華族に関してよくある疑問

ここでは、華族に関するよくある質問について答えます。

華族の末裔は今もお金持ちなのか

華族の末裔の現在の経済状況については、一概に裕福とは言えない実態があります。

江戸時代から明治時代にかけて、華族の中でも財産には大きな差がありました。大名として豊かな財産を持っていた家系は、華族となってからも経済的な余裕を保っていました。対して、中下級の公家や奈良華族と呼ばれる出家した家系は、決して裕福とは言えない生活を送っていました。

しかし現代においても、一部の旧華族は依然として社会的影響力を保持しています。例えば、近衛家の近衛忠輝氏は日本赤十字社の社長として活躍しました。また、薩摩藩の島津家は、現在も島津興業という企業を通じて、仙巌園や尚古集成館といった観光施設の運営や、伝統工芸品である薩摩切子の製造販売、さらにはゴルフクラブの経営など、多角的な事業を展開しています*11)。

このように、華族の末裔の現在の状況は家系によって様々であり、全体として見れば、必ずしも経済的優位性を保っているわけではないと言えます。

華族は苗字で判断できるのか

華族の身分を名字だけで判断することは基本的に困難です。その主な理由として、まず華族の名字自体が多様性を持っていることが挙げられます。公家出身の華族は、例えば近衛、二条、西園寺といった名字を持っていましたが、これらの名字の中には地名に由来するものも多く、必ずしも華族固有のものとは言えません。

また、明治維新以降の姓名制度の変革により、それまで限られた階層しか持てなかった名字が一般にも広く普及しました。このため、かつての武家や公家の名字であっても、現代では様々な背景を持つ人々が使用しています。

さらに、華族の中には明治時代に新たに叙爵された人々も含まれており、彼らの名字は必ずしも伝統的な華族の名字とは限りません。例えば、実業家から華族となった岩崎や三井などの例もあります。

華族であるかどうかを正確に判断するためには、単なる名字の確認ではなく、詳細な家系調査や歴史資料の検証が必要となります。明治期の華族名簿や叙爵記録などの公文書、系図などの史料を総合的に確認することが重要です。

このように、名字は華族を判断する一つの手がかりにはなりますが、それだけで確実な判断を下すことは困難であり、より全体的な調査が必要です。

芸能人にも華族の末裔はいる?

例えば、女優として活躍した久我美子は、五摂家の一つに数えられる名門・久我家出身です。元侯爵家の長女という輝かしい出自を持ちながらも、自らの意志で芸能界の門を叩きました。映画「また逢う日まで」でのガラス越しの接吻シーンは当時大きな話題となり、気品あふれるヒロイン像で人気を博しました。*12)

一方、世界的なアーティストとして知られるオノ・ヨーコは、元子爵・税所篤のひ孫にあたります。アヴァンギャルドな作風で知られる彼女の芸術活動は、幼少期から触れてきたであろう、日本の伝統文化とは異なる西洋文化の影響を強く感じさせるものでした。ビートルズのジョン・レノンとの結婚は世界を驚かせ、その後も音楽活動にとどまらず、平和運動や環境問題にも積極的に取り組み、その活動は現代にも大きな影響を与え続けています。

華族とSDGs

現在日本には存在しない華族ですが、SDGsの観点から見るとどのような存在なのでしょうか。ここでは、華族とSDGs目標10「人や国の不平等をなくそう」との関わりについて解説します。

SDGs目標10「人や国の不平等をなくそう」との関わり

かつて日本の社会構造の一部であった華族制度と、SDGs目標10「人や国の不平等をなくそう」の間には、重要な関連性があります。

SDGs目標10は、収入、性別、出身地などに関係なく、すべての人が平等な権利と機会を持つべきだとする目標です。これは、差別をなくし、すべての人が社会参加できるような環境を作ることを目指しています。

日本国憲法は、まさにこのSDGs目標10の精神と深く関わっています。憲法は、すべての人が法の下で平等であることを宣言し、出身家柄による差別を禁じています。これは、かつて身分制度の上位に位置していた華族制度を廃止した戦後の日本にとって、特に重要な意味を持ちます。

つまり、日本国憲法は、華族制度のような差別的な制度を否定することで、SDGs目標10が目指す平等で公正な社会の実現を支えていると言えるのです。すべての人が平等な機会を得られる社会を作ることは、日本の憲法の理念とSDGs目標10の共通の目標なのです。 

まとめ

今回は華族について解説しました。華族とは、明治時代に制定された新しい身分制度で、天皇家に仕えてきた公家と、各地を治めていた大名を統合して生まれました。華族は、皇族に次ぐ高い社会的地位を与えられ、政治への参加や教育、財産など様々な面で優遇されていました。

華族の爵位は全部で5段階あり、公爵を頂点に、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続き、それぞれ政治や経済に大きな影響力を持っていました。しかし、第二次世界大戦後の日本国憲法の制定により、身分制度は廃止され、華族という存在もなくなりました。

日本国憲法は、「法の下の平等」を理念に掲げ、出身家柄による差別を禁じています。これは、SDGs目標10「人や国の不平等をなくそう」の精神とも合致するものであり、すべての人が平等な機会を得られる社会を目指しています。

参考
*1)山川 日本史小辞典 改定新版「華族令
*2)改定新版 世界大百科事典「華族
*3)百科事典マイペディア「版籍奉還
*4)精選版 日本国語大辞典「藩屏
*5)改定新版 世界大百科事典「貴族院
*6)日本大百科全書(ニッポニカ)「学習院
*7)改定新版 世界大百科事典「帝国大学
*8)国立国会図書館 デジタルコレクション「華族要覧
*9)衆議院「日本国憲法
*10)旺文社日本史事典 三訂版「板垣退助
*11)島津興業「事業紹介
*12)デジタル版 日本人名大辞典+Plus「久我美子
*13)デジタル版 日本人名大辞典+Plus「オノヨーコ