高橋智恵
1996年兵庫県川西市生まれ。2020年3月神戸大学国際文化学部卒業。大学在学中、中東パレスチナにて1ヶ月のホームステイを経験。人柄と文化にすっかりほだされ、2020年2月にパレスチナの地場産業を活かしたフェアトレードブランド「架け箸(https://kakehashi-palestine.com/)」を個人事業として設立した。コロナ禍の移動制限の中オンラインでの認知活動を続け、2021年3月クラウドファンディングプラットフォーム「Motion Gallery」にて100万の目標額を達成。同3月、ウェブメディア「IDEAS FOR GOOD」に掲載。2022年4月には東武百貨店イベントスクエアにて開催のSDGsライフスタイル展に出展、2023年2月には阪神百貨店梅田本店2階エシカルコンビニにてPOPUPを開催、今も同店舗や有楽町マルイ「エシカルな暮らしLAB」など全国でプロダクトを販売している。「素敵に国境はない」をビジョンに掲げ、あらゆる命や文化が大切にされる世界を目指して目下活動中。
目次
introduction
紛争という危険なイメージがつきまとうパレスチナ。その地に興味をもち、学生時代にホームステイを体験した高橋さんは、パレスチナの人と文化にすっかり魅せられました。今では、パレスチナの手工芸品を日本で紹介、販売し、イベントでは人々の生活や文化などを伝える「架け橋」としての活動を続けています。
今回は高橋さんに、パレスチナの魅力あふれる文化、温かな人々とその暮らしなど「リアルなパレスチナ」を語っていただきました。
”素敵”に国境はない
–『架け箸』がどのような組織であられるのか、まずは概略をご紹介ください。
高橋さん:
架け箸は、「素敵に国境はない」を理念に掲げ、2020年にソーシャルブランドとして設立しました。どんな国、文化、人であれ、素敵なものは世界各地にあります。そういったものを、政治的な文脈を抜きにして「いいね」と言い合える世界になればいいと考えています。
さらに、大量生産・廃棄型ではなく、小規模で顔が見える直接取引によって、ないがしろにされる人たちや手仕事を大切にしたいと思っており、ご縁があった中東パレスチナの手工芸品を日本に紹介して販売しています。
取り扱っているのは、主に「オリーブの木製品」(箸やキッチン用品など)と「伝統刺繍や織物とアップサイクルを組み合わせた布製品」(ポシェット、箸袋、カバンなど)の二分野でのフェアトレード商品です。
販売の合間をぬって、パレスチナの文化に関するイベントも開いています。コロナ禍で現地に行くこともままなりませんでしたが、その間もオンラインでパレスチナと日本を結ぶ時間をつくることができました。
「紛争地や難民、それだけなの?」という疑問と好奇心
–パレスチナは、長い歴史のなかで戦争、紛争を繰り返した結果、一般的には危険な地というイメージが先行しています。なぜ、その「パレスチナ」だったのでしょうか?
高橋さん:
高校時代に授業で「パレスチナ」を知った時、その地に単純に興味が湧いたんです。紛争地とされているけれど、はたしてそれだけなの?本当はどんな場所なんだろう?どんな文化で、どんな人々が暮らしているんだろう?と。
なにが自分をパレスチナに引っぱっていったかと考えると、わからないというのが正直な思いですが、大学生になった時には、真剣に行ってみたいと考えていました。とはいえ、やはり危険という先入観がありましたし、両親に言い出す勇気はありませんでした。
その中でチャンスは、他国への留学から生まれました。大学の交換留学生として10カ月ブルガリアで学んだのですが、その時にパレスチナを訪れ、ホームステイすることができました。
海外からのほうが気持ち的に行きやすかったんです。陸つづきで近くに感じたこともありますが、ヨーロッパや隣国トルコから来ている留学仲間たちに「パレスチナ」を恐がる人はまったくいなかったですね。「あ、そうなの、いってらっしゃい!」という感じです。
パレスチナは宗教的な聖地でもありますから、キリスト教徒で「聖地に行けていいな」という人々もいました。日本の友人や家族からはやはり心配されましたが、結果的にはその環境に後押しされて訪れることが出来ました。今では、心配していた人達も活動を応援してくれています。
–パレスチナでのご体験を伺う前に、パレスチナの歴史の概略と、いまどのような状況なのかを教えてください。
高橋さん:
パレスチナは歴史が古く、遥か昔から沢山の国・王朝に支配されてきました。今のような状況の発端となる150年ほど前は、オスマン帝国がパレスチナのあたり一体を支配していて、留学していたブルガリアも、周辺すべてはオスマン帝国の傘下にありました。
もともとのパレスチナは多民族、多宗教の地域。ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、あるいは遊牧民族などが、お互いに混じり合いながら節度を保ち、互いを尊重して暮らしていました。それぞれのコミュニティで問題はなかったんです。
やがて第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こり、その間にヨーロッパからたくさんのユダヤ人が移住して建国されたのがイスラエルです。イスラエルは、ユダヤ人が作ったユダヤ人のための国です。そこにもともと住んでいたユダヤ人以外の人達はパレスチナ人として排除され、大勢の難民が発生しました。
この時のパレスチナ人、その子孫たちが現在は世界各地やイスラエル領内、パレスチナ自治区に住んでいますが、この自治区は国連加盟国でなく、”自治”できているとは言いにくいと思います。パレスチナ自治区はガザ地区とヨルダン川西岸地区に大別されますが、そのなかにイスラエル人だけが住む入植地という地域があり、パレスチナ人が自由に行き来できるエリアは限定的で、そこに「パレスチナ」の地図を描く上での複雑さがあります。
入植地はだいたいにおいて壁で囲われていますが、時に入植者が外へ出てきてパレスチナの村に対して威嚇したりすることがあります。こうした状況でパレスチナ人にとって移動は大変な困難と危険を伴いますし、自治区が細分化されている以上、安全な境界線を引くのはとても難しいと思います。
–そのようななか、実際にホームステイされて体験した「パレスチナ」のリアルな生活、人々、文化をご紹介くださいますか?
高橋さん:
パレスチナ入りするまでは、紛争地という先入観がまだうっすらあったんです。でも実際に訪れてみたら、現地の方々が当たり前に普通の暮らしをしている、というのが第一印象でした。カラフルなおもちゃを並べた店があり、市場では皆さんが普通に買い物をしていました。
ホームステイしたのは自営業の一般家庭です。息子は働きに出て、おかあさんは家にいて、一緒にご飯を作ったりしました。子どもたちは朝学校に行き、帰ってきて宿題をして遊ぶ。ごく普通の日本と同じような光景です。
パレスチナは出生率が高く、子どもの人数が多いんです。週末みんなで集まると、子どもや学生、若い人がいっぱいで。彼らは日本を含めた東アジアへの関心も高く、Kポップを一緒に踊るなど、なんの分け隔てもない若者同士です。家族にもすっかり溶けこませてもらっていました。
入植地の存在や政治的なことなど、現地特有の部分はもちろん多々あります。でも、一日一日を大事に「貴重な普通」を過ごしているんです。
パレスチナの明るくポジティブな面を伝えたい!
–そこからソーシャルブランド『架け箸』を設立するに至ったのは、どのような思いがあったのでしょうか?
高橋さん:
実際にパレスチナで暮らし、人々や生活、文化に強く惹かれました。ネガティブなイメージとは異なる、パレスチナの明るくポジティブな面を日本の人々に知ってもらいたいと思ったんです。その魅力や空気感をどうしたら伝えられるだろうと考えたとき、「手仕事」の紹介や販売を思いつきました。
パレスチナでは公務員や自営業(農業・個人商店・手工業)が多い印象です。民間の雇用が不安定で、自分で仕事をする人が多いようです。
「手仕事」には、作り手そのものを感じさせる力があります。また、食品は食べてしまうと残りませんが、モノであれば手元に置けて、目に触れた時「パレスチナ」を想ってもらえます。そんなことも、手工芸品に着目した理由のひとつです。
そして最初は「特産品のオリーブ」と「手仕事」を掛け合わせて何かをしたい、と考えました。パレスチナのシンボルですし、人々の温かさやパワフルさが、どんな環境でもたくましく大地に根を張って生きる「オリーブの木」と重なったからです。
パレスチナのオリーブオイルや実は、すでに日本に輸出されていましたが、手付かずだったのが「木製品」です。ここに着目し、オリーブの木で何かを作ることを模索しはじめました。
その中で閃いたのが日本人が毎日使う「箸」です。毎日思い出してもらえますし、パレスチナと日本の文化の融合にもなります。パレスチナのフェアトレード団体に製作できる人を紹介してもらい、そこから「箸」製作の協働が始まりました。私はすでに日本に帰国していてコロナ禍も重なり、現地に行けなかったので、オンラインでのやりとりが続きました。
とはいえ、現地の人に日本の箸の現物を見てもらう必要性も感じていました。そこでパレスチナに行く人に「日本の箸」を託し、職人さんに実際に見てもらい、ようやく前に進めたんです。箸にはレーザーでアラビア文字を入れることにしました。
食卓を笑顔にする言葉がいいと思い、デザインとして成立し、見た目にも面白い「大笑い」の擬声語を選びました。日本での「あははは!」というところですね。こんなことも、文化や言葉を伝えるささやかな一端になることを願っています。
–続いて伝統刺繍や織物とアップサイクルを合わせた布製品についても教えてください。
パレスチナでモノづくりをしている素敵な女性の発信をずっと見ていて、そのセンスや作品自体に惹かれたことがきっかけで生まれました。その女性に日本向けの作品の製作をオファーしたところ、受けていただけたんです。
このデザイナーさんは、もともとアップサイクルにも取り組んでいる方なので、アップサイクル素材のバッグなども作ってくれています。パレスチナ伝統の織物や刺繍を守りつつも、色味も含めて日本の生活に合いそうなもの、かつ性別や世代を問わないものを販売しています。
こうしてできた製品は、オンライン販売に加えて、全国で20店舗ほどに委託販売し、商業施設でのポップアップストアなどにも頻繁に参加しています。箸は中高年の男性の方やお子さんをお持ちの親御さん、ギフトなどとして人気ですね。オリーブの木製という珍しさ、素朴なデザインや持ちやすさ、すべりにくさなどが好評です。
布製品は、女性の方が足を止めてくださいますね。カラフルな色味やデザインが魅力的とのお声を多くいただいています。
パレスチナの作り手と『架け箸』とお客様、この小ささで回していくことが大切だと思っています。大量生産、無暗に取引先を増やすといったことはそぐわないかな、と。互いの顔が見える範囲でやっていきたいんです。
フェアトレードは、モノを通じて人と人を繋ぐ
–取り組みのなかでSDGsを意識している部分や、フェアトレードとしての役割についてお聞かせください。
高橋さん:
箸の製造の段階でいえば、オリーブの木は自然素材で、廃棄されるはずの剪定材や枝を活用しています。コーティングもしていません。オリーブのオイルや実だけが収入となっていたところを、廃棄される部分を使うことで、農家さんの収入源にもなっています
職人の方は、コロナ禍で観光業の仕事がなくなったタイミングでしたから、日本への輸出で僅かではありますがサポートもできたかと思います。布製品についても同様で、刺繍や縫製には現地のより低所得な女性や難民の方々が携わっています。
なによりも、全体を通してパートナーシップの構築を大切なものと捉えています。
どの商品も包装はなるべくせず、基本的にそのままで販売しています。ただ、小売店さんで扱ってもらう際は、「そのまま」は難しいですね。その場合は、再生紙やパレスチナの新聞紙などを包装紙として使うようにしています。
炭素排出量を考えると、フェアトレードやあらゆるトレードには「遠いところからものを運ぶ」というマイナス面があります。理想は過度な輸入を縮小し、日本国内の産業やモノづくりを大切にして、小さな地域の循環を大切にするべきだと思います。でも、フェアトレードは、相手とこちらの繋がりをモノを通して作り、互いを知り合うところに意味があり、平和を作る上で必要だと考えています。
–パレスチナ文化の紹介活動はどのようなものなのでしょうか?
高橋さん:
紹介活動の多くはお話会で、旅や生活の体験、フェアトレードの話などのあとに質疑応答を設けています。「ごはん」紹介メインの会もあります。パレスチナ料理はスパイスを多用しますので、現地のスパイスやハーブを使い、炊き込んだ大鍋ご飯や豆と野菜のスープなどを作りますね。
パレスチナに行ったことのある方は、私の周りにはたくさんいますが、一般的には少ないので、体験を話すだけでも「珍し」く、有意義だと言っていただけます。
時にはzoomなどを用いてパレスチナと日本を繋いでのワークショップも開きますが、やはり顔を合わせての会は、さらにリアリティをもって互いを知る機会になると感じます。
–今後への展望をお聞かせください。
高橋さん:
素敵に国境はない、という言葉を理念として活動してきましたが、究極的にはそういう世界に住んでいたい、という思いがあります。
社会にはあまりにも多くの線引きがあって、些細なことで不利益を被っている人々がたくさんいます。今の国境はなくせなくても、それが本当に現実の違いに基づいているのか、考えてみることは出来ますから、境界線って何なのか、その向こう側に素敵なものは転がっていないだろうか、そんな風に考えられる世界の一助になりたいと願っています。
小さな活動ではありますが、「素敵に国境はない」という世界観が実現できるように頑張りたいと思います。
–リアルなパレスチナを感じることができました。今日はありがとうございました。
『架け箸』オンラインショップ:https://kakehash.thebase.in/
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note(現地滞在記も):https://note.com/kakehashi_pale