橋本 里美
1962年生まれ 出身地 福岡県飯塚市 30代の時、三人の子育てと義母の介護に明け暮れる時期に夫(現社長)の起業が重なり、以後は主婦兼経営者兼事務員、そしてもともとの職業である音楽教師としても多忙を極める日々を送った。現在は主に経理や人事を担当し、そして自身のアイデンティティでもあった親譲りの『もったいない』精神を今は『エシカル』と捉え、環境への取り組みを社内で実践すべく、プロジェクトリーダーとして活動している。農業や林業に携わっていた大分の祖父や親戚らの影響もあって土や草や虫が大好き。かけがえのない豊かな日本の森林を守っていけるよう自分が出来ることとは何か模索中。
座右の銘 人間万事塞翁が馬趣味 JAZZ演奏 生き物観察 京都発生き物アプリ『バイオーム』にはまっている。現在孫二人。
目次
introduction:
デジタル化の波が起こる中、夫婦2人で始めたのはそれまでの印刷業界にはなかった新たな分野の会社でした。
株式会社ファインワークスはSDGsに対応する製品「再生環境カレンダー」「紙製エコファイル」を販売する印刷会社です。
今回はユニークな経歴をお持ちの橋本里美専務取締役に、現在の取り組みや今までの苦労、会社のこれからなどについて伺いました。
挑戦し続けてきた根源にあるのは一歩一歩「山をのぼる」姿勢と心構え
–はじめに御社を設立した経緯と事業内容をお聞かせください。
橋本専務:
弊社は印刷物が出来上がるまでの工程である、企画・デザイン・印刷・製本などをオールインワンですべて請け負う印刷会社です。
1995年にDTPサービスビューローの会社として社長である夫と私が二人で立ち上げたのが始まりです。
夫は京都の印刷会社に勤務し、当時は製版(レタッチ・色調整)の部署に所属していました。当時、製版の業務は何億もする機材が必要で、個人が簡単に独立してできるような仕事ではありませんでした。
しかしマッキントッシュのパソコンが少しづつ普及し始め、個人でも機材を手に入れ隙間的な仕事ができると確信を持ち、独立を決意したんです。
創業当時の仕事は、印刷する写真原稿をお客様から預かり、スキャニングしデザイナーや印刷会社に届けたり、スキャンした画像を画像処理ソフトを使い、手作業で切り抜いてデータにしたり、色の加工をしたりするような、印刷・DTPに関する出力サービスセンター業務でした。
–会社を設立された頃は印刷業界もデジタル化の変革期が始まり、いろいろなご苦労があったと思いますが、いかがでしたか。
橋本専務:
2022年10月に開設したコーポレートサイトには、会社設立当初からの経歴を「山をのぼる」ことに例えてお話をしています。社長は若いころから登山が好きで、海外の山の初登頂の記録を持っているほどの山登り人間です。
何度も死ぬか生きるかの経験をし、考え方も「山をのぼる」ことが基準になっているんですね。「山は危険だと思えば下山すればよいが、会社の経営はそうはいかず、登山よりも難しい」と常々言っています。もちろん困難なことも多くありました。
私にとって一番の苦労は、なんといっても資金繰りですね。
当初はマッキントッシュのパソコンとスキャナーだけで事業を始めましたが、今は20万ほどで買えるスキャナーでも、当時は1,000万円したんです!
一般家庭で、何も持たないところから1,000万円を工面するのは大変でした。
私が経理を担当していますが、社員が増え、会社が大きくなるに従って扱う金額も大きくなりました。会社の状況がわかるからこそ、成長していくため先行投資が必要になるたびに不安で押しつぶされそうでした。工場を拡張する時は、それまでとやりくりの桁が違い、本当に怖かったですね。
また開業当時の京都の印刷業界は、DTP制作を行っていない所もまだ多く、何の仕事をしている会社か理解してもらえないことも多々ありました。
–御社がお客様や業界内で認知されるために、どのようなことをされたのでしょうか。
橋本専務:
会社としてはゼロからの出発でした。
印刷会社勤務時代のお客様からは1件も受注できず、世間は厳しいと思い知らされました。
それから、電話帳で印刷会社や製版会社など関連会社を調べ、約2,000件に手書きで宛名を書き、ダイレクトメールを送りました。その中の3人のお客様が興味を持ってくれ仕事につながったんです。そこから少しづつ広がり「面白いことをやっている」と認識してもらえることが増え、手ごたえを感じるようになりました。
創業して2年目にはじめて従業員を増やし、会社が出来る業務を増やすためにそのスキルを持った人を仲間に迎え入れながら、事業を拡大してきました。
事業を継続する中で、「自分達のことを外部の人達に知ってもらう」ことの重要性は長年課題として感じてきたところです。社長は自分の考えを言葉にすることがあまりなく、私がいつも代弁役をしてきたのですが、結婚当初から「夫が何を大切にしているのか、目標にしているのか」を観察して書き留めていましたので、その思いをお客様に伝えていかなければ、と考えてきました。
そこで、会社としてコーポレートサイトを開設するにあたり、その思いを伝える「挑戦・調和・長生」という企業理念も作ったんです。
「挑戦」は社長の好きな言葉、「調和=ハーモニー。音楽の三要素」は私の好きな言葉で、「まず挑戦すること。でも周囲との調和がなければ会社は成り立たない」という思いを込めています。
「長生」は「一歩一歩山を登るには、一日一日健康を大事に長く歩まねば成し遂げられない。同じことも愚直に続けていく」ということを表しています。
これまでの思いや行動は、SDGsの取り組みとして企業の価値になると気づいた
–環境問題やSDGsへの取り組みを始められたのには、何かきっかけがあったのでしょうか。
橋本専務:
社内にCSRの部署を立ち上げたのは2年前ですが、創業当初からSDGsに通じる考え方で仕事をしてきました。それは祖母や父母からの「食べ物や使えるものは無駄にしてはいけない」という教えに根付いた子供のころからの私の理念と有り様で、気が付いてみるとまさにSDGsの理念と同じだったんですね。
SDGsなどの言葉が世間に浸透してきてから、自分が考えていたことは、こういう言葉で表すことができると知り、家庭内や地域社会、会社でやっていることは、会社の価値として「取り組んでいる」と発信していいんだと気づきました。
SDGsへの取り組みも企業の核として進めていけると感じてから、自分自身も会社の中で自信をもって意見を発信していこうと思うようになりました。
形として見える最初の取り組みは2003年の「グリーン電力証書」の取得です。
ある環境活動家からご依頼があって会報誌などを印刷したことがきっかけで、環境運動のことを知りました。そして、弊社でも環境を守る取り組みをしていこうという意識が芽生えました。
「グリーン電力証書」システムは、自然エネルギーにより発電された電力の「環境付加価値」に対して投資し、通常使用している電力と合わせて「グリーン電力」を使用しているとみなす取り組みです。会社のやりくりが苦しい時は費用の捻出も大変ですし、その仕組みが世の中でどう機能しているのかが目に見えづらいので、もどかしく思う時もありますが、「勉強をしながら見守っていく、自分ができることをしていく」ということに意義があると考えています。
現在は使用する電力のうち、年間12,000kWhをバイオマス発電による自然エネルギーでまかなっています。
–御社が環境に配慮して行っていらっしゃることには他にどんなことがありますか。
橋本専務:
環境に配慮していることの一つとして2008年に使用をはじめた「植物油インキ」や「nonVOCインキ」があります。
インキはもともと石油から作られる化学製品で、自然界にはない物ばかりを使うので、分解することが困難です。また、印刷の工程で定着させることが難しく、印刷を綺麗に見せるためにたくさんの水や溶剤を使いますので環境には厳しいものなんです。
そのため、なるべく天然由来で分解できるようなインキに置き換えていこうという流れがでてきました。
初めは、従来のインキと同じ発色が出せずクレームにつながったり、コスト面で厳しい思いもしましたが、品質を担保するため、信頼のおけるメーカーの「植物油インキ」を採用して顧客からの満足もいただけるようになりました。
現在は「植物油インキ」の他、紫外線でインキを定着させる方法など、環境に負荷のかからないものが少しづつ普及してきています。
インキだけでなく、最近は「紙」に関して環境に配慮したものの需要はものすごく多いと感じます。環境に配慮した「環境対応紙」でないと納められない仕事が非常に増えてきています。
世の中の変化を顕著に感じる部分ですね。
–御社の扱っていらっしゃるSDGsの関連商品などをご紹介いただけますか。
橋本専務:
まず「再生環境カレンダー」をご紹介します。
もともと「再生環境カレンダー」は日本環境保護国際交流会「J.E.E.」が1992年から始めたプロジェクトです。毎年環境問題やエコロジーに関するテーマで作られ、家庭用だけでなく環境教育用テキストとしても学校や行政などで使われていました。
弊社で製版や印刷を請け負っていたこのカレンダーですが、2021年に「J.E.E.」が活動を終了すると同時にカレンダーも製作を終了することになったんです。するとファンからはなくなるのを惜しむ声が多く寄せられました。それ以上に、私自身がこのカレンダーの大ファンだったので、J.E.E.にかけあい、長年の画や企画の知的財産の意図を損なうことなく再生することで、思いを引き継がせていただく形となり今に至ります。
弊社でカレンダーを復活(復活再生)させるにあたっては、環境問題を表すワードを各月の絵とリンクさせて現代風に#(ハッシュタグ)で提示することで、現在のSDGsの問題と過去のカレンダーのテーマに接点をもたせました。
今は当たり前になったマイバッグマイボトル持参なども「危機感を持って行動されてきた人たちの地道な環境運動のたまものなのだなあ」と、当時の絵を見て感じていただけると思います。ある意味、歴史資料ともいえるのではないでしょうか。そんな環境カレンダーを再生させ、再びみなさんのもとにお届けするという意義を感じています。
この第一号の2022年度版はすべて環境団体、NPO団体、学校、教育者などに寄贈させていただきました。
2023年度版は一般書店で販売をさせてもらい、収益はすべて環境団体に寄付させていただいています。販売することで弊社も無理なく続けていけますし、それで世の中に還元できればと考えています。
夢は大きく、人口の1/10の人にこのカレンダーを知ってもらうことです。
もう一つは接着剤を使わない完全に紙100%の「紙製エコファイル」です。
かねてから社内では「エコなものを扱いたい」という希望はあったのですが、なかなか製作する機会がありませんでした。
そんな時、開発担当者の提案に紙だけで作ったファイルがあり、私も賛同して商品にしました。
ファイルに印刷するデザイン等は顧客が決め、弊社は希望通りのものを印刷して作ります。
特徴は多くの同様製品が接着剤を用いるのに対して、素材が紙だけなので製造工程で熱を使わないことです。綴じる部分は圧着していますので、糊も針金も必要ありません。捨てる際は中の書類と一緒に紙ゴミとして捨てられますし再生も可能です。ペンで書き込むこともできます。
紙ですから鞄の中でしわが寄ってしまうなど、クリアファイルの耐久性にはかなわないところもありますが、価値観転換のきっかけとなり、脱プラスチックの意識を高めていくための商品になるのではないかと思っています。
苦境を超えるために大切なのは、思いを知ってもらい協力して進むこと
–社員の方々や顧客、関係会社など周りの方々とはどのような関係を築きたいとお思いでしょうか。
橋本専務:
社員には少しでも働きやすい環境を整えたいと考えていて、特に子育てがしやすいように、育休や時短労働などの推進を試行錯誤しながら行っています。まずは「子育てサポート企業」として厚生労働省の「くるみん認定」を受けることが目標です。良い職場で少しでも長く働いてもらえるようにと考えています。
そして顧客など周りの方々とは「対等で嘘がなく誠実な関係でありたい」という考えのもとで長年仕事をしてきました。無理な要求でどちらかが泣くような関係ではいけないと思っています。普段からコミュニケーションを良くし和することで人を大切にしあえる輪でありたいと考えています。
–最後にこれからの展望についてお聞かせください。
橋本専務:
今後やってみたいことは、紙の材料でもある「木の良さ」を伝えられる商品を作ることです。
木は種類ごとにいろいろな特徴があり、SDGsの多様性にも繋がります。
廃材や間伐材などを使い、例えば台座がいろいろな種類の木でできたカレンダーなど木の良さを生かした商品を作りたいと思っています。楽しんで学べるものがいいですね。
今は材木会社などに足を運び、実現に向けて検討を進めています。
印刷業界は加速するペーパーレス化の影響で非常に厳しい状況です。生き残っていくこと自体が展望になってしまい、先が見えない状態なんです。
ですから今は、目の前のできることを必死でやっていくことが重要だと感じています。
今まで弊社に足りなかったのは、発信力と周りの方々と手を取り合うことだと思います。
社長も私も口下手なのですが、今回のインタビューは自分に鞭打って「頑張って発信せねば!」という決死の覚悟で受けました。
どんなことをどんな思いでやっているのかを世の中の方達に知ってもらい、ご協力を得ながら、今までやってきたことがきちんと実になるような仕事をすることが必要だと考えています。
何をもって山のぼりの”山頂”だとするのかはまだ見えませんから、山のぼりはいつも1合目です。会社が持続し社員が幸せになることを一つの目標に、これからも「山をのぼる」ことを地道に続けていきます。
–本日は貴重なお話をありがとうございました。
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