#インタビュー

NPO法人DAREDEMO HERO|セブ島貧困層の「頑張る子どもたち」を教育支援し、社会を変えるリーダーを育てる

NPO法人DAREDEMO HERO

NPO法人DAREDEMO HERO 内山順子さん インタビュー

内山 順子

2013年DAREDEMO HERO INC. 設立時よりフィリピンの最貧困地区の社会問題の根本解決に取り組んでいる。問題の解決にはその地域で育ったリーダーたちが各方面で力を発揮し、自分たちの力で環境を変えていく必要があるとして、教育支援を一番の柱に掲げ、貧困地区から奨学生を選抜し大学卒業までの徹底した援助を行っている。日比文化交流も行い、双方の若者たちが共にSDGsの学びを深めるためのプログラムも実施している。

introduction

DAREDEMO HEROは、厳格に選考した奨学生たちを、小3から大学卒業まで支援し続けます。その子どもたちが目指すのは、自分の夢とともに社会を変えてゆくヒーローです。同NPOはまた、地域への自立支援により、貧困層の収入の安定や意識の変革にも取組んでいます。

今回は、同NPOの内山順子理事長に、セブ島での奨学生支援を始めとする様々な取り組みについて伺いました。

子どもたちが夢に向かって努力できる「頑張ったらちゃんと報われる社会」を作りたい

-まずは、活動の概要をご紹介ください。

内山さん:

DAREDEMO HEROは、フィリピンのセブ島の貧困層への教育支援を行っています。対象はかわいそうな子ではなく、「頑張っている子」です。進学もままならないような子どもたちの中から、やる気と志があり、かつ能力も高い小学校3年生を厳格に選考し、奨学生を決定します。その後は、大学卒業から就職まで、様々な面で徹底した支援を続けます。「自分たちの社会課題をリーダーとして解決していける」人材を育てることが、大きな目的です。

この奨学生支援がメインの活動ですが、そのほかに、地域支援として農業指導などによる自立支援や幅広い教育支援、異文化交流として日比文化の交流やスタディーツアー、オンラインでのSDGsプログラムなどを実施しています。

-どのようなビジョン、ミッションを掲げていますか?

内山さん:

ビジョンは「貧困層が自ら問題を解決する力を付ける機会を提供する」「国境を越えた交流を通じて、互いの視野を広げる機会を提供する」です。ミッションは「すべての子どもたちが夢と希望を持ち、努力が正当に報われる社会を実現する」という言葉を掲げています。

フィリピンでは、まだ、貧困層の子どもたちがどんなに頑張っても報われない現実があります。フィリピンのストリートチルドレン、ゴミを拾って生活している子どもが、日本の子どもと同じ努力をしたとしても、同じステージには絶対に立てません。そんな中で、ただ「夢と希望を持ちなさい」と言っても虚しいだけです。大人も含めて、頑張ったらちゃんと報われる社会を作っていけば、子どもたちも夢に向かって努力ができるのではないか、と考えています。

被災者の笑顔の生き方に惹かれ、フィリピン移住を決意

-DAREDEMO HERO設立の背景をお聞かせください。

内山さん:

私は、中高生のころから「人のために何かをしたい」という思いが強く、前職は、公務員として精神保健福祉士の仕事をしていました。東日本大震災でもすぐに現地入りし、定期的な復興支援に取り組んでいました。そうでありながら、やればやるほど、モヤモヤした思いが募ったんです。これは本当に人のためになっているのか?自分は必要とされているのだろうか?と悩んでいた時期の2013年、フィリピンで大地震があり、レイテ島では6,000人が亡くなりました。そのニュースを見て、行かなきゃ!とすぐ行動に移しました。

支援物資などを抱えてセブ島に入り、前身としての日系団体DAREDEMO HEROと出会いました。本来、子どもたちへの教育支援を行う組織でしたが、台風被災への臨時ボランティアで現地入りしたとのことでした。日本女性が異国で一人で動くのには困難も多かったので、この団体と一緒に活動させてもらうことにしました。

驚いたことに、被災したフィリピンの人々はとても明るかったんです。彼らを元気づけにいったのに、私より元気なくらい。「こんな状況でどうして笑っていられるんですか?」とある人に聞いてみました。彼は「家族も友だちも家も仕事も失くし、確かに辛いよ。でも、自分が泣いていたら周りも泣いてしまうし、また自分も辛くなる。泣いても死んだ人は生き返らないし、家も戻らない。ならば、自分が笑えばまわりも笑い、まわりが笑えば自分も笑える。フィリピン人って、そうやって生きているんだよ」と答えました。本当に、みんな笑っていたんです。この人たちは何て強いんだ!と感動し、彼らと共に生活してもっとたくさんのことを学びたい、と思いました。

前身組織の教育支援方針にも共感するところが大きく、台風支援が終了したのちに、同組織の本来の取り組みに加わりました。その後、創設者がフィリピンを去ることとなったため、私が組織を引き継ぎ、より確実な活動ができるように、2019年に日本でNPO法人DAREDEMO HEROを設立し、理事長に就任しました。

-フィリピンの貧困層の子どもたちは、どのような状況にあるのですか?

内山さん:

セブ島といえば、青い海やリゾートホテルが思い浮かぶかもしれませんが、光と影のような格差社会です。高層ビル群の隣にスラムがあったりするんです。墓地に住んでいる子どもたちもいます。セブ島は土地が狭いため、死者を納めた棺を埋葬せず地面に重ねて安置します。その棺の上をベッドとし、供え物を食べ、キャンドルを集めて作り変えて売ったりしているんです。ゴミ山そばの集落の子たちは、ゴミ山から売れるものや食べられそうなものを拾い集めます。

カレタ墓地で暮らす子どもたち

私たち日本人が常に上を目指すのは、そこにたどり着ける可能性があるからです。フィリピンの貧困層は、先祖代々どんなに頑張っても抜け出せないことがわかっているので、たとえゴミ山から拾ってきた肉でも、それを食べられることに価値と幸せを感じて感謝します。ゴミ山の子どもたちを見て、自分たちよりも幸せそう、と感じる人もいるくらいです。ただ、それはほかの選択肢がない中での幸せです。

「あなたたちは社会を変えられる!リーダーになれる!」

‐では、奨学生支援の取り組みについて伺います。どのような子たちが候補対象になるのでしょうか。また、具体的な選考方法を教えてください。

内山さん:

まず前提として、今の生活を抜け出したいと思わない子どもたちは、彼らなりの幸せの中で生きているので、無理に勉強させようとしても意味がありません。ただ、今は、貧困層でもネットなどを通じてほかの世界も知り、「今の状態を抜け出て別の世界に行きたい」と願う子どもも出てきています。そして、実際に抜け出せる力を持つ子どももいるんです。そうでありながら「金銭的な問題で夢を叶えられない子どもたち」を救いたいんです。その子たちが大人になり、自分が経験した苦しみを糧に、社会を変えていくリーダーになることは可能だと思います。

その中で条件の1つは、スタートが「小学校3年生」であることです。それより幼いと、まだ自我が確立していません。3年生を過ぎる年齢になると、貧困によるマインドが染みついてしまい、いくら道徳的な教育をしても、結果として自分のため、家族のためだけにお金を使うようになります。

条件の2つ目は、「学校に通っている子ども」です。どんなに貧しくても、親が子を学校に通わせる意識を持つ家庭の子でなければ、いずれ「家のために働きなさい」となってしまいます。条件の3つ目は「能力はあるのにお金がなくて休みがちになったり、授業に集中できなかったりする子ども」で、担任に推薦してもらいます。セブ島の、在籍生徒5,000人ほどの(1学年約800人)マンモス校2校と提携していて、書類審査で成績もチェックします。

親子面接も行いますが、そこでは、まず子どもに「夢があるか」「なぜその夢なのか」を聞きます。そこを「志」とみなします。地域のために医者になりたい、などと英語で答えられる子どもが800人に1人くらいいるんです。親も英語をしゃべれないなか、そういう子たちはYouTube などで自分で英語を学ぶため、フィリピンなまりのないアメリカ英語を話します。そのような候補の子の家を訪問し、支援金が子どものために使われるかを確認するため、酒瓶が転がっていないかなど、生活の状況もチェックします。

候補者の親子面接

-具体的な支援内容と、子どもたちに見られる成果などをお聞かせください。

内山さん:

支援の一番の特徴は、小3から大学までの、奨学金支給と徹底的な教育支援です。公立は高校まで無料ですが、それでもなお、制服代、教材費、交通費、昼食代などが出せない家庭があります。私たちは、それらのすべてを負担し、奨学生たちが学業に専念できるような環境を整えています。日本の高校に相当する学校としては2年制のシニアハイスクールがありますが、公立では良い大学への進学が難しいため、私立に入学させています。

他にも、昼食は管理栄養士指導の栄養バランスの取れた弁当を用意します。ただし調理は保護者がローテーションで担当します。これは、子どものために、親として出来ることはやってもらう方針であるからです。彼らはほぼ野菜を食べませんから、そのあたりの調理方法なども指導しています。

加えて勉強での支援も細やかに行います。教員資格をもつスタッフが、放課後に事務所で補修し、宿題なども見ています。週末は特別授業も開き、日本語も教えているんですよ。

未来のリーダーを作るためにやっていることなので、外部のトレーナーをつけて「リーダーシップトレーニング」も行います。

さらに、就職に向けてのキャリアカウンセリングも行います。奨学生支援がスタートして11年目の今年(2024年)、6月に初めての卒業生を送り出します。社会に出ていく彼らのために、今、現地の起業家の方々との連携を強めています。「あなたたちは社会を変えられる!リーダーになれる!」と言い続けてはきましたが、そのまま社会に出て行けば現実の壁にぶつかり、心が折れるかもしれません。

そうならないように、彼らは、理解してくれる人がいるところ、社会がよくなってほしいと願う人がいる企業などに就職し、志を潰されることなくリーダーとなっていってほしいんです。むしろ「企業のほうから欲される能力ある人材」を育てています。人材をブランディング化することで、うちの卒業生を欲する企業との関係性を作っていきたいんです。

子どもたちに見られる成果は大きいものです。支援を始めたころは、みんな自信がありません。そこからまずは清潔な制服を着せ、思い切り勉強させます。すると、まわりから褒められます。そうなると、もう一人で輝き始めるんです。

現在、奨学生は58人ほどが在籍していますが、彼らは兄弟姉妹のように育っています。いつも一緒ですし、上級生が下級生の面倒を見るのは当たり前のこと。生徒会の組織も作っていて、上の子が自主的にイベントなどを開き、下の子に道徳的な知識などを教えています。NPOのスタッフは入れ替わりもしますが、子どもたちは一番長くて10年以上私たちと一緒にやっていますから、時にはスタッフよりもいい仕事をしたり細かく気がついたりして、とても頼もしいんです。

今年、二名が自家用操縦士のライセンスを取得しました。彼らは、自分のような貧困層の子どもが夢をかなえたということが、どれほどの子どもたちに希望をもたらすかを考えて行動しています。

SDGsは、広い視野と想像力で世界を良くし、自分自身が幸せになるためのもの

‐地域支援ではどのような取り組みをしているのですか?

内山さん:

地域支援は、コロナのパンデミック以降に力を入れるようになりました。コロナ禍の時、フィリピンは厳しいロックダウンを実施したので、その日暮らしの人々が追い詰められました。コロナではなく、飢えで死んでしまうような状態だったんです。緊急支援をしていましたが、一時的な助けに過ぎません。そこで、自立支援に切り替えました。金銭管理、栄養改善指導などですが、最近は農業支援に力を入れています。親の収入が安定すれば、子どもたちも学校に通えます。

農業支援

奨学生支援とは別のかたちで、2か所のゴミ山と1か所の墓地の近くにラーニングセンターを開設し、無料での勉強指導、学用品や制服の支援、勉強後の軽食の提供などもしています。

-異文化交流支援における活動をお聞かせください。

内山さん:

こちらは、ほかの支援とは一線を画しています。そもそも、フィリピン人の幸福論などを日本人に知ってもらいたい、というところから始まっています。NPOといえば、恵まれた国が恵まれない国に支援する、というイメージがありますが、私は、日本がフィリピンから多くを学べると思っています。日本とフィリピンを繋ぐことで、互いが学び合い高め合うようなチャンスを作りたいですね。具体的には、日本の学生を対象としたスタディーツアー、オンラインセミナーを実施しています。

-取り組みのすべてがSDGsに添うものですが、SDGsについてはどのようにお考えですか?

内山さん:

日本のSDGsの捉え方が少々ずれているように感じるんです。根本的に貧困をなくそう、と言っても、貧困を知らない人が、苦しみを分からず、エアコンの効いた教室で勉強をしても、他人事にしか思えないのではないでしょうか。何をしても自分の生活は変わらないですし、そういうことに人間は気持ちを込められないと思うんです。自分が実際に行動したことで誰かが喜んだ、という体験、他者が幸せになったと感じる体験は大切です。世界の問題も、環境であれ平和であれ、誰かの幸せが自分の幸せになる、と思えれば、SDGsなんて騒がなくても、環境もよくなるし、争いもなくなるのに、と思います。SDGsは、より広い視野と想像力を持ち、世界を良くすることによって自分自身が幸せになるためのものです。それが、私が根本的に考えていることです。

なぜ、皆「自分のことだけ」考えてしまうのでしょう。それは、相手の苦しみに接する機会が少ないからだと推察します。私は小さいころから「他者の苦しみ」に接する機会が多かったので、そういう感受性が育ちました。そのような環境にいなかったとしても、人の苦しみや現状に触れることで、少し気持ちが動き、100円の募金でもいいのですが、それで誰かが美味しいパンを食べられた、というような経験をたくさん重ねてもらいたいと思います。

-最後に、将来への展望をお聞かせください。

内山さん:

フィリピンの課題解決に「外国人」が活動しなくてもいい状態が早くくればいい、というのが最後の目標です。フィリピンの人々が自分たちの問題を自分たちで解決していければ、私たちがここで活動する必要はなくなります。生きているうちに少しでも見られればいいんですけれど、実現できなくても、それが出来そうな人材を確認してから死にたいな、と思っていますね。時間はかかると思いますが、フィリピンにはこれだけたくさんの子どもがいます。子どもがどんどん少なくなっている日本は、いつか逆にフィリピンに助けてもらうことになるかもしれませんね。

-子どもたちが新しい時代を担うという意味が、実感できました。今日はありがとうございました。

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