
史上最悪の独裁者の一人として歴史に名を刻んだヒトラー。
彼の生涯とその足跡や影響は、今なお私たちの生きる世界に多くの課題や教訓を突きつけています。ヒトラーとは何者で、どんなことを行い、なぜそれが可能だったのか。彼の時代を繰り返しかねないような不穏な動きが世界中で広がる今、改めてヒトラーという人物について検証していきましょう。
目次
ヒトラーという人物
アドルフ・ヒトラーという人物について、彼の名を聞いたことがない人は少ないでしょう。
現在の私たちがすぐに思い出す、軍服にちょび髭の小柄な姿、ハーケンクロイツと呼ばれる逆卍の党章、一糸乱れぬ大行進、民衆の熱狂する姿などに象徴される強烈な印象を残した稀代のカリスマでもありました。
ヒトラーは1930年代から40年代半ばまでドイツでナチ党(ナチス)の指導者として独裁政権を率いた政治家であり、第二次世界大戦を引き起こすきっかけを作った人物です。
彼は並外れた演説の才能を持つ人物でもあり、その演説に魅了された支持者によって瞬く間に勢力を伸ばし、絶対的な権力を手に入れました。
ヒトラーの生い立ち
アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、税関職員の父アロイスと母クララの子としてオーストリア・ブラウナウに生まれます。多くの兄弟が病気で早逝する中、アドルフは唯一生き残った男子だったため母に溺愛されて過保護に育ち、学業成績もあまり良くなかったそうです。
画家を志したヒトラーは1907年、18歳でウィーンへ上京するも、芸術大学受験には2度失敗します。その後、
- 1913年:兵役を逃れてドイツ・ミュンヘンへ移住
- 1914年:オーストリアへ送還され兵役検査を受けるも虚弱で不適格
- 同年第一次世界大戦勃発に伴いバイエルン王国軍に志願し入隊
という経緯をたどります。なお、オーストリア国籍の彼がバイエルン軍に入隊を認められた理由は現在もわかっていません。
政治への道
第一次世界大戦で伝令兵として前線で働いたヒトラーは、戦後ミュンヘン大学で軍の短期講習を受けるよう命じられますが、ここで演説の才能を見出され講師に抜擢されます。
この頃から反ユダヤ主義を主張し始めたヒトラーは、複数の民族主義系団体の調査に従事した後、そのひとつであるドイツ労働者党へ入党。類まれな演説の才能で次第に多くの人を集めるようになったヒトラーは党内での地位と影響力を高め、早くも1921年には国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)と名を改めた党の党首=総統となります。
ミュンヘン一揆
1923年11月、ヒトラー率いるナチ党はフランスによるルール地方割譲を猛批判し、ミュンヘンで武力蜂起を試みます。しかし、このミュンヘン一揆は失敗に終わりヒトラーは逮捕、党も活動停止に追い込まれました。ヒトラーは裁判で禁錮5年の判決を受けるものの、模範囚として好意的な待遇を受け、翌年わずか9ヶ月で釈放されることになります。
ヒトラーが行ったこと
ヒトラーが行った所業については、歴史上でも政治上でも何度も取り上げられ、現在もその背景や意義が検証され続けています。ミュンヘン一揆後の再建からの道のりをたどりながら、彼の行ったことについて見ていきましょう。
強力な独裁政権の樹立
ヒトラーと言ってまず思い浮かぶのが、ナチ党による強力な一党独裁体制の樹立です。
ミュンヘン一揆の失敗後ヒトラーは、革命やクーデターなどの暴力的手段ではなく、議会制民主政治の制度を利用して政権を掌握することを目指しました。
ヒトラーが入党した頃のドイツ労働者党は、党員わずか190人ほどに過ぎず、ヒトラー逮捕後党も活動停止にされたことで、党員の数も激減します。
しかし活動再開後、党はヒトラーの演説やプロパガンダ(宣伝活動)の効果や第一次世界大戦後の社会情勢の不安などに便乗して瞬く間に支持を広げ、地方議会を足がかりに怒涛の勢いで躍進していきます。
その後国政政党となったナチ党は、
- 1932年7月:230議席を獲得し国会第一党に
- 1933年1月:ヒトラーが首相に就任
- 1933年2月:国会議事堂炎上事件により国民の基本的人権を制限する「議事堂炎上令」を公布
- 1933年3月:授権法(全権委任法)を成立させ強大な権力を掌握
と、選挙で合法的に勢力を拡大させる一方で強権的な手段を併用し、数の優勢と暴力をちらつかせて徐々に政敵を排除していきました。
1933年8月にヒンデンブルク大統領が死去し、大統領職も兼務することになったヒトラーは、ナチ党以外の政党の解体や政敵の粛清を行い、ついに自身とナチ党が絶対的な権力を持つ独裁体制を完成させたのです。
第二次世界大戦勃発の主要因
ヒトラーの行った大罪のひとつは、政権掌握後の隣国への領土拡大を強行し第二次世界大戦を引き起こしたことです。
ヒトラーは1933年に独裁体制を確立すると、速やかに再軍備と周辺国への進出を進めていきました。
- 1936年:ラインラント非武装地帯へ国防軍を侵入
- 同年:オーストリア併合
- 1939年3月:スロバキア、チェコを相次ぎ併合
同時にドイツはソ連と独ソ不可侵条約を結び、東方からの脅威を抑えて1939年9月1日にポーランドへ侵攻します。これに対抗したイギリス・フランスはドイツに宣戦を布告し、第二次世界大戦が始まりました。
ドイツは開戦当初、電撃戦と呼ばれる速攻で戦況を有利に進め、
- 1940年4月:デンマーク、ノルウェーに侵攻
- 同5月:ベネルクス3国侵入
- 同6月:フランス制圧
を成功させ、西ヨーロッパの大半を占領下に置きます。
やがてバルカン半島やフィンランドをめぐりソ連との関係が悪化したことで、1941年6月にはついにソ連への侵攻も開始します。12月にはアメリカにも宣戦を布告し、イタリア、日本を巻き込んで世界中を戦禍へと巻き込んでいったのです。
ユダヤ人の大迫害
ヒトラーが犯した最大の罪は、後にホロコーストと呼ばれることになる、ユダヤ人の迫害と大量虐殺です。
この時代、ヨーロッパではユダヤ人への偏見や差別が社会の至る所で見られていました。
若い頃に反ユダヤ・反社会主義に感化されたヒトラーは、政治家になって以降、人種論的反ユダヤ主義イデオロギーの主張を先鋭化させ、1933年の政権掌握後はドイツ社会からのユダヤ人排斥行為を一層激化させていきます。
最初の迫害は、主にユダヤ人をドイツ国外に追放することでした。1933年には、6月までに約25,000名のユダヤ人系の人々がドイツを去り、うち20,000人以上が国外に追放されています。
1935年には、ニュルンベルク法と呼ばれる、血統でのユダヤ人差別や婚姻の制限を合法化する法律が成立し、ユダヤ人への迫害はエスカレートしていきます。
ユダヤ人大量虐殺(=ホロコースト)の開始
1940年以降、ヨーロッパ外へのユダヤ人の追放が難しくなっていきます。このためドイツは、ユダヤ人の追放から大量殺戮へと方針を転換していきました。
そして1942年のヴァンゼー会議ではついに、
- 絶滅収容所への強制収容
- 奴隷的労働による過酷な搾取と「自然的減少」
- 労働不能なユダヤ人のガス室での殺害
などの非人道的な政策がユダヤ人問題の「最終解決」として採用され、ナチス・ドイツ占領下の国々では各地に強制収容所が作られていきます。中でも
- ヘウムノ
- ベウジェツ
- ソビブル
- トレブリンカ
- マイダネク
- アウシュビッツ
の6つの絶滅収容所では、特に大規模な強制労働や大量虐殺が行われ、夥しい数のユダヤ人のほか、共産主義者、障害者や反政府分子などとされた人々の命が奪われました。
ドイツが降伏しこれらの収容所が解放された時点で、全ヨーロッパの1,100万人のユダヤ人のうち、虐殺されたのは実に600万人にも上ります。
ヒトラーの最期
戦争開始当初は優勢だったドイツ軍は、戦争の長期化や東西両面への展開、物資不足などで次第に疲弊していき、不利な情勢になっていきました。
1942年に入ると連合軍による空爆が激化し、各地の前線でも次第にドイツ軍の旗色が悪くなっていきます。そして1943年には戦況がさらに悪化し、
- スターリングラードでの敗北
- 同盟国のイタリア・ムッソリーニ失脚
という2つの出来事はドイツ国内に大きな動揺を与えました。
しだいに激しさを増す連合軍の空襲に加え、東部戦線ではソ連の圧倒的な攻勢にさらされ、ドイツ軍は各地で撤退を余儀なくされます。1944年には、
- 6月:連合軍のノルマンディー上陸作戦
- 8月25日:パリ解放
- 12月:バルジの戦いでアルデンヌ侵攻失敗
などによって、いよいよドイツの敗戦は決定的になります。
1945年に入ると連合軍は相次いでドイツ領内を占領し、4月25日にはベルリンを包囲しました。この頃、ベルリンの総統地下壕にこもって指揮を執っていたヒトラーですが、ついにドイツと自らの最期が近いことを悟ります。4月29日には愛人のエヴァ・ブラウンと正式に結婚し、翌4月30日にヒトラーとエヴァは自害して果てました。エヴァは服毒自殺、ヒトラーは服毒した後に自らの頭を銃で打ち抜いたと言われています。
二人の遺体はガソリンをかけて燃やされ、爆弾でできた穴の中に隠されますが、侵攻してきたソ連軍によって発見され、人知れず回収されます。
1945年5月7日、ドイツは全面降伏。これにより第二次世界大戦のヨーロッパにおける戦いは、多くの犠牲を払い幕を閉じました。
ヒトラーが与えた影響
ヒトラーの出現と彼のさまざまな蛮行は、世界に大きな衝撃を与えました。
戦後の世界においては、彼の行ったことをどう受け止め、今後の社会にどのような教訓として活かすかが大きな課題のひとつとなりました。
ナチズムへの強い忌避感
ヒトラーを通じて戦後世界が得た教訓のひとつは、ナチズムのような政治体制やヒトラーのような政治家を二度と生み出してはならないということです。
そのために、西側の民主主義国家では、一党が独裁的に権力を取りにくい選挙制度を採用する国が増えました。
特にドイツでは、ワイマール体制が機能せずにナチ党を生んだ深い反省から、
- 小選挙区比例代表制を採用:複数政党による連立政権を組みやすい
- ドイツ基本法:自由で民主的な基本秩序を害する政党(極右政党)を違憲にする
などの政策を国是としています。
しかし現在、こうした長年にわたる政策も、極右政党AfD(ドイツのための選択肢)の躍進によって揺らぎつつあります。
人種主義への深い反省
ヒトラーが世界に突き付けた最大の教訓は、人種主義への深い反省とその否定です。
ナチ党がユダヤ人に対して行った所業は、単にドイツ一国だけの問題ではありません。
中世から近世の社会においてユダヤ人やジプシーなどを差別・排斥し、植民地主義によって多くの現地人・有色人種を迫害・抑圧してきたヨーロッパ諸国も、第二次世界大戦後には自分たちの政策や行動を改めざるを得なくなりました。
その結果、戦後多くの植民地が独立を果たし、ユダヤ人は長い間苦難や迫害を強いられた代償として、イスラエル国家の建国が認められました。
しかし、そのことがさらなる暴力の連鎖を生み続け、現在イスラエルは、かつて自分たちが受けた殺戮行為をパレスチナの市民に対して行っています。
選挙戦略としてのプロパガンダ
一方、ヒトラーとナチ党が作り出したもので現在でもその功罪を問われるものに、プロパガンダ戦略があります。
ナチ党のプロパガンダ戦略は、国家宣伝担当大臣ゲッペルスにより確立されました。
その方法論とは、
- ラジオを普及させヒトラーの演説番組を聴くよう仕向ける
- 映画をプロパガンダに利用
- ヒトラーの演説を吹き込んだレコードを各家庭に配給
など、それまでの常識を覆す当時としては画期的なものでした。
さらにゲッペルスは党とヒトラーのイメージ戦略にもこだわり、
- ヒトラーの大きなジェスチャー
- ナチ党突撃隊(SA)の一糸乱れぬ振舞いや行進
- 行進曲や鉤十字旗、神秘的な松明行進、国歌や党歌の大合唱による党大会
などの演出によって、秩序と規律、行動と美徳・忠誠心、権力と強さを具現化し、国民に「民族共同体」という幻想を植え付けることに成功しました。
こうしたメディアを使ってイメージに訴えかけるゲッペルスの手法は現在の選挙戦略の手本となり、それを特にフル活用しているのが現在のアメリカ大統領選挙です。
ヒトラーと日本の関わり
ヒトラーは当時の日本とも無縁ではありません。
第二次世界大戦に際して日本はイタリア、そしてナチス・ドイツと日独伊三国同盟を締結し、西欧・アメリカ・ソ連の連合軍と戦うことになります。
ヒトラーが日本と同盟を結んだのは、ソ連との争いを見越して東の側から牽制させるためであり、その背景には日露戦争で勝利した日本の戦力を利用するという目論見がありました。
なぜ民衆はヒトラーに権力を与えたのか
現在でも議論されるのが、なぜ人々はヒトラーに権力を与えてしまったのか、という問題です。それはヒトラーとナチ党の戦争犯罪の責任を、当時の指導者や政治家たちだけにあるのか、それとも彼らを熱狂的に支持してしまった国民のせいなのか、あるいは当時の世界情勢に翻弄された人類全体の罪なのかという問いを投げかけるものでもあり、容易に答えを出しにくい問題でもあります。
理由①ヴェルサイユ体制とグローバリズムへの反発
ヒトラー躍進の要因として大きかったのが、第一次世界大戦後ドイツを苦しめたヴェルサイユ体制とグローバリズムへの反発です。
1919年のパリ講和会議で締結されたヴェルサイユ条約は、
- 莫大な賠償金の支払い
- 領土・植民地の割譲
- 軍備の制限
など、ドイツに対して厳しい制裁を課すものでした。このため、ドイツ国民の間では強い被害者意識と不満が増大し、ドイツの名誉回復と復権、ヴェルサイユ体制の修正を望む声が高まっていきます。
またこの時期、自由貿易とグローバルスタンダードに基づく経済システムを作りつつあったイギリスやアメリカに対し、金融システムが脆弱なドイツは賠償金支払いと国際金本位制の結びつきにより財政的自由を奪われていました。
こうしたヴェルサイユ体制とグローバリズムへの反発が高まる中、それらの打倒を声高に叫び登場したヒトラーが注目を集めるようになっていきます。
理由②景気回復と雇用の安定化
国民が政府に期待するのは何よりも経済や雇用の安定です。大衆がヒトラーとナチ党を支持するようになった背景には、ナチ党政権掌握後の景気回復も無視できません。
1929年に発生した世界恐慌は、天文学的なインフレと賠償金支払いの負担も相まってドイツ経済に壊滅的な打撃を与え、最大で800万人の失業者を出すまでに至ります。
こうした状況で政権をとったヒトラーとナチ党は「ラインハルト計画」と呼ばれる失業対策を打ち出し、公共事業を中心とした雇用創出に乗り出し、1934年には失業者を約160万人にまで減少させました。
政府もこうした成果を強調していくことで、ドイツ国民はさらにナチ党に傾倒していくことになるのです。
理由③政治家の右傾化と反議会主義化
ヒトラーに力を与えた要因として、当時の政治家たちも責任を逃れることはできません。
当時のドイツ政府では、極端な民族主義や共産主義への反発を志向する伝統的保守派の政治家や、官僚・軍指導部など旧帝国を支持する勢力が中心となっていました。
そのため、政治的立場でナチ党に共鳴していた政党も多く、国会議員でありながら議会主義を軽視、あるいは廃止をも目論む勢力が少なくありませんでした。
大統領緊急令の濫用
ワイマール憲法48条で定めていた、大統領緊急令と呼ばれる緊急事態条項の存在もまた議会政治を弱体化させました。これは
- 州が憲法・法律上の義務を履行しなければ大統領が武力行使できる
- 公共の安全や秩序を損なう、またはその恐れがあるときは大統領は武力行使を含む必要な措置を講じることができる
というものであり、目的のためであれば人身の自由や住居不可侵、郵便・電信電話の秘密、表現・集会・結社の 自由、所有権の保障などの基本権の一時的な停止が認められました。
ワイマール議会では、極右・極左による武装蜂起鎮圧や社会の再建に向けた課題への対処のために、大統領はこの緊急令を何度も利用しました。
特に議会政治を軽視したヒンデンブルク大統領は、自らの政権維持のために大統領緊急令を目的外に使うことが増えていきます。
こうした緊急事態条項のなし崩し的な濫用によって議会は完全に形骸化され、最終的にナチ党に授権法(全権委任法)という絶対的な権力を与えてしまうきっかけになりました。
理由④利用された国民感情
民衆がヒトラーを支持した大きな要因には、ゲッペルスの巧妙なプロパガンダに煽動されてしまった当時のドイツの国民感情を見逃すことはできません。
第一次世界大戦の敗戦と経済的苦境はドイツの国民の自尊心を著しく損ないました。
社会の至る所で分断が生まれて不安や不満を生み出し、東方からの難民やユダヤ人の増加で警戒心や怒りが増幅されていきます。
人間は戦争や貧困、孤独など、生存への不安や不確実性が増すと、自尊心や承認欲求を満たしてくれる存在として国家や伝統、秩序を求め、異文化や異なる価値観を拒絶する心理が働きます。
そんな傷ついた国民感情にうまくつけ入ったのがナチ党のプロパガンダ戦略でした。前述のような方法でゲッペルスが展開していったプロパガンダは、
- 可能な限りわかりやすさを追求
- 大衆の理性にではなく感情に訴える
- 同じ内容の話を繰り返し反復する
- 明確な「敵」を設定する
という、現代のネット社会やSNSにも通じる方法で絶大な効果を発揮し、怒りと高揚感、自尊心を植え付けながら、国民の心に侵食していきました。
ナチ党はこうした大衆の性質を熟知した作戦を執拗に展開することで、国民に民族共同体という幻想を植え付け、絶対的な支持を獲得していったのです。
ヒトラーとSDGs
SDGs(持続可能な開発目標)を目指す世界にとっては、ヒトラーのような人物の存在やその政治体制、彼が行ったことは二度と繰り返してはならないものです。
中でも、世界中を巻き込んだ第二次世界大戦の誘発や、ユダヤ人への大量虐殺を伴う迫害について考え、検証していくことは、
- 目標10「人や国の不平等をなくそう」
- 目標16「平和と公正をすべての人に」
の理念がいかに大事かを、改めて問いかけることにもなるでしょう。
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ
20世紀最大の犯罪者の一人であるヒトラーは、時代が生み出した怪物であると同時に、複雑な利害が絡む世界のあり方や人間の醜い本性を暴き出す鏡のような存在でもありました。
グローバリズムへの反発、民主主義への不信感、社会の右傾化、緊急事態条項など強権的な政治への傾倒、デマに流されやすい大衆など、2025年の現在の世界はヒトラーとナチ党が台頭した第一次世界大戦後に驚くほど酷似しています。
そのドイツで排外主義を唱える極右政党が躍進し、ナチ党の再来が懸念される現在。世界が再び同じ悲劇を繰り返してしまうのか否か、正に今が正念場と言えるでしょう。
参考文献・資料
ヒトラー -虚像の独裁者-:芝健介/著,岩波書店,2021年
ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか-民主主義が死ぬ日:ベンジャミン・カーター・ヘット著/寺西のぶ子訳,亜紀書房,2020年
政治言語論 国家社会主義ドイツ労働者党1925-1934 (1) 金杉 高雄 太成学院大学紀要 論文 第19巻(通号36号)pp.31-40
ヒトラー前夜のドイツ : なぜ民主政は独裁へ転じたのか?石田 勇治 GR-同志社大学グローバル地域文化学会紀要 21-22 407-432, 2024-03-25
ヴェルサイユ体制|世界史の窓
阿部 正昭,ヒトラー政府初期の雇用創出計画(失業対策)について : 経済志林 69巻4号, p323-351,法政大学経済学部学会
今なぜ「リベラルの言葉」は響かないのか?高市早苗氏が「愛国の女神」として支持を集める深い訳|東洋経済オンライン
この記事を書いた人
shishido ライター
自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。
自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。



