松下 剛樹(つねき)
根羽村役場 根羽村保育所所長
1981年生まれ(いて座)、根羽村出身。根羽中学校卒業後、飯田の職業科へ進学する。その後名古屋の専門学校を経て、平成14年にいろいろな縁があり地元に帰り、根羽村役場に就職。総務課や教育委員会などを経験し、この4月から保育所に勤務している。金沢工業大学の学生が主体となってつくられた、SDGsカードゲーム公認ファシリテーターを取得。
片桐 充貴(あつき)
根羽村役場 総務課に勤務
1985年生まれ(やぎ座)、根羽村出身。根羽中学校卒業後、高校、専門学校を卒業し、2009年から幼稚園教諭として5年間勤務し、2014年から根羽村役場の振興課に勤務。その後、2022年から総務課勤務。
片桐 匡朗(まさあき)
根羽村役場 住民課
1984年生まれ(おうし座)、根羽村出身。大学卒業後、商社で営業6年、法務3年の勤務を経て、2017年に根羽村役場に転職。3年間振興課で商工観光を担当した後、現在に至る。住民課では上下水道、浄化槽、新エネ、犬猫ごみ墓地を担当。
杉山 泰彦
一般社団法人ねばのもり 代表理事
1991年生まれ(おとめ座)、名古屋出身。大学卒業後、東京のベンチャー企業・株式会社CRAZYと株式会社WHEREで約5年働いた後に総務省地域おこし企業人制度で根羽村へ出向。3年間、村のPR担当を務めながら一般社団法人ねばのもりを立ち上げ、地域に寄り添った活動を行っている。
introduction
長野県の最南西部にある根羽村(ねばむら)。林業が主要産業で、人口850人ほどの緑深い小さな村です。いわゆる過疎地域にある他の小規模自治体と同様に、ここ根羽村も少子高齢化が急激に進行しています。一方で村では魅力を高めるための様々な取り組みを行っており、村への流入人口は2020年・2021年と2年連続で増加するなど成果を上げています。
今回お話を伺ったのは、根羽村役場の若手職員である松下さん、片桐充貴さん、片桐匡朗さんと、「一般社団法人ねばのもり」代表の杉山さんです。
地元の魅力を高めるため奮闘する根羽村出身のお三方と、東京からの移住者である杉山さんの間でどのような化学変化が起こったのか。取り組みと村民の反響や、移住についての考えも伺いました。
外からやってきた杉山さんが、村に溶け込むまで。大切なのは「継続性」
–今回は3名の根羽村役場職員の皆さんと「一般社団法人ねばのもり」代表の杉山さんに集まっていただきました。まずは杉山さんが根羽村でどのような事業を行っているか教えていただけますか?
杉山さん:
元々いた会社で各地の地域おこしや移住サポートの事業を行っていたのですが、その中でも特にここ根羽の自然や人に惹かれて、2018年12月に夫婦で移住してきました。
今は「一般社団法人ねばのもり」を立ち上げて、役場からの委託事業と自社事業の二本柱で、根羽村の皆さんが幸せになるような活動をしています。
私は人を巻き込むことが得意なのですが、自分で何かをやることはあまり得意ではありません。なので、地域の様々なフィールドの人たちに声をかけて、力を借りながら一つ一つのプロジェクトに取り組んでいます。
これらのプロジェクトを通して感じることが、役場職員の方々のまちづくりへの情熱です。私たちが普段生活していると気づきにくいものですが、彼らは日々「暮らしやすいまち」や「楽しいまち」を実現するために地道に努力しているんです。
今回取材に参加したメンバーもそうで、様々な取り組みを展開し、良いまちにするために奮闘しています。
夏祭りの改革 「ここに来れば楽しい」への回帰
–では職員の方々の取り組みを詳しく伺えればと思います。具体的にどのようなことを進めているのでしょうか?
松下さん:
色々やっていますが、その中のひとつに私が社会教育係にいた時に担当していた夏祭りの改革があります。
それまでの夏祭りは、村に昔からある盆歌で踊って、抽選会をしておしまい。お祭りを楽しむというよりは、抽選目的で来る人の方が多かったんです。それに村外からの人も多かったので「これって誰のためのお祭りなんだろう」と思っていました。
そこで杉山さんに相談しながら、コンセプトを再考し、「令和とレトロ、明治生まれから令和生まれまで皆で楽しめるお祭り」という方向性に決めました。とにかく会場に来れば絶対に楽しめるようにしたんです。
たとえば、中学生にお店を出してもらったり、プロを呼んでヘアメイクを受けられるようにしたり、浴衣を持ってくればその場で着付けしてくれるようにしたり…。結果大盛況で、1日限りの企画ではありますが、得るものの大きい企画となりました。
そもそも夏祭りって、昔は男女の出会いの場でもあったんですよね。抽選会がなくても、村民同士が交流し、楽しい場所だったはずです。それを再現できたことは、本当に良かったと考えています。
–高齢者の割合が高い根羽村ですが、若者の繋がりをつくる取り組みも行ったそうですね。
片桐充貴さん:
はい。松下さんと村の40歳以下の人数がどのくらいなんだろうと話していたことがあって、調べてみたら70人くらいだったんですね。
その人たちを集めて何か楽しいことをしたいねということで、「ネバラボ」という集まりを始めました。
具体的には、村内の施設に集まって、子どもたちは体育館で遊ぶ、男性陣はカレーライスを作る、女性陣はフリーの時間にして思い思いに過ごしてもらう、という企画を行いました。その時は5〜60人集まって、良い時間を作ることが出来ました。
移住してきた杉山夫妻のことを良く知らない人たちも多かったので、彼らのことを知ってもらいつつ、お手伝いしてもらったり輪を広げたり、というのも目的にしていました。
他にも、山の中で様々な遊びをする「山ラボ」というプロジェクトもやっていて、そういった場に村の若者たちにもどんどん参加してもらい、コミュニティづくりを行っています。
–「ネバラボ」の取り組みの根底には、「今の段階でコミュニティを作っておけば、人口の流出を減らせるのではないか」という期待があるのでしょうか?
片桐充貴さん:
そういった期待よりは、村の中での絆、横のつながりを作っていきたいという思いが強いですね。得意分野のある人が多くいるので「○○のことならこの人に聞けば教えてくれる」といったような、村の中でのつながりを強めていきたいと考えています。
今後村が衰退していくことに抗うことは難しいですが、そんな中でもこの村で面白いことをやりたいんです。20年後、今の40歳の人が60歳になった時にもハッピーな村であるように、若者世代でしっかり盛り上げていこうということで立ち上げました。
村の子どもたちにとって「自慢の村」でありたい
–同じような境遇にある自治体では、今後の発展を諦めてしまい、何も行動を起こさないという場所も少なくないですよね。一方で根羽村役場の皆さんからは情熱・活力を感じるのですが、いったいどこから生まれてきているのでしょうか?
片桐充貴さん:
基本的には個人個人の熱量がベースにあると思います。今日は3人集まっていますけれど、松下さんは松下さん、(片桐)匡朗さんは匡朗さん、私は私でそれぞれ楽しんでいることがあります。
そんな自分たちが楽しんだことを共有したり、「山ラボ」で新しい楽しさを見つけたりしたいんです。「田舎暮らしを楽しむための方法を、みんなでラボ(研究)しよう」といった感じでしょうか。
ただそれに囚われすぎることなく、自分たちの思うままに、やりたいことをやろうという方針でやっています。
松下さん:
私が根羽村にこの先も住みつづけようと思ったのは、実はつい最近のことなんです。そう決めたときに、本気で根羽村での暮らしを楽しもうと考えたのが原動力の一つです。
そしてもう一つの理由が「自分の子どもや村の子どもたちに、自信を持って根羽村出身と言ってもらいたい」という思いがあります。
私たちの世代だと、外に出たときに根羽村出身と周囲に言うのは若干恥ずかしい感情があったんです。なので今の子どもたちには「村でこんなすごい体験をして育ったんだ」という自信を持ってもらいたい、そして子どもたちにとっての自慢の村でありたい、と思っています。
片桐充貴さん:
そう言う意味でも子どもたちに対しても色々な取り組みを展開しています。例えば、森林組合が行っている「木育(もくいく)」があります。
根羽村の主要産業は林業なのですが、その中で出る間伐材をどうやって使うかという問題が発生します。間伐材の中でも太さのあるものは住宅材等にできますが、そうでないものを木のぬくもりを感じられるおもちゃに加工しているんです。
また村内外の子どもたちに、木や森に触れてもらい、その魅力に気づいてもらおうと取り組んでいます。
松下さん:
「山ラボ」も木育の一環ですね。子どもたちを何もない山に連れていくと、自分たちで木の蔓や枝等を使って、自分たちで遊びを考えて作るんです。子どもたちは飽きずにひたすら遊びを作り出しています。
–村で育った子どもたちの意識や、村民の皆さんの反応に変化は出てきているのでしょうか。
片桐充貴さん:
子どもたちに効果が見えるのはこれからだと思います。ちょうど今20歳くらいになった世代の子たちが、この後都会で暮らしたいのか、村に戻ってきたいと感じるのかどうかですね。
片桐匡朗さん:
杉山さんには、村の中学校の総合的な学習の時間に授業に入ってもらっているんですけど、卒業生で地域振興に携わりたいという子が杉山さんのもとを訪ねたりしているようです。これは子どもたちの意識が変わってきている証拠なのかなと思います。
松下さん:
私たちのような若者世代は、森や山に対する意識は明らかに変わりましたね。高齢者世代にとっては当たり前のことでしたし、私たちも子どものころは自然の中で遊んでいましたが、大人になった今その魅力を再確認しています。
村での生活を楽しみながらアップデート
–これからも地域が魅力的で有り続けるために、今後どのように取り組んでいかれますか?
片桐匡朗さん:
まずは各々が村での生活を楽しむことが大切だと思います。
「ネバラボ」のような取り組みで横のつながりを強化すれば、より村での生活を楽しめる村民が増え、それが魅力につながるのではないでしょうか。
片桐充貴さん:
「自分たちがどのように暮らしたいか」ということを考えれば、楽しいアイディアも生まれるし、必然的に魅力ある村になるのではないかなと思います。
楽しく、住みやすく、働きやすい村づくりを考えていきたいですし、小さな村なので仲間を大切にしていきたいと考えています。
松下さん:
村の中から見て、村が魅力的であり続けるためには、村民が村を好きであり続けることが重要です。そのために、先ほど話した「ネバラボ」のようなコミュニティを広げるための取り組みを続けていきたいと考えています。
加えてそれを発信することも重要ですが、外から見られたときに魅力的な村であり続けるためには、村をアップデートし続けることが大切だと思います。社会情勢やモノの価値などが常に変わり続ける世の中で、人々の価値観もどんどん変わっていきますので、それに取り残されないように村としてもどんどんアップデートしていきたいです。
–地元の村をより良くしたいという熱い想いをたくさん伺えました!本日はありがとうございました。
取材 大越/執筆 カナタ
根羽村HP:http://www.nebamura.jp/
一般社団法人ねばのもり:https://www.neba.green/