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JUON NETWORK|森林保全活動と援農プロジェクトで過疎地域と都市の架け橋になる

JUON NETWORK 鹿住貴之さんインタビュー

鹿住 貴之

1972年千葉県生まれの転勤族。学生時代に知的障害児と遊ぶサークルに入ったことをきっかけに、東京の学生ボランティアのネットワークや、大学ボランティアセンターを設立し、代表を務める。1997年大学を卒業後、全国大学生活協同組合連合会で「ボランティア情報ステーション」を担当。1998年大学生協が中心となって設立された都市と農山漁村を結ぶJUON NETWORK(樹恩ネットワーク)に事務局スタッフとして参画。1999年3月より事務局長。その他、NPO法人森づくりフォーラム常務理事、NPO法人トチギ環境未来基地理事、認定NPO法人エンパワメントかながわ理事、認定NPO法人日本ボランティアコーディネーター協会副代表理事、東京ボランティア・市民活動センター運営委員、杉並ボランティアセンター運営委員等様々な市民活動に携わっている。著書に『割り箸が地域と地球を救う』(創森社・共著)等。

introduction

1998年から20年以上にわたり、過疎化の進む農山村地域と都市を結ぶ活動をしてきた認定NPO法人 JUON NETWORK(樹恩ネットワーク)。

森林保全活動や過疎地域の援農ボランティア以外にも、国産材・間伐材を使った「樹恩割り箸」で森林保全と障害者の仕事作りの両方を実現しています。

本日は事務局長 鹿住貴之さんに、団体立ち上げのきっかけやJUON NETWORKが行っているSDGsの取り組みについてお話を伺いました。

過疎地域の方との直接の出会いから、NPO法人設立へ

–まずはJUON NETWORKの概要を教えていただけますでしょうか?

鹿住さん:

JUON(樹恩・ジュオン)NETWORKは1998年にできたNPO法人です。いわゆる過疎化が進んでいる農山漁村地域と都市を結び、森を守る森林ボランティア活動と農家のお手伝いをする援農活動を中心に行っています。

<森林ボランティア青年リーダー養成講座の様子>
<援農ボランティアの様子>

–担い手の減っている地方での生産活動を支援しているのですね。法人設立にはどんなきっかけがあったのですか?

鹿住さん:

もともとこの組織ができたのは、農村や山村といった過疎地域の方との出会いがきっかけなんです。

–なるほど。どんな出会いがあったのでしょうか?

鹿住さん:

大きく分けて2つあります。1つは、過疎地域で廃校になってしまった学校を、大学生協が学生の合宿施設としてリユースすることになったんです。そこから交流が始まりました。

–2つ目はなんでしょうか。

鹿住さん:

阪神・淡路大震災です。震災が起きたときに大学生の被災者が沢山いました。通常では自治体で被災者向けに仮設住宅を造りますが、行政が学生のために仮説住宅を建てるのはなかなか難しいという事情がありました。

–大学生は数年で卒業してしまったりして、その地域に定住するわけではないですものね。

鹿住さん:

はい。ですから大学生協で、兵庫県下に5ヶ所の仮設学生寮を造ったんです。そのうちの1ヶ所が兵庫県芦屋市で、そこに徳島県の林業関係の方々が間伐材を使ったミニハウスを58棟提供してくれました。

<震災当時、間伐材で作られたミニハウスの写真>

–そこで徳島の林業関係者と大学生協が出会ったのですね。

鹿住さん:

後に、そこに住んでいた学生や大学生協の人が「恩返し」という形で徳島で林業のお手伝いなど交流を進める中で、過疎地域や林業の問題を知りました。

そこで、「大学生協という枠を超えて日常的に都市と農山村を結ぶボランティア活動ができないか」ということで始まったのがJUON NETWORKの森林ボランティアです。

『緑のダム』を守る森林ボランティアは10年がかりの大仕事

–「森林の楽校(もりのがっこう)」という名称で森林ボランティアの活動をされていますね。具体的にどんなことをしているのですか。

鹿住さん:

森を守るための活動や学習会を行っています。「森を守る」というと、多くの人は「植樹」をイメージすると思います。実際はその逆で、必要なのは間伐等の手入れなんです。森林は放っておいても育ちません。ですが、この間伐が遅れてしまっていることが日本の森林の問題なんです。

<間伐した木の年輪を数える様子>

–間伐が大事だというのは意外でした。でも、日本ではなぜそんなに間伐が遅れているのでしょうか?

鹿住さん:

木材の生育サイクルに一因があります。木が建築用資材として使えるようになるには、実は50〜60年ほどかかるんです。林業従事者には、50〜60年経って木が収穫できる段階になって最終的にお金が入るため、間伐した木が売れなかったり、売れても赤字だったりすれば、放置されてしまうという現状があります。

–そんなにかかるんですか?気が遠くなる時間ですね。

鹿住さん:

また、戦後日本が焼野原だったときに先人達がスギやヒノキを大量に植えてくれたこともあって、日本は今歴史上かつてないほど木材の資源量が多いんです。一方、市場では海外から安価で同一品質の木材が大量に入ってくる仕組みができてしまいました。そのため国産木材がなかなか売れないので、さらに手入れが疎かになっているんです。

–間伐を疎かにするとどんな問題があるのでしょうか。

鹿住さん:

森は緑のダムと呼ばれています。水源涵養機能といって、雨が降った時にふかふかの土壌が水を吸収して溜めて、ゆっくり川に流してくれる働きがあります。この機能が洪水や渇水、水不足を防いでくれているのです。森の手入れはこの機能を守ることにも繋がります。

–森にはそんな重要な役割があったのですね。「森林の楽校」の活動では、実際に森林の手入れも行うのでしょうか?

鹿住さん:

はい。まずは植えられた木の周りに生えている雑草を刈る「下刈り」という作業が必要です。これをすることで、木に光を当て成長を促進します。そして植えてから10年くらい経つと、今度は木の枝が伸びてきます。放っておくと枝に遮られて森の下の方まで光が当たりませんから、間伐で木を間引いて森の低い木や草にも日光を当ててあげるんです。

–森林の手入れというのは年単位の大仕事なのですね。「森林の楽校」の参加者にはどんな人が多いですか?

鹿住さん:

大学生や20代以下の人が大体1/3くらいです。50〜70代の方や親子連れもいて、年代は幅広いです。共通しているのは、自然に触れたいとか環境を守りたいという意識でしょうか。今年はコロナが明けてきたので野外で活動したいといって来る人が多いです。

「樹恩割り箸」が間伐材活用と障害者雇用の両立を実現

–森を守るには間伐が重要とのことですが、JUON NETWORKでは国産材・間伐材で作られた「樹恩割り箸」を販売していますね。こちらは全国約70の大学生協で使われていると伺いましたが、この取り組みが始まった背景についても詳しくお聞かせください。

鹿住さん:

震災後、仮設住宅を提供してくれた徳島の林業関係者から、大学生と交流していくうちに「もっと間伐材を使ってほしい」という声が出てきました。「じゃあ大学生に、どういう形で使ってもらうのがいいんだろうか?」と考えた時に、大学生協が食堂を運営していたことから、割り箸を使ってもらおうというアイディアが出ました。

–それで大学生協を中心に「樹恩割り箸」が普及したのですね。

鹿住さん:

はい。それに加えて徳島では当時、知的障害者の方の仕事がなかなか無いという問題もありました。そこで「樹恩割り箸」を知的障害者の方に作ってもらえば、国産材・間伐材の活用と、障害者雇用の両方が達成できるということで、障害者施設での割り箸製造が始まりました。

–一石二鳥の取り組みですね。製造は何ヶ所の施設で行っているのですか?

鹿住さん:

徳島県の三好市からスタートして、現在は埼玉・福島・東京の4ヶ所で作られています。

–間伐材を使うことのメリットは何でしょうか?

鹿住さん:

木を育てるには間伐が重要とお話ししましたが、そこで出た「間伐材」は、昔は建築現場の足場丸太、貨物の緩衝材にもなりました。けれど今はそれが全て金属やプラスチックに置き換わって使われなくなってしまったんです。

<加工前の間伐材・国産材の写真>

–伐っても使い道がなくては林業の業者さんも困ってしまいますね。

鹿住さん:

ですから、間伐材を積極的に利用していくことは、間伐を行って森を手入れし木を育てる事に繋がるだけでなく、今林業を営んでいる方の利益にもなる。それぞれにメリットがあります。

–割り箸製造に関わっている障害者の方の反応はいかがでしょうか?

鹿住さん:

「自分達の作った割り箸を使ってくれているのが嬉しい」と言ってくれています。これは施設の職員が話していたことなのですが、障害者の方って支援を受ける立場であることが多いじゃないですか。けれどこの割り箸製造に関わっていることで、環境や森を守ることに貢献できる。そこに意義があるとおっしゃっていましたね。

<施設の作業の様子が分かる写真>

–障害を持っていても、支援を受けるばかりではなくて、社会や環境のためにできることがあるということですね。

援農プログラムで担い手不足の過疎・高齢化農家を助けたい

–他にもSDGsに関する取り組みとして、「田畑の楽校」について教えてください。

鹿住さん:

「田畑の楽校」は担い手不足の農家のところへ行って農作業を手伝う援農プログラムです。山梨県・長野県・三重県・和歌山県の全国4ヶ所でボランティアとともに援農を行っています。

–援農はどんなことを行うのでしょうか?

鹿住さん:

援農先に一泊二日で泊り、それぞれの作物の成長に応じて間引きや花摘み、粒取り、収穫などを行います。

–この活動が始まったきっかけは何ですか?

鹿住さん:

もともと森林ボランティアとして参加していた人の中に、実家が山梨のブドウ農家だという人がいました。「林業も大変だけど、過疎化・高齢化で農家も担い手が減って大変だ」と。そこで農作業のお手伝いのプログラムができないかと相談されて、ボランティアを公募したことが始まりです。

–なるほど。森林ボランティアから畑の活動に繋がったということですね。

鹿住さん:

山梨には「勝沼ぶどう郷駅」と名がつくくらい有名な産地があって、高級スーパーにも卸しているくらい美味しいブドウがあります。でも農家は重労働ですから、子供も継ぎたがらない。

–美味しいブドウなのに、農作業は大変だから担い手がいなくなってしまうと。もったいないですね。

ボランティア参加者4家族がブドウ農家へ転身

–援農を始めて何か大きく変わったことはありますか。

鹿住さん:

そうですね。山梨県は東京からのアクセスが良いということもあって、コロナ前はブドウ農家へ年80日以上援農に行ったこともありました。

–年に80日も!農家さんは大助かりですね。参加者にはどんな人が多いですか?

鹿住さん:

自然に触れたいとか、ブドウが好きで生産現場を見たいとか、農家を体験したいとか、色んな思いを持った方がいます。また、「田畑の楽校」については単発参加の人はあまりいなくて、例えば田んぼなら、稲を植えてから収穫までずっと継続して来てくれる人が多いです。

–確かに、自分が植えた作物がどうなってるか気になりますものね。自分で収穫できるという楽しみがあるのはいいですね。

鹿住さん:

実は、ブドウについてはこれまで援農ボランティアに参加した人の中から4家族がブドウ農家になっているんです

–4家族も!すごいですね。

鹿住さん:

私達の活動は、都市と農山村の交流だけでなく農山村地域への定住人口を増やすということも目指しているのですが、そういう意味ではブドウの援農が最も成功した活動と言えますね。

コロナ禍での活動には苦慮。オンラインプログラムも

–活動を進める中で、特に苦労されたことはありますか?

鹿住さん:

やはり若い人にどんどん参加してほしいと思っているので、TwitterやInstagramを通じて、若い人にどう情報を届けるかというのはいつも腐心しているところです。あとは、最近ですとコロナですね。

–なるほど。移動が制限されてしまいますから、活動を続けるのは難しかったのではないですか。

鹿住さん:

都市から農山村へはなかなか行けませんから、活動はオンラインのプログラムも試みました。どういう形でやるかというのは結構苦労したところです。

–木を切ったり、農作業はオンラインではできませんものね。

鹿住さん:

はい。それで色々と考えた末に、参加者に樹恩割り箸を使う意義などを紹介する広報写真をSNSで発信してもらうというオンラインボランティアプログラムに行きつきました。これは良い取り組みだったので、今後も続けていきたいと思っています。

<実際に投稿された広報写真>

農山村地域への定住を目指して、一つでも多くのきっかけ作りを

–今後の展望をお聞かせください。

鹿住さん:

より多くの人に農山村地域に行くきっかけを作り、最終的には定住というゴールに繋がるような活動を続けていきたいですね。

–活動への入り口をもっと広げていきたいということでしょうか。

鹿住さん:

そうですね。1回でもいいから参加してくれる人を増やしたいですね。特に若い人向けの入口もより広げていこうと思っています。

–まずは参加して体験してもらって、活動の良さを知ってもらう、その一歩を作りたいということですね。本日は貴重なお話ありがとうございました。

関連リンク

JUON NETWORK:http://juon.or.jp/index.html