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株式会社地域法人無茶々園|みかんの有機栽培を中心に、グループ全体で目指す持続可能な農業と地域の育成

株式会社地域法人無茶々園 大津さんインタビュー

大津清次(おおつせいじ)

1965年生まれ、愛媛県西予市明浜町出身。
1984年愛媛県立宇和高校卒業
1985年大津宅送開業
1988年無茶々園入社
1993年㈱地域法人無茶々園専務取締役
1998年日本労働者協同組合連合会へ3年間出向
2004年地域協同組合無茶々園専務理事
2011年㈱地域法人無茶々園代表取締役
2013年㈱百笑一輝代表取締役
2015年パルシステム生活協同組合連合会 生産者・消費者協議会代表幹事
2017年日本労働者協同組合連合会副理事長
2018年あけはまシーサイドサンパーク㈱代表取締役
現在、㈱地域法人無茶々園 代表取締役
地域協同組合無茶々園 専務理事
株式会社百笑一輝 代表取締役
日本労働者協同組合連合会副理事長
パルシステム生活協同組合連合会 生産者・消費者協議会代表幹事
あけはまシーサイドサンパーク㈱ 代表取締役

Introduction

1974年の愛媛県西予市で、先代となる三人が、みかんの有機栽培を目指して有機農業の研究園をつくりました。その「無茶々園」は、今では柑橘類や農産物の有機栽培、加工、販売のみならず、海産物の販売、農業研修施設の運営、高齢者のデイサービス/有料ホームの福祉事業など、グループ全体で、持続可能な産業と地域づくりに邁進しています。

今回は「株式会社地域法人無茶々園」の大津清次代表取締役に、同社とグループ企業のご活動について伺いました。

みかんの有機農業の先駆けとなった「無茶々園」

-早速ですが、「無茶々園」について、ご紹介頂けますか?

大津さん:

「株式会社地域法人無茶々園」は、柑橘類や野菜、それらの加工品、海産物、コスメや雑貨の販売をおもな業務とします。選果、生産情報・仕入れの管理、商品開発なども含め、非生産部門の様々な業務を担っています。「無茶々園」グループ全体となると、非常に多岐に渡った事業を展開しています。

-グループ企業の事業が多岐にわたり、すべてがサステナブルであることに驚きます。まずは、創始者の方々が時代に先駆けてみかんの有機栽培を始めたきっかけをお聞かせください。

大津さん:

少々専門的な話になります。昔の日本の農業は自給自足的なものでしたが、戦後の高度経済成長のなかで変容しました。昭和36年に農業基本法が施行され、農業も工業のようにお金が儲かるようにしようと、みかんならみかん、米なら米、と単作の農業政策に変わったんです。

-効率よく分業方式、という感じですね。

大津さん:

そこで60年ほど前に、愛媛はみかんで、となったわけです。ところが、他の県でもみかんは作りますし、10年くらい経つと寡頭競争になってきました。勝ち組、負け組がでてきたあたりの1974年、先代3人が、生き残るために有機栽培に切り替えたのが「無茶々園」です。

-先代の方々は、環境問題への意識がとても高かったのでしょうか?

大津さん:

意識はありましたが、特別高かったわけではなかったと思います。これまでとは異なる農法でやってみよう、という発想から始まりました。環境問題については、あとから知っていったというのが実情です。

-なるほど。とはいえ創始者の方々は、農薬の害についてはっきりと認識されていたからこそ、有機栽培だったのでしょうか?

大津さん:

もちろんです。農薬の害を自ら感じたことが、有機栽培を始めるきっかけのひとつでもありました。当時は、今よりよほどきつい農薬を使っていましたから、散布した日の夜は、本来のビールの味が感じられず、「美味しくない。これはおかしい」となりますよね。  

本当は、やらなくて済むなら誰も農薬なんて使いたくないんです。農薬をかけた野菜を市場に出荷しても、自分たちが食べるものには農薬を使わない、というのもよく聞いた話です。本来は消費者のためのものなのに…と矛盾を感じたと、先輩方は言ってましたね。

-そういった背景があるのですね。普通とは異なるという点で言うと、「無茶々園」さんのみかん畑自体が、海を臨む山の段々畑ですよね。

大津さん:

景色は最高ですが、急斜面で効率が悪いというのが、段々畑という条件ですから、トラクターなどを入れた効率的な大量栽培は不可能です。ただ、太陽光、海からの照り返し、段々畑の石垣からの反射の「三つの太陽」と称される恵みがあります。

-甘いみかんになりそうです!さらに有機栽培となると、魅力がより高まりますね。

大津さん:

ただ、先代たちは、「高いみかんを作って稼ぐ」という発想ではなく、地域を持続させるために有機栽培を始めたんです。そこが原点。やがて、環境破壊を伴わず、安心安全な地域農業、地域づくりをする、という理念をもつに至りました。半世紀近く前のことです。

-SDGsの先駆け的な存在ですね。環境問題について知るようになったのは、どういうプロセスだったのですか?

大津さん:

先代たちが「消費者と生産者が理解しあって取引し、関係性を作りながらみかんをつくることが大事」と今でも存在する「日本有機農業研究会」から教わったとおりのプロセスでした。

事業を営む中で、消費者から「有機農業やりながら、なぜ環境問題を知らないの?」「なぜ石鹸じゃなくて合成洗剤を使っているの?」などと言われては、学んでいった歴史がありました。つまり、今でいうSDGs的な考え方を、我々と消費者が一緒に作っていったんです。

山がよくないと、海は再生しない

-「無茶々園」さんは、海の環境への取り組みもなさっています。なぜでしょうか?

大津さん:

ちりめんじゃこと真珠を生産している漁業者が、「無茶々園」の会員で、産直販売に共に取り組んでいます。それらを販売している理由の一つは、まずは地域の経済を潤すため。もう一つは、山がよくないと海は再生しない、という山と海の関係性からです。

-段々畑からも、良いものも悪いものも海に流れるということですね。

大津さん:

ちりめんじゃことアコヤ貝の餌はプランクトンです。これに悪い影響が及べば、その先の生産もできません。山が海を汚してはならないんです。

我々は石鹸づくりも行っていますが、その一環としてやりました。一般的に使われている合成洗剤は海で分解されません。でも、石鹸は分解するんです。

-地域として、山も海も環境も産業もつながりあっているのですね。

大津さん:

そうです。また、浄化槽の塩素などが海に流れて海草が無くなる「磯焼け」という状況も深刻です。これによってアオリイカなどが海草に産卵に来れなくなっている。今から、環境と水産の管理をしていかなければ、地域の水産は無くなります。海も持続可能にしなければなりません。

昔はイワシが大量に獲れて、餌や肥料にもなりました。こうやって循環させるのが昔の一次産業です。今は化学肥料を海外から依存していますが、戦争の影響で、ロシアや中国から入ってこなくなっています。

-昔のやり方が、今、求められているのですね。

大津さん:

歴史は繰り返されます。今までのやり方が持続可能でなくなったのなら、それを変えていかねばならないのです。

-SDGsが声高に叫ばれだして、いっそう「無茶々園」さんは注目の存在となりましたね。

大津さん:

SDGsを意図したことはありませんがね。消費者に言われたことや、自分たちも感じたことを積み重ねている間に、今の循環型の再生可能な生産、持続可能な地域にいつの間にかなり、SDGsのモデル的存在にもなっていた、ということです。

農業を支える若者たちの労働力

-次に、雇用や働き方について伺います。わけても生産の場で、移住者、新規就農者を多く受け入れられています。その理由を教えてください。

大津さん:

一つは、若者を雇用するためです。田舎は高齢化していますから。田舎の若者は、大学などで都会に出たあとに戻らない、というパターンが多いんです。都会の人が、田舎の景色ややっていることに惹かれても、地元の若い子たちはそれが嫌だったりもします。

反対に、環境への意識が高い学生などは、SDGsの活動をしている所などに興味をもつ。そういう若者と、興味をもたない田舎の若者がチェンジしているという状況です。

-それは興味深い現象です!

大津さん:

ただ、理想をもってやってきても、理想どおりでなかった、という現実もあります。つまりは田舎に適応できるかどうかです。バスも二時間に一本だったり、コンビニもなかったりする。来てよかった、という暮らしでなければ続きません。働き方も、下積みをちゃんとやれなければ無理です。

-農業生産部門の「有限会社てんぽ印」では、新規就農者にも給料制を適用したり、教育制度もしっかりと組まれたりしていますね。

大津さん:

最低限の保障がなければ誰も来ませんし、労働環境を整える必要があります。ただ、高い給料がほしい場合は、自分たちで知恵やアイデアを出していかねば無理ということです。

-他にも2013年には、海外の若者の研修のための「ファーマーズユニオンベンチャー」をベトナムに設立されましたが、どのように機能していますか?

大津さん:

理想はあれど、まだまだですね。この地域の労働力は減少しています。新規就農者が入ってきても、やめていく農家があり、労働力が追いつきません。ですから、海外実習制度によって労働者を得ているといえます。

-ベトナムからの実習生は、貴重な働き手なのですね。

大津さん:

ただ、労働力として賃金が安いから、というのは違うよね、と。せっかく来てくれたのだから、彼らの国での農業を支援するために現地法人を作りました。母国に戻った実習生たちが「無茶々園」でやっていた有機農業や加工事業をできればいいのですが。

-労働力を確保し、実習生の国の農業支援もするのは、うまく機能すればウィンウィンの関係ですね。

大津さん:

そうありたいですし、日本で作っていない胡椒を輸入するなど、ビジネスも成立させたいところです。いまだに赤字続きですが、10年くらいのスパンで見て、今からそういう関係性をもつことが大事です。経済の持続可能も伴わなければ、SDGsをやっています、とはなりませんね。

持続可能な地域のゴールともなる福祉事業

-様々なご活動は、持続可能な産業、持続可能な地域の育成に集約されますね。御社の社名に「地域法人」と冠されていますが、その志をこめた造語なのでしょうか?

大津さん:

その通りです。もともと田舎には結(ゆい)という共同体があり、生活のことは住民皆でやっていました。また、本来は農協が、金融、生産、資材仕入れ、保険など生活全般を担っていた。ところが、農業者人口が減り、事業が成り立たなくなって地域に根ざせなくなってきました。

-その代わりとしての「地域法人」を目指されているのでしょうか?

大津さん:

地域全体が共同であらねば、という意味が込められています。現在の協同組合(農協、漁協、生協、信金、森林組合など)は、縦割りの分野別になっています。本来、働くことも含めて、いろいろなものを共同でやることが基本だと考えています。

-SDGs11番の「住み続けられるまちづくりを」でいえば、福祉事業所立ち上げのための「株式会社百笑一輝」設立は、人が街に住み続けるためのゴールのお手伝いですね。

大津さん:

「百歳で笑顔が絶えず、人生の完成期を輝いて過ごしてほしい。百姓は百の仕事をしながら自立する事業者」という思いをこめた社名です。デイサービス、有料老人ホームの「めぐみの里」、福祉事業所「海里(みさと)」を運営しています。

-みかんの有機栽培から福祉事業までとは驚きました。太陽光発電にも取り組まれていますし、「無茶々園」さんのご活動は、SDGsに9項目も重なっています。

大津さん:

それは、あくまで結果です。福祉事業も、雇用を作り出し、地域の経済をまわす目的があります。介護に直面し、切実な問題を抱えた住民のニーズに応えることも役目です。行政がやらねばならないことも含めてやっていますね。

持続可能な地域モデルの基本は家族

-最後に、未来の展望をお聞かせください。

大津さん:

これまでお話したことが全国のモデルになれるように、持続可能な自立できる地域をちゃんと作っていきたいですね。そのための一番の基本は、一つ一つの家族です。

-それぞれの家族がしっかり機能してこそ、全体の基盤になるということでしょうか?

大津さん:

そうです。農業をするにしても、何にしても、経済を含めて家庭がしっかりとしていて、子どもたちにも教育をちゃんと受けさせられるなど、そういうことが基礎になるんです。

-未来への展望となる地域モデルの基本が「家族」とお聞きして、真から住民にとっての最良最善を目指されているのだと感動しました。今日は貴重なお話をありがとうございました。

関連リンク

株式会社地域法人無茶々園 公式サイト https://www.muchachaen.jp/