イラク中心部を流れるティグリス川とユーフラテス川は、メソポタミア文明の中心地であり、イラクの博物館には貴重な文物が多数収められていました。しかし、2003年4月にフセイン政権が崩壊すると、博物館は略奪の対象となり多くの文物が失われました。
アメリカを中心とする有志連合軍は、フセイン政権の打倒という目的を達したものの、その後のイラクの占領統治に苦戦することとなります。フセイン政権崩壊で混乱したイラクや内戦で混乱するシリアでは、ISと称するイスラム教過激派による支配が強まり、混乱に拍車をかけます。
イラク戦争は、中東地域に何をもたらしたのでしょうか。今回は、イラク戦争の背景や流れ、アメリカの意図、イラク戦争後の混乱について解説します。加えて、日本の対応やSDGs目標16との関わりについて解説しますので、ぜひ、参考にしてください。
目次
イラク戦争とは
イラク戦争とは、2003年3月に起きたアメリカを中心とする多国籍軍とイラク軍による戦争です*1)。戦闘は同年5月に終結しましたが、その後の占領統治が上手くいかず、アメリカ軍は2011年まで駐留することとなりました。
アメリカ軍主体の有志連合による軍事行動
イラク戦争の中心となったのは、アメリカやイギリスを中心とする国々です。これらの国々をまとめて「有志連合」と呼びました。国連安保理では、フランス、ロシア、中国が慎重な姿勢を崩しませんでしたが、アメリカのブッシュ大統領はイラクへの先制攻撃を主張し、賛同する有志連合の国々とともにイラク攻撃に踏み切りました。
イラク戦争が起きた背景
イラク戦争が起きた背景にはどのようなことがあったのでしょうか。ここでは、悪の枢軸発言やイラクに対する疑惑、アメリカの目的について解説します。
ブッシュ政権の「悪の枢軸」発言
「悪の枢軸」とは、ブッシュ大統領が2002年の一般教書演説で用いた言葉です。ブッシュ大統領は、アメリカの脅威となる国としてイラク、イラン、北朝鮮の3か国をあげました。そして、アメリカに敵対するテロ支援国家であると主張しました*2)。
悪の枢軸発言の背後には、ブッシュ大統領がかかげていた「テロとの戦い」があります。2001年9月11日に発生したアメリカの同時多発テロは、世界に衝撃を与えました。ブッシュ大統領は、テロに対する戦いを宣言し、イスラム過激派組織のアルカイダをテロリストであると断定し、悪の枢軸の3国がアルカイダを支援していると主張したのです。
イラクに対する大量破壊兵器保有の疑惑
開戦前、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保有しているのではないかと疑っていました。大量破壊兵器には、核兵器・生物兵器・化学兵器などが含まれます。アメリカが疑惑を持った理由として、イラン・イラク戦争中の1988年3月に、ハラブジャに住むクルド人に対して毒ガスを使用したハラブジャ事件がありました*4)。
2002年7月にブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器を保有していると主張し、国連査察団の受け入れを迫りました。フセイン政権は、査察を受け入れましたが、査察団は大量破壊兵器の証拠を見つけ出せませんでした。
しかし、それでもアメリカはイラクが大量破壊兵器を隠し持っていると主張して、先制攻撃を主張します。
アメリカの目的
アメリカによるイラク攻撃の主張は、国連安保理でフランス、ロシア、中国の反対を受けていました。にもかかわらず、アメリカはイラク攻撃を強行しました。なぜ、そこまでして攻撃したのでしょうか。
これには複数の要因が考えられますが、アメリカ政府内でのネオコン(新保守主義)が大きな影響を与えたとされています。
大量破壊兵器の査察に応じず、反米的な態度を崩さないフセイン政権を打倒することで、中東地域でのアメリカの影響力を強めようとしたのかもしれません。
イラク戦争の流れ
湾岸戦争以来、中東地域が再び大規模な戦争の舞台となったイラク戦争は、どのような経緯をたどったのでしょうか。開戦からフセイン大統領拘束までの流れを見てみましょう。
有志連合の結成
2002年11月、国連安保理は「国連安保理決議1441」を採択しました。主な内容は以下のとおりです。
- イラクが武装解除を十分に行っていない
- イラクは直ちに、無条件で国連の査察に協力しなければならない
- イラクに与えられた最後の機会と警告
フセイン政権は、安保理決議に従うことを表明し、2003年1月から査察が始まりました。しかし、査察で大量破壊兵器を保有している決定的な証拠は見つかりませんでした。
安保理では、査察の打ち切りを主張するアメリカ・イギリスと、査察の継続を主張するフランス・ロシア・中国が対立し、意見が一致しませんでした。そのため、アメリカ・イギリスは、国連軍や湾岸戦争時のような多国籍軍を編制できない状況でした。
そこで、アメリカ・イギリス両国は、イラク攻撃に賛同する30数か国による有志連合を結成し、イラク攻撃を強行します。
大量破壊兵器の開発を口実に開戦
アメリカは、2003年3月19日にフセイン大統領と一族にイラクを離れるよう通告しましたが、フセイン大統領は応じませんでした。そのため、翌20日にイラク攻撃を開始します。
当初、アメリカ軍は首都バグダッドへの空爆などを行いましたが、フセイン大統領による抵抗が続いたため、地上軍の投入を決断します。
劣化ウラン弾やクラスター爆弾の使用
湾岸戦争では、ステルス戦闘機など最新鋭の兵器が使用されましたが、イラク戦争でも威力が大きい兵器が戦場に投入されました。
その一つが、劣化ウラン弾です。劣化ウランとは、核兵器の製造や原子力発電所で使用するため天然ウランを濃縮する際に発生する放射性廃棄物のことです。劣化ウランは密度が非常に高く重いため、砲弾として用いると戦車の装甲に大ダメージを与えることができます*6)。
しかし、劣化ウラン弾が着弾すると、劣化ウランが燃焼して酸化ウランとなり、微粒子が周辺に飛び散ります。そのため、ウランに含まれる放射能が人体や環境に影響を与えるのではないかと懸念されています*6)。
もう一つが、クラスター爆弾です。クラスター爆弾は、1つの親爆弾の内部に数個から数百個の小型の子爆弾が仕込まれた爆弾です。通常の爆弾よりも広い面に飛び散るため、殺傷能力が高い爆弾です*7)。
湾岸戦争でも、2,000万から3,000万個が使用されましたが、イラク戦争でも180から200万個が使用されたとされます*7)。子爆弾の一部は不発弾として地域に残留するため、戦争が終わっても多くの被害を出す爆弾です。
クラスター爆弾を規制するための国際的な動きである「オスロ・プロセス」が2007年から進められていますが、現在も禁止されていません。
フセイン大統領の拘束
戦争は、物量で圧倒的に勝る有志連合軍の優位に進みました。2003年4月、首都バグダッドは有志連合軍によって占領されます。開戦から3週間余で主要都市を占領されたフセイン政権は事実上崩壊しました*8)。
同年5月、イラク軍による組織的抵抗が終わったとして、ブッシュ大統領は戦闘終結を宣言しました。その後、国内を逃亡していたフセイン大統領は、同年12月に拘束されます*8)。
2005年10月、首都バグダッドでフセイン大統領に対する裁判が始まり、2006年11月に死刑判決が出ました。そして、翌12月に死刑が執行されます*9)。
イラク戦争のその後
アメリカの当初の目的であったフセイン政権の打倒は、わずか3週間で達成されました。しかし、各地でゲリラが放棄するなど、占領統治は上手くいきませんでした。ここでは、イラク戦争後の混乱とイスラム国について解説します。
イラク戦争後の混乱
フセイン政権崩壊後、イランでは反米ゲリラの活動やアメリカ軍による占領に反発する動きが起こり、治安状態が悪化しました。2003年9月になると、イラク軍との戦闘による死者を占領中の死者が上回る事態となりました*10)。
2004年3月、暫定憲法にあたる基本法が制定され、同年6月にイラクの主権が占領軍から暫定政府に移譲されました*11)。2005年に実施された暫定国民議会選挙では、フセイン政権に弾圧されたシーア派やクルド人が躍進します。
政権移譲後もイラクの混乱は続きました。一方、占領していたアメリカ軍はイラクに駐留していましたが、2011年12月にイラクから完全撤退します。その後も、イラクの政情は不安定な状態が続いています。
「IS」の台頭と掃討
イラク政府の弱体化やシリア内戦の隙をついて台頭したのが「IS」です。ISは、シリア北部のアレッポからイラク中部のディヤラまでの地域を占領した勢力のことです。正式な国家と認められていないため報道ではIS(アイエス)・ISIS(アイシス)などとよばれます。
ISは、2015年に拘束していた日本人2人を殺害するなど、世界各地でテロ行為を繰り返しました。そして、2014年6月、ISの指導者であるバグダディは国家の樹立を宣言しました。これに対し、同年9月、安全保障理事会は全会一致でISの壊滅を目指す議長声明を採択しました*13)。
2017年、アメリカ主導の有志連合軍やロシアの攻撃を受けたISは、首都と位置づけていたシリアのラッカを奪われ、勢力が大きく弱体化します。イラクについても、同年11月にISの支配地域が消滅しました。しかし、その後もテロ行為を繰り返すなど、世界的な脅威となっています。
イラク戦争が日本に与えた影響
湾岸戦争で資金を提供したにもかかわらず、国際的に評価されなかった日本政府は、イラク戦争後に自衛隊を派遣しました。ここでは、イラク特措法と自衛隊の海外派遣について解説します。
イラク特措法が成立した
イラク戦争がはじまると、当時の小泉首相はアメリカ軍のイラク侵攻支持を表明し、自衛隊派遣の検討に入りました。同年7月、イラク特措法を制定し、自衛隊派遣の法的根拠としました。
イラク特別措置法に基づき、2004年1月に陸上自衛隊と航空自衛隊が派遣されました。当初は4年間の時限立法でしたが、2007年7月に2年間延長されました。最終的に、自衛隊は2008年12月まで、イラクの復興支援活動を行います。
イラク戦争とSDGs
イラク戦争そのものは、開戦から3週間程度で終結する比較的短い戦いでした。しかし、戦後は占領したアメリカ軍にとっても、占領されたイラク国民にとっても苦しい事の連続でした。ここでは、イラク戦争とSDGs目標16との関わりについて解説します。
SDGs目標16「平和と公平をすべての人に」との関わり
SDGs目標16は、戦争や暴力による被害から人々を守るための目標です。ひとたび戦争が起こると、地域に住む人々は戦争に巻き込まれて財産や命を失います。戦場となった地域は兵器によって荒らされ、復興には膨大な時間が必要となります。
今回取り上げた劣化ウラン弾やクラスター爆弾は、戦争が終了しても地域に悪影響を及ぼしています。紛争地域に多数設置される地雷も、人々を傷つけ、命を奪います。ベトナム戦争で使用された枯葉剤に含まれるダイオキシン化合物のせいで、1,400人もの子どもが犠牲となり障がいをもつなどに至りました。
戦争が起こると、勝利するためにありとあらゆる手段が模索されます。その影響は、戦争が終わった後も続くことを覚えておかなければなりません。
まとめ
イラク戦争は、アメリカの「テロとの戦い」という大義名分のもと、大量破壊兵器の疑惑を理由に始まりました。しかし、戦後の混乱や占領統治の困難さ、さらには「IS」の台頭など、予期せぬ事態を引き起こしました。
この戦争は、軍事介入の複雑さと長期的影響を示す重要な事例となりました。また、劣化ウラン弾やクラスター爆弾の使用は、戦争終結後も地域に悪影響を及ぼし続けています。
イラク戦争の経験は、SDGs目標16「平和と公正をすべての人に」の重要性を改めて認識させる機会となったのではないでしょうか。
参考
*1)デジタル大辞泉「イラク戦争」
*2)知恵蔵「悪の枢軸」
*3)デジタル大辞泉プラス「アルカイダ」
*4)知恵蔵「クルド」
*5)デジタル大辞泉「新保守主義」
*6)広島市「劣化ウラン弾はどういうものですか」
*7)JICA「クラスター爆弾の仕組み」
*8)百科事典マイペディア「イラク戦争」
*9)百科事典マイペディア「フセイン」
*10)知恵蔵「イラク戦争」
*11)改定新版 世界大百科事典「イラク戦争」
*12)精選版 日本国語大辞典「シーア派」
*13)百科事典マイペディア「IS」
*14)デジタル大辞泉「イラク特別措置法」