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株式会社石巻日日新聞社|地域にとって豊かな暮らしとは?何が必要で何が必要ではないのか?それを考え、感じ、伝えたい

株式会社石巻日日新聞社 外処健一さんインタビュー

外処健一

2005年3月入社。報道部記者、報道部課長、報道部長を経て2022年7月から常務取締役

introduction

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市。被災により輪転機が稼働しなかった石巻日日新聞は、手書きの壁新聞を避難所などに6日間貼り続けました。地域の崩壊と復興という過程のなか、同社は地域新聞としての役割をはたしています。

今回は、外処常務取締役報道部長に地域とのつながりやSDGs的な視点などを伺いました。

震災時の「手書き壁新聞」は報道魂と反省の象徴

石巻ニューゼに展示されている壁新聞

–最初に、石巻日日新聞がどのような会社であるか、簡単にご紹介ください。

外処さん:

2022年10月で110周年を迎える新聞社です。石巻市、東松島市、女川町などへの発行部数は、震災で消滅した地域も多いため、現在は約7,000部です。

「正確・公平・迅速な情報を通して、豊かでゆとりあるくらしの創造と地域文化の振興に貢献します」を企業理念として、地域の様々な話題を読者の皆様に届けています。

–経営方針のなかに「地域に感謝し、地域と共に歩む新聞を目指します」という文言があります。東日本大震災の翌日から6日間、手書きの壁新聞を避難所などに貼り続けたご活動は、地域住人の支えとなったことでしょう。壁新聞発行に踏み切った経緯と体験などをお聞かせください。

外処さん:

情報を届けたくとも電気が停まり、道路は無くなり、印刷と配達ができなくなりました。配達先の安否も不明です。その状況下で情報を届ける最低限の行為として、手書きの壁新聞の発行を社長が最終決断しました。

当時記者だった私の正直な気持ちは(え、壁新聞?)でしたね。13日朝には他社の新聞が避難所に届いていました。一番情報の発信が必要な時に、自分たちは何をやっているんだ?という悔しさがありました。現場では、壁新聞=通常の新聞を配れなかった結果、という反省の象徴でもあったのです。

そうとはいえ、やれることは「手書き壁新聞」しかなかったのが実情です。取材に出ると、地域のどこを見ても、今なら一つ一つが新聞一面レベルの異常な状況でした。皆、地域への情報提供が我々の使命、という一心で取材しました。

集めてきた情報をもとに、大きな紙にマジックペンで記事を書き、それを原本としてスタッフが他の紙に書き写して6部を作り、5ヵ所の避難所とコンビニ前に1ヵ所、6日に渡って貼りだしました。

ココストア前の壁新聞 2011年3月15日正午ごろ

この壁新聞は各方面から評価を頂き、ワシントン・ポスト紙を始め様々なメディアで紹介されました。のちにワシントンの報道博物館「ニュージアム」に永久保存されることにもなりました。報道魂の象徴などとお褒め頂くこともありますが、我々としては「手書き壁新聞」というそれ以上でも以下でもない、それしかできなかった、というのが正直な気持ちです。

震災直後の壁新聞の内容には、「○○地域壊滅」などの悲惨な情報が並ぶのみでした。3日目になり、これではいけない、となりました。互いに探していた家族同士が、やっと出会って抱き合って泣いているような光景を見て、被災状況だけでなく、一つでも希望につながることを伝えねばと方針が変わったのです。

14日の内容には「全国から物資供給」などの明るい情報も出しました。壁新聞を発行した6日間は、家族の生死が判り始めた期間でもありました。大切な存在を失い、生きていても仕方がない、と感じる人々がいたのです。被害の事実を伝えつつも、今生きている人たちを少しでも励ませることを載せたい、となりました。

読んでくださった方々の感想は様々です。励まされた、助かった、など喜んでも頂きましたし、間違った情報の指摘や、どこにあったのか?もっと働け!なんていうお叱りもありました。意義もあり、反省もあり、の結果でした。

地域壊滅の被災者の多くは、三度新たなコミュニティに入らざるを得なかった

地域が壊滅した被災者は、コミュニティの崩壊と新たな地域の構築を同時に体験しました。その過程を取材されて、どのような問題に気づかれましたか?また、どんなことが希望につながりましたか?

外処さん:

津波で壊滅した地域は問題だらけです。もともと東北沿岸部は少子高齢化や人口減少を抱えていましたが、ほとんどの地区は人も家もなくなり、今も草原のままの場所もあります。

もう一つの問題は、被災者にとって新たなコミュニティの経験が一度ですまなかったことです。一度目は避難所で数か月、二度目は仮設住宅で1年~5年、三度目が復興公営住宅です。僅か10年で三回も新たなコミュニティに入らねばなりませんでした。

また、終の棲家になるはずの復興公営住宅にも問題があります。住宅完成後、10年間は家賃が減免されているところが多いですが、以降は据え置かれていた家賃が上がります。また、被災者用にたくさん建てた住宅も空き家が目立つようになってきます。

避難所
仮設住宅

希望につながる状況としては、新たに構築された地域の中にも活気が戻りつつある地区があることです。たとえば石巻市二子地区は、河北、北上、雄勝という文化も歴史も異なる地域の約200世帯で構成されていますが、まちづくり委員会で議論を重ね、祭を開催するなど新たなコミュニティとして発展しつつあります。

少しマクロな視点からの希望は、「最大の被災地石巻」だからこそ、震災前にはなかった人の力がもたらされるようになったことです。ボランティア、学術、行政、産業など、様々な分野と石巻との縁が今でも続いているケースがあります。

たとえば、当社はフランスのZOOMJAPAN誌と縁ができました。同誌は日本の文化情報を総合的に発信するヨーロッパ唯一の無料月刊誌で、フランス版、イギリス版、イタリア版、スペイン版でおよそ20万人の読者を抱えています。その紙面で毎月弊社の記事を配信し、復興に向かう様子や観光地などが紹介されています。このように、震災を縁に地域の力になる縁も無数に生まれています。

復興もSDGsも、取り組みの理想と現実の両方をとらえたい

–石巻市は「SDGs未来都市」「SDGs日本モデル」の両方に選定されていますね。どのような取り組みを取材してこられましたか?その問題点や成功例などをご紹介下さい。

外処さん:

高齢者の孤立を防ぐためにも、外出時の交通手段のサポートが急務でした。そこで石巻市は、グリーンスローモビリティ(以下グリスロ:電動で時速20㎞未満で走る4人乗り以上の公的乗り物。半額分を公的補助)を導入しました。

21年3月のスタートセレモニーを取材しましたが、その内容は、「住民全体でルールを決め、ドライバーは5名のボランティアを選出」というものでした。現在も運用されていますが、ドライバーと親しい人や、コミュニケーション力の高い人々は利用しやすく、そうでない人は遠慮などから使うハードルが高いようです。

モデル地域では、高齢者の自宅にコミュニケーションロボット「ATOM」を設置する試みもありましたが、まだ広い普及には至っていない様子です。被災地は新たな街づくりのモデルともなるため、企業なども参入して様々な取り組みがなされますが、頓挫も多いのです。防災ラジオを払下げ価格で地域の住民に販売した試みは、成功例といえます。

–「SDGs未来都市石巻」の地域新聞社として、SDGsにどのように取り組まれていますか?

外処さん:

新聞社としては、SDGsの実際の活動というよりも、先ほどのグリスロのような「理想と現実の両方を取材して問題提起する」ことが、今後のSDGsへの関わりの一つになると感じます。

石巻市のSDGsについての過去の記事を調べたのですが、ほぼ3年間で30記事。そのほとんどがSDGsのシンポジウムや小学校への出前授業などの紹介です。この地域では、「SDGsは英語が多くて判らない」「世界の話で関係ない」というのが正直な感想です。

その反面、石巻人の多くは一次産業に関わってきましたし、震災時にはライフラインが断たれ、食料も情報もないところを協力して乗り越えてきました。貧困や飢餓をなくし、安全な水やエネルギーを求める…SDGsの多くが、石巻が復興の名のもとに目指してきたものと重なります。皆、体感としてはわかっているのです。あとはどう伝えるかで、それが当社のやるべきことと感じています。

取り組まざるを得ないのは、震災で加速的に進んだ少子高齢化と人口減少です。暮らしの豊かさと共に地域を持続させていくという根本的なテーマを考えた時、物心両面でSDGsをしっかり踏まえて未来の暮らしを提言するのは、当社としても大切なことだと思います。

SDGsの推進に賛同する企業を「いしのまきSDGsパートナー」として登録し、石巻市とパートナーが連携してSDGsの普及啓発に取り組む制度がありますが、当社もその登録企業の一員です。これまでのように情報発信をメインとしてはいきますが、主催イベントでの体験活動、行政と連携した紙面・WEBでのコンテンツ制作などを検討しています。

SDGsは、どちらかといえば「途上国のために」という捉え方をされがちですが、「地域のいろいろなところにSDGsは転がっているよ」という視点も伝えたいですね。石巻最大のイベント「川開き祭り花火大会」の会場で、弊社若手社員の発案で翌日早朝のゴミ拾い活動を実施しました。

7月には、低学年児童の親子を対象に、SDGsを考える「海とエネルギーの旅2022夏」というイベントを開き、海に触れてもらったり、女川原子力発電所の見学などで、地域の未来を考えてもらいました。

地方からの発信力をつけつつ、地域持続のために「この街に住みつづける人」を育んでゆく

–地域新聞社だからこそのイベントとナビゲートですね。そのような地域との密接なつながりなど、地域新聞社ならではの強みをお聞かせください。

外処さん:

地域のニュースの掲載とともに、住民からの情報発信にも大いに使ってもらっています。選択のハードルは低くして、伝えたいことや催しのPRなど、ほぼ取り上げます。

経営理念も、かつての「正確公平迅速な報道を通して~」の「報道」が、今は「情報」に変っています。報道を軽視したわけではなく、持続させていく将来に向けて、地域と地域をつなぐ、地域と何かをつなぐことを考える集団でありたいのです。町内回覧板と全国紙の間の存在として、市民と同じ目線で、ニュースにしても情報にしても「痒い所に手が届く」ことを大切にしています。

「石巻日日こども新聞」も関連会社とのことですが、イベント以外でも子どもたちとの継続的な接点をお持ちなのでしょうか?

外処さん:

コロナ禍で一時中断しましたが、小学5年生がメディアを学ぶために当社を訪問する校外授業が復活します。SDGsについても、大きなことをやらねばではなく、小さくても出来ることからやっていこう、という話を子どもたちに直接話し続けていきたいです。

小学校5年生以下は、震災後に生まれた世代です。親世代も含めて、自分たちにできることに取り組む輪を広める環境作りが大事です。そうでないと、地域の持続もできなくなります。地域新聞としてニュースの発信も大切ですが、この街がなくなってしまったらどうしようもない。この街に住み続ける人たちをどう育ててゆくのか、その一助になれることを新聞社としても考えていきたいと思っています。

–最後に、今後への展望をお聞かせください。

外処さん:

私たちの暮らしは、昭和、平成の遺産を食いつぶしているようだと思うことがあります。我々の世代が創り出したものはあるのだろうか、と。新聞社も同様で、少しずつ減り続ける購読者数をにらみながら、抜本的な対策はないかと手をこまねいているのが現状でしょう。その中で、当社としては、地域にとって豊かな暮らしとは何か?何が必要で何が必要でないのか?ということを考え、感じ、伝える仕事を続けていきたいですね。また、地方にいるからこそ出来ることがあります。東京や世界からの情報を待つだけでなく、こちらからも発信していきたい。全国紙や都会のローカル紙で住民視線での発信がしづらいなら、「石巻に我々がいる!」と、地方から発信する際の拠点として機能できるくらいの力をつけることが、将来の展望です。

–地域のことごとも手書きの壁新聞も、決して小さなことではなく世界の雛型なのだと感じました。今日は貴重なお話をありがとうございました。

関連リンク

株式会社石巻日日新聞社:https://hibishinbun.com/

石巻Days(石巻日日新聞社公式):https://note.com/hibishinbun