
榧野 雄 かやの・ゆう
1980年3月6日、鳥取県米子市生まれ。ものづくりが好きで大道具セット製作会社に入社。番組、イベントのセット製作経験から、株式会社NHKアートに入社。製作デスクとして『NHK紅白歌合戦』の番組セット、夏季・冬季オリンピック・パラリンピック海外現地セット、『おはよう日本』、『ニュースウオッチ9』ほかニュース番組セットなどの製作管理を担当。現在は副部長として大道具美術関係の業務に幅広く携わる。環境負荷削減プロジェクトにてサステイナブル素材等の研究を進めている。テレビ美術業界の魅力をいろんな人に知ってもらい、業界全体を活性化させることが野望。日課は毎日1時間の犬との散歩。

小田 貴政 おだ・たかまさ
1981年10月16日、東京都生まれ。工学系の大学で建築を専攻。株式会社NHKアートで美術ディレクターとして、大河ドラマ館の展示や連続テレビ小説『あまちゃん』をはじめさまざまな番組の広報展示、かんなみ仏の里美術館内装、日本科学未来館常設施設や企画展「マンモス展―その『生命』は蘇るのかー」の展示制作など、幅広い業務を担当。環境負荷削減プロジェクトにてサステイナブル素材等の研究を進め、現在は企業活動で発生する端材や廃棄物を可能な限り減らし循環可能な素材の活用や循環のシステムを構築することが目標。趣味は昨年から始めた山登り。

小杉 由紀 こすぎ・ゆき
1987年1月12日、埼玉県生まれ。多摩美術大学美術学部で油画を専攻。株式会社NHKアートに入社後、美術ディレクターとして「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」、安城市アンフォーレの常設展示制作、NHKスぺシャル『星影のワルツ』(2021年放送)などの番組の美術進行を担当。環境負荷削減プロジェクトにてサステイナブル素材等の研究を進めている。ユニバーサルデザインの活用や多様性に対応した美術制作を目指し、講師を招いてのカラーユニバーサルデザインの勉強会、ユニバーサルデザインコーディネーター講座などの社内研修やワークショップも主催。社内の多様な部署の強みをつなげるハブのような役割を務めたい。趣味は飼い猫の観察と現代美術鑑賞。
introduction
大河ドラマなどの大がかりな美術セットや、情報番組でおなじみのスタジオセット、気象情報の画面…NHKの番組や、イベント、舞台などの美術を担うのがNHKアートです。2021年からは、地球環境負荷の削減に向けて、さまざまなプロジェクトがスタートしました。新たな素材の開発をはじめ、使用済みの衣装などのアップサイクルなど、「サステイナブルな美術」への挑戦は続きます。ユニバーサルデザインも導入し、気象画面などの色使いや、イベントの会場構成、職場の環境なども改善されました。
今回は、同社の榧野さん、小田さん、小杉さんに、それぞれの専門を活かした取り組みや抱負を伺いました。
「数年先に新しい事業となってゆくもの」を育てる仕事のミッションにおいて、美術制作の環境負荷削減は重要案件
–御社の概要をご紹介ください。
榧野さん:NHKの番組美術をメインで担っていますが、それだけではなく、ホール、劇場、イベントなどさまざまなフィールドのコンテンツづくりも企画から行っています。NHKグループで唯一の総合美術会社という位置づけです。
テレビ番組の美術制作の内容としては、美術進行、大道具などの製作管理、装飾などに加え、衣装、メイク、かつらに至るまで担当しています。また、デジタルグラフィック部門では、CGやVFX、バーチャルなどのほか、番組グラフィックスのデザインやディレクションも行います。
NHKの番組でいえば、東京から放送されるドラマやエンタテインメント番組、報道番組などのなかで、テレビに映っている出演者の方自身以外のもの、例えばセットや小道具、メイクや衣装、CGやグラフィックなどがテレビ美術です。その多くをNHKアートが総合的に担っています。
イベント部門では、NHK以外の企業や施設の業務にも携わっています。たとえば、博物館・美術館などの文化施設での展示や、イベントの企画制作、舞台の演出や進行も手がけます。
ホール部門は、NHKホールほか全国11か所のホールで、舞台、照明、音響の操作や管理をします。最近では映像配信にも携わっており、業務内容は極めて幅広いといえます。
昨今は、SDGsも含め業務における環境負荷の削減を意識しています。


–対象ジャンルの広さに驚きました。その業務のなか、御社が地球環境負荷の削減に着手したきっかけや時期を教えてください。
小田さん:
きっかけの一つには、2021年に、私と小杉が現在所属している部署が立ち上がったことが挙げられます。目的は新規事業の開発、すなわち、直近の業務ではなく「数年先に新しい事業となってゆくもの」を育てていく部署といえます。
美術制作の環境負荷削減への対応はきわめて重要な案件でした。また、NHKのグループ企業として、NHKが掲げている環境経営に対応する責任もありました。同時に、この先も存続していく価値ある会社に必要な要素としても、環境負荷削減の事業開発は急務だったんです。
私たち3人がチームとして携わっているのは「美術制作の環境負荷削減対応プロジェクト」ですが、ほかにも、環境経営や社会貢献分野などで、さまざまなプロジェクトが立ち上がっています。
何十年もリユースする「共通セット」は、昔から続くサステイナブルな美術用品の基本
–「美術制作の環境負荷削減対応プロジェクト」では、どのような取り組みがなされているのでしょうか?
小杉さん:
「従来とは違うサステイナブルな素材」を開発して使っていくことや、廃棄方法の見直しに取り組んでいます。
榧野さん:
もともとNHKの美術セットは、建具などを何十年も使い、なるべく廃棄しないようにしてきました。
テレビ番組を撮影する際、同じスタジオを別の番組で共有しますので、セットを建てっぱなしにする訳にはいきません。毎回セットを作り、収録が終わるとばらして倉庫に保管、また収録する時にスタジオで飾りなおす、という循環があるんです。そのため、一回使って終わりではなく、何度でも使えるように工夫をこらす必要があります。
たとえば、柱や梁、床などベーシックなものは共通素材のパーツとして保有し、ニーズに添って色を塗り替えたり手直ししたりして、リユースします。これらを「共通セット」と呼んでいます。セットのデザインに合わせて飾り変え、いろいろなシーンに見せるというやり方です。これらの「共通セット」は、大切に保管し、何十年もリユースしています。


NHKの美術を支える会社として、環境負荷削減対応の先陣を切りたい
–プロジェクトで取り組む「従来とは違うサステイナブルな素材」とは、どのようなものなのでしょうか?

小杉さん:
美術用品の素材でいえば、石油由来の素材で作られることが多いグラフィックボード(フリップ)の別素材への置き換えを行っています。紙素材のボードは、従来のスチレンボードに比べて、製造時のCO₂が約25%削減できます。また、UVインクのダイレクトプリントをすることで、古紙回収できる製作物になります。
そのほかには、生分解性プラスチック製ボードや、再生材ポリスチレン使用(70%)の繰り返しリサイクルできるボードなどがあります。

小田さん:
舞台美術の基盤となる用具についても、新素材の導入を検証中です。セットを作る最初のユニットとなる共通の木材枠のようなものを、テレビ業界では「平台」「箱馬」と称します。プロジェクトが始動したころ、これらを段ボールと再生素材で試作して現場で試してもらったんですが、クギが打てないなどの課題もあり、実用化には至りませんでした。とはいえ、段ボールの軽量性や耐久性もわかり、結果として、紙製の展示什器や家具などに活用されることとなりました。
軽く、運びやすく、簡単に組み立てられるのが紙素材のメリットです。今後も、紙素材をセットに使っていくための検証を重ねていく予定です。


榧野さん:
サステイナブル素材を使用した番組の事例として、2022年9月に、気候変動へのアクションを考える『1.5℃の約束 いますぐ動こう、気温上昇を止めるために』という番組が放送されましたが、このセットには、NHKとNHKアートが協働で研究・開発を進めるサステイナブルな新たな素材をふんだんに使うことができました。
番組セットには、板段ボールで化粧された梁、角紙管で製作したフレーム構造の柱、その内側には、廃棄衣料や廃材を利用したボードを設置するなど、ほぼすべてのセットにサステイナブルな素材を活用しました。前述の「共通セット」も使用しています。番組収録後、セットは繰り返し使用(リユース)できるよう保管し、使用しないものは再資源化(リサイクル)できるよう分別し、廃棄物がほとんど出ませんでした。通常の業務でも分別は徹底していますが、今回は特に廃棄物の削減を実現し(リデュース)、番組コンセプトにマッチした、環境に配慮した美術セットになりました。

小杉さん:
また、ほかにもNHKで使われるオリジナルファンデーションをマイクロプラスチックを使用しないものに置き換えるため、社内のメイク部門と連携しながら新商品の開発を進めています。これは、時代劇やニュース番組などで出演者のメイクに使用するものですが、2028年にはEUでマイクロプラスチックを含む化粧品の販売が禁止される社会情勢を受け、NHKの美術を支える会社として先に始めようと、今年度中の完成を目指しています。
使用済み衣装の繊維からアップサイクルしたボード
–大河ドラマなどの壮大で美しいセットに感動するたびに、その行く末も気になるのですが、使いまわしに限界がきたものや、リユースできない素材はどうなるのですか?
榧野さん:
もちろん廃棄せざるをえないものもありますが、可能な限り分別し、リサイクル・アップサイクルする努力をしています。
NHKの番組セットの廃棄については、当社が解体や分別を行います。廃棄物を集める場所は「解体場」という名称だったのですが、NHKのデザインセンターと協働して、「美術リサイクルコーナー」と名を改め、サステイナブルな素材にこの名称を出力して壁面に掲げました。目にする人々の意識の変革も、リニューアルの目的の一つです。
プロジェクトの活動をする中で、リサイクルには分別がどれほど大事かがわかってきましたので、「リサイクルコーナー」では、分別してもらいやすい環境を整えています。分別の内容も、これまでは三種類だったものを四種類に増やし、今後も細分化して素材ごとのリサイクルを推進していく予定です。

小杉さん:
他にも、自社の業務で発生した廃材からオーダーメイドの再生材を作る取り組みもしています。使用済みの衣装の繊維を一部に使用してボードにするというもので、協力会社と協働し、事務備品のバインダーなども作っています。アップサイクルのボードをいろいろなところで活用したいと思っています。
–「リサイクルコーナー」への名称変更を、人の意識の変革にも繋げるアプローチは素晴らしいですね。プロジェクトの発信も積極的に行っているのですか?
小田さん:
本年3月に「action つくる みせる すてる」~サステイナブルな美術制作の実施と提案展~を開催して、プロジェクトの成果を発表しました。関係者を中心とする一般非公開の展示ではありましたが、参加者からは大きな反響がありました。
サステイナブルな素材でいえば、「使ってみたい」という声が多く聞かれました。素材は単一でなく、いろいろなシーンでさまざまな使われ方をしますので、そういう時に提案できる素材をたくさん準備しておきたい、というのがプロジェクトの大きな部分でもあります。
そこに向けて、何がサステイナブルなのか、廃棄方法はどうなるのか、というところまで調べていることが伝わると、受け手の意識も変わります。コスト面のハードルがあるとしても、環境にやさしいなら一部だけでも採用しよう、などということも起こります。


情報を正確に伝えることは必要なミッション
–環境負荷削減以外のSDGs的な取り組みがあればご紹介ください。
小杉さん:
ユニバーサルデザインの導入にも積極的に取り組んでいます。例えば、気象画面や報道系の番組で用いるテレビの画面などは、誰が見ても理解しやすい色づかいやデザインにしなければなりません。日本地図を色分けして内容を示す場合、さまざまな色覚の視聴者にとって見やすい画面にするよう、NHKと協働で取り組んでいます。
特に豪雨や津波など、緊急に注意を喚起するためのマップが見づらいことがあってはなりませんので、実験、検証を重ねました。加齢による視力の衰えなどにも対応できるように、気象画面の日本地図のバックの色や、風向きや風速、雨量の表示などもリニューアルしています。


NHKの美術会社として、できるだけ多くの視聴者に情報を正確に伝えることは必要なミッションです。社内で「ユニバーサルデザインの推進ワーキングチーム」を立ち上げ、カラーについてのみならず、全般を勉強したり資格に挑戦したりしています。
イベントなどでも、障害のある方に楽しんでいただくためにはどうすればいいのか、車椅子の方の目線に展示の位置は合っているのか、など、利用者の目線を検証し対応しています。また、自分たちが働きやすい環境を整えるためにも、職場環境の改善にユニバーサルデザインの導入を目指しています。

–労働時間という意味での職場改善はあるのでしょうか?テレビ業界といえば、どうしても長時間労働というイメージがあるのですが。
榧野さん:
長時間労働のイメージがありますが、撮影の時間帯も深夜にならないようにとか、急ぎの発注の仕方も時間を区切る工夫をするなど、管理されたなかでの働き方が徹底されています。
男女ともに職場内で育休がより取得しやすい環境になり、産休・育休からの復職率も100%ですし、働きやすい職場となっています。
–地球環境と共に職場の環境を整えてこそのSDGsですね。最後に、今後への展望をお聞かせください。
榧野さん:
セットを作るところから捨てるところまで、水平循環、水平リサイクルを実現したいと思っています。それが可能となるセット製作を目標として、リサーチを続け、活動していきます。
小田さん:
一年半前にほぼゼロ地点からスタートしたプロジェクトも、3月の展示会で人に見ていただける実績とかたちができましたので、さらにステップアップしていきたいです。より多くの方をパートナーとして、共に取り組みを進めていけることがこれからの目標であると考えています。
小杉さん:
NHKと協働で取り組んでいるからこそ我々のプロジェクトも短期間でかたちになり始めています。そのアドバンテージを自分たちだけで抱え込むことをせず、業界全体にシェアしていきたいです。そうすることでコストの問題なども解決しやすくなりますし、シェア率が高くなれば、取り組む意味も深まり、互いにむくわれる部分も多くなります。環境負荷削減を広める役割を担うリーディングカンパニーを目指します。
–SDGsへのご尽力がよくわかりました。今日はありがとうございました。
株式会社NHKアート公式サイト:https://www.nhk-art.co.jp/
「サステイナブルな美術制作」へ 「action つくる みせる すてる」展示会(「もっと知りたいNHKアート」より):https://www.nhk-art.co.jp/motto/column/09.html
気象情報の画面が見やすくなるまで~“ユニバーサルデザインへの道”にゴールはない!(NHK広報局noteより):https://note.com/nhk_pr/n/ne4bc9004a581