私たちの身近な地域や広い世界には、さまざまな理由により「意思が伝えられない」という状況に置かれている人がいます。このような人たちを支援する仕組みが「アドボカシー」です。アドボカシーという言葉になじみがないかもしれませんが、実は日常生活の中で経験する場面も少なくありません。
例えば、福祉や介護の分野で実践されています。
この記事では、アドボカシーとは何か、その活動形態や実践されている分野、世界と日本の現状と、活動事例を紹介します。
アドボカシーとは
アドボカシーとは、「擁護」「支持」という意味で、個人が本来持っている権利をさまざまな理由により行使できない人に代わり、その実現を支援する仕組みのことです。
福祉の分野においては、意思をうまく伝えることのできない高齢者や障がい者、医療では患者、家庭や学校では権利を表明することが難しい子どもなどが対象です。
分野 | 福祉 | 医療 | 家庭・教育 |
対象 | 高齢者障がい者 | 患者 | 権利を表明することが難しい子ども |
一方、支援する側は「アドボケイト」と呼ばれており、NGOやNPO法人などの団体や社会福祉士、介護士、看護師、その他関係者などが当てはまります。アドボケイトは、対象者の権利を守るためにさまざまな活動を行います。
大きな話題になったアドボカシー・キャンペーン「ほっとけない世界のまずしさ」(2005年)
アドボカシーの例を一つ挙げましょう。2000年に開催された国連サミットでは、貧困の撲滅、人権と基本的自由の尊重、アフリカの開発や飢餓などの課題について議論されました。その成果として採択されたのが、2015年までに飢餓を半減するなどの国際的な目標「国連ミレニアム宣言」です。
この流れを受けて2005年、「世界の貧困をなくそう」というキャンペーンが各国で行われました。キャンペーンのシンボルは、手首に身に付ける「ホワイトバンド」。日本においては、「ほっとけない世界のまずしさ」というキャンペーン名が付けられ、アーティストやタレント、スポーツ選手などの著名人がホワイトバンドを広めました。貧困や飢餓の状態にある人に代わり、「貧困は人災です」「貧困を生み出すしくみをみんなの関心と行動で変えよう」と呼びかけ、この状況を生み出している政策の変更を訴えて問題の解決を目指したのです。
このキャンペーンは、当時まだアドボカシーが知られていない日本において、大きな注目を集めました。※[1]
アドボカシーの活動形態
アドボカシー・キャンペーン「ほっとけない世界のまずしさ」は、貧困の状況を生み出す政策の変更を訴える「政策提言」でしたが、アドボカシーは、その他にもさまざまな形態で実践されています。
権利擁護
権利擁護とは、当然守られるべき権利が侵されている状況にあっても、それを主張することが難しい人を守ることを言います。
- 高齢者や障がい者、患者が生活に不便を感じていても、それを伝えることができない状況において、介護士や看護師などが見つけて代弁すること
- 施設で暮らす子どもが直面する不安や悩みを関係者が受け止め、解決に向けて取り組むこと
などがその例です。
政策提言
政策提言とは、ある課題を多くの人に周知した上で、それを解決するための政策の立案や変更を政府などに提案することです。一例として、2021年に審議され、その後に制定された重要土地等調査規制法があります。これは、土地の取引の自由を侵害し市民の権利が制限されるとして、国際NGOが政府に対して法案の廃案を求めました。この活動もアドボカシーと言えます。※[2]
ロビイング
ロビイングはロビー活動ともいわれ、もともとアメリカの議員が院外者と面会するためのロビー(控室)に由来した言葉です。団体や企業、個人などが自身の利益を守るために、政治的な影響力のある議員などに接触して働きかける活動を言います。特定の組織から報酬を得て行われる一般的な方法とは区別して、アドボカシーにおいては、公共の利益に沿った活動を指します。
アドボカシー・マーケティング
アドボカシー・マーケティングとは、顧客本位のサービスを提供することで信頼関係を築き、企業を支持してもらうことで利益を確保するマーケティング手法です。顧客が感じた商品の不満を吸い上げ、製品の企画・開発に活かし、改善していくなどの方法があります。また、顧客との信頼関係により、SNSなどを通じて良い口コミが広がっていく効果も期待されています。
では、これらの活動形態は、どのような場面で行われているのでしょうか。次に詳しく見ていきましょう。
アドボカシーが実践されている分野
アドボカシーは、さまざまな分野で実践されていますが、そのうち5つを取り上げて見ていきましょう。
福祉・介護の分野
福祉・介護の現場では、高齢者や児童、心身障がい者など、社会生活の中でさまざまなサービスを必要としている人がいます。アドボカシーは、そのような人たちの権利を擁護するために取り入れられており、次の6つの機能があります。
■福祉分野におけるアドボカシーの権利擁護機能
- 発見:対象者の権利が利用できているか、もしくは侵害されていないかを見つけること
- 啓発:対象者が自分にどのような権利があるのかを理解できるように助言・指導すること
- 予防:2を通じて、対象者の権利侵害を発生させない対策をとること
- 救済:権利侵害が起きてしまった場合、権利擁護の制度(成年後見制度や福祉サービス利用援助事業など)の利用につなげて解消すること
- エンパワメント:対象者が主体的に権利を行使できるように支援すること
- 開発:対象者が自立した生活を送れるように、福祉制度や施設などを開発すること※[3]
アドボカシー活動を通じてこれらの機能が発揮されれば、支援を必要とする人の人権擁護だけでなく、その先にある豊かな生活の実現につながります。
看護の分野
看護におけるアドボカシーは、主に「患者の権利擁護」のことを指し、看護者の患者に対する倫理的な価値観を示す用語として定着してきました。世界医師会総会が採択した患者の権利と責任に関する宣言「患者の権利に関するWMAリスボン宣言」では、11の原則が定められています。そのうちの5つを抜粋して紹介します。
■「患者の権利に関するWMAリスボン宣言」
原則(一部抜粋)
- 良質の医療を受ける権利:すべての人は、差別なしに適切な医療を受ける権利を有する。
- 選択の自由の権利:患者は、民間、公的部門を問わず、担当の医師、病院、あるいは保健サービス機関を自由に選択し、また変更する権利を有する。
- 自己決定の権利:患者は、自分自身に関わる自由な決定を行うための自己決定の権利を有する。医師は、患者に対してその決定のもたらす結果を知らせるものとする。
- 健康教育を受ける権利:すべての人は、個人の健康と保健サービスの利用について、情報を与えられたうえでの選択が可能となるような健康教育を受ける権利がある。
- 尊厳に対する権利患者は、その文化および価値観を尊重されるように、その尊厳とプライバシーを守る権利は、医療と医学教育の場において常に尊重されるものとする。※[4]
また、この原則の序文には、医師や医療従事者は、この権利を認識して擁護する責任を共同で担うと記されています。アドボカシーの要素が、国際的な宣言として明文化されている例と言えるでしょう。
子どもを取り巻く環境
近年、家庭や学校、社会は、子どもの声に十分耳を傾けていない現状があります。一例を挙げると、児童相談所の虐待相談対応件数は、平成6年度に1,961件であったのに対して、令和元年度は19万3,780件と大幅に増加しています。※[5]
児童虐待は、子どもの権利を侵害する重大な問題です。国や自治体をはじめ、すべての人がアドボカシーにおけるアドボケイトとして、子どもの意見表明を手助けし、権利を守るために行動する必要があります。
市民社会
市民社会では、環境や社会、災害、医療・介護サービスなどにおける課題に直面しています。これらを解決していくために、一般の市民のほか、NPOやNGOなどの団体や市民ネットワークが取り組んでいるのが、市民社会アドボカシーです。
一人の意見では届きにくい場合も、組織や関係者と行動すれば大きな力になります。市民社会は、より良い社会を目指す中で、さまざまな課題に対する政策をつくり、政府や自治体などに提言をします。
企業活動
企業活動においては、利益を獲得するためにアドボカシー・マーケティングの手法が使われています。顧客の満足度を優先した商品を提供し、自社を信頼してもらうことが狙いです。詳しくは、前述の「アドボカシー・マーケティング」で解説しています。
アドボカシーの世界と日本の現状
続いては、アドボカシーの世界と日本の現状を見ていきましょう。
世界
アドボカシーは、社会の中で不利な立場に立たされている人の意見を代弁し、権利を擁護する活動として北米で始まりました。その後、市民の要求を政策にまとめて提言する活動にまで広がっていった経緯があります。※[6]
このような歴史的背景から、アドボカシー活動はアメリカを中心に展開し、先進国で実践されているのが現状です。
アドボカシー活動を行うNGOを例に見てみると、アメリカをはじめカナダ、ドイツ、EUなどに主な組織があり、難民やジェンダー、緊急援助などの分野で支援を行っています。※[7]
日本
日本のアドボカシーは、海外の研究などを基に発展してきたと言われています。例えば看護の分野では、「看護アドボカシーのモデル」として「人間尊重モデル」「実存的モデル」などの種類があり、それぞれ行動規範が示されています。しかし、これらはアメリカで開発された概念であり、個人主義の文化とは異なる日本では、適用しにくい部分もあるのが実情です。
「ロビイング」「アドボカシー・マーケティング」という言葉もまた、アメリカで生まれています。海外から取り入れたこれらの概念を、日本においてどのように定義し各分野で発展させていくかが、今後の課題になるでしょう。
自治体・企業のアドボカシーの活動事例
ここからは、アドボカシーの活動事例3つを取り上げていきます。
【政策提言・子ども】日本ユニセフ協会
日本ユニセフ協会では、子どもの権利を実現するための啓発・アドボカシー活動を行っています。子ども兵士や人身売買などの根絶キャンペーンなどを通じて、子どもに対するあらゆる形態の暴力をなくすことが目的です。
2021年には、子どもの権利を守る「子ども基本法」の実現を提言したほか、意見書の提出やガイドラインの発刊など、毎年精力的に活動を行っています。※[8]
【政策提言・市民社会】NPO法人びわこ豊穣の郷
琵琶湖南湖の北東部に位置する赤野井湾流域の河川には、かつてホタルが多く生息していました。ところが、開発が行われる中で、河川の汚れやアオコなどの問題が発生し、ホタルの数が減ったと言います。
そこでNPO法人は、地域住民と共に水質改善を目指し、河川を管理する行政の取り組みを強化するよう政策提言を行いました。その結果、行政が美化活動に参加することが決まり、ホタルが再び戻ってくるような環境づくりへの一歩を踏み出しています。※[9]
【アドボカシー・マーケティング】日本ロレアル株式会社
世界最大の化粧品会社ロレアルグループの日本支社である日本ロレアル株式会社では、敏感肌用のUV化粧品「トーンアップUV」の販売において、アドボカシー・マーケティングを採用しています。
具体的には、投資を集中させてメディアに売り込むほか、SNSのタグを使って口コミを訴求させる戦略を採用。その結果、「私はトーンアップUV派」というファンが増え、売上アップにつながったと言います。※[10]
アドボカシーとSDGsの関係
最後に、アドボカシーとSDGsの関係について見ていきましょう。
アドボカシーは、人の権利を擁護する要素が根本にあるため、持続可能な未来を実現するための目標を定めたSDGsに欠かせない概念と言えるでしょう。中でも、「貧困や飢餓の撲滅」、「健康と福祉の促進」、「教育を受ける」、「人間らしい仕事」、「平等を実現する」、「安全な水・衛生環境」、「地球環境」などは、私たちが生きていくために最低限必要な権利です。つまり、アドボカシーを実践するその先に、SDGsの目指す未来が見えてくるでしょう。
まとめ
アドボカシーは、さまざまな事情により権利を行使できない人に代わり、その実現を支援する仕組みを言います。主に、福祉・介護、看護、子どもを取り巻く環境、市民社会などで実践されている活動です。ある人の権利を守るために代弁することや、政策をつくって提案するなどの活動形態があります。その他にも、アドボカシーの「支援」という意味を応用した、アドボカシー・マーケティングというマーケティング手法もあります。
とはいえ、アドボカシーはもともと外国でつくられた概念であるため、日本で実践するための方法や取り組み方などが、まだ明確に定まっていないのが実情です。今後、各分野においてアドボカシーをどのように進めていくのかを十分に議論した上で、うまく活用していく必要があるでしょう。
<参考文献>
※[1] ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)「『ほっとけない 世界のまずしさ』キャンペーンのめざすもの」
※[2] 公益財団法人 日本YWCA「重要土地等調査規制法案に反対し、廃案を求めます」
※[3] 茨城キリスト教大学 浅野美夏, 大久保佑香, 野上史帆, 吉久保春佳著「アドボカシーにおける権利擁護の機能 ~ソーシャルワーカーの役割~」、心理学用語集サイコタム「アドボカシー」
※[4] 日本医師会訳「患者の権利に関するWMAリスボン宣言」
※[5] 厚生労働省「子どもの権利擁護に関するワーキングチーム とりまとめ」
※[6] 四日市大学論集 第30巻 第2号 松井真理子著「自治体レベルのCSO1アドボカシーの概念整理」
※[7] 外務省「巻末資料3 各国主要NGO連合体一覧リスト」
※[8] 日本ユニセフ協会「日本ユニセフ協会の主な活動—啓発・アドボカシー活動」
※[9] NPO法人のためのアドボカシー入門 政策提言 成功の道!活用事例「地域の声を集約し政策提言。河川の水質改善につながる行政、住民による美化活動を実現/びわこ豊穣の郷(滋賀県)」、認定NPO法人びわこ豊穣の郷、滋賀県ホームページ「赤野井湾流域の流出水対策について」
※[10] ISSコンサルティング「望月 良輔氏 ( 日本ロレアル株式会社)インタビュー」