無形文化遺産は、私たちの暮らしに密接に結びついたものばかりです。しかし、少子高齢化社会やコロナ・パンデミックなどにより、継承の危機にさらされていることも事実です。
日本や世界にはユネスコ無形文化遺産として登録されたものがたくさんあります。一覧表にしましたので、ご覧いただきながら、無形文化遺産とはどのようなものか、その保護継承はどうすれば、などについて考えていただければ幸いです。
無形文化遺産とは
<フラメンコ>
まずは無形文化遺産とはどのようなものなのか、定義を確認していきましょう。
無形文化遺産の定義
無形文化遺産の定義は、「無形文化遺産の保護に関する条約」、通称「無形文化遺産条約」に次のように定義されています。
「無形文化遺産」とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう。
具体的にどんな分野のものを示すのかというと、
・口承による伝統及び表現(無形文化遺産の伝承手段としての言語を含む。) ・芸能 ・社会的慣習、儀式及び祭礼行事 ・自然及び万物に関する知識慣習 ・伝統工芸技術 |
の5つにまとめられています。
出典・引用:無形文化遺産の保護に関する条約(ユネスコ)
登録されるには
登録のための選定は、無形文化遺産条約を批准した国の中から選ばれる政府間委員によって、各国から提案されたものを審議して行われます。委員は各国のユネスコ大使や書記官などで構成されています。
政府間委員会は、各分野の専門家などの補助委員に現地調査や事前調査を依頼し、そこから勧告されたものを審議し、評価します。
そして最終的に、<登録><情報照会><不登録>の三段階評価が下されます。

登録の基準
政府間委員会による審査は、下のような評価基準で行われます。
- 無形文化遺産に示された分野に当てはまること
- 文化の多様性を反映し、人類の創造性を証明することに貢献すること
- 保護措置が図られていること
- 関係者の幅広い参加と同意を得ていること
- 提案国の無形文化遺産の目録に含まれていること
まず厳正な国内審査を経て、自国で無形文化遺産としての評価を受けていることが、対象になるには必要ということです。
無形文化遺産と世界遺産の違い

世界遺産も無形文化遺産も、過去から引き継がれ未来へ引き継いでいくべき人類の「宝物」です。大きな違いは、世界遺産は有形のものを対象していますが、無形文化遺産は無形のものが対象であるという点です。
世界遺産の分野は、➀文化遺産②自然遺産③複合遺産の3種類です。
例えばフランスの場合、モンサンミッシェルは世界遺産として、フランス料理は無形文化遺産として登録されています。
それぞれ根拠とする条約も異なり、
- 無形文化遺産:「無形文化遺産の保護に関する条約」(無形文化遺産条約)
- 世界遺産:「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)
となっています。
また、世界遺産条約が1972年に採択されたのに対し、無形文化遺産条約は2003年に採択されています。これは、有形なものを対象とする「世界遺産条約」では無形文化遺産を保護することが難しく、新たな枠組みが必要とされていった経緯を表しています。
無形の伝統文化は、一度失われると二度と取り戻すことができません。また、地域に根差すものが多く多様です。無形文化遺産という「新たな枠組み」は失われやすい多様な文化の消滅を防ぐために設定されたのです。
同じ・似ている点は?
どちらもユネスコの活動の一環で、条約の目的も「保護と継承」とする点は同じです。
また、詳細については違っていても、登録までの流れや、国内で適切な評価を受けていることが選定基準になる点は概ね同じです。
気を付けなければいけないのは、「世界無形文化遺産」のような表現がよく見られることです。このような表現は両者を混同する原因となってしまうので、改めて「無形文化遺産」「世界遺産」という名称を確認しましょう。
日本における無形文化遺産の一覧
現在日本には、能や歌舞伎を始め無形文化遺産として認定されているものが23件あります。分野や年代ごとに整理していきますのでご覧ください。(2024年12月現在)
2008~2011年登録


2012~2024年登録
2012年からは、1件ずつ登録されています。

すべての画像出典:無形文化遺産 文化遺産オンライン
提案中:書道

現在、日本から提案中の無形文化遺産候補は「書道」です。「伝統的な技法の下に定書きする文字表現の行為」が対象です。
今後は、
- 2026(令和8)年10月ごろ:評価機関による勧告
- 同年11月ごろ:政府間委員会において審議・決定
される予定です。
出典・参考:我が国の無形文化遺産代表一覧表記載案件(外務省),ユネスコ無形文化遺産について
世界における無形文化遺産
2024年現在150か国・地域の788件が無形文化遺産としてリストに登録されています。世界の無形文化遺産の代表的なものもご紹介しましょう。
まずは食文化から日本でも「フレンチ」と言われ親しまれているフランス料理から紹介します。
例➀食文化:フランス料理
フランス料理は、2010年に無形文化遺産に登録されています。
素材の質の高さ、レシピの豊富さ、ワインとの組み合わせ、フルコースの所作などが、食を楽しむ継承すべき習慣として評価されたのです。
フランスでは、保護・継承するために学校での食育、料理を組み入れたワインツーリズムの企画などを行っています。
例②行事・祭り:タンボラーダ(スペイン)
フラメンコで有名なスペインですが、音楽と密接に結びつく文化遺産がほかにもあります。
スペインのタンボラーダは「太鼓祭り」として知られています。特にテルエル地方のものは17世紀から始まったとされ、歴史と伝統が詰まった街の祭りとして今日まで引き継がれています。
太鼓の演奏方法や政策技術などが、地域に密着した形で引き継がれています。
例③音楽・演劇:京劇(中国)
京劇は、衣装・化粧などの外観と独特の所作で有名です。17~18世紀にかけて完成されたと言われています。文化大革命の影響もあり、一時期衰退しかけましたが、現在は中国の「国劇」とも言われる伝統演劇となり、2010年に無形文化遺産として登録されました。
日本の歌舞伎との共通点もあり、近年はコラボレーション的な演目も上演されるようになりました。
世界の無形文化遺産の一覧はユネスコのホームページCulture | UNESCOでみることができます。
無形文化遺産を保護するために
<ベトナムサム山のバ・チュア・ショ女神祭の供物>
「無形文化遺産」を定義している「無形文化遺産の保護に関する条約」は「保護」についても定義しています。
第二条3「保護」とは、無形文化遺産の存続を確保するための措置(認定、記録の作成、研究、保存、保護、促進、拡充、伝承〈特に正規の又は正規でない教育を通じたもの〉及び無形文化遺産の種々の側面の活性化を含む。)をいう。
そして「締約国の役割」として次の2つのことを行うよう示しています。
- 自国の領域内に存在する無形文化遺産の保護を確保するために必要な措置をとること。
- 第二条3に規定する措置のうち、自国内に存在する種々の無形文化遺産の認定を、社会、集団及び関連のある民間団体の参加を得て、行うこと。
Aに示されている「必要な措置」とは、
- 一般的な政策
- 関連機関の指定・設定
- 研究・調査
- の促進
- 無形文化遺産の実演や表現、アクセスの促進を図るための法上、技術上、行政上、財政上の措置をとること
などを指しています。
さらに第14条では<教育、意識向上、能力育成>、第15条では<社会、集団及び個人の参加>を積極的に促進するよう記されています。
「無形」の文化を保存し伝承するには、人の力が不可欠です。少子高齢化社会の中で、舞踊の踊り手、祭りの企画運営者などの担い手不足が顕著です。それだけに教育や参加促進のための措置が大事になってくるのです。
教育・参加促進の実際
<無形文化遺産を継承するコミュニティのための記録政策活動:2013年;山形県鶴岡市>
無形文化遺産の保護には、修理や修復などの「有形」な物の保存活動よりも、継承の担い手の育成が重要です。そのため教育や参加促進のための研究が大切になってきます。
またユネスコは、自国の無形文化遺産の保存だけでなく、さらに国際的な協力も呼びかけています。そのため基金を設けたり、関連国間の交流・協働を企画したりしています。
アジアでは、2011年にIRCI( International Rsearch Center for Intagible Cultual Heritage in Asia-Pacific Reagion :アジア太平洋無形文化遺産研究センター)が、ユネスコのプログラムを実行する機関として誕生しました。無形文化遺産の保護に向けた研究活動、データの蓄積・報告などを行っています。
日本も基金の分担金や任意拠出金を担うばかりではありません。日本が得意とする技術・知識を提供する形でユネスコのプロジェクトに参加しています。
プロジェクト事例➀:東ティモールとの交流
2014年には東ティモールの関係者と交流するプロジェクトが実施されました。
東ティモールは、これから無形文化遺産の特定や博物館等のインフラの整備を勧めるにあたり、IRCIに研修の機会を要請していました。それに日本が応えた形で、視察が実現したものです。
結城紬やなまはげを視察し、活発な議論も行われました。
プロジェクト事例②:コロナと無形文化遺産の関連を調査
コロナ禍では、多くの祭りや民芸が活動休止に追い込まれました。
IRCIは、3年間にわたり調査を行い、パンデミック中の無形文化遺産の実践に生じた変化や問題点を記録し、2023年には刊行物にまとめました。
各地域の実践には将来のパンデミックに備えるための知見が見られ、調査・研究の成果が集約されています。
調査結果の詳細はこちらを参照
日本は、調査に協力するだけでなく刊行物の出版にも携わりました。
参考:ICH Resilience amid COVID-19 Pandemic|パンフレット|satodesign(株式会社サトウデザイン),無形文化遺産の保護|外務省
無形文化遺産とSDGs
最後に重要文化財の保護とSDGsの関係をみていきましょう。
SDGs目標17のうち関わりが深いのは、
- SDGs目標4「質の高い教育をみんなに」
- SDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」
- SDGs目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」
の3つです。
SDGs目標4「質の高い教育をみんなに」との関わり
無形文化遺産の保護・継承は、「無形」であるがためにその担い手の育成が重要です。
日本各地の祭り、舞踏、技術などは、保存会のような団体によって運営されています。多くの保存会のメンバーが「若者の担い手不足」を挙げています。
IRCIが展開しているような研究とその成果を共有する活動は、この目標の達成に大きく貢献していると言えます。
SDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」との関わり
無形文化遺産は、各地域の風土や住民の願いを凝縮して形になったものです。それらに関与することは、居住する地域への理解を深め、人とのつながりを生み、「住み続けられるまちづくり」に繋がっていきます。
SDGs目標17「パートナーシップで目標達成を達成しよう」との関わり
無形文化遺産の姿自体は、各地域に根差すものだけに多様です。しかし、調査や研究の成果は大いに共有するに値します。特に実態調査の方法や担い手の育成のノウハウは、無形文化遺産を継承する上でどの地域にも必要です。
文化遺産をグローバルな体制で保護・継承する姿は、SDGsの理念である「持続可能」を目指す姿です。
参考:持続可能な開発目標(SDGs) | アジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ
無形文化遺産について、その定義や世界遺産との違い、保護のあり方を解説してきました。ユネスコに登録された日本の無形文化遺産もご紹介しました。
「無形」なだけに、その保護や継承に人の力や関わりが大切なことをご理解いただけたのではないでしょうか。
「日本における無形文化遺産の一覧」をご覧になって興味を持ち、「見てみたい」「見に行こう」といった行動になれば、それが保護活動へのスタートです。世界遺産を訪ねる旅を楽しむ方がいるように、無形文化遺産にふれ、楽しみ、さらに保護や継承に関わってくださる方が増えることを願っています。
<参考資料・文献>
「和食」のユネスコ無形文化遺産登録5周年!(農林水産省)
ユネスコ無形文化遺産に指定されている祭りや伝統を巡る旅(スペイン公式観光サイト)
無形文化遺産の保護に関する条約(ユネスコ)
ユネスコ無形文化遺産について(文部科学省)
世界遺産データベース
フランス料理はユネスコの無形文化遺産(フランス公式観光サイト)
スペインの無形文化遺産タンボラーダ | spain.info
無形文化遺産・京劇について考える — pekinshuho
ようこそ!能楽の世界へ | 公益社団法人 能楽協会
無形文化遺産 文化遺産オンライン
無形文化遺産(文化庁)
令和5年度におけるユネスコ無形文化遺産への提案を決定(文化庁)
我が国の無形文化遺産代表一覧表記載案件(外務省)
Festival of Bà Chúa Xứ Goddess at Sam Mountain – intangible heritage – Culture Sector – UNESCO
ドキュメンテーション | 独立行政法人 国立文化財機構 アジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)
東ティモール行政官が日本の無形文化遺産の事例を視察 | 新着情報
ICH Resilience amid COVID-19 Pandemic
ICH Resilience amid COVID-19 Pandemic|パンフレット|satodesign(株式会社サトウデザイン)
無形文化遺産の保護|外務省
持続可能な開発目標(SDGs) | 独立行政法人 国立文化財機構 アジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)
無形文化遺産の保護に関する条約の概要(文化庁)
VI. 文化財保護の望ましいあり方と実現方策(調査総括)(国土交通省)
文化財の総合的な保護を行うための施策について
世界遺産とは – 公益社団法人日本ユネスコ協会連盟
コトバンク
SDGs:蟹江憲史(中公新書)