
日本と中国は古くから交流を重ねて影響を受け合い、文化を発展させてきました。そんな両国の関係は長い年月の間、さまざまな出来事や情勢の変化に左右されながら現在に至っています。
何かとネガティブな受け止め方をされることの多い昨今、日本と中国は現在どのような関係で、そこにはどのような経緯や背景があるのでしょうか。
目次
国際社会における中国の立ち位置

現在の中国は、あらゆる面で世界に大きな影響を及ぼす大国です。日本との関係についてお話しする前に、中国の現状を整理してみましょう。現在の中国の国際社会での具体的な立ち位置は
- 世界第2位の経済大国:「デジタル、AI、グリーン経済」という戦略的新興産業を軸に、現在も毎年5%前後の経済成長
- 中国共産党による一党独裁体制:民主主義・法の支配・普遍的人権の尊重という考えと対立
- 独自の国際秩序構築の動き:一帯一路構想やグローバルサウスなどへの影響力拡大
となっており、特にアメリカ・欧州ら西側諸国から強い警戒感を持たれています。
日本と中国の関係の歴史

そんな世界的大国である中国は海を挟んで日本と隣り合っており、両国は古くから深い関係を築いてきました。
古代
日本と中国の外交の始まりは古代中国の「後漢」の時代に遡ります。紀元57年の『後漢書』東夷伝で倭奴国王が皇帝から冊封を受けたという記述があり、これ以降日本と中国は
- 朝貢=周辺国が中国の皇帝に貢物を贈ること
- 冊封=皇帝が近隣諸国の君主に王の称号を与える
という、上下関係に基づく外交関係で交流を持つことになります。
その後も日本は、
- 『魏志倭人伝』邪馬台国の卑弥呼による朝貢の記録(239年?)
- 遣隋使・遣唐使の派遣
などといった形でたびたび中国へ使節を送り、多くの僧や留学生が中国(唐)の制度や国風文化の基礎となる唐風文化を日本にもたらしました。こうして日本は、中国の影響に基づいた本格的な国づくりを進めていきます。
平安時代・鎌倉時代

続いて、平安時代・鎌倉時代について振り返りましょう。
平安時代
遣唐使が終わると政府間の交流は一度途絶え、仏教の僧や商人などによる関係が続きます。
唐の滅亡後、南部の呉越が明州(寧波)を拠点に日本と通商や仏教の交流を行い、その後は南宋が呉越に変わり日本(平清盛政権)との通商を引き継ぎます。
この時、太宰府と博多に次ぐ日本側の貿易の拠点として整備されたのが大輪田泊で、現在の神戸港の西側です。
鎌倉時代
鎌倉幕府も南宋との交易を図りますが、次第に消極的になっていきます。それでも鎌倉・南北朝時代には仏教の交流が盛んに行われ、600人近くの僧が両国を行き来しました。
この時代に南宋や元の僧侶がもたらした文化の影響により生まれたのが五山文化です。五山文化は
- 13〜16世紀に五山十刹などの禅院で育まれた文化
- 宗教・文学・書画、政治経済、飲食や技術・建築などあらゆる分野で最先端
- 鎌倉武士の素朴で質実な気風と親和性が高い
という特徴をもち、やがて北山文化・東山文化へと発展して今に続く日本の伝統文化を形成していきます。
鎌倉時代後期には、アジアの大半を支配下に置いた元が鎌倉幕府に朝貢を要求するも、北条政権はこれを拒絶します。元は2度に渡って九州から侵攻を試みますが(蒙古襲来)、いずれも日本はかろうじて元の攻撃を退けています。
室町・安土桃山時代
元を倒し1368年に成立した明は、華夷思想(中華と夷狄を区別)と尊王攘夷を強調した対外関係を掲げます。室町幕府3代将軍足利義満は、遣唐使以降約550年間ぶりに明に朝貢使節を派遣し、日明貿易(勘合貿易)という形での朝貢外交を行いました。
この時代の主な日中(日明)関係の出来事としては
- 明州(寧波)との交易の拠点として博多から堺が台頭
- 寧波の乱や倭寇などによる現地住民の日本人へのイメージ悪化
- 国際通貨として銀の需要増大
などがあります。この時代、中国(明)は国家の統治システムに銀を必要としており、日本国内で大量に産出された銀は国際的な戦略資源として重要視されました。
安土桃山時代後期には豊臣秀吉が明の征服を目的に2度朝鮮に出兵しましたが、いずれも失敗に終わります。
江戸時代
秀吉の死後権力を握った徳川家康は、明との関係修復や日明貿易の復活を図るも不調に終わり、最終的には明との外交関係を諦めました。
徳川3代将軍・家光の代には、日本は船や人の海外渡航を禁じ、貿易の統制を強化する鎖国政策をとります。この政策転換の背景には、
- 日本人とキリスト教の接点を断つため
- 海外での紛争に日本人が巻き込まれ幕府の威光を損なう
- 国内の金・銀の産出量が低下し、積極的な貿易を行う余裕がなくなった
などの事情があります。幕府は明に代わった清にも朝貢しない一方で、出島(長崎)に限定した貿易は継続します。清との貿易は上限額がオランダの2倍、船の隻数は約15倍と盛んで、一般庶民の間にも中国文化が知れ渡るきっかけにもなりました。
中国との関係の変化
それまでの中国は日本にとって大国であり、文化的にも憧れの国でした。しかし江戸時代から明治時代にかけて、そのイメージが変わっていく出来事が続きました。
- 華夷変態…中華(漢民族)が夷狄(清=満州族)に乗っ取られた
- 中国との貿易に頼らない日本の経済的自立:生産量の拡大や国内産業の発展
- アヘン戦争での清の敗戦
特にアヘン戦争での敗北の衝撃は大きく、それまで大国・強国と見ていた中国が敗れたことで日本も最終的に開国を余儀なくされます。
こうして日本にとって中国は、大きな影響を受けた偉大な先達、憧れの対象から、西洋諸国に対抗し、東アジアの覇権を争う相手へと変わっていきます。
近代①明治〜戦前まで
明治維新後、日本の新政府は清との対等な関係での外交関係樹立を提案し、1871年に日清修好条規が締結されました。これを機に日清両国では19世紀後半から次々と国境が画定されていきます。
日清戦争
しかし、両国の関係は早くも朝鮮をめぐる対立が表面化します。
朝鮮を朝貢国にしたい清と朝鮮をロシアへの防波堤にしたい日本は朝鮮国内の内乱(東学党の乱)への出兵を機に戦闘状態となり、日清戦争が勃発しました。
この戦いに敗れた清は、下関条約(1895年)で台湾を日本に割譲するなど不平等条約締結を強いられます。日本はその後も
- 義和団事件
- 日露戦争(満州での戦闘・南満州のロシア利権獲得)
- 第一次世界大戦(山東省のドイツ軍を攻撃・山東省一帯を占領)
- 対日二十一カ条要求
などで中国への介入を繰り返し、清国各地で抗日運動が起きるようになりました。
中華民国成立
日清戦争敗戦後、清国内で近代国家建設の機運が高まり、その中心的役割を担った人物の多くが日本で西洋近代を学びました。新生中国の民族運動のいくつかも日本を拠点に展開され、革命の思想的中心となる孫文が中国革命同盟会を結成したのも東京です。
こうした運動が盛り上がった清国では、孫文の後継者蒋介石によって1912年に中華民国が樹立されました。
パリ講和会議(1919年)と日中関係の悪化
第一次世界大戦後、中国はパリ講和会議で二十一カ条要求の撤廃や山東省利権の回収を求めました。しかし、日本がドイツの利権を継承したことで中国はヴェルサイユ条約の調印を拒否し、1921年にドイツと単独講和条約を結びます。
この頃から中国側も日本を帝国主義国とみなし始め、五・四運動など大規模な反日運動が起き始めました。1927〜28年には日本が2度の山東出兵を行ったことで逆に現地の日本人が危険にさらされるようになり、日本側の対中感情も悪化していきます。
近代②日中戦争〜日本の敗戦まで
中国国内では日本への不信感が強まっていたものの、当時の中国の蒋介石・国民党政府は毛沢東率いる共産党と争っていたため、日本対策が手薄でした。
満州事変
満州の領土獲得を狙う日本は1931年に奉天(現:瀋陽)で鉄道爆破事件(柳条湖事件)を起こし、中国軍の仕業と主張して満州全域を制圧、満州国を建国します(満州事変)。
さらに1937年の盧溝橋事件によって、日中の戦線はさらに拡大。蒋介石ら国民党は毛沢東と一時休戦し、協力して日本に対抗していきます。
日中戦争突入と南京事件(1937年)
中国との戦争状態に突入した日本は、在留邦人が殺害されたことで同胞の生命・財産を守るために軍事侵略を正当化し、南京を占領します。そしてここで民間人を含む多数の中国人の虐殺を行い国際的な非難を受けました。
その犠牲者数は現在でも両国で主張に差があるものの、南京事件は日本の中国侵略の象徴、日本軍の残虐性の象徴と位置付けられるようになりました。
日本の敗戦
南京陥落後に親日的な汪兆銘政権を設立した日本ですが、蒋介石政権を支持する西洋諸国とも対立し、英米諸国との戦争に踏み切ります。年を追うごとに追い詰められた日本は各地で敗戦を重ね、多大な犠牲を出した挙句1945年連合国に降伏します。
日本が敗れたことで満州国と汪兆銘政権も消滅し、満州や台湾などの領土も中国に返還されることになりました。
現代

戦後の日本は、主にアメリカによる連合国の占領下で民主主義国家としての道を歩み始めます。
そのため蒋介石の中華民国を破って成立した共産党国家・中華人民共和国成立とは距離を置き、台湾に逃れた中華民国との関係を構築します。
とはいえ、当時の日本でも社会主義や共産主義への共感は強く、巨大な中国に対する経済的な期待も無視できませんでした。
そこで日本は国としてではなく、民間レベルでの中国との交流を重ね、外交関係の下地を築いていきます。
中ソの対立や米中の歩み寄りなど国際情勢の変化もあって、日本と中国は1972年に日中国交正常化を果たしました。同時に、それまで国交を結んでいた中華民国(台湾)との外交関係は消滅します。
さらに1978年には日中平和友好条約を締結し、ようやく近代国家同士の対等な外交関係が実現されて現在へと至ります。
日本と中国、現在の関係は?

このように、日本と中国の間には長い年月にわたる交流があり、時には対立や衝突も発生しました。
こうした過去も踏まえ両国では、政治的な関係はともかく、経済的には密接な関係を築くという、いわゆる政冷経熱の方針を重視してきました。
【政治】日本と中国の現在の関係

民主主義国家陣営である日本と、社会主義・権威主義国家である中国は政治体制を異にしています。そしてそれ以上に両国の間には、いくつもの政治的問題を抱えています。
歴史認識問題
歴史認識問題は主に近代の日中対立と戦争についての認識の食い違いが原因ですが、戦後国交回復後しばらくはこの問題での政治的対立は目立ちませんでした。
しかし1980年代以降、
- 歴史教科書問題:「侵攻」を「進出」と記載した問題
- 日本の政治指導者による靖国神社参拝
などが問題視され、1990年以降の中国での「愛国主義」の高まりも相まって、国家間の対立が表面化していきます。
歴史認識問題の背景には、政治体制の違いや相互理解の欠如などが根底にあり、現在もその火種が燻り続けています。
主権をめぐる問題
尖閣諸島(中国=釣魚島)は、1895年に日本が国土に編入して以来、長きに渡って日本の領土であり続けました。ここは1968年に周辺で石油埋蔵の可能性が指摘されて注目が集まり、いくつかの事件やトラブルが発生したものの、基本的に両国の政府は領有権の交渉を棚上げしてきました。
しかし、
- 中国:1992年の領海法制定で尖閣諸島を中国領土と記載
- 日本:2012年に石原慎太郎東京都知事による島の購入計画
- 日本:野田内閣による「国有化」発言
などの出来事をきっかけに、尖閣諸島をめぐる対立に拍車がかかります。
そして2008年以降現在に至るまで、中国籍の船はたびたび尖閣諸島沖で領海侵犯を繰り返しており、2010年には中国漁船が海上保安庁の船に衝突した事件が起きています。
今や尖閣諸島の問題は、東シナ海の安全保障の悪化に対する懸念であり、日本にとっては中国の「力による領土変更」の実現が危惧される問題です。
安全保障と台湾をめぐる問題

互いの安全保障は日中両国とも危惧している問題です。
日本は東シナ海や南シナ海での中国の活発な軍事活動を警戒し、力による現状変更の意思が見える対外的な姿勢や軍事力の強化は、日本でも脅威とみなされています。
かたや中国も、アメリカの同盟国としての日本を警戒し、日本の積極的な対外進出や防衛費増額に神経を尖らせています。特に2015年の集団的自衛権の行使容認など一連の安保法制は、日本の軍事大国化を懸念するものと受け取られました。
日中の安全保障で問題となるのが台湾への対応です。
中国政府は「一つの中国」を主張し、台湾を自国の領土とする姿勢を崩していません。
かたやアメリカは同じ民主主義体制としてひとつの国として台湾との接触を行っており、同盟国の日本も台湾に好意的です。
中国はこうした日米の姿勢を国内問題への介入として非難しており、台湾への武力侵攻の選択肢を放棄しない立場を示しています。
市民の安全をめぐる問題
近年増えている、一般人の生命・財産を脅かす事例の増加も問題です。
特に現在の習近平政権下では、日本人の駐在員や研究者などが拘束され、場合によっては裁判沙汰になる事件が相次いでいます。しかも拘束理由や経緯などが不透明なため、中国への進出に不安を抱く企業も少なくありません。
その他の問題としては、
- 毒餃子事件:日本で中国製冷凍餃子に殺虫剤が混入され、中国製食品に対する不信感を起こした事件
- 2023年:福島第一原子力発電所のALPS処理水の海洋放出を中国が大々的に批判し、日本の海産物輸入を停止
- 2024年:中国・深圳での日本人児童刺殺事件/江蘇省での日本人母子襲撃事件
など、市民レベルで生活に直結して強い反発を生む問題が起きています。
これらは必ずしも深刻な対立に至らない場合もありますが、他の政治的な問題と連動して持ち出されることも多いため、決して看過すべき問題とも言えません。
【経済】日本と中国の現在の関係

困難を抱えている政治に比べ、経済的には両国の関係は決して悪くありません。
日本にとって中国は最大の貿易相手国であり、中国にとっても日本は貿易総額の5.4%を占め、アメリカに次ぐ第2位の貿易相手国です。
日本企業の海外進出拠点数も中国が3万1,324拠点と最も多く、大企業から中小企業まで幅広い産業で投資が行われています。
また両国では、さまざまな業界で技術研究や開発で活発な協力も進んでいます。特に力を入れている新たなビジネス分野としては
- デジタル・IT分野(自動運転、スマート製造業など)
- 環境・省エネ(新エネ車、燃料電池、水素、資源循環、カーボンリサイクルなど)
- 医療・介護・ヘルスケア分野
- フィンテック(電子決済、ブロックチェーン、デジタル通貨など)
などの協力を後押ししていくことで一致しており、透明性が高く公平で、国際ルールに基づいたビジネス環境の構築に向けた緊密な協力関係が築かれています。
なぜ起こる「嫌中」「反日」

一方、国民レベルの関係ですが、2025年の時点では日本・中国とも、相手国に対しては残念ながらあまり良い印象を持っていない人の割合が高いのが現状です。
中国人の日本人に対するイメージ
中国人の日本と日本人に対する印象は必ずしも悪いものではありません。
かつては戦争による侵略の記憶から日本に反感を持つ人はいまだ多いものの、近年の中国人が持つ日本人に対してのイメージは
- 国民の生活水準が高い
- 日本製品の質が高い
- 日本人は礼儀やマナーを重んじ、民度が高い
などの理由から、概ね好意的です。経済的に中国が日本を上回ったという精神的余裕もあり、日本人に対するコンプレックスが減っていることも関係しています。

しかし、2023年から24年にかけての1年で、その状況が一変します。2024年の日中共同世論調査の結果では、日本に対して
- 良い/どちらかといえば良い印象:37.0%→12.3%に激減
- 良くない/どちらかといえば良くない印象:62.9%→87.7%に急増
と、わずか1年で大きく悪化しました。
この背景には、東京電力福島第一原発処理水の海洋放出問題が影響を与えた可能性や、政府系も含めた中国メディアやSNSが、圧倒的多くの中国人に対して日本へのネガティブなイメージを与えたことなどが指摘されています。
日本人の中国人に対するイメージ
一方、日本の社会やネットでは「嫌中」など、特に中国と中国人に対する排外的な言説が目立ちます。
前述の調査でも、中国に対する印象は2006年以降悪化の一途をたどり、近年では中国に対して良くない印象を持っている日本人は80%〜90%のまま推移しています。
ではなぜ日本人がこんなに中国と中国人に悪い印象を持つのでしょうか。
その理由としては
- 強権的・対外高圧的な中国政府への脅威
- 日本に来る中国人のマナーの悪さ
- 自己主張が強く謝らない中国人の国民性
などがあり、それらのネガティブ面がことさら強調されてメディアやSNSなどで広がったこと、異なる文化に警戒心が強い日本人の同質性の強さ、中国に行く人が多くないことで日本人が現地の文化や人々に触れる機会がを知る人が少ないといった点も、さらに中国への悪いイメージを植え付ける原因になっています。
古くから中国蔑視を煽ってきた日本のメディア
日本のメディアが中国人への差別的な姿勢をとる傾向は既に明治以降に見られています。新聞や映画、さらには少年少女の読み物雑誌にまで、中国人の容姿や風俗、さらには誇張された人格などを揶揄し蔑むような描写があふれています。
現在のネットやSNS、「嫌中本」などにあふれる排外的な言説を見ると、日本は当時比べどれだけ進歩しているのか疑わしく思えてなりません。
日本と中国の良好な関係には何が必要か

こうしたさまざまな軋轢を乗り越えて、良好な関係を築くためには何が必要なのでしょうか。ここでは、私たち一般の国民に求められているものについて考えてみたいと思います。
国ではなく個人レベルで考える
異なる文化の人間同士だからこそ、実際に接してみないとその人の考えや人となりはわかりません。一口に中国人と言っても決して皆同じではなく、政治的に抑圧されているからといって政府の考えを支持しているとは限りません。
「国」とか「国民」「民族」などの枠にとらわれず、個人レベルで考えれば、私たちと考えていることはそんなに違わないことがわかるでしょう。
実際、中国で日本が嫌いと答えた人も、日本への渡航経験がなく、メディアによるステレオタイプを鵜呑みにする人が多い傾向があり、これは日本の側も同じです。
正しい情報で相手への理解を深める
直接関われない相手のことを知るには、正しい情報が欠かせません。
中国という国の歴史、文化風土、人々の考え方の違いとその理由などについて、信頼できるメディアや書籍、雑誌などの情報源に積極的に触れて、相手への正しい理解を深めることが何より大事です。
ネットやSNSで誇張され、曲解される情報は、たくさんの人々の誤解や偏見、悪意で歪められています。そのような不確かな情報は遠ざけ、公正な感覚で相手への理解を深めなければなりません。
日本と中国の関係とSDGs

日本と中国は、国連加盟国として共にSDGs(持続可能な開発目標)に賛同しています。
ともに大きな温室効果ガス排出国である両国は、カーボンニュートラルによる気候変動対策を進めるべく、経済分野での協力を進めています。
日本と中国は前述のように環境・再エネやヘルスケア、IT分野などでの開発協力を強化するとしており、両国による目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」が実現すれば、
- 目標13「気候変動に具体的な対策を」
- 目標9「産業と技術革新の基盤をつくろう」
- 目標3「すべての人に健康と福祉を」
- 目標11「住み続けられるまちづくりを」
など、複数の目標の達成も不可能ではありません。
その一方で現在の中国の政治体制を考えると、目標1「貧困をなくそう」や目標5「ジェンダー平等を実現しよう」、目標10「人や国の不平等をなくそう」などがどれだけ達成に近づけられるかは不透明です。
>>SDGsに関する詳しい記事はこちらから
まとめ

日本と中国は、国土、環境、歴史から、国民性や人々の考え方でも大きな違いを持つ国同士です。それでも隣り合うこの両国は古くから互いに人と人、物と物が行き交うことで、大きな影響を与え合ってきました。
中国の力が強大化し、日本の力が弱まりつつある現在、われわれはどのようにして互いの国を理解し、付き合っていけばいいのか。
その答えは、謙虚な気持ちで相手のことを知り、自分を知ってもらいながら、積極的に関わっていくことなのかもしれません。
参考文献
子供達に語る日中二千年史;小島毅 著;筑摩書房,2020年
日中関係史;国分良成/ 添谷芳秀/高原明生/川島真 著;有斐閣,2013年
日中関係史;田中史生 著;吉川弘文館,2025年
近代日本の対中国感情 : なぜ民衆は嫌悪していったか;金山泰志著;中央公論新社, 2025.
日中経済関係・中国経済|外務省
中国、2024年の経済成長率は5.0%、政府目標を達成(中国) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース
発展途上国としての中国 | 結城 隆|世界経済評論IMPACT
変動する国際情勢と中国 | 一般財団法人 国際経済連携推進センター
グローバルサウス | 用語解説 | 野村総合研究所(NRI)
令和6年度(2024年度)事業計画書|日中経済協会
中国経済と 日本企業 2024年白
中国人嫌いに見られる7つの苦手な理由とは?
日中世論調査 中国側“日本に良くない印象”大幅増の87%余に | NHK
中国人の対日イメージ大幅悪化:87%が「日本に良くない印象」―日中合同世論調査 | nippon.com
【24-45】日本に好印象持つ中国人12.3% 急激な悪化示す日中共同世論調査
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中国人はなぜ日本人を憎むのか|大前研一
この記事を書いた人

shishido ライター
自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。
自転車、特にロードバイクを愛する図書館司書です。現在は大学図書館に勤務。農業系の学校ということで自然や環境に関心を持つようになりました。誰もが身近にSDGsについて考えたくなるような記事を書いていきたいと思います。