1945年8月6日、広島市で歴史上はじめて原子爆弾が投下され、爆心地にほど近い地域にいた人の多くは瞬時にして自分の命を失いました。爆心地から160メートルの距離にあった産業奨励館は、原爆ドームとして核兵器の破壊力を物語る貴重な建物として現存しています。
しかし、戦いは日本だけで起きたわけではありません。中国、東南アジア、ヨーロッパ、アフリカなど世界各地で戦闘が繰り広げられました。戦場の広大さや戦死者の数は、第一次世界大戦を大きく上回るものであり、これまでの戦争ではありえないほどの被害をもたらしました。
今回は第二次世界大戦の概要や特徴、大まかな流れ、大戦中の日本の動きについて解説します。戦後の世界や日本の動きやSDGsとの関わりについても解説しますので、ぜひ、参考にしてください。
目次
第二次世界大戦とは
第二次世界大戦とは、ドイツ・イタリア・日本などの枢軸国と、アメリカ・イギリス・ソ連などの連合国との戦争のことです。*1)1939年のドイツによるポーランド侵攻に始まり、1945年の日本降伏まで戦争が続きました。
枢軸国と連合国が世界各地で戦った
第二次世界大戦は、枢軸国と連合国の戦争といわれます。枢軸国とは、Axis powersの日本語訳で、ナチスドイツとイタリアのファシスト党政権の同盟関係を、イタリアの独裁者であるムッソリーニが「ベルリン=ローマ枢軸」と呼んだことに由来します。
日本は1936年に日独防共協定を、1937年に日独伊三国防共協定を結んだことで枢軸国とみなされるようになりました。第二次世界大戦中の1940年に、日本はアメリカに対抗するため日独伊三国同盟を結びますが、これにより、アメリカやイギリスとの対立が決定的となります。
日本以外にも、ハンガリーやルーマニア、ブルガリアといった東欧諸国やソ連と戦って領土の一部を奪われたフィンランドが枢軸国側として戦います。
第二次世界大戦の特徴
第二次世界大戦は、これまでのどの戦争よりも大規模で、多くの人の命を奪う戦いとなりました。第一次世界大戦で見られた総力戦は、第二次世界大戦でも見られ、国の持っているすべての力が戦争のために使われます。第二次世界大戦の特徴を見てみましょう。
史上最も激しい総力戦となった
第二次世界大戦は、第一次世界大戦を上回る規模の戦いとなりました。そのため、各国はすべての国力を戦争に注ぎ込む総力戦体制を作り上げました。日本では、「欲しがりません、勝つまでは」といった標語が作られ、国民は戦争協力を余儀なくされたのです。
戦いの規模が大きかったことから、戦死者の規模も桁違いの大きくなりました。戦死者の数は2千万とも3千万ともいわれ、民間人の死者と合わせると5千万人を超えました。最も戦死者が多かったのは独ソ戦で国土が戦場となったソ連の3,000万人以上で、全人口の約1割に達したといいます*2)。
第一次世界大戦と比較すると、戦死者は5倍、民間人の犠牲者は50倍にも達したという試算もあります*2)。
また、第二次世界大戦前からナチス=ドイツが行っていたユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)など、戦争と直接かかわりがない場所でも多くの人の命が奪われました。
新戦術や新兵器が使用された
第二次世界大戦でも、第一次世界大戦のように新戦術や新兵器が用いられました。最もわかりやすい例が、大規模な航空戦と原子爆弾の使用です。
1940年7月から10月にかけて、ドイツ空軍はイギリス上空の制空権を奪うため、大量の航空機を送り込みました。当初、イギリス空軍は劣勢でしたが、近代的なレーダー網を構築してドイツ空軍を撃退しました。イギリス首相はこの戦いを「バトルオブブリテン」と命名して勝利を讃えました*4)。
1941年12月8日、機動部隊から発艦した日本海軍航空隊は、ハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を奇襲攻撃し、戦艦8隻、重巡洋艦2隻に大損害を与える戦果を出しました*5)。
また、2日後の12月10日にマレー半島沖で日本海軍航空隊がイギリス東洋艦隊の戦艦を撃沈します。これにより、軍艦の大きさを競っていた時代が終わり、海戦で航空機が重要であることが示されました。
核兵器が使用されたのも第二次世界大戦です。アメリカは、ドイツによる核兵器開発を恐れて自国で先に開発するべく、マンハッタン計画を実行します。そして、生産した核兵器である原子爆弾を広島と長崎に投下しました。その結果、広島市で14万人、長崎市で7万人もの人々が原子爆弾によって亡くなっています。
第二次世界大戦の歴史
第二次世界大戦も、第一次世界大戦同様に長期戦となりました。ここでは、大戦の流れを見てから、ターニングポイントとなった出来事について解説します。
第二次世界大戦の流れ(年表)
1939年9月 | ドイツによるポーランド侵攻 →第二次世界大戦の始まり |
1940年6月 | パリが陥落し、フランスが降伏 |
1940年9月 | 日独伊三国同盟が結ばれる |
1941年6月 | 独ソ戦開始 |
1941年12月 | 真珠湾攻撃 →太平洋戦争がはじまる(第二次世界大戦の一部) |
1942年6月 | ミッドウェー海戦 →日本海軍の機動部隊が壊滅し、日本軍が劣勢になる |
1943年2月 | スターリングラードの戦いでドイツ軍敗北 →ソ連の反撃が始まる |
1943年2月 | 日本軍がガダルカナル島から撤退 |
1943年9月 | イタリア降伏 |
1944年6月 | ノルマンディー上陸作戦 →8月にパリが解放される |
1944年11月 | 日本本土空襲が始まる |
1945年2月 | ヤルタ会談 |
1945年4月 | 沖縄戦が始まる →3か月の戦いの末、沖縄守備隊が降伏 |
1945年5月 | ヒトラーが自殺し、ドイツ降伏 |
1945年8月 | 広島と長崎に原爆投下 |
1945年8月 | ポツダム宣言を受諾し、日本が無条件降伏 →第二次世界大戦が終わる |
ドイツ軍の進撃
1938年8月、ドイツのヒトラーは独ソ不可侵条約を締結してからソ連とともにポーランドに攻め込みました。イギリスとフランスは、ドイツのポーランド侵攻を理由として宣戦布告し、第二次世界大戦がはじまります。
1940年に入っても、ドイツの進撃は続きました。デンマーク・ノルウェー・オランダ・ベルギーに攻め込み、連合国の一角であるフランスのパリに迫りました。ドイツ軍の戦車部隊は、国境の中で手薄だったアルデンヌの森を突破してフランス軍を壊滅させ、パリを占領します。
独ソ戦の始まり
1941年6月、ドイツ軍は独ソ不可侵条約を破棄してソ連に攻め込みました。いわゆる独ソ戦の始まりです。スターリンの粛清による弱体化やドイツ軍の不意打ちのため、ソ連軍は大敗し、国境の奥深くまで攻め込まれます。
スターリンは、首都モスクワや第二の都市であるレニングラード(現サンクトペテルブルク)を防衛しつつ、反撃の機会をうかがっていました。
日米の参戦
1941年12月、日本の機動部隊がハワイの真珠湾にあったアメリカ太平洋艦隊の基地を奇襲攻撃しました。これにより、日本は枢軸国側として、アメリカは連合国側として参戦します。
以後、アメリカと日本は広大な太平洋を舞台に死闘を繰り広げます。
連合国軍の反撃
1942年6月、日本海軍はミッドウェー海戦で主力空母4隻を失う大敗を喫しました。翌年には、ガダルカナル島に上陸した部隊の救援に失敗し、島から撤退せざるを得なくなります。以後、太平洋ではアメリカ軍が優勢になっていきました。
1943年2月、ロシア南部のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)で補給線を絶たれたドイツ軍が降伏しました。この戦いで、ドイツ軍は20万の将兵を失い、10万人が捕虜となりました。スターリングラードの戦い以後、独ソ戦はソ連優位に展開します。
終戦
1943年7月、連合国軍がシチリアに上陸してローマに迫ったことから、ムッソリーニが失脚してイタリアが降伏します。
1944年6月、連合国軍がノルマンディー上陸作戦を成功させて北フランスに上陸すると、ドイツはソ連とアメリカ・イギリスに挟み撃ちにされて一気に追い詰められました。そして、1945年4月30日にヒトラーが地下壕で自殺したため、ドイツが降伏します。
日本は、1944年のサイパン島陥落や同年11月の本土空襲の激化、1945年6月の沖縄戦での敗退、同年8月の原子爆弾投下などによって追い詰められました。最終的に、同年8月15日にポツダム宣言を受け入れて降伏します。
第二次世界大戦時の日本の動向
第二次世界大戦中、日本はどのような状況だったのでしょうか。日本が参戦した理由や、東条内閣の総辞職、終戦などにスポットを当てて解説します。
日本が第二次世界大戦に参戦した理由
日本が第二次世界大戦に参戦した理由は、2点あります。
- アメリカ・イギリスに蒋介石への支援をやめさせるため
- 物資がじり貧になっていたから
日本は1937年から日中戦争を戦っていました。当初は、軍事力に劣る中華民国の首都である南京などの大都市を占領すれば、指導者の蒋介石が降伏すると考えていました。
しかし、蒋介石はアメリカやイギリスの支援を続けて、粘り強く抵抗しました。日中戦争を終わらせるには、アメリカやイギリスと戦って支援をやめさせなければならないと考えていたのです。
このころ、日本はアメリカからの経済制裁に苦しんでいました。日本がフランスの植民地だった仏領インドシナの南部に軍を進めたことに対して、アメリカが日本への石油輸出を禁止する経済制裁を発動していたのです。
このままでは、石油がなくなってしまい、軍艦や航空機、戦車などを動かせなくなってしまうと考えた軍は、アメリカとの開戦を主張していました。1941年11月にアメリカとの交渉に行き詰まった日本の東条内閣は、開戦を決定します。
サイパン陥落と東条内閣の総辞職
ミッドウェー沖海戦の敗北やガダルカナル島からの撤退により、日本軍の劣勢は明白なものとなっていました。東条内閣は、日本が絶対に確保すべき地域として千島列島やマリアナ諸島等をあげていました。サイパンもその一つです。
サイパン島が陥落すると、東条英機首相は総辞職します。かわって、小磯國昭が組閣しましたが、戦争は継続されました。
原爆投下とポツダム宣言の受諾
1945年7月に沖縄で日本軍の組織的抵抗が終わった後、連合国はポツダム宣言を発して日本に無条件降伏を迫りました。しかし、鈴木貫太郎内閣はポツダム宣言を「黙殺」したため、戦闘が継続されます。
1945年8月6日、アメリカ軍は新兵器である原子爆弾を広島に投下し、同月9日には長崎にも投下します。追い詰められた日本は、ポツダム宣言を受諾して降伏しました。
世界における第二次世界大戦後の状況
第二次世界大戦後、世界は冷戦に突入します。ここでは、冷戦の始まりについて解説します。
冷戦がはじまった
冷戦とは、第二次世界大戦後のアメリカ・ソ連の二大陣営による厳しい対立のことです*13)。冷戦の始まりは、1945年にソ連で開かれたヤルタ会談に始まるといわれます。ヤルタ会談では、ポーランドをめぐってアメリカ・イギリスとソ連が激しく対立します。
その後、西ヨーロッパはアメリカ・イギリス・フランスを中心とする「西側」とソ連や東欧諸国で構成される「東側」に分かれて対立します。東西冷戦は、ヨーロッパだけではなくアジアにも及びました。アメリカとソ連の対立は半世紀近く続き、1989年のマルタ会談まで続きます。
日本における第二次世界大戦後の状況
終戦後、日本はアメリカを中心とする連合国軍による占領を受けます。ここでは、GHQによる占領統治や日本国憲法の制定について解説します。
GHQによる占領統治が始まった
GHQとは、連合国軍最高司令官総司令部のことで、日本を占領統治する機関のことです*14)。GHQは、政治・経済・社会・教育など、あらゆる面で改革を断行しました。
政治面では、選挙制度を改正し、女性参政権を認めるなど、国民主権の確立を目指しました。経済面では、財閥解体や農地改革を行い、経済力の集中排除と農村の民主化を図りました。
社会面では、男女平等を推進しました。教育面では、教育勅語を廃止し、教育基本法を制定することで、軍国主義から民主主義へと教育理念を転換させました。これらの改革は、日本の伝統的な価値観や社会構造を大きく変革し、戦後の日本社会の礎を築きました。
第二次世界大戦とSDGs
第二次世界大戦は、日本だけではなく世界各地が戦場となって多くの人が亡くなりました。今回は、戦争とSDGs目標16の関わりを中心に解説します。
SDGs目標16「平和と公正をすべての人に」との関わり
SDGs目標16は、紛争や暴力の撲滅などを通じ、人々が平和に過ごせる世界の実現を訴えています。第二次世界大戦では、戦闘員だけではなく、多くの非戦闘員も亡くなりました。日本では、東京大空襲をはじめとするアメリカ軍による本土空襲で数十万人の人が亡くなりました。原爆でも、合計で20万人以上の人が亡くなっています。
第二次世界大戦の終結から80年近くが経過した今でも、ガザ地区へのイスラエル軍の侵攻やロシアとウクライナの戦争により、多くの民間人が亡くなっています。ひとたび戦争が起きると、すべての国民が戦争に巻き込まれることを覚えておかなければならないのです。
まとめ
今回は、第二次世界大戦についてまとめました。第二次世界大戦は、世界で最も悲惨な大戦争であり、日本を含む多くの国で死者を出した戦いでした。ナチス=ドイツのユダヤ人虐殺や日本の原爆投下など、戦争に直接関係のない人々の命を奪ったという点で、罪深いと言わざるを得ません。
戦争は、多くの人々の人生を狂わせ、平和な日常を奪ってしまう恐ろしいものです。戦争に備えて、軍事・外交面の活動を行うことは極めて重要です。しかし、そもそも戦争が起こらないように日頃から国際協調を進める必要もあるでしょう。
現在進行形のウクライナ戦争やイスラエル軍のガザやレバノンへの攻撃だけではなく、ミャンマーの内戦やスーダンの内戦など、日本国内で報道が少ない紛争も含め、すべての争いを抑制する外交的努力が何よりも重要なのです。
参考
*1)山川 世界史小辞典 改定新版「第二次世界大戦」
*2)デジタル大辞泉「ムッソリーニ」
*3)日本大百科全書(ニッポニカ)「第二次世界大戦」
*4)デジタル大辞泉「ホロコースト」
*5)山川 世界史小辞典 改定新版「ブリテンの戦い」
*6)山川 世界史小辞典 改定新版「真珠湾攻撃」
*7)デジタル大辞泉「ヒトラー」
*8)デジタル大辞泉「スターリン」
*9)デジタル大辞泉「機動部隊」
*10)山川 世界史小辞典「ポツダム宣言」
*11)デジタル大辞泉「サイパン島」
*12)東条英機「日本大百科全書(ニッポニカ)」
*13)デジタル大辞泉「冷戦」
*14)デジタル大辞泉「GHQ」