「トランジション・ファイナンス」は、日本では2021年から始まったばかりの気候変動関連の新しい金融システムです。「サステナブルファイナンス」「グリーンファイナンス」が拡大する中で、特に温室効果ガス排出削減が困難な分野の資金調達手段として期待されています。
トランジション・ファイナンスとは、どのような仕組みなのでしょうか?トランジション・ファイナンスの基本指針、国内外の動向、国内の事例、メリットや課題も解説します。
トランジション・ファイナンスとは
「トランジション・ファイナンス」とは、カーボンニュートラル実現のための長期的な戦略として、温室効果ガス削減に取り組む企業への支援を目的としたファイナンス(金融・資金調達)です。省エネルギーや温室効果ガス排出量の少ないエネルギーへの転換などの「トランジション(移行)」に焦点を当て、そこに資金供給を促すために金融庁・経済産業省・環境省によって推進されています。
まずはファイナンスについての基礎知識
社会人にとって「ファイナンス」「金融」「資金調達」は、どれもそれほど馴染みのない言葉ではありませんが、「ファイナンスについて説明してください」という問いに答えられる人はどれくらいいるでしょうか?
トランジション・ファイナンスを知るための大前提として、「ファイナンス」について確認しておきましょう。
【企業のファイナンスへの向き合い方】
ファイナンスとは、企業の経営において、
- 資金の調達
- 資金の利用
- 収益の獲得
- 収益の分配
などの、資金の流れを指します。経済にとって「お金」は血液のようなものですから、常に上手く循環するようにしなければなりません。
ファイナンスは、現金や預金などの流動的な資産の動きを主に扱います。一方でファイナンスの動きと関係なく収益や費用を管理し、運営の結果の整理などは「財務会計」の扱いになります。
つまり企業の経営に当たって、ファイナンスと会計はそれぞれの知識が必要な別々のプロセスです。ファイナンスの方法として代表的なものが、
- 債券の発行・ローン※などによる資金の借り入れ
- 株式の発行・自己株式の処分
です。1は利息の支払いや借入金の返済が必要です。2は基本的に返済する必要はありませんが、一般的に配当金などのリターンが設定されています。
2の場合、その株式を持つ割合に応じて経営権も与えられるため、企業の重要事項を決める際には株式所有者の同意が必要です。近年ではこのほかにもクラウドファンディング※などが普及し、資金調達の方法も多様化の兆しがあります。
大きく分けて、
- 購入型:製品を購入してもらう(先払いしてもらい、資金が集まったら製造して渡す)
- 寄付型:寄付してもらう(返済の必要がない)
- 投資型:金銭的なリターンが設定されている
の3種類がある。
【クラウドファンディングの仕組み】
トランジションとは?
トランジション・ファイナンスの「トランジション」は、産業革命以降から続いてきた大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とした、短期的な利益を追求した産業構造から、カーボンニュートラルが実現するまでの移行期間のことです。この移行は短期間の努力で実現するものではなく、長期間・多額の資金が必要な取り組みです。
このカーボンニュートラル実現までの期間、企業は経営を続けながらも、温室効果ガス削減などの気候変動への具体的な対策にも取り組まなくてはなりません。このような企業のカーボンニュートラルへの移行のための資金調達を支援するために、トランジション・ファイナンスが推進されているのです。
【トランジションの期間とは】
グリーンファイナンスとの違い
「グリーンファイナンス」とは、
- グリーンボンド
- サステナビリティ・リンク・ボンド
- サステナビリティボンド
- グリーンローン
- サステナビリティ・リンク・ローン
などの「グリーンプロジェクト」のために必要な資金を調達するためのファイナンスです。グリーンプロジェクトとは、明確な環境改善効果をもたらす事業計画のことです。
【グリーンプロジェクトの例】
トランジション・ファイナンスが省エネルギーや温室効果ガス排出量の少ないエネルギーへの転換などの「トランジション(移行)」に焦点を当てているのに対し、グリーンファイナンスは資金の用途が「グリーンプロジェクト」であることに焦点を当てたファイナンスです。この2つのファイナンスは、時に行われる事業の内容が「トランジションのため」とも「グリーンプロジェクトである」とも取れる可能性もありますが、資金を集める企業や団体が「どのようなラベル※をつけて投資家にアピールするか」で呼び方が変わっていると考えても問題はありません。
この2つのファイナンスの目的と条件をまとめると下の表のようになります。
トランジション・ファイナンス | グリーンファイナンス |
---|---|
カーボンニュートラルな社会に向けた移行のため | グリーンプロジェクトのため |
資金の用途がグリーンプロジェクトであるかは問われず、調達資金の用途が特定されているわけではないが、トラジション・ファイナンスの4つの要素を満たすもの。グリーンプロジェクトに当てはまるものであっても構わない。 | グリーンプロジェクトに用途が限定されているものと、「サステナビリティ・リンク・ボンド」のように、用途は限定されていないが、設定したサステナビリティ関連の取り組みで結果を出すことを求められるものとがある。 |
トランジション・ファイナンスについて、なんとなくイメージができましたか?次は経済産業省が策定したトランジション・ファイナンスに関する基本指針を確認します。*1)
クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針
【トランジション・ファイナンスの指針】
トランジション・ファイナンスでは、基本指針として、
”資金充当の対象のみに着目するのではなく、脱炭素に向けた企業の「トランジション戦略」やその戦略を実践する信頼性・透明性を総合的に判断するもの”
引用:経済産業省『トランジション・ファイナンス』
としています。
つまり、資金の使い道だけにとらわれず、企業のカーボンニュートラルに向けたロードマップや戦略・ガバナンス・情報の開示などを、総合的に評価してトランジション・ファイナンスで資金を調達する資格があるかを判断するということです。さらに、企業の策定するトランジション戦略は、科学的根拠に基づいたものである必要があります。日本のトランジション・ファイナンスでは、企業の情報開示事項や論点などは、「ICMAハンドブック」の内容との整合性に配慮することが推奨されています。
【トランジション・ファイナンスに必要な開示にあたっての4要素】
ICMAハンドブック
「ICMAハンドブック」とは、ICMA※によって2020年12月に策定された「クライメート・トランジション・ファイナンス・ハンドブック」のことです。
気候変動関連の資金調達のための債券発行において、
- 発行体(債権を発行して資金を調達する側)のクライメート・トランジション※戦略とガバナンス※
- ビジネスモデルにおける環境面のマテリアリティ(企業や組織にとっての重要課題)
- 科学的根拠のあるクライメート・トランジション戦略(目標と経路を含む)
- 実施の透明性
の4つを重要な開示要素として推奨し、各要素の明確な指標の設定や一般的に期待されることなどを明示しています。また、ICMAハンドブックでは、プロジェクトについての定義やタクソノミー※は提示せず、関連分野において世界各地で進められていることを慣行事例として取り上げています。
【ICMAハンドブックが提言する4つの要素】
トランジション・ファイナンスは国際的な枠組みとの整合性にも配慮しています。次の章では、トランジション・ファイナンスに分類できる資金の調達方法を紹介します。
トランジション・ファイナンスの種類
トランジション・ファイナンスに含まれる資金調達の方法は、主に3つに分けられます。下の図はその関係をわかりやすく表しています。
【トランジションファイナンスの概念】
上の図の①②③を解説します。
①トランジション・ボンド/トランジション・ローン
調達した資金の用途はグリーンプロジェクトではないもので、トランジションの4つの要素を満たす債券・ローンです。
②サステナビリティ・リンク・ボンド
トランジションの4つの要素を満たし、トランジション戦略に沿った目標設定を行います。そして、設定したサステナビリティへの取り組み目標の達成に応じて借入条件が変動する、資金用途が特定されていないものがサステナビリティ・リンク・ボンドです。目標が達成できなければ利率が上がる、グリーンプロジェクト事業などへ寄付をするなど、変動する条件はさまざまです。
③グリーンボンド/グリーンローン
資金の用途がグリーンプロジェクトで、かつトランジションの4つの要素を満たすものです。グリーンファイナンスと呼ぶこともできます。
トランジション・ファイナンスはグリーンファイナンスでは対象外だった取り組みが「トランジション」に焦点を当てることによって、資金調達が可能になる点が大きなメリットと言えます。また、企業がトランジション・ファイナンスを利用することで、社会全体のトランジションへの意識向上にもつながります。
次の章では、経済産業省が産業の各分野ごとに策定したロードマップの一部を解説します。*2)
トランジション・ファイナンス推進のためのロードマップ
経済産業省は「トランジション・ファイナンス推進のためのロードマップ」として、
- 鉄鋼
- 化学
- 電力
- ガス
- 石油
- 紙・パルプ
- セメント
- 国際海運
- 内航海運
- 航空
の各分野ごとに、2050年カーボンニュートラルに向けた日本の取り組み計画を策定しています。それぞれのロードマップの中で、各分野に対応した脱炭素に向けた技術や方向性を示しています。
ここでは鉄鋼分野と電力分野のロードマップを見てみましょう。
鉄鋼業
日本の鉄鋼業は、高い技術による高級な鉄鋼を世界に提供しています。鉄鋼の軽量化や強靭化により、
- 輸送用機械
- エネルギー
- 建築
などのトランジションに貢献する製品が多くあります。このため今後も日本の高品質な鉄鋼製品は需要の拡大が予想されています。
しかし、鉄鋼業は世界的に見ても温室効果ガスを多く排出する分野です。日本国内の産業全体に占める鉄鋼業の温室効果ガス排出量は最大規模です。
【日本のCO2排出状況】
上の統計からもわかるように、日本の産業部門のCO2排出量に占める鉄鋼業の割合は40%と最も多く、鉄鋼業の排出量削減は緊急に対処すべきすべき重要な課題です。鉄鋼業のトランジションに関するロードマップを下の表にまとめました。
【関連記事】
バイオマス発電とは?メリット・デメリット、仕組み・問題点を解説
電力
電力は生活や経済活動に欠かせないものです。電力分野のトランジションは、その取り組みによる影響を十分に考慮して慎重に進めなくてはなりません。
日本は化石資源の保有量が乏しく輸入に依存している一方、平地が少ないなどの理由で再生可能エネルギーの導入が他国に比べて難しいという特性があります。このような条件から、電力分野で脱炭素化を進めるにあたっては、多様な電力を統合した電力システムの構築を目指しています。
【ノルウェー・ドイツ・日本の再エネ比率】
上の図では、日本が国土面積が狭い上、電力需要が多いために他国に比べて再エネ比率を向上させるにあたっての制約があることを表しています。再エネの発電量で見れば、再エネ比率98%のノルウェーよりも多いことがわかります。
電力のトランジションに関するロードマップを下の表にまとめます。
この電力分野のトランジションは、パリ協定と整合性のある科学的根拠に基づいたもので、2050年カーボンニュートラルの実現を目的としています。すでに実用化された技術に加え、
- アンモニア
- 水素
- CCS・CCUS
などの導入拡大により、CO2排出量削減を実現する計画です。
【日本の電力分野のトランジションとCO2排出量削減のイメージ】
鉄鋼分野も電力分野も、温室効果ガスの排出が多い分野です。これらの分野のカーボンニュートラルへの取り組みがうまく進むことは、社会全体の持続可能性に大きく影響します。
トランジション・ファイナンスについて理解が進んできたところで、次はトランジションファイナンスが注目される背景に迫ります。*3)
トランジション・ファイナンスが注目される背景
2015年に「パリ協定」※が採択され、世界的な平均気温の上昇を産業革命以前から比較して1.5℃に抑えることが世界共通の目標となりました。IPCC※の「1.5℃特別報告書」※では、平均気温の上昇を1.5℃に抑えるためには、2050年までに温室効果ガスの排出量を森林などのCO2吸収量を差し引いてゼロ(つまりカーボンニュートラル)にすることが必要ということが明らかにされました。
カーボンニュートラルの実現には、排出量削減が難しい分野の低炭素化への取り組みなど、多額の資金が必要です。しかし、「グリーンかどうか」の判断基準では、温室効果ガス排出量の多い業種は基準を満たせないこともあり、分野や業種によっては気候変動への対応のための資金の調達が難しい場合があります。
グリーンファイナンスでは対応できない分野の問題
トランジション・ファイナンスに先駆けて「グリーンファイナンス」が注目され、「グリーンプロジェクト」の定義や基準が作られましたが、社会の構造全体で見ると、持続可能なシステムを作り上げるには「グリーンかどうか」だけでは対応できない分野もあることがわかってきました。
この問題に対処するために、持続可能な社会構造への「トランジション」という観点で投資・融資が受けられる金融システムとして「トランジション・ファイナンス」が生まれました。ここまで見てきたように、トランジション・ファイナンスはグリーンファイナンスとは焦点が違うため、持続可能な社会への貢献を「グリーンかどうか」の枠にとらわれず評価し、要件を満たせば「トランジション」のラベルをつけて投資を募ることができます。
トランジション・ファイナンスはグリーンファイナンスではカバーできない持続可能性のための取り組みを支援するために生まれたことがわかりました。これまでみてきたトランジション・ファイナンスについて、メリット・デメリットをまとめながらおさらいしましょう。*4)
トランジション・ファイナンスのメリット
トランジション・ファイナンスは具体的にどのようなメリットがあるのでしょうか?これまで見てきたことを思い出しながら確認していきましょう。
トランジションに焦点を当てた資金調達
トランジション・ファイナンスでは、従来のグリーンファイナンスなどでは対象外だった事業も、企業のトランジション戦略の一部と明確なロードマップを示すことで、資金の獲得に繋げることができます。企業の長期的なカーボンニュートラルへの取り組みに、すぐに結果が出ない場合でも資金を調達できる可能性があります。
企業のレジリエンス向上
企業が気候変動に対応するための取り組みを進めることは、企業のレジリエンス※の向上につながります。自社の経営の持続可能性を高めるだけでなく、レジリエンスの高い企業が増えることで、社会全体のレジリエンスも向上します。
業種や地域の事情を踏まえた評価
トランジション・ファイナンスでは、企業の業種・国や地域による特性を考慮した評価が可能です。これらをふまえた自社のトランジション戦略を明確にし、投資家や金融機関に適格と認められることで、社会での評価向上にもつながります。
これはグリーンファイナンスや TCFDなどの既存の枠組みにはないトランジション・ファイナンス独自のメリットと言えます。
*5)
トランジション・ファイナンスのデメリット・課題
次はトランジション・ファイナンスのデメリットや課題について見ていきましょう。
グリーンウォッシュの可能性
「グリーンウォッシュ」とは、気候変動への対応に取り組んでいると見せかけて、実際は取り組みの内容が伴っていないことです。気候変動関連のファイナンスが拡大すると同時に、企業がイメージアップや資金の調達のために、環境問題解決のために取り組んでいると実際以上に見せかけていることがある問題が報告されています。
他の気候変動関連のファイナンスと同様、トランジション・ファイナンスにも、投資を募る側がグリーンウォッシュである可能性はゼロではありません。投資先の企業がもしグリーンウォッシュだと、その投資は投資家の意図した用途に使われない、またはトランジション・ファイナンスとしての効果が薄い場合があります。
座礁資産化の懸念
「座礁資産」とは、市場や社会環境の大きな変化と連動し、価値が大きく減少する資産のことです。例えば化石燃料は将来、気候変動への対応のためにその多くが使用できなくなり、資産価値が大きく下がると考えられています。
トランジション・ファイナンスはトランジションへの取り組みが社会的に重要という認識があれば価値が創造されますが、トランジションへの取り組み自体の重要性が失われれば、その価値も失ってしまいます。
また、トランジション・ファイナンスのラベルをつけたグリーンウォッシュが増加して、投資家から敬遠されてしまうなどの可能性も全くないとは言い切れません。トランジションに対する座礁資産化を防ぐために、トランジション・ファイナンスでは明確な適格性と信頼性の確保が必要です。
温室効果ガス排出量の多い企業への投資減少のおそれ
投資・融資先の温室効果ガス排出量(ファイナンスド・エミッション※)を重視するあまり、投資・融資先企業の気候変動への取り組み状況に関わらず、温室効果ガスの排出量が多い産業への投資を控えたり、ダイベストメント※を実行したりすることを助長する恐れがあります。
まだ動き始めたばかりとも言えるトランジション・ファイナンスにはまだ課題が残されています。金融業界の資金調達のあり方も社会の流れや世界の目指す方向性によって今後も変化していきます。
では、世界において、トランジション・ファイナンスはどのような現状にあるのでしょうか?*6)
世界におけるトランジション・ファイナンスの現状・動向
パリ協定の目標達成に向けて、世界中で温室効果ガスの排出量が多い産業でのトランジションが重要になっています。このためトランジション・ファイナンスも世界的に推進されています。
海外のトランジション・ファイナンスに関連する主な動向を確認しましょう。
EUタクソノミー
「EUタクソノミー」は持続可能な社会の実現に取り組む経済活動を分類するためのEUが設定した独自の基準です。持続可能な活動やプロジェクトに資金を供給するため、「何がサステナブルな活動か?」定義と基準を明確にしました。
【EUタクソノミーの分類の例】
しかし、EUタクソノミーは「個別の経済活動がグリーンプロジェクトかどうか」に焦点を当てている傾向があり、「改善の余地がある」という意見が2019年の国連気候サミットで出ました。まだ課題はありますが、EUの温室効果ガス排出量の93.5%を占める産業を対象にし、カーボンリーケージ※の対策も考慮した内容です。
【EUタクソノミーの適格・不適格の例】
※カーボンリーケージ
- 温室効果ガス削減の取り組みを行わない国や地域からの輸入品が、価格競争力において排出削減の取り組みを行なっている国内で生産された製品よりも優位になり、その国の生産が減少する
- 国内の温室効果ガス排出量の制約を理由に、海外の制約の緩い場所に生産拠点を移転し、地球全体で見た温室効果ガスの排出量が減らない
という2つの問題。EUタクソノミーのカーボンリーケージ対策は「国境炭素調整措置」とも呼ばれ、1の問題に対処したもの。
CBI:多排出産業向けクライテリア
「CBI」はClimate Bonds Standard & Certification Schemeの略称です。「クライテリア(criteria)」とは「基準」という意味なので、つまりCBIによる「温室効果ガスの排出量が多い産業むけの基準」ということです。
厳密な科学的基準により、気候変動関連の債権の発行やローンの審査に当たって、パリ協定の目標と一致するかを認証します。このCBIの枠組みは、「気候変動への取り組みに確実に貢献する投資」を優先するために世界中で利用されています。
グリーン技術だけでなく、既存設備の省エネも対象にするなど、EUタクソノミーがカバーしていない対象の基準も提供しており、EUタクソノミーと同時にCBIの業種別の基準に沿って評価します。
世界のトランジション・ファイナンスの近年の動向を表にまとめます。
上の表からもわかるように、世界のトランジション・ファイナンスに関連する動きは活発化しています。世界中で気候変動関連の取り組みに次々と基準やガイドラインが作成されているのは、投資・融資する際にその事業計画がトランジション・ファイナンス(またはグリーンファイナンスなど)から資金を調達する資格があるかどうかを国際的にも公平に判断するためです。
世界でのトランジション・ファイナンスの動きがわかったところで、次は日本のトランジション・ファイナンスの現状を確認しましょう。*7)
日本におけるトランジション・ファイナンスの現状・動向
日本でトランジション・ファイナンスが日本で始動したのは、2021年からです。下のグラフは2022年12月時点、年度の途中までのデータですが、その時点でもトランジション・ファイナンスが大幅に増加傾向にあることがわかります。
【日本の環境関連投資の推移】
トラジション・ファイナンス支援制度(利子補給事業)
日本政府は始まったばかりのトランジション・ファイナンスへの資金供給を促進するために、金融支援制度として「カーボンニュートラル実現に向けたトランジション推進のための金融支援制度(利子補給事業等)」を実施しています。この金融支援制度は2050年カーボンニュートラル実現に向けた温室効果ガス削減の取り組み(トランジション)を進める10年以上の計画※を策定し、事業所管大臣の認定を受けた事業者への貸付が対象です。
この制度は成果連動型の利子補給制度で、投資対象の設定した目標の達成状況によって、利下げが行われます。一方、目標が達成されなければ通常金利に戻ります。
この制度によって利下げされた金利と通常金利の差額分を、政府が日本政策金融公庫※を通じて指定金融機関に補給します。
【日本のトラジション・ファイナンス支援制度(利子補給事業)】
日本ではまだこれから、と言っていいトランジション・ファイナンスですが、今後も増加傾向が続くと考えられます。*8)
トランジション・ファイナンスモデル事業
では、トランジション・ファイナンスは実際にどのように機能しているのでしょうか?
- 電力分野から九州電力株式会社
- 石油分野からENEOSホールディングス株式会社
の2つの事例を見てみましょう。
九州電力株式会社
【九州電力の4つの挑戦】
九州電力は2022年4月に「トランジション・ボンド」を発行しました。この債券発行により調達された資金は、高効率LNG火力発電所※の開発と既存の火力発電所の休廃止のために使われます。
【火力発電の発電量あたりのCO2排出量】
【九州電力の環境目標】
このトランジションボンドの発行にあたり、九州電力は「九州電力サステナブルファイナンス・フレームワーク」を策定し、第三者評価機関からの評価も受けています。九州電力サステナブルファイナンス・フレームワークでは、今後のカーボンニュートラルに向けた具体的なロードマップをはじめ、トランジション・ファイナンスに求められる4つの要素についての自社の指針などが明記されています。
【九州電力のカーボンニュートラルに向けたロードマップ】
ENEOSホールディングス株式会社
【ENEOSの水素ステーション】
ENEOSは2022年6月に日本国内初の「トランジション・リンク債」※を発行しました。この債券の発行にあたって、ICMAなど国際的な基本指針が参照されています。
また、2030年までの温室効果ガス排出量削減目標を46%に設定するなど、日本の排出量削減目標にも合わせています。さらに、世界全体が2050年にカーボンニュートラルを目指している中、10年早い2040年に自社のScope1・Scope2※のネット排出量ゼロ※を目指すなど、高い目標を掲げています。
【ENEOSのCO2排出量削減計画】
※Scope
- Scope1:事業者自らによる温室効果ガスの直接排出(燃料の燃焼、工業プロセス)
- Scope2 : 他社から供給された電気、熱・蒸気の使用に伴う間接排出
- Scope3 : Scope1、Scope2以外の間接排出(事業者の活動に関連する他社の排出)
【Scope1〜3とは】
トランジション・ファイナンスは現状大企業中心に拡大していますが、今後中小企業も利用できる仕組みが確立されることが期待されています。トランジション・ファイナンスについて理解が深まったところで、SDGsとの関係を考えます。*9)
トランジション・ファイナンスとSDGs
日本ではSDGsの知識は社会人の常識となっています。トランジション・ファイナンスは、SDGsの目標達成へどのように貢献するのでしょうか?
ここまで見てきたように、日本は従来化石燃料への依存が大きく、また土地などの条件から再エネの導入は他国に比べて困難が伴います。
しかし、このままの産業・経済・生活のシステムでは、いずれ地球が人間を含む多くの生物にとって住めない場所になってしまいます。よって持続可能な社会構造へと「トランジション」が推進されていますが、社会構造の再構築ですから、多額の資金が必要です。
「SDGsを知っている」という人の中には、
- 貧困
- 人権
- 福祉
- エネルギー
- 温室効果ガス
- 生物多様性
などの問題を包括的に解決しなければならないことはよく理解していても、そのためには「莫大な資金が必要」という大きな問題を見過ごしている人がいます。しかし、どの問題を解決するにも、相応の資金が必要なのです。
また、金融業界の影響力は非常に大きいため、金融業界が先導して変革に取り組むことで、社会の流れを持続可能でより良い未来のために貢献することに向けることができます。
「トランジション・ファイナンス」はSDGsの目標が全て達成され、持続可能で調和の取れた世界が来た暁には不要なものとなるかもしれません。しかしその未来が来るまでは、その達成を金融の力で支援するため、トランジション・ファイナンスは重要な資金調達の手段となるでしょう。
【金融機関が働きかける社会の価値の創出】
上の図では、金融機関が関係事業者(投資・融資先など)を対話などによって理解し(エンゲージメント)、意思決定や事業活動に反映させることによって、強い影響力(インパクト)が生まれ、社会課題の解決が社会の価値につながるようになることを説明しています。コレクティブ・アクションとは集団行動・恊働といった意味です。
投資家・金融機関がSDGs目標など社会問題の解決を意識した投融資を行うことで、社会全体に影響を与え、「社会問題の解決=価値」という価値観が創造されることが期待されています。
まとめ:経済の知識を身につけよう!
トランジション・ファイナンスは冒頭の雪山を登るイラストにあったように、それぞれの分野・業種が、それぞれの道筋(ロードマップ)でカーボンニュートラルを目指すための資金調達方法を提供し、取り組みを支援するための金融システムだということが理解できたでしょうか。このような経済の仕組みは、決してあなたにとって無関係なものではありません。
今後、個人の資産運用が重要性が大きくなっていくことが予想されますが、あなたの資産を効率よく運用するためには、お金の基礎知識は必須です。あなたも社会人のひとりとして、社会の経済の仕組みを知り、将来のための資産形成を考えましょう。
個人投資家として企業のESGや、今回学んだトランジション・ファイナンス、グリーンファイナンスを意識すれば、資産を運用しながら持続可能な社会の構築に貢献することもできます。投資を考えると、世界の情勢や環境・社会問題にも興味を持つことができ、新しい情報を確認する習慣にもつながります。
長生きが予想される私たちの人生を、生涯学習で充実したものにし、適切に資産を運用して生活のゆとりにつなげましょう。あなたは何に投資するかで、どう社会に貢献するかを選ぶことができます。
〈参考・引用文献〉
*1)トランジション・ファイナンスとは
環境省『クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針』(2021年5月)
経済産業省『トランジション・ファイナンス概要』p.5(2021年8月)
経済産業省『トランジション・ファイナンス』
経済産業省『スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス』p.5(2022年4月)
消費者庁『インターネット消費者取引連絡会 クラウドファンディングの仕組み』p.3
環境省『グリーンボンドに期待される事項』
*2)クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針/トランジション・ファイナンスの種類
経済産業省『トランジション・ファイナンス』
経済産業省『着実な低炭素化・脱炭素化に向け、移行段階に必要な低炭素技術や革新的な脱炭素技術に対する資金環境の整備に関する調査』p.6(2021年3月)
経済産業省『クライメート・トランジション・ファイナンス・ ハンドブック』(2020年12月)
フランス国債庁AFT『国際資本市場協会ICMA』
環境省『クライメート・トランジション・ファイナンスに関する基本指針』p.1,p.2(2021年5月)
日本経済新聞『EUタクソノミーとは 環境配慮の経済活動を認定』(2021年12月)
環境省『トランジション・ファイナンス 基本指針概要』(2021年5月)
サステナビリティ・リンク・ボンドとは?メリットや具体事例をわかりやすく解説
*3)トランジション・ファイナンス推進のためのロードマップ
経済産業省『「トランジションファイナンス」に関する 鉄鋼分野における技術ロードマップ』p.9(2021年10月)
NEDO『フェロコークス製造のための中規模設備の実証試験を開始 』(2020年10月)
CCSとは?CCUSとの違い、デメリット・問題点、二酸化炭素回収・貯留の仕組みを解説
資源エネルギー庁『水素を活用した製鉄技術、今どこまで進んでる?』(2021年10月)
新日鉄『製鉄副生ガスからの水素高度利用技術開発』
バイオマス発電とは?メリット・デメリット、仕組み・問題点を解説
資源エネルギー庁『再生可能エネルギーとは バイオマス発電』
国立研究開発法人科学技術振興機構低炭素社会戦略センター『水素直接還元製鉄法の評価と技術課題』(2022年5月)
経済産業省『電力分野のトランジション・ロードマップ』p.12,p.13,p.22,p.23,p.27(2022年2月)
*4)トランジション・ファイナンスが注目される背景
環境省『気候変動に関する政府間パネル(IPCC)「1.5℃特別報告書(*)」の公表(第48回総会の結果)について』(2018年10月)
*5)トランジション・ファイナンスのメリット
日経ESG『移行ファイナンス元年始まる』(2021年1月)
*6)トランジション・ファイナンスのデメリット・課題
グリーンウォッシュとは?具体例と日本企業でもできる対策・SDGsの関係
経済産業省『官民でトランジション・ファイナンスを推進する上でのファイナンスド・エミッションに関する課題提起ペーパーを取りまとめました』(2023年2月)
経済産業省『金融機関への環境整備 (ファイナンスド・エミッションへの対応について)』(2023年2月)
日本総研『CSRを巡る動き:「ファイナンスド・エミッション」計測とその課題』(2021年12月)
*7)世界におけるトランジション・ファイナンスの現状・動向
経済産業省『トランジション・ファイナンスに関する 国内外の動向』p.3(2022年9月)
経済産業省『トランジション・ファイナンス概要』p.2(2021年8月)
一般財団法人日本エネルギー経済研究所『国境炭素調整措置の最新動向の整理ー欧州における動向を中心にー』(2021年2月)
経済産業省『着実な低炭素化・脱炭素化に向け、移行段階に必要な低炭素技術や革新的な脱炭素技術に対する資金環境の整備に関する調査』p.4(2021年3月)
INITIATIVE Climate Bonds『Climate Bonds Standard & Certification Scheme』
GFANZ『Glasgow Financial Alliance for Net Zero Accelerating the transition to a net-zero global economy』
環境省『GFANZによるネットゼロへのトランジションファイナンスに関する提言案等の公表』
経済産業省『トランジション・ファイナンスに関する 国内外の動向』p.1(2022年9月)
*8)日本におけるトランジション・ファイナンスの現状・動向
経済産業省『産業のGXに向けた資金供給の在り方に関する 研究会におけるこれまでの議論』p.21(2022年12月)
日本政策金融公庫『日本公庫の役割と機能』
経済産業省『事業適応計画(産業競争力強化法)』
経済産業省『カーボンニュートラル実現に向けたトランジション推進のための金融支援制度(利子補給事業等)』
*9)トランジション・ファイナンスモデル事業
九州電力株式会社『企業情報 4つの挑戦』
九州電力株式会社『企業情報 グループ経営ビジョン』
環境省『電気事業分野における地球温暖化対策の 進捗状況の評価結果について』p.36(2020年7月)
九州電力株式会社『九州電力サステナブルファイナンス・フレームワーク』p.3
九州電力株式会社『九州電力サステナブルファイナンス・フレームワーク』p.4
経済産業省『九州電力株式会社の事業適応計画のポイント』(2022年10月)
九州電力株式会社『「九州電力トランジションボンド」を発行します-旧一般電気事業者として初めての発行-』(2022年4月)
ENEOSホールディングス株式会社『水素ステーション』
経済産業省『トランジション・ファイナンスに関する 国内外の動向』p.30(2022年9月)
環境省『サプライチェーン排出量算定をはじめる方へ』
ENEOSホールディングス株式会社『国内初のトランジション・リンク・ボンドの発行について』(2022年5月)
*10)トランジション・ファイナンスとSDGs
国際連合広報センター『基本情報』
経済産業省『「SDGs 達成へ向けた企業が創出する 『社会の価値』への期待」に関する 調査研究報告書』p.27(2020年3月)
日経ESG『SDGs認知率は86%に上昇 他と異なるZ世代の消費意識』(2022年6月)