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ノーベル平和賞の概要や選定方法は?受賞者の取り組み内容も

ノーベル平和賞の概要や選定方法は?受賞者の取り組み内容も

毎年12月10日に授与されるノーベル平和賞。私たちがノーベル平和賞から考えるべきことは、たくさんあります。

  • 平和とは何か?
  • 平和を実現するためには何が必要か?
  • 私たちはどのように平和に貢献できるか?

これらを考えることは、SDGsの目標達成にも貢献する行動です。そのためにはまず、正しくノーベル平和賞について知る必要があります。ノーベル平和賞の概要や選定方法、受賞者の取り組み内容などから、ノーベル平和賞についてわかりやすく解説します。

ノーベル平和賞とは

【佐藤栄作に贈られたノーベル平和賞の金メダル(国立公文書館所蔵)】

ノーベル平和賞とは、スウェーデンの化学者・発明家であるアルフレッド・ノーベルの遺言に基づき、毎年授与される国際的な賞です。ノーベル平和賞は、

  • 戦争や紛争の解決
  • 人権の促進
  • 国際協力の推進

など、平和に貢献した個人や団体に授与されます。

ノーベル賞とは

ノーベル賞は、

  1. 物理学
  2. 化学
  3. 生理学
  4. 医学
  5. 文学
  6. 平和
  7. 経済学※

の、7つのカテゴリーに分けられ、選考はそれぞれの分野ごとに専門の委員会が担当しています。

※経済学賞は、ノーベルの遺言には含まれていない賞であり、ノーベル財団は、経済学賞をノーベル賞とは認めていないという点は注意が必要です。

ノーベル賞は、世界中の科学者や研究者にとって、最高の栄誉の1つとされています。ノーベル平和賞は、平和に貢献した個人や団体を称えるために設立された賞ですが、その影響力はノーベル賞の中でも大きく、世界中の人々に平和への意識を高めることに貢献しています。

ノーベルについて

【スウェーデンの発明家アルフレッド・ノーベル】

アルフレッド・ノーベルは、19世紀から20世紀にかけて活躍したスウェーデンの化学者、発明家です。ノーベルは、爆薬の安全性や効率性に関する研究を行い、ダイナマイトを開発しました。

彼の発明は、建設や採掘などの産業に革命をもたらし、世界中で利用されました。一方で、ダイナマイトの開発は、人命や財産を破壊する恐れがあるとして、ノーベル自身もその発明を後悔したと言われています。

そのため、ノーベルは自分の財産を使って、人類の平和と発展に貢献した個人や団体を称える賞を創設することを決意しました。ノーベルの死後、彼の遺言に基づいてノーベル賞が創設され、現在も世界中の人々によって高く評価されています。

ノーベル平和賞は、世界に平和の光を灯すために設立された賞です。平和と公正のために困難に立ち向かう勇気と希望に満ちた活動に送られるこの賞は、ノーベル平和賞の響きを通じて、平和への願いを世界中に発信しています。

次の章では、さらに詳しくノーベル平和賞について確認しましょう。*1)

ノーベル平和賞の概要

【ノーベル賞の授賞式が行われるオスロ市庁舎】

ノーベル平和賞は、世界的な注目を集める賞であり、受賞者は世界中から祝福されます。また、ノーベル平和賞は、平和に対する人々の意識を高め、平和の実現に貢献する効果があります。

ノーベル平和賞の目的

ノーベル平和賞は、

  • 国家間の友好関係の促進
  • 軍備の削減・廃止
  • 平和会議の開催・推進

など、平和に貢献した個人または団体に贈られ、

  • 平和に貢献した人や団体を称えることで、その功績を讃える
  • 平和の重要性を広く啓蒙し、世界中の人々に平和への意識を高めてもらう

ことが主な目的です。

ノーベル平和賞の受賞条件

ノーベル平和賞の受賞条件には、

  • 平和に貢献した個人または団体であること
  • 受賞時点で死亡していないこと
  • 受賞にふさわしい業績を挙げたことを、世界中の人々が認めていること

などが挙げられます。

平和に貢献

平和とは、戦争や紛争がない状態です。つまり、平和に貢献したとは、そのような状態を実現するために、何かしらの努力を行った人や団体のことを指します。

例えば、

  • 核廃絶を訴える
  • 紛争地での人道支援
  • 人権侵害をなくすための活動

などの活動は、平和に貢献すると言えるでしょう。

また、ノーベル平和賞は、世界で最も権威のある賞の1つです。そのため、受賞にふさわしい業績を挙げたことを、世界中の人々が認めていなければなりません。受賞者の業績が、世界中の人々から高く評価されるからこそ、ノーベル平和賞は、その価値を保っているのです。

ノーベル平和賞の賞金

ノーベル平和賞の賞金は、非常に大きな金額です。具体的な金額は毎年変わりますが、最近の賞金は約1,100万スウェーデンクローナ(約1億3,000万円)程度となっています。この賞金は、受賞者の個人的な財産であり、自由に使うことができます。

ただし、賞金の使い道は、ノーベル委員会への報告が義務付けられています。ノーベル平和賞の受賞者の多くは、公的な立場の人や団体なので、個人的に賞金を使うことは少なく、

  • 慈善活動への寄付
  • 平和活動を支援するNPOへの寄付
  • 研究資金として科学技術の発展に役立てる

などが主な使い道となっています。

つまり、ノーベル平和賞の賞金は、受賞者の平和への願いを反映し、個人の財産ではあるものの、主に公共の利益のために活用されています。

ノーベル平和賞の受賞者の活動は、世界の平和を目指す希望の光となっています。この賞を通じて、アルフレッド・ノーベルの平和への願いは、今なお人々の心に響き渡っています。*2)

ノーベル平和賞の選定方法

【ノーベル平和賞受賞者を決定するノルウェー議会】

ノーベル平和賞は世界中の人々が注目する大きな賞ですが、その選定方法について詳しく知っている人は少ないかもしれません。どのようにしてその年の平和賞受賞者が選ばれるのか、その過程を見てみましょう。

ノーベル委員会の構成

ノーベル委員会は、5つの委員会で構成され、選考委員は各部門の授与機関によって設置されています。

また、委員の数や任期、選出方法については明確な情報が提供されていません。

選考委員は5年ごとに改選され、政治家や学者、ジャーナリストなど、さまざまな分野の専門家で構成されています。

ノミネーション(推薦の受付)

ノーベル平和賞の候補者は、各国の政府や国際機関、大学の教授などが推薦できます。ノーベル委員会は、毎年1月31日までに、世界中から推薦を受け付けます。

選考

推薦された候補者から、ノルウェー・ノーベル委員会が受賞者を選定します。選考は、委員による秘密投票で行われます。

授賞式

ノーベル平和賞の発表は、授賞式に先立って、毎年10月の初旬に行われます。2023年のノーベル平和賞は10月6日に発表され、受賞者に選ばれたのはイランの人権活動家ナルゲス・モハンマディ氏でした。

ノーベル平和賞の授賞式は、毎年12月10日に、ノルウェー・オスロで行われ、受賞者には賞金とメダルが贈られます。

ノーベル平和賞の選考方法で覚えておきたいポイントは、

  1. ノーベル委員会が選考を行う。
  2. 世界中から推薦を受け付ける。
  3. 委員による秘密投票で受賞者を決定する。

の3つです。ノーベル平和賞の選考方法は、平和の重要性を広く知らしめ、世界中の人々が平和への意識を高める役割も担っています。*3)

【海外】ノーベル平和賞受賞者の取組事例

ノーベル平和賞はこれまでに106人の受賞者がいます。この章では海外の受賞者の中から、有名な4人の取り組みを紹介します。

マララ・ユスフザイ

【パキスタンの人権運動家マララ・ユスフザイ】

マララ・ユスフザイは、パキスタンの教育活動家です。彼女はパキスタンの少女でありながら、教育の権利を求めるために勇敢に立ち上がりました。

彼女はタリバンによる攻撃にも屈せず、女子教育の重要性を訴え続けました。その結果、2014年に17歳という若さでノーベル平和賞を受賞し、若い女性たちに勇気と希望を与える存在となりました。

※マララ・ユスフザイはマララ・ユサフザイと表記される場合もあります。

ムハマド・ユヌス

【グラミン銀行創設者ムハマド・ユヌス博士】

ムハマド・ユヌスは経済学の博士で、バングラデシュの貧しい人々に小額の融資を行うグラミン銀行を1983年に設立しました。グラミン銀行のマイクロファイナンス※による貧困削減の取り組みが評価され、2006年にユヌス博士がノーベル平和賞を受賞しました。

グラミン銀行のマイクロファイナンスは、小さな貸付から始め、成功すれば次第に金額を増やす「微量信用方式」を導入し、担保不要、女性優先の貸付で、貧しい人々の生活を変えていきました。

マイクロファイナンス

貧困層や地方の農民など、金融サービスへのアクセスが制限されている人々に、資金を提供することで、経済的な自立を支援することが目的の金融サービス。通常、従来の銀行では貸し付けを受けることが難しい人々に対して、保証人や担保を必要とせずに貸し付けることが特徴。

【関連記事】マイクロファイナンスとは?仕組みや取組事例、メリット・問題点も

ネルソン・マンデラ

【南アフリカ共和国第8代大統領ネルソン・マンデラ】

ネルソン・マンデラは、アパルトヘイト(人種差別政策)※に立ち向かい、南アフリカ共和国の人々の平等を求めました。彼は27年間もの間、投獄されながらも、非暴力と和解の精神を貫きました。

彼の勇気と決断力は世界中に感銘を与え、1993年にノーベル平和賞を受賞しました。

マザー・テレサ

【コルカタの聖テレサ(マザー・テレサ)】

マザー・テレサは、貧困層や孤児の支援に生涯を捧げた宗教家です。彼女はインドのカルカッタでホスピスを設立し、最も困難な状況にある人々に寄り添いました。彼女の思いやりと奉仕の精神は、多くの人々に感動を与え、1979年にノーベル平和賞を受賞しました。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

【マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)】

「I Have a Dream」※の演説で有名なマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アメリカの公民権運動の指導者であり、人種差別と戦いました。彼は非暴力的な抵抗を提唱し、平和的な社会を実現するために活動しました。

彼の勇気とリーダーシップは、1964年にノーベル平和賞を受賞することとなりました。

I Have a Dream

1963年8月28日にワシントン大行進の際に行われた有名な演説。キング牧師は演説の中で、人種の平等と公民権を訴え、黒人と白人が手を取り合って生活できる社会を夢見ることを力説した。この演説は公民権運動の象徴となり、アメリカ社会に大きな影響を与えた。

過去の受賞者から、平和を実現するためには、勇気と希望を持ち続けることが大切だと学ぶことができます。平和のためには、人種や宗教、性別などの違いを乗り越えて、共に歩むことが大切です。

非暴力による平和実現を目指すことは、非常に困難ですが、決して不可能ではありません。これらの教訓を胸に、私たちも平和のためにできることをしていきたいですね。*4)

【日本】ノーベル平和賞受賞者の取組事例

日本人の中からも、世界平和に寄与した功績が評価され、ノーベル平和賞を受賞した人が存在します。日本人唯一のノーベル平和賞受賞者、佐藤栄作の取り組みは、戦後の日本の復興や国際社会での平和維持に大きな影響を与えました。

【日本人初の受賞】佐藤栄作

【フィリピンのマルコス大統領と佐藤栄作】

1960年代、世界は冷戦※の只中にありました。アメリカとソ連の二大超大国が核兵器を増やし、世界は破滅の危機に瀕していたのです。

そんな中、日本の首相となった佐藤栄作は、核兵器反対を訴え始めます。佐藤は広島の被爆者と対話し、核兵器の恐ろしさを肌で感じ取りました。

「核兵器は人類にとって最大の脅威。これ以上増やしてはならない」と、佐藤は訴え続けました。

冷戦

第二次世界大戦後の約40年間にわたって、アメリカとソビエト連邦(現在のロシア)を中心とした国際的な緊張関係。この緊張関係は、軍事力の競争やスパイ活動、宇宙開発競争などさまざまな形で表れ、自国や同盟国を支援するために、さまざまな地域で戦争や紛争に介入した。しかし、直接の戦争は起こらず冷戦と呼ばれ、1991年にソビエト連邦が崩壊するまで続いた。

佐藤外交

また、佐藤栄作は、日本の戦後外交において大きな功績を残しました。これは「佐藤外交」と呼ばれ、

  • 非核三原則の提唱:日本は核兵器を保有せず、製造せず、持ち込まないという三原則
  • 日中平和友好条約の締結:日本と中国の国交正常化
  • 日韓基本条約の締結:日本と韓国の国交正常化
  • 沖縄返還の実現:日本からアメリカに施政権が移管されていた沖縄を日本に返還

などに代表されます。佐藤外交は日本の戦後処理を完了させ、日本の国際社会における地位を高めることに大きく貢献しました。

非核三原則

佐藤栄作は、1968年に非核三原則を打ち出しました。これは、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込まない」という三つの原則です。

1970年には、核拡散防止条約(NPT)※の締結を支援し、1972年には、米ソ間で核戦争防止条約(SALT I)※が締結されるきっかけを作りました。非核三原則は、日本の戦後外交の基本原則として、現在でも引き継がれています。

核拡散防止条約(NPT)

NPTは、(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)の略称。核兵器を持つ国と持たない国の間で、核兵器の拡散を防ぐための国際的な協定。核兵器保有国は非核兵器保有国に核兵器を渡さないことを約束し、非核兵器保有国は核兵器を持たないことを約束する。

核戦争防止条約(SALT I)

SALT Iは、Strategic Arms Limitation Talksの略称で、戦略兵器制限交渉とも呼ばれ、アメリカとソビエト連邦の間で行われた核兵器の制限に関する交渉のこと。この核戦争防止条約により、核兵器の保有数が制限され、核戦争のリスクが低減された。SALT Iは、冷戦期におけるアメリカとソビエト連邦の緊張緩和につながり、国際的な安全保障にとって重要な役割を果たした。

日中国交正常化

佐藤栄作は、日中国交正常化を実現するために、中国との交渉を重ねました。

当時の日中関係は、

  • 歴史問題:日本は第二次世界大戦中に中国に侵攻し多くの命を奪った
  • 台湾問題:中国は、台湾を自国の領土であると主張している
  • 冷戦の構造:冷戦下、日本はアメリカの同盟国であり、中国はソ連の同盟国だった

などの理由で、国交正常化には多くの課題がありました。

その中で彼の粘り強い交渉によって、日中国交正常化は1972年9月29日に、日本と中国が「平和友好条約」※を締結したことで実現しました。この条約では、

  • 両国は、互いに尊重し、平和友好関係を樹立する。
  • 両国は、過去の出来事にかかわらず、将来にわたって平和友好関係を維持する。
  • 両国は、台湾問題を平和的に解決する。

などが合意されました。日中国交正常化によって、日本と中国の経済関係が拡大しただけでなく、東アジアの平和と安定が促進されました。

日中平和友好条約

日本と中国の間で結ばれた国際的な協定で、両国の平和と友好関係を促進するために締結された。

この条約では、

  • お互いの国の独立を尊重する
  • お互いの国に武力で攻め込まない
  • お互いの国の内政に干渉しない
  • 平等で互恵的な関係を築く
  • 永続的な平和と友好関係を目指す

などを、日中双方が守ることを確認している。

国際協力の拡大

他にも、佐藤栄作は国際協力の拡大に尽力しました。1969年には、経済開発援助(ODA)※の目標をGNP※の1%に設定しました。これは開発途上国に対して、無償や有償の資金や技術を援助する予算を、日本のGDPの1%にするということです。

同じ1969年に、国際協力機構(JICA)※も設立しました。JICAは、ODAの実施を担う政府機関です。

また、1971年には、国連開発計画(UNDP)※の総会議長に就任し、国際協力の推進に貢献しました。

経済開発援助(ODA)

ODAはOfficial Development Assistanceの略称で、先進国が途上国に対して、経済的援助や技術支援などを行うこと。途上国の経済発展や貧困削減などのために重要な役割を果たしている。

GNP

GNPはGross National Productの略称で、国内総生産のこと。GNPは、ある国の経済的な総生産額を示す指標であり、国の経済力を測るために用いられる。

【関連記事】GDPをわかりやすく解説!日本のランキング推移や一人あたりはどれくらい?高いとどうなるの?

国際協力機構(JICA)

JICAはJapan International Cooperation Agencyの略称で、日本が途上国に対して行う国際協力のための機関。JICAは、ODAや技術協力、人材育成などを通じて、途上国の経済発展や社会の発展に貢献している。

国連開発計画(UNDP)

UNDPはUnited Nations Development Programmeの略称で、途上国の経済発展や貧困削減、人間開発などを支援するために、各国政府や国際機関と協力して活動している

東南アジアの平和と安定の維持

佐藤栄作は、東南アジアの平和と安定の維持にも貢献しました。1967年には、東南アジア諸国連合(ASEAN)※の設立を支援し、1973年には、ベトナム戦争の終結に向けた努力を重ねました。

東南アジア諸国連合(ASEAN)

ASEANはAssociation of Southeast Asian Nationsの略称で、メンバー国間の経済的な協力や政治的な対話を促進することを目的とした、東南アジア地域の国々が結集して作られた組織。ASEANは、地域の安定と発展を図るため、相互に協力し、経済や貿易の発展、環境保護、人権の尊重などに取り組んでいる。また、メンバー国間の対話や協議を通じて紛争の平和的な解決を図る重要な役割も果たしている。

佐藤栄作の功績

【アメリカのニクソン大統領と佐藤栄作】

佐藤は世界に向け、日本の非核三原則を発信し続けました。核保有国に核軍縮を強く迫る一方で、戦後日本の平和主義を世界にアピールする外交を展開していきます。

その結果、日本は信頼できる平和国家として、段々と国際社会で存在感を高めていったのです。

こうした佐藤の取り組みが実り、1970年代には米ソ間の緊張緩和が始まります。佐藤の平和への強い意志が、世界を核軍縮へと動かしたのです。

1974年、佐藤の功績が認められ、日本人として初のノーベル平和賞を受賞。佐藤は「この賞は世界の平和を願うすべての人々のため」と語りました。

佐藤栄作の業績から、対話と外交努力の重要性を学ぶことができます。平和の実現には、国家間の信頼が欠かせません。*5)

ノーベル平和賞に関する批判も

【2012年9月、ホワイトハウスにてアウンサンスーチーとバラク・オバマの会談】

とはいえノーベル平和賞には、受賞者選考の基準や平和の概念の曖昧さから、批判の声も上がっています。しかし、こうした批判は平和を目指す過程において、重要な要素です。

平和とは絶対的なものではなく、常に対話を重ねながら目指すべき目標です。厳しい現実ではありますが、批判は私たちが平和について考え、議論するためのきっかけを与えてくれます。

具体的な批判内容について見ていきましょう。

政治的な偏り

ノーベル平和賞は、ノルウェー議会が選考していますが、政治的な判断が反映されるという批判があります。具体的には、アメリカやヨーロッパの政治家が受賞することが多いという指摘があります。

政治的パフォーマンス

ノーベル平和賞は、受賞者を発表することで、国際社会の注目を集めることができます。そのため、政治的なパフォーマンスに利用されるという批判があります。例えば、ノーベル平和賞を受賞したことで、受賞者の政治的な影響力が高まることに疑問を感じる人も少なくありません。

受賞理由の曖昧さ

ノーベル平和賞の受賞理由が時に曖昧であるとの批判もあります。ノーベル平和賞の基準は、ノーベル財団のウェブサイトに記載されていますが、具体的な基準は明確ではありません。

受賞者の実績への疑問

一部の受賞者の実績や行動に対して、疑問が呈されることもあります。受賞者が平和に貢献したとされる一方で、その活動や政策が一部で賛否が分かれることがあります。

受賞者選考の政治的圧力

ノーベル平和賞の受賞者選考において、政治的な圧力があるとの指摘もあります。特定の国家や団体が受賞者の選定に影響を与えることがあるとされ、公正さや独立性に疑問が投げかけられることがあります。

ノーベル平和賞も時代とともに変化している

これらの批判は、ノーベル平和賞の公平性や信頼性に対するものです。ノーベル平和賞は、世界で最も権威のある賞の1つですが、こうした批判があることを理解しておくことが大切です。

また、ノーベル平和賞の批判は、時代によって変化しています。例えば、冷戦時代は、アメリカやソ連の政治家が受賞することが多く、政治的偏向が批判されていました。しかし、冷戦の終結後は、非政府組織や個人が受賞するケースが増え、政治的な偏向は減少したとされています。

今後も、ノーベル平和賞の公平性や信頼性に対する議論は、続いていくと考えられます。*6)

ノーベル平和賞受賞者一覧

【(左から)タワック・カルマン、レイマ・ボウィ、エレン・ジョンソン・サーリーフ】

ノーベル平和賞受賞者には、紛争の解決や人権の保護、貧困の解消など、さまざまな分野で活躍した人がいます。時代によって受賞者の傾向は異なりますが、世界平和の実現に向けた努力を評価する賞であることは変わりません。

これまでのノーベル平和賞受賞者

これまでのノーベル平和賞受賞者の傾向を、時代ごとに分けて確認しましょう。

第一次世界大戦前

国際赤十字や平和条約の締結など、国際的な平和の実現に貢献した人が中心でした。

第一次世界大戦後

紛争の解決や人権の保護など、より具体的な平和活動に貢献した人が中心になりました。

第二次世界大戦後

核兵器の廃絶や人権の保護など、より現代的な課題に取り組んだ人が中心になりました。

近年

女性や子どもの権利保護、環境問題など、新たな分野で活躍した人も受賞するようになりました。

【ノーベル平和賞受賞者一覧】

受賞者出身国
1901アンリ・デュナンスイス
フレデリック・パシーフランス共和国
1902エリー・デュコマンスイス
シャルル・ゴバ
1903ウィリアム・ランダル・クリーマーイギリス
1904万国国際法学会世界
1905ベルタ・フォン・ズットナーオーストリア=ハンガリー帝国
1906セオドア・ルーズベルトアメリカ合衆国
1907エルネスト・テオドロ・モネータイタリア王国
ルイ・ルノーフランス共和国
1908ポントゥス・アルノルドソンスウェーデン
フレデリック・バイエルデンマーク
1909オーギュスト・ベールナールトベルギー
エストゥールネル・ド・コンスタンフランス共和国
1910国際平和ビューロー世界
1911トビアス・アッセルオランダ
アルフレート・フリートオーストリア=ハンガリー帝国
1912エリフ・ルートアメリカ合衆国
1913アンリ・ラ・フォンテーヌベルギー
1914
1915
1916
1917赤十字国際委員会世界
1918
1919ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国
1920レオン・ブルジョワフランス共和国
1921カール・ヤルマール・ブランティングスウェーデン
クリスティアン・ランゲノルウェー
1922フリチョフ・ナンセンノルウェー
1923
1924
1925オースティン・チェンバレンイギリス
チャールズ・ドーズアメリカ合衆国
1926アリスティード・ブリアンフランス共和国
グスタフ・シュトレーゼマンドイツ国
1927フェルディナン・ビュイソンフランス共和国
ルートヴィッヒ・クヴィデドイツ国
1928
1929フランク・ケロッグアメリカ合衆国
1930ナータン・セーデルブロムスウェーデン
1931ジェーン・アダムズアメリカ合衆国
ニコラス・バトラー
1932
1933ラルフ・ノーマン・エンジェルイギリス
1934アーサー・ヘンダーソンイギリス
1935カール・フォン・オシエツキードイツ国
1936カルロス・サアベドラ・ラマスアルゼンチン
1937ロバート・セシルイギリス
1938ナンセン国際難民事務所世界
1939
1940
1941
1942
1943
1944赤十字国際委員会世界
1945コーデル・ハルアメリカ合衆国
1946エミリー・グリーン・ボルチアメリカ合衆国
ジョン・モット
1947イギリス・フレンズ協議会イギリス
アメリカ・フレンズ奉仕団アメリカ合衆国
1948
1949ジョン・ボイド・オアイギリス
1950ラルフ・バンチアメリカ合衆国
1951レオン・ジュオーフランス
1952アルベルト・シュヴァイツァー西ドイツ
1953ジョージ・マーシャルアメリカ合衆国
1954国際連合難民高等弁務官事務所世界
1955
1956
1957レスター・B・ピアソンカナダ
1958ドミニク・ピールベルギー
1959フィリップ・ノエル=ベーカーイギリス
1960アルバート・ルツーリ南アフリカ連邦
1961ダグ・ハマーショルドスウェーデン
1962ライナス・ポーリングアメリカ合衆国
1963赤十字国際委員会世界
国際赤十字赤新月社連盟
1964マーティン・ルーサー・キング・ジュニアアメリカ合衆国
1965国際連合児童基金世界
1966
1967
1968ルネ・カサンフランス
1969国際労働機関世界
1970ノーマン・ボーローグアメリカ合衆国
1971ヴィリー・ブラント西ドイツ
1972
1973ヘンリー・キッシンジャーアメリカ合衆国
レ・ドゥク・ト北ベトナム
1974ショーン・マクブライドアイルランド
佐藤栄作日本
1975アンドレイ・サハロフソビエト連邦
1976ベティ・ウィリアムズイギリス
マイレッド・コリガン・マグワイア
1977アムネスティ・インターナショナル世界
1978アンワル・アッ=サーダートエジプト
メナヘム・ベギンイスラエル
1979マザー・テレサインド
1980アドルフォ・ペレス・エスキベルアルゼンチン
1981国際連合難民高等弁務官事務所世界
1982アルバ・ライマル・ミュルダールスウェーデン
アルフォンソ・ガルシア・ロブレスメキシコ
1983レフ・ヴァウェンサポーランド
1984デズモンド・ムピロ・ツツ南アフリカ共和国
1985核戦争防止国際医師会議世界
1986エリ・ヴィーゼルアメリカ合衆国
1987オスカル・アリアス・サンチェスコスタリカ
1988国際連合平和維持活動世界
1989ダライ・ラマ14世チベット
1990ミハイル・ゴルバチョフソビエト連邦
1991アウンサンスーチーミャンマー
1992リゴベルタ・メンチュウグアテマラ
1993ネルソン・マンデラ南アフリカ共和国
フレデリック・ウィレム・デクラーク
1994ヤーセル・アラファートパレスチナ
イツハク・ラビンイスラエル
シモン・ペレス
1995ジョセフ・ロートブラットイギリス
パグウォッシュ会議世界
1996カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ東ティモール
ジョゼ・ラモス=ホルタ
1997地雷禁止国際キャンペーン世界
ジョディ・ウィリアムズアメリカ合衆国
1998ジョン・ヒュームイギリス
デヴィッド・トリンブル
1999国境なき医師団世界
2000金大中韓国
2001国際連合世界
コフィー・アナンガーナ
2002ジミー・カーターアメリカ合衆国
2003シーリーン・エバーディーイラン
2004ワンガリ・マータイケニア
2005国際原子力機関世界
モハメド・エルバラダイエジプト
2006ムハマド・ユヌスバングラデシュ
グラミン銀行
2007気候変動に関する政府間パネル世界
アル・ゴアアメリカ合衆国
2008マルッティ・アハティサーリフィンランド
2009バラク・オバマアメリカ合衆国
2010劉暁波中国
2011エレン・ジョンソン・サーリーフリベリア
レイマ・ボウィ
タワックル・カルマンイエメン
2012欧州連合欧州連合
2013化学兵器禁止機関世界
2014マララ・ユスフザイパキスタン
カイラシュ・サティーアーティインド
2015チュニジア国民対話カルテットチュニジア
2016フアン・マヌエル・サントスコロンビア
2017核兵器廃絶国際キャンペーンスイス
2018デニス・ムクウェゲコンゴ民主共和国
ナーディーヤ・ムラードイラク
2019アビィ・アハメドエチオピア
2020国際連合世界食糧計画世界
2021マリア・レッサフィリピン
ドミトリー・ムラトフロシア
2022アレシ・ビャリャツキベラルーシ
メモリアルロシア
市民自由センターウクライナ
2023ナルゲス・モハンマーディイラン
引用:Wikipedia『ノーベル平和賞』

ノーベル平和賞の受賞者は、さまざまな国籍や背景を持つ人々で構成されています。彼らは平和のために様々な分野で活躍し、その成果によって世界に大きな影響を与えてきました。

このような活動は現在の世界的な目標、SDGsにも貢献します。ノーベル平和賞はSDGsが採択される、はるか前からありますが、人類が平和を望む心はずっと引き継がれてきたのです。*7)

ノーベル平和賞とSDGs

ノーベル平和賞SDGs(持続可能な開発目標)は一見、関連性が薄いように思えますが、実は深く繋がっています。なぜなら、平和がなければ持続可能な開発はあり得ないからです。同時に、持続可能な開発が進むことで紛争が減少し、平和が広がる可能性が高まります。

SDGs目標16:平和と公正をすべての人に

特に、SDGs目標16「平和と公正をすべての人に」は、ノーベル平和賞と直接的に関連しています。この目標は、全ての人々が平和と公正を享受できる社会を目指しています。これはまさに、ノーベル平和賞が掲げる理念そのものです。

平和を目指す活動が様々なSDGs目標の達成につながる

2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユサフザイの例を見てみましょう。彼女はパキスタンで女子教育の権利を求めて闘い、その活動が認められました。

この活動は、SDGs目標4「質の高い教育をみんなに」にも直結しています。教育を通じて社会の平和と公正を実現しようとする彼女の姿勢は、まさにSDGsとノーベル平和賞の理念が交差する点を象徴しています。

このように、ノーベル平和賞の受賞者の活動は、SDGsの目標達成に大いに貢献しています。そして、その活動が評価されることで、世界中の人々がSDGsの重要性を再認識し、自身もその達成に向けて行動を起こすきっかけになるのです。*8)

>>各目標に関する記事はこちらから

まとめ

ノーベル平和賞は、世界平和に貢献した個人や団体に贈られる、最も権威のある賞です。これまでに多くの受賞者がいますが、彼らの活動から私たちは、平和と公正を実現するためのさまざまなことを学ぶことができます。

また、私たちひとりひとりでも、平和と公正な社会を目指すSDGs目標16の達成に貢献することができます。

  • 平和を訴える声を上げること
  • 人権を守るための行動を起こすこと
  • 貧困や飢餓の解消に協力すること
  • 環境問題の解決に取り組むこと
  • 教育や文化交流を支援すること

これらの活動は、安全で豊かな暮らしに慣れた私たち日本人にとって、身近に感じにくいものかもしれません。しかし、世界はひとつながりです。

「誰一人取り残さない」というSDGsの前提は、世界中の誰一人として、将来の地球の運命を決めるにあたって無関係ではないからです。世界中すべての人々の、すべての行動によってこれからの社会、世界、地球がどうなるかが決まります。

ノーベル平和賞は、決して完璧な賞ではありません。受賞者や受賞理由に批判的な意見もあります。しかし、ノーベル平和賞は、私たちが平和と公正について考えるきっかけを与えてくれる賞です。

私たちは、ノーベル平和賞の受賞者や受賞理由を知り、そこから学び、自分なりの考えをもって行動することが大切です。持続可能で平和な未来を実現するために、私たち一人ひとりが新たな行動への一歩を踏み出しましょう。

ノーベル平和賞は、世界平和への希望の灯りです。その灯りを守りながら、あなたも一緒に平和と公正を実現するため、これからも歩み続けましょう!

〈参考・引用文献〉
*1)ノーベル平和賞とは
WIKIMEDIA COMMONS『1974 Nobel Peace Prize awarded to Eisaku Satō』
文部科学省『ノーベル賞ってなに?』
NHK『『ノーベル平和賞』ってどんな賞?』(2020年10月)
Geir Lundestad『ノーベル平和賞の地位』(2002年7月)
岡本 拓司『ノーベル賞と日本―最初の化学賞受賞者が出るまで―』
日本経済新聞『ノーベル平和賞、10月6日発表』(2023年9月)
国際連合広報センター『国際連合とノーベル平和賞』(2001年10月)
*2)ノーベル平和賞の概要
WIKIMEDIA COMMONS『Oslo rådhus2』
朝日新聞『【そもそも解説】ノーベル平和賞、どう選ばれる?最年少受賞は17歳』(2023年10月)
男女共同参画局『ノーベル賞を受賞した女性』(2006年)
スウェーデン文化交流会『ノーベル賞:世界が注目する栄誉の賞』
国立科学博物館『ノーベル賞について』(2002年)
World Food Programme『国連WFPとノーベル平和賞』(2020年12月)
日本経済新聞『「国家間の平和の象徴」 欧州、ノーベル平和賞を歓迎』(2022年10月)
*3)ノーベル平和賞の選定方法
WIKIMEDIA COMMONS『Storting Spring 2016』
日本経済新聞『ノーベル平和賞6日発表 イラン女性活動家など候補』(2023年10月)
日本経済新聞『[社説]イラン弾圧への抗議示したノーベル平和賞』(2023年10月)
毎日新聞『ノーベル平和賞、誰が決めるの? ノルウェー国会任命の5人が推薦基に選考=回答・岡崎英遠』(2020年10月)
BBC『ノーベル平和賞は「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に』(2017年10月)
*4)【海外】ノーベル平和賞受賞者の取組事例
国連広報センター『マララ・ユサフザイ』
日本財団『「やりたいことは、今すぐやりなさい」ノーベル平和賞ムハマド・ユヌス氏が、日本の若者に伝えたこと』(2019年12月)
マイクロファイナンスとは?仕組みや取組事例、メリット・問題点も
ギネス世界記録『マララ・ユースフザイ:最も若いノーベル平和賞受賞者』
unicef『2014年ノーベル平和賞授賞式 マララ・ユサフザイさん、カイラシュ・サティヤルティさん 恐れに屈せず、子どもたちの権利のために活動』(2014年12月)
日経BizGate『ノーベル平和賞受賞のマララさんが訴え続けるのは?』(2022年5月)
外務省『モハマド・ユヌス氏及びグラミン銀行のノーベル平和賞受賞決定について』(2006年10月)
日本経済新聞『社会貢献ビジネス、普及拡大はバングラデシュから』(2021年11月)
日本経済新聞『ノーベル平和賞のユヌス氏「利己的で利他的な人類に」』(2020年6月)
JICA『グラミン銀行~進化する貧困層を対象に金融サービスを提供するビジネスモデル~』(2017年11月)
アジア経済研究所『ネルソン・マンデラ——その人生と遺産』
産経新聞『南アフリカ元大統領のマンデラ氏死去 ノーベル平和賞受賞』(2013年12月)
日本経済新聞『闘争と融和にささげたマンデラ氏の生涯』(2013年12月)
NHK『マザーテレサ』
マザーテレサ ボランティア『マザーテレサについて』
マザーテレサ ボランティア『マザーテレサの歴史』
AMERICAN CENTER JAPAN『マーティン・ルーサー・キング牧師の日 1月第3月曜日』
アメリカ大使館『マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生涯と遺産』(2018年1月)
アメリカ大使館『「私には夢がある」(1963年)』
*5)【日本】ノーベル平和賞受賞者の取組事例
WIKIMEDIA COMMONS『President Ferdinand E. Marcos with Japanese Prime Minister Eisaku Satō』
GDPをわかりやすく解説!日本のランキング推移や一人あたりはどれくらい?高いとどうなるの?
WIKIMEDIA COMMONS『President Nixon and Prime Minister Eisaku Sato of Japan at San Clemente – NARA – 194752』
NHK『日本人で唯一の平和賞 佐藤栄作元総理大臣』(2019年10月)
国立公文書館『佐藤栄作が授章した外国の栄典』
日本経済新聞『きょうノーベル平和賞発表 「報道の自由」後押しか』(2020年10月)
自由民主党『佐藤栄作総裁時代』
*6)ノーベル平和賞に関する批判も
WIKIMEDIA COMMONS『Barack Obama and Aung San Suu Kyi September 2012』
吉武 信彦『ノーベル賞の国際政治学-ノーベル平和賞と日本:序説-』(2010年3月)
科学技術・学術政策研究所『ノーベル賞受賞者のキャリアに関する分析』(2022年9月)
ロイター『焦点:ノーベル平和賞の受賞者、世界の「失望」招く理由』(2017年10月)
BBC『ノーベル平和賞、収監中のイラン女性人権活動家に イランは「偏った」受賞と非難』(2023年10月)
明治大学『ノーベル平和賞受賞者は平和を乱す者??』(2023年3月)
ロイター『ノーベル平和賞、選考基準は創設者の遺志に背いている=弁護士』(2010年8月)
*7)ノーベル平和賞受賞者一覧
WIKIMEDIA COMMONS『Tawakkul Karman Leymah Gbowee Ellen Johnson Sirleaf Nobel Peace Prize 2011 Harry Wad』
Wikipedia『ノーベル平和賞』
*8)ノーベル平和賞とSDGs
経済産業省『SDGs』