#インタビュー

ナカノ株式会社|繊維リサイクルと工場の安全衛生用品商社。エコロジーとエコノミー体で環境と職場の安全を保護

ナカノ株式会社 窪田恭史取締役副社長 インタビュー  

窪田恭史

1973年8月 生まれ
2000年10月:ナカノ株式会社入社
2007年4月 :リサイクル部事業企画室長。
2019年7月 :取締役副社長

introduction:

創業からほぼ90年を経たナカノ株式会社は、故繊維(こせんい:古着・古布、屑繊維などの総称)を新しい商品(ウエス・軍手)に蘇らせ、古着を海外に輸出するリサイクルのプロ中のプロ。同時に、工場の環境や就労者の健康を守る商品を扱う商社でもあります。同社の基盤を担うのは、「他利自得」「生かす」「エコソフィー」という三つの企業理念です。

今回は、窪田取締役副社長に、繊維リサイクルの極意から循環型社会への貢献に至るまで、企業理念に裏打ちされた様々なお話を伺いました。

外国船の日本入港で西洋人に見いだされた「洗いざらし木綿」の拭き取り力

最初に、御社の歴史と業務の概要をご紹介ください。

窪田さん:

昭和9年に、私の祖父・中野静夫が故繊維(古着・古布、屑繊維などの総称)問屋として創業した会社です。古着を繊維原料として扱う、今で言うリサイクル業ですね。繊維原料の卸から始まり、次にウエス(汚れ、不純物などを拭き取るための布)作って取引先の工場に納品するようになりました。

その状況からやがて、工場が必要とする備品などを取り扱う商社としても発展していきました。現在では、マスク、手袋、作業着、給湯室のお茶に至るまで、必要とされるものを幅広く扱っています。弊社に言っていただければ何でもお持ちする、というような「工場のよろずや」的な事業です。「リサイクル」のイメージのほうが強い弊社ですが、実は工場の安全衛生用品商社としての売上のほうが大きいんです。

繊維リサイクル業としては、集まってくる古着や古布を「古着輸出」「ウエス生産/販売」「軍手生産/販売」という三分野で取り扱っています。

–昭和9年に故繊維問屋を起こした経緯や当時の古着再生の状況を教えてください。

窪田さん:

日本の古着文化は昔からあるんです。古着や古道具などを扱う古手屋(ふるてや)が、わかっているだけでも室町時代から存在していました。また、市中から古着を集めて再生して工業用品などに使うということにも、明治時代からの歴史があります。そこには、近代化する中で工場が出来たことと、外国船入港という二つの背景が起因しています。

西洋は「羊毛」文化で、船の清掃にも大量の毛糸を使っていました。モップのようなイメージですね。ところが日本に来てみたら、拭き取りに適した洗いざらしの木綿が大量にあったわけです。

日本やアジアでは、木綿は庶民が着る安いものでした。一方、西洋人にとって木綿は極めて貴重品でした。アメリカでは、木綿を得るために大勢の奴隷を酷使して木綿栽培をした歴史があるほどです。

また、日本人には江戸時代から頻繁に風呂に入る文化があり、衣類もきれいに洗濯していました。その結果、綿の衣類に含まれる余分な脂が落ち、拭き取りにさらに適した古布になったんです。

そんな背景もあり、木綿のウエスが生産され、さかんに海外に輸出され始めました。弊社創業の昭和9年あたりでは、ウエスは日本の輸出品目の上位でした。祖父はもともとその業の会社に勤めて、その後独立したというのが経緯です。

高度成長の「モノが余る時代」に輸出デビューした日本の古着

–御社がのちに「軍手」の生産と販売、そして「古着輸出」をリサイクル事業に加えていくプロセスをお聞かせください。

窪田さん:

まずは「軍手」に関して、「反毛」(はんもう:古着を繊維に戻して再利用すること)技術の発展からご説明します。かつての日本は、西洋とは逆に綿より羊毛が貴重品でした。なぜか日本は羊が育ちにくいんです。近代化に伴い、軍人の制服など様々にウールが使われ始めましたが、国での生産は追いつきません。羊毛製品は、先進国からの輸入に頼るため高価なものとなりました。

そんな羊毛製品を捨てたのではもったいない、ということで、羊毛の服をひっかいて綿にする「反毛」技術が発展したんです。反毛はもともとヨーロッパの技術で、新品の羊毛を綿にするためのものですが、日本では、羊毛以外の繊維も含めリサイクルするために使われました。現在はそうした反毛綿が自動車の内装材などの工業製品に加工されています。当社ではこの反毛した綿からさらに糸を紡いで、リサイクル軍手を製造/販売しています。当初は白い古着だけを選び、皆さんがご存知の白い軍手を作っていたのですが、2009年からはよりリサイクル製品であることが分かりやすい、下の写真のようなグレーの軍手も作っています。グレー色は様々な色の古着を使用する結果で、絵の具を各色混ぜるとグレーになるのと同じことです。

古着輸出事業のスタートは、日本における古着事情の変化が背景となっています。日本の古着の輸出が始まったのは、1970年の大阪万博あたりからです。理由の一つは、日本の衣服文化が洋装化したこと、もう一つは、日本が先進国の仲間入りをして、歴史上初めて「モノが余る時代」になったこと。それまではとことん使い倒したものしか発生しませんでしたが、充分に着られる、しかも世界に通用する「古着」が出てきたわけです。

その状況にアジア諸国のバイヤーが目をつけ、古着のアジア輸出が始まったんです。弊社もその流れのなか、1974年に輸出部門を設立し、古着の海外輸出をスタートさせました。

社内外で社員がつねに口にする三つの企業理念

–御社は創業から長い年月をかけて、故繊維リサイクル業や安全な工場用備品の商社として発展されました。その基盤となる企業理念をご紹介いただけますか?

窪田さん:

企業理念をごくシンプルに表せば「他利自得」「活かす」「エコソフィー」の三つとなります。

「他利自得」とは、相手を利することが自分の得となる、という意味です。どちらの方がどう、というのではなく、双方のバランスが大事です。お客様が何らかの利を得て、その結果、我々も生活のための得をする。我々がやりがいを感じるのも、得の一種ですね。お互いの利と得の循環が生まれます。

「活かす」は、まさにリサイクルを業とする会社として「あらゆるものを無駄にしない」ということです。顧客の安全、衛生への貢献を考えることも「顧客を活かす」ことであり、アイデアも「活かす」。弊社では、何が正しいか正しくないかの判断基準は、対象を「活かせているか否か」なんです。

「エコソフィー」の「エコ」は、エコロジーとエコノミーの二つを意味します。エコロジーをエコロジーたらしめるためには、エコノミーが必要です。環境問題に取り組んだとしても、そこに経済活動が伴わなければ、先細ってしまう。持続可能とするためには利益を伴うことも必要です。では、エコロジーとエコノミーをどう繋ぐのか?そこで必要とされるのが「ソフィー」、人知です。このことを弊社は「エコソフィー」という造語で表現しました。

社員がこの三つをつねに口に出し行動する会社にしたかったんです。ですから、社外でも社内でも、仕事でも日常会話でも、どんどん使います。「ああ、それは〈他利自得〉だね」「それは〈活かす〉になってないな」という具合です。

国や地域が求める古着のニーズをつかむ

–次に、具体的な業務について伺います。古着、古繊維、古布などはどのように御社に届き、どのように製品化されてゆくのでしょうか?

窪田さん:

資源回収業者が集めたものと自治体が集めたもの、その二つのルートから届きます。倉庫には大量の故繊維が圧縮されて積み上がっている状態です。

古着、古繊維をはじめ、ランダムに集まってきたものを、担当者の判断で用途別に振り分けていきます。古着輸出にまわすもの、ウエスにするもの、反毛に使うもの、という具合です。とはいえ、ウエスだけでも弊社は20種類くらいを作りますし、反毛も数種類。顧客の用途によって、ウールを多め、綿を多め、など配分が変わります。仕分けには、そのような詳細な見極めが要求されます。

故繊維の内容、種類を瞬時に見分けるのはまさに職人技です。分業しますが、仕分けの教育はしっかりします。しかし、固定化したルールはありえないんです。「これはウエスに、これは古着輸出に」という判断さえ変化していきます。なぜなら、市場のニーズが変化しますし、集まってくる古着にも流行があり変化するからす。それゆえに、仕分けは機械化が難しく、必ず人の目と手で行います。

–古着はどのようなプロセスで海外に輸出されるのでしょうか?

窪田さん:

衣類は、国や地域によって必要とされるものが変わってきます。そのニーズをしっかりと把握して輸出する必要があるんです。貧困で苦しむ方々や災害の被災者を助けたいとボランティアで衣服を大量に送っても、ニーズに合わなければありがた迷惑で、ゴミとして積みあがっているケースは多々あります。

着るものは、その人の尊厳に直結します。「貧しいんだから何着たっていいだろう」というのは屈辱的なことなんです。「着たい」と思うようなマッチングが必要であり、だからこそビジネスとして成立します。

相手は、欲しいから買う。こっちは、買ってもらわねば話にならないから、一生懸命喜んでもらえる衣類を手間暇かけて分類し、輸出します。

「人知」で顧客の満足を得て「循環」を起こす

–今のお話と関連する部分ですが、御社にとって「リサイクル」「循環型社会」とはどのようなものでしょうか?

窪田さん:

まさに、企業理念の「他利自得」「活かす」「エコソフィー」が基盤となったものに他なりません。循環するから循環型社会になるんです。先ほどの古着輸出でいえば、「人知」を使って「相手が喜び」「また使おう」と思ってくれなければ「循環」は起きません。集めること、製品を作ることが素晴らしいのではなく、その素晴らしさが繋がって循環して初めて意味をなすんです。

「リサイクル」も、ただ環境を考えただけでは成り立ちません。相手に喜ばれて循環するためにはどうすればいいか。そこを繋げる「人知」が欠落しがちなんです。弊社は「リサイクル」「SDGs」などが言われる遥か前から、エコロジーとエコノミーが一体の「業」としてやってきました。真に循環型社会となるためには、経済は重要です。

–工場への「安全・衛生作業用品」商社としての業務をSDGsの観点からご紹介いただけますか?

窪田さん:

働く人々の安全安心を守ることも、リサイクルと同じように環境活動と捉えて重視しています。とくに最近はコロナ禍でもあり、夏はより暑く、冬は寒く、人手不足も深刻です。そのなかで、弊社がやれることはたくさんあります。

通販で何でも買える時代、ネットの時代にあえて営業マンを抱え、顧客のもとに直接行かせています。社員には「お客様が困った時に頭に浮かぶ人間になりなさい」と言っていますが、そこにこそ、AIでは補えない「人間が行く意味」があると考えています。

例えば、温暖化の猛暑のなか、こちらから暑さ対策へのご提案をさせていただくことも多々あります。そのなかには、塩分補給に適する飴のご紹介などまで含まれます。SDGs目標3の「すべての人に健康と福祉を」の部分を、弊社が取引先と共に考え、サポートさせていただいています。

「展望」は自らの内に在る

–ほかにSDGsに向けて配慮されている部分があればご紹介ください。

窪田さん:

弊社は、輸出する古着の選別やウエス、軍手をつくるためにフィリピンに工場を持っていますが、現地の従業員を適正な賃金で雇い、良い環境で働いてもらっています。フィリピンの人々には、すぐに歌い踊りだすような陽気さがあります。弊社スタッフも現地従業員との交流を密にして、よいパートナーシップを築いています。

工場の近くに、貧しい女性たちのお産を支援するクリニックを開いている日本人女性がいるんです。フィリピンの貧しい女性たちは、衛生的にもお金的にも安全なお産が難しく、まじないや民間信仰に頼って母子ともに死の危険に晒されたりしています。「特殊紡績手袋よみがえり」の売上の一部をクリニックの支援にあて、多少なりとも現地での貧困や女性の尊厳を守ることに寄与したいと願っています。

–将来への展望をお聞かせください。

窪田さん:

環境や労働安全への貢献は、弊社から見ると「結果」です。リンゴの実だけに目を向けていても、よいリンゴは育ちません。幹や土の状態を整えることが大事です。必要とされている意義にどうしたら応えられるか、成長していけるかを自分に問い続ける。そうすれば行動が起き、喜んでいただける結果が出ます。それがまたフィードバックされる。その繰り返しです。

「展望」というと遠くを見るイメージですが、自分は、逆に内側から出てくるものに着目します。そこがしっかりと機能していれば、展望とすべきことが結果として起こってくる、という考え方です。

そもそも、弊社の仕事は周りの変化に合わせて変わります。パン屋であれば、売れるパンに合わせて小麦粉を仕入れればいいのでしょうが、我々は一般市民が何を持っているかわからないままに、アットランダムに、売れようが売れまいが故繊維が勝手に集まってきます。流行などで変化もします。それをどう調整するか、どう適応するか、とずっとやってきました。「今日の続きが明日の続き」とやっていたら、ここまでこれませんでした。マニュアルはあってなきがごとしです。

これからも、社員一人一人の価値と力を「活かし」、よい将来を作っていけたらと思っています。

–「展望は内に在り」という発想に感動します。今日はありがとうございました。

関連リンク

ナカノ株式会社公式サイト:http://www.nakano-inter.co.jp/

「よみがけり」神奈川産業NAVI大賞受賞時サイト:https://www.navida.ne.jp/snavi/100086_1.html