怖いと思う生き物がいる方でも、綺麗な花が咲いている光景や、雄大な自然の広がりが嫌だということは、なかなかないのではないでしょうか。なぜ人は昔から植物に癒されるのでしょう。
植物とかかわることの意義、そしてそれを予防や治療・リハビリに効果的に生かす園芸療法について、一緒に学んでいきましょう。
目次
園芸療法とは
園芸療法とは、植物とのかかわりを通して、心や体の健康、社会生活における健康の回復を図る療法(セラピー)です。
園芸療法の目的
園芸療法は、主に下の6つを目的として行われます。
- 生活の質(QOL:Quality of life)を維持・向上させる。
- 運動不足を解消し、筋力低下を予防する。
- 外出する機会を増やす。
- 社会性を改善・維持する。
- 意欲向上・生きがいづくりにつなげる。
そして、園芸療法における「植物にかかわる」活動には、大きく分けて次の3つがあります。
- 森林浴や花見などの鑑賞
- フラワーアレンジメントや押し花クラフトなどの加工活動
- 植物の成長に携わる園芸
鑑賞活動が受動的であるのに対し、加工や園芸は自分からかかわることから始まる能動的活動と言えます。特に栽培や収穫を伴う園芸は、大きな達成感を伴う活動です。その達成感を得るまでの過程を「療法」として生かそうというのが園芸療法です。
園芸療法の歴史
園芸療法は、古くは古代ギリシャやエジプトでも行われていたと言われていますが、療法として体系化され始めたのは20世紀に入ってからです。
1950年代から、アメリカでは戦争帰還兵の心のリハビリテーションとして、北欧では障がい者の社会復帰・参加の一環として発展してきました。その後も欧米では園芸療法を学ぶカリキュラムや訓練コース、資格認定制度などが整備されてきています。
日本では、
- 1978年:「園芸による治療」(塚本洋太郎)の紹介
- 1994年:米英の専門家来日
- 2001年:民間資格としての園芸療法士認定
- 2002年:兵庫県立淡路景観園芸学校で「園芸療法過程」開講
- 2006年:東京農業大学で「バイオセラピー学科」※ 新設
等の経緯をたどり、近年では市民講座も各地で開かれるようになってきています。
動物介在療法との違い
生き物とかかわる療法に動物介在療法があります。セラピードッグやペットの飼育と園芸療法はどんな違いがあるのでしょうか。
植物と動物にかかわったとき、最も違いが出るのが働きかけた時の反応です。動物は植物に比べて圧倒的に動的かつ急激に反応します。
心身に障害のある方、高齢の方の時間の流れは緩やかで、急激な変化を受け入れにくくなっています。身体的な機能の低下も否めません。強い光や瞬間的な動きに拒絶反応を示す傾向もあります。
ゆっくり静かに成長する植物にかかわることで、五感をゆっくり刺激しながら治癒力を高めていくペースが丁度よいのです。
もちろん個人差があり、「ゆっくりペース」を求めない子ども、「飼う」のではなく施設の限定されたプログラムの中で触れ合う動物には、セラピー効果が期待できます。
続いては、園芸療法のメリットを確認しましょう。
園芸療法のメリット
多くの方々は、「光合成」という植物の営みについてご存じかと思います。
その光合成や呼吸などの営みが、私たち人間にとってとてもよい働きをしてくれています。
ここに栽培活動が加わることで、さらなる効果をもたらしてくれるのです。
植物の恩恵を受けられる
植物は二酸化炭素を吸収して酸素を放出してくれます。優秀な自然の空気清浄機です。葉の蒸散作用は快適な湿度をつくってくれ、これも自然の加湿器と言えます。
リラックス効果のあるマイナスイオン放出、目にいいとされる緑色など、植物の存在自体がすでに「療法」の要素を多く含んでいるのです。
園芸療法の効果
植物を育てる行為は、五感をフルに刺激することができます。
- 視覚:日々の成長の様子や式の変化を目で見る。
- 聴覚:鳥や虫の鳴き声、風と葉音を聞く。
- 嗅覚:植物の香りを感じる。
- 味覚:収穫物を味わう。
- 触覚:土や水、実の手触りを確かめる。
また体を動かすことで、生活習慣病の予防、運動機能と体力の維持や促進にも効果的です。
道具を使う行為も、「うまく使いこなすには」「だんだん慣れてうまく扱えるようになった」などの達成感に直結し、認知機能の維持・向上が大きく期待できます。
同好の仲間ができたり、福祉活動の仲間と一緒に活動したりすれば、コミュニケーションの機会も増え、社会性の維持や改善にも効果は大きいでしょう。
園芸療法のデメリット・課題
園芸療法の研究・実践はまだ浅く、デメリットは確定されてないと言われています。
その理由の1つに、園芸療法は、介護施設や地域の緑化活動などの福祉系領域の研究や実践より、医療系領域において深まってない傾向が出ていることが挙げられます。また、福祉系と医療系の連携も密に行われているとは言えません。つまり、デメリットが確定していないこと自体も課題の1つと言えます。
下の表は、厚労省による医療機関へのヒアリング結果です。
園芸療法士の雇用数が他の療法士に比べてとても少ない現状が見て取れます。
現場の医療従事者は、リハビリスタッフや園芸療法士を含む作業療法士などの専門家を必要としており、チームを組むことでより効果的な治療を目指しています。
それなのに、なぜその研究や実践が進まないのでしょう。
原因1:研究成果に関する情報量の少なさ
園芸療法は、近年関心が高まってきたものの、残念ながら日本ではまだ「発展途上」です。研究成果が充分ないとその考察も進まず、データの蓄積・共有・活用まで進んでいないのが現状です。
しかし、実践研究発表の件数は確実に増えてきています。右下のグラフは医療と福祉の連携も進んでいることを示していて、今後に期待できそうです。
原因2:園芸療法士の不足
園芸療法士は、治療やリハビリのために、園芸療法を意図的・計画的に行う専門家です。対象者との信頼関係を築くことから始め、ひとりひとりの症状や個性に合わせた園芸活動を施す役割を担います。
2022年8月現在、園芸療法士と上級園芸療法士を合わせても、全国で165人です。いくつもの都道府県が「0」を示しています。
園芸療法自体がまだこれからの分野であることもありますが、医療施設側に財政的あるいは制度的に療法士を配置する余裕がないことも考えられます。
特にコロナ禍では、医師や看護師の確保が最優先でした。コミュニケーションを図ることで社会性を養おうとする園芸療法は、感染を防ぐために停滞せざるを得なかったと思われます。
研究実践発表数が増加しつつあるように、園芸療法士も増え、配置が進むことに期待したいと思います。実際に福祉・医療の現場では、少しずつですが着実に実践を重ねるところが出ています。
明るい見通しを持っていただくためにも、国内外の園芸療法の実践例を一緒にみていきましょう。
園芸療法の実践例
この章では、始めに国内の老人福祉施設での実践、次に園芸療法先進国アメリカの例をご紹介します。
事例1:兵庫県しかまの里
兵庫県では、いくつもの老人福祉施設が園芸療法を取り入れています。
下のプログラムは、特別老人ホームしかまの里の1週間の園芸療法プログラムです。
アルツハイマー型認知症のお年寄りが、療法士のリードで一緒にケイトウの苗を育てる活動を行ったところ、不穏状態が軽減されたという報告がされています。「赤が好き」と選んだ苗が自らの世話で綺麗な花を咲かせたことで、自信と喜びを味わえたことが効果的だったとのことです。
また、療法士との信頼関係はスタッフや同じ施設の仲間に波及し、周囲の声掛けに穏やかに耳を傾けるようになったとも報告されています。
認知症のご家族のお世話をされた方は、不穏行動が軽減されることの有難さがよく感じられることと思います。筆者も介護士経験があり、時に暴力的にもなる帰宅願望対応に苦慮したことがあるので、利用者が穏やかに過ごしてくれる有難さを痛感します。
しかまの里では、広い庭というより、鉢植えやプランターを利用した園芸活動からスタートし、寄せ植えなどに進んでいく過程をとっています。敷地に余裕のない施設にはよい手本になるのではないでしょうか。
兵庫県内では、兵庫県立淡路景観園芸学校をプラットフォームのようにしてネットワークが広がってきており、他の施設との情報の共有もされてきています。
事例2:アメリカ・ポートランド;レガシーメディカルセンター
このセンターは、園芸療法先進国アメリカ中でも、園芸療法士のための見学ツアーが催されるほど研究・実践が進んでいる施設です。
出典:ヒーリングガーデンと園芸福祉活動 松平千佳 The Power and the Use of Healing Garden MATSUDAIRA Chika
施設内には目的別にいくつものガーデンがあります。
上の写真は、入院中の子どもためのガーデンエリアです。中には園芸療法を勉強している学生たちが担当するブースが設けられています。例えば右側の写真は、咲かせた花の受粉について指人形でミツバチの受粉を学べるブースです。
他にも、ピーターラビットの読み聞かせをしながら収穫した野菜について学んだり食べたりするブース、虫眼鏡でじっくり葉や茎の役割を調べるブースなどがあります。
長期入院を余儀なくされている子ども達の参加はもちろんのこと、術後の子ども達もこのエリアに行きたくて治療やリハビリに励む姿が見られるとのことです。
入院してる子ども達ばかりでなく、見舞いに来た家族や友達も参加することができます。
また、子ども達に対する園芸療法エリアばかりでなく、やけど患者に配慮した日陰エリア、静寂を演出する水のせせらぎが聞こえるエリアなどもあります。
治療やリハビリでなくても体験したくなりますね。
では次に、そんな空間や施設・活動を計画立案し実践する園芸療法の手法についてお話ししたいと思います。
園芸療法の実践方法
読者の皆様の中にはすでに園芸経験豊富な方もおられると思いますが、この章では、「療法」という視点でその過程を整理していきます。
- 準備:まず対象者の園芸経歴などをふまえて、簡単な作業を行い反応をみます。無理をせず、始めは除草作業だけでも糸口になります。
- 信頼関係をつくる:療法士自身が対象者にとって安心できる存在になることをめざします。一緒に活動しながら、対象者の植物に対する気持ちをさぐり、本格的な療法段階に入れるようにします。
- 計画立案と弾力的な試行:自立までの期間や空間・人間関係の広がりを個別に定め、実践していきます。変化に弱い対象者もいますので、修正を繰り返しながらゆっくりすすめます。
- 自立のサポート:主体的な行動ができるようになれば、希望がもてます。療法士は寄り添いつつも、サポート役に回ったり、他者への関わりへと広げたりしていきます。
- 自立:「療法士がいなくても大丈夫」がゴールです。
参考:「バイオセラピー学入門」林良博・山口裕文編著(講談社)
園芸療法士という職種の専門性をお話ししてきたので、園芸療法士になるにはどんな
学習・経験や資格が必要かを見ていきましょう。
園芸療法士になるためには
園芸療法士になるには、必要な科目を履修し、認定試験を受ける必要があります。取得までの流れは以下の通りです。また学習内容も下の表で見ることができます。
通信教育制度を実施している教育機関や、オープンキャンパスを開くところもあり、各機関のホームページや募集要項などで確かめることができます。元々園芸活動が好きで、退職後に勉強して資格を得て療法士をしている方もいます。
園芸療法とSDGs目標3「すべての人に健康と福祉を」の関係
最後に、園芸療法とSDGsの関係を確認しましょう。
SDGsは、環境・社会・経済の問題解決に向けて、2015年に国連総会で採択された17の交際目標です。2030年までの解決を目指し、169のターゲットが設定されています。
植物の存在自体が地球全体によい環境を提供してくれていることはお話ししましたが、「療法」としての関連が1番深いのは、目標3「すべての人に健康と福祉を」です。
病院や福祉施設などで、園芸療法士を中心に効果をあげられれば、患者ばかりでなく、そのご家族の安心にもつながります。
医師や看護師も、リハビリや治療後の見守りを園芸療法士に委ねられれば、より一層施術自体にエネルギーを注ぐことができます。
また、施設や町中に植物が増え、整えられた景観には、多くの人が癒されることでしょう。
自宅でのガーデニングにも癒し効果が期待でき、心の疲れの予防や回復につながります。
「認知症の発症を2年間遅らせることができれば、33万人の当事者を減らし、約1兆円の経済効果があると推定される」(久原真氏「認知症セミナー」)と言われています。予防対策は経済効果にもつながるのですね。
まとめ
園芸療法の目的と歴史、メリットと課題、そして国内外の事例も取り上げ、概要をまとめ、実践の要となる園芸療法士についてもお話ししてきました。
今まさに、長寿高齢化社会を迎えています。また自然との共存が深刻に心配されている現代です。植物に携わることだけでも多くの恩恵があり、そのことを積極的に治療に生かしていくことは「発展途上」のままでは惜しい分野ではないでしょうか。園芸療法士の専門的手腕にも大きく期待したいところです。
筆者の周囲にもプロやアマチュアの園芸家がいます。みなさん園芸を通して、草花に集まる虫や小動物の大切さも知り、自然と一緒に生きていく豊かな気持ちを感じているように見受けられます。
この機会にぜひ、栽培活動に関心を持ったり、園芸療法について理解を深めたりして、健康と自然との共存への1歩を踏み出してみませんか。
<参考資料・文献>
園芸療法とは|認知症改善への効果・やり方などを解説 | 介護のほんねニュース【介護のほんね】 (kaigonohonne.com)
panf_最終版 (jht-assc.jp):日本園芸療法学会
都道府県別「学会認定園芸療法士」の人数 | 日本園芸療法学会 (jht-assc.jp)
厚生労働省医政局 ヒアリング資料
高齢者入所施設における園芸療法(兵庫県立淡路景観園芸学校資料集)
実践的研究の発表からみた 日本の園芸療法の現状と課題
社会園芸学のすすめ:松尾英輔(農山魚村文化協会)
園芸療法のこころ:グロッセ節子(ぶどう社)
表現療法:山中康裕:ミネルヴァ書房
日本における園芸療法の実際:松尾英輔他(グリーン情報)
園芸療法のすすめ:吉長元孝他(創森社)
人にやさしい公園づくり:浅野房世他(鹿島出版会)
「認知症」を学ぶ、理解する:ベネッセケア主催「認知症セミナー」(久原真氏)
有機・無農薬でつくる美しいバラ:小竹幸子(成美堂主出版)
バイオセラピー入門:林義良博・山口裕文編著(講談社)