#インタビュー

株式会社たなべたたらの里|里山の魅力を引き出して循環型の中山間地域に

株式会社たなべたたらの里 井上さん インタビュー

井上 裕司

1978年11月28日 島根県生まれ 2002年大学卒業後、神奈川県内で就職。2014年郷里にUターンし、株式会社田部に入社。代表秘書を務めながら、新規事業等の立ち上げに関わる。たたらの里づくり構想をもとに、社内にたたら事業部を新設。2018年田部家の100年ぶりのたたら吹きを実施。2021年たたらの里づくりを推進する新会社たなべたたらの里では営業部部長。既存事業の強化と、新規事業の推進を担う。

Introduction

島根県雲南市吉田町で、現代では珍しい伝統的な製鉄法であるたたら製鉄を行っている株式会社たなべたたらの里。2018年に約100年ぶりに田部家のたたら吹きを復活させました。

今回は、たなべたたらの里の井上さんに、たたら製鉄を復活させた理由や、土地の風土、文化を絶やさないために行っている取り組みなどを伺いました。

たたらの文化をもう一度取り戻したい

–たなべたたらの里の事業内容を教えてください。

井上さん:

我々は、この地域の伝統的な産業であるたたら製鉄を基点にした里をつくる仕事をしています。

具体的には、伝統的な製鉄法で行うたたら事業、養鶏を営み地産スイーツや加工品を届ける特産品事業、山林の維持管理・活用を行う山林事業、そして地域資源を活用した新しい事業開発など多岐にわたります。

–たたらとはどのようなものでしょうか。

井上さん:

たたらとは、原料の砂鉄と木炭を炉の中で燃焼させることで鉄を生成する日本古来の製鉄技術です。吉田町のある奥出雲地方では良質な砂鉄が採れるため、ピーク時には日本の鉄生産の8割を担っていました。

–たたら事業はいつからされているのですか。

井上さん:

弊社のたたらの歴史は、法人化するよりはるか昔、1460年の室町時代まで遡ります。田部家初代の田辺彦左衛門が今の雲南市吉田町で、たたら製鉄を始めました。

–歴史を感じますね。

井上さん:

そこから450年ほどたたら製鉄を生業としてきたのが田部家(江戸時代に田辺から田部に改名)です。しかし、大正末期にたたら製鉄自体が一度途絶えてしまうんです。

–それはなぜでしょう?

井上さん:

大きな理由としては明治維新以降、海外から洋鉄技術が入ってきて、製鉄方法も生産性の高い溶鉱炉が使用されるようになり、鉄の原材料も鉄鉱石が使われるようになったことです。

時代の波に淘汰されてしまい、国内のたたら製鉄は廃業せざるを得なくなりました。

ですが、2018年に我々は再びたたらの火を灯しました。

–96年ぶりにたたら事業が動き出したんですね。そのきっかけは何だったのでしょう。

井上さん:

たたらが復活する3年前に、代表の田部長右衛門が吉田町の中学校から授業を依頼されたことがきっかけです。現地に赴いた際、目の前の子どもの少なさに強烈な危機感を覚えたんです。

もう一度この町をなんとかしないといけないと感じ、その場にいた38名の生徒さんの前で「この場所にもう一度、仕事を僕がつくるので一緒にやりましょう。」と宣言をしました。

それからこの町で何をやっていけばいいか考えた結果、「やはり一番強いのはたたらだよね」と。そこからまずは、たたらを復活させようとなったわけです。

土地の文化や風土を取り入れた新しい取り組み

–将来子どもたちが活気ある地元で働いてくれるように、先祖代々受け継いできた吉田町の象徴でもあるたたらを復活させたのですね。

井上さん:

はい。しかし、たたらの火をもう一度灯したことで、一見ゴールにたどり着いたように思えたのですが、実際に地域活性の点で周りを見渡したところ、たたらをやるのが最終的な着地ではないと感じました。

たたらを復活させることに加えて、もっと地域のためにできることがあるはずだと。

たたらで出来た鉄でプロダクトを作っていくという直線的なことだけではなく、吉田町の文化や風土、自然をいかに事業化していくかということが大切だと考え始め、もう一度構想を練り直したんです。

–そこがスタートだったのですね。では、たたらの文化や風土を取り入れた、新しい取り組みを教えてください。

井上さん:

昔は、たたらに必要な木炭を得るために山を伐採して木を使い、残った土地にまた苗木を植えるというサイクルを行ってきました。つまり、現在の林業もそうですが、使うための山だったんです。

対して私たちは、「使う山」だけでなく、「見て楽しむ山」や「食べて楽しむ山」、「入って遊べる山」など、新しい活用方法を見出そうとしています。

–山の新しい活用方法、楽しそうです。現在行っている事例があれば教えてください。

井上さん:

象徴的な事例があります。山林を全伐した場所に何を植えようかという話になったときに、今までであればまたヒノキや杉といった建材用の針葉樹を植えていました。

でも、今それを植えても面白くないよね、と。じゃあ何を見て楽しむかということを考えた結果、「全部桜を植えちゃえ」となったんです(笑)。

そこで2018年、全伐した山に7,000本の山桜を植えました。苗木を植えたので、あと15年20年しないと桜は咲きません。

ただ、我々としては中長期的な視点での里づくりも考えているので、未来への投資、次世代の人へのプレゼントという視点から、「見て楽しむ山」を作ってみました。

–素敵な取り組みです!

井上さん:

ほかにも、吉田町の風土が味わえる宿泊施設を運営したり、山に入って遊べるフィールドアスレチックを来年オープンさせたりします。

560年地元に根付いてきたからこそわかる土地の魅力と伝える責任

–非常にワクワクする地域事業だなと感じました。なぜそのような大きなビジョンを持つことができているのでしょうか。

井上さん:

現在、吉田町の人口は1,500人を切る勢いです。このままでは町自体がなくなってしまうと危機感を持っています。

田部家が560年この吉田町に根付いてきたからこそ、この土地の息づかいや文化、風土を次世代に伝えていかなければという思いを抱いています。

–そんなに過疎化が進んでいるのですね。

井上さん:

たたら製鉄が最も盛んだった江戸の中期から明治初頭にかけて、吉田町でたたら製鉄に従事していた人は4〜5,000名いたと言われています。ご家族を含めると1万人以上が吉田町に住んでいたはずなんです。

それがたたら製鉄が終わった瞬間、働いていた人々に田部家からは暇を出さなければいけなかった。そのことが非常に痛恨の記憶として残っています。

–そのような背景があったのですね。

井上さん:

そして地域の人たちやひと世代前の人たちは、「昔こんなに賑わったんだよ」、「このエリアで日本の鉄の8割を担っていて凄かったんだよ」、「それが今もこんな形で残っているんだよ」と、昔話のような認識です。

でも、もっとこれから先の長い視点で見てみて、新しい未来への展開を我々がもう一度作ればいいと思っています。

地元の産物の贅沢さを知ってほしい

–たなべたたらの里の活動に関して住民の方からどういう反響がありましたか?

井上さん:

最初は皆さん半信半疑でした。今も「今さらこんなところでできるの?」と思っていらっしゃる方もいます。でも、多くの方が「田部さんがやるって言ってくれたんだからやる、多分できるよ。」と言ってくださっています。

–町の魅力が大人に、そして子どもたちにも伝わるといいですね。

井上さん:

たたらを復活するきっかけとなった小中学生にお話をさせていただく機会を毎年頂いています。

よく、「みんなが住んでいるところってなにも無いように見える。でも、あなたが毎日飲んでる水を東京に持っていくと、500mlのペットボトルが100円で売れるんだよ。」

「あなたが食べてるお米がどれだけ美味しいかわかるかな。あなたの家のおじいちゃんが作ったアスパラがどれだけ価値が高いかわかるかな。実はすごく贅沢してるんだよ。」という話をさせてもらうんですね。

–地元の中にいると気づかない魅力が、実はたくさんあるんだと気づくきっかけになりそうです。そしてSDGsのゴールにも含まれる地域創生のヒントにもなりそうです。

井上さん:

子どもたちからよくもらう感想の中には、「なにもできない町だと思っていました」と言うものが多いんです。

時間をかけてでもいいから、外の人と触れ合って、自分たちのことを説明できたり自慢できたり、はたまた外の人が褒めてくれるような機会を、たなべたたらの里でもっともっと作っていきたいなと思っています。

–今後の展望を教えてください。

井上さん:

大きいことをいえば、中山間地域の成功モデルになるように、様々なトライをして形にしていきたいと思っています。山林のアスレチックや特産物など裾野を広げて、ハードルの低いところから入っていただき、たたらの文化が息づく吉田町の本質を身近に感じてもらいたいですね。

私たちがやっていることに共感していただく、もっといえば同じ仲間になっていただく、そういう方を一人でも多く作っていく。これが、私たちのやらなければならない課題だと思っています。

そのためには、物理的な商品やサービスだけではなくて、我々の里に対するビジョンや考え方も、しっかりとお伝えしていきたいです。

ぜひ我々の町づくりがきっかけとなって、たたらのことや雲南市、吉田町に目を向けていただければ嬉しいですね。

–本日はありがとうございました!

関連リンク

株式会社たなべたたらの里 https://tanabetataranosato.com/