世界中で童話作家として知られる、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの故郷、デンマーク。アンデルセンは、今から200年以上前に生まれた、デンマークの有名人のひとりです。
スカンディナビアを構成する北欧の小国・デンマークは、北欧家具で知られるJ・ヴェグナーやロイヤルコペンハーゲンの陶磁器、多くの有名なデザイナーを生み出した国としても知られています。斬新な調理法で一躍有名になったレストラン、Noma(ノーマ)を知る人もいるかも知れませんね。
環境意識の高いといわれる北欧の国の中でも、一風変わった方法やアプローチで環境への取り組みをしているデンマーク。
今回は、デンマークの首都・コペンハーゲンに設置された、「コペンハーゲン・ベンチ」に焦点を当て、デンマークの市民の想像する未来の姿を見ていきましょう。
(※Nomaは、2024年末をもって閉店予定。2025年からは新コンセプトのフードラボとして生まれ変わると発表しています。)
デンマークはSDGs達成率世界第2位の国(2022年)
デンマークは、国連発表の2022年度SDGs達成率世界ランキングで、第2位となっています。北欧の国々は、どこも上位国ですが、デンマークは「世界幸福度ランキング」でも2位と、さまざまな世界ランキングにおいても、常にトップを走り続けています。
これらの世界ランキングで、デンマークが常に上位にいる理由は、医療や教育の無償提供や、労働組合の力の強さにより人権が守られ、ライフバランスが整っているからと考えられます。
デンマークはどんな国?
①実はデンマークとスウェーデンは言われるほど似ていない
デンマークとスウェーデンは隣同士の国ですが、国の政策や国民性、産業、地形などどこをとってもみても大きく異なっています。よく言語が似ているともいわれますが、実際には方言の強い南スウェーデンの人と、デンマークの首都・コペンハーゲンの人同士では、あまり通じず、英語で話すほうが分かり合えるほどです。
②デンマークとスウェーデンは地続き
スウェーデン南部のマルメ市とデンマークは、2000年に開通したÖresundsbron(オーレスンズ橋)によって、現在は陸続きになっています。橋は海底トンネルを併設した鉄道道路です。スウェーデンのマルメ市端の駅・Hyllie(ヒュリエ)駅からデンマークの最初の駅、コペンハーゲン国際空港まではわずか13分の距離で、とても交通の便がよいのが特徴です。
また、オレスンド橋を渡ってすぐのデンマーク側にはField’s(フィールズ)、スウェーデン側にはEmporia(エンポリア)という大型ショッピングモールがあり、それぞれの国の人たちが買い物を楽しむために行き来する、理由のひとつにもなっています。
③デンマークは驚くほど平たい
デンマークはよく「パンケーキのよう」と表現されるとおり、土地が平たんな国です。デンマーク国内で一番標高の高い山は、Himmelbjerget(天国の山)と呼ばれていますが、標高はわずか147m。これは、鎌倉市高野にある六国見山や、ギリシャのアテネにある丘、フィロパポスの丘と同じ高さになります。山というよりは、ちょっとした展望台のような雰囲気の場所です。
また、デンマークで一番標高の高い丘はMøllehøj(ミョッレホイ)と呼ばれる丘で、標高は170.86m。これがデンマーク最高峰になります。土地が平らなので空が広く見え、遠くまで見渡せます。
④デンマークの産業
社会の時間に「デンマークは農業国」と習った記憶のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。主に畜産は、デンマークの主要産業のひとつで、輸出の約20%を農業が占めています。他の国同様に農業従事者の人数は年々減っていますが、乳製品や豚肉・加工品などを多く生産しています。
土地が平らで農業に向いているほか、北欧の国でありながら海流の関係で、それほど寒くならないというのも、デンマークが農業国である理由のひとつでしょう。
デンマークのもうひとつの主要産業は、エネルギー。海に囲まれた平らな土地であることを最大限有効活用し、風車を利用した風力エネルギーを生産しています。また、デンマーク製の風力タービンは、なんと世界シェア80%を誇る、国の重要な産業のひとつです。
デンマークは北海にオイル・プラットフォームを持っているため、実は西ヨーロッパでは原油生産量が第3位の国でもあります。
デンマークは自転車大国
デンマークは土地が平らなこともあり、自転車人口がヨーロッパでも多い国のひとつです。デンマークの人口あたりの自転車保有率は、70%ほど。世界でも第3位と、かなり高い数字となっています。日本人の自転車保有率が約54%なので、どれだけ自転車が多いのか想像できるでしょう。
首都圏だけでなく、デンマーク国内は自転車の交通網が非常に発達しています。街中にはどこにでも自転車専用道路があるだけでなく、最近では自転車道の幅を広げる、自転車道を増やすなど、都市部でも自転車利用者のためのインフラ整備が進んでいます。
走る自転車の数も多いので、横断の最中などにうっかり足を踏み入れると、「危ない!」と怒鳴られてしまうほど。みんなスピードを出していることもあり、本当に危ないのです。
電車内には自転車をとめる専用スペース(自転車専用車)もあるため、通勤や通学場所が遠くても、自転車と電車をうまく乗り継いで通えます。このように自転車は、市民のもっとも有意義な足のひとつとなっています。
また、デンマークは自動車税が高く、自動車の税金は何と180%。さまざまな事情から、デンマークでは自転車利用者が多くなっているのです。
電動レンタサイクルの普及
コペンハーゲン市内を歩いていると、電動レンタサイクルの普及率が高いことが分かります。私の暮らしているスウェーデンで、次世代の電動モビリティとして最も普及しているのは、電動のキックボードですが、デンマークでは同じ企業の電動自転車を多く見かけます。
市民の自転車保有率の高い国なので、レンタサイクルを利用するのは、短期滞在者や観光客も多いと考えられます。
首都・コペンハーゲンでは自転車の普及率をさらに上げるため、都市部の交通を自転車フリーにすることや、2025年までに、通勤や通学における自転車の利用率を50%まで引き上げるよう、さらなる改革や設備への投資を計画しています。
スウェーデンの電動スクーターに関しての記事はこちらから
コペンハーゲン・ベンチとは?
コペンハーゲンの街中に2022年突如現れた「奇妙なもの」があります。それが、写真の「コペンハーゲン・ベンチ」です。
このベンチは、デザインこそは通常のベンチと変わりなく、公共の場所に備えられていますが、その座席の高さを見れば誰もが驚くに違いありません。
こちらのコペンハーゲン・ベンチは、通常の公共ベンチよりもなんと85㎝も高い座席が設えてあります。そこには全く新しい視点から、市民に視覚的・感覚的に環境問題を訴えかける目的がありました。
コペンハーゲンの未来に警鐘を鳴らす試み
なにか目的を持って市民に強い意志を伝えたい場合、誰もが分かりやすい方法で情報を伝えるのは、大切なことです。デンマーク人の注意を引き付け、簡単に市民に目的を伝えるためにコペンハーゲン・ベンチは誕生しました。
最新の国連気候報告書によると、このまま地球温暖化が続いた場合、世界の海面は今世紀末までに最大1m上昇すると考えられています。今行動を起こさなければ、この平らな国・デンマークには大きな影響があるでしょう。
「コペンハーゲン・ベンチ2100年版」というのが、このベンチの正式名称です。このプロジェクトは、気候変動と海面上昇の危険性について、一般の人々に考えさせることを目的としてつくられました。
デンマークの放送局・TV2デンマークは、このキャンペーンを通して「私たちの地球・私たちの責任」について考えるため、ベンチプロジェクトを開始しました。
このコペンハーゲン・ベンチは、視覚的にも感覚的にも、市民に気候変動と海面上昇に直面した場合の危機感を与えています。2022年を皮切りに、現在コペンハーゲン市内を中心とする10個所に、このような背の高いコペンハーゲン・ベンチが設置されています。
2100年の未来を想定
このコペンハーゲン・ベンチは、2100年の地球の姿を予想し、私たちの80年後の未来へ警鐘を鳴らしています。ベンチの背面部にはひっそり銅板が貼ってあり、このように書かれていました。
「私たちが気候について何かを始めない限り、洪水は私たちの日常生活の一部となります。最新の国連気候報告書によると、このまま地球温暖化が続けば、2100年までに海面は最大1m上昇すると予想されています」
海面が1m上昇すると、コペンハーゲンのような平らな土地はすぐに海の底となります。海面が1m上昇した場合、現在市内に置かれている「普通のベンチ」の見え方は、このコペンハーゲン・ベンチの位置になるのです。
試しにコペンハーゲン・ベンチのひとつに座ってみました。座面が思ったよりも高く、正確には「よじ登る」ことでしか、ベンチに座る手立てはありません。
ベンチの座面があまりに高いので、降りる際に飛び降りるべきか、足を掛ける場所を探すべきかと一瞬迷ってしまいました。するとちょうど前を通りかかった女性が駆け寄ってきて、手を差し伸べ、ベンチから降りる手伝いをしてくれました。コペンハーゲンの人々は、とてもフレンドリーです。
しかし同時に思うのは、現在は苦労してよじ登り、降りるためにも人の手を借りなければならないこのベンチに、いつか泳ぐことで辿り着く日が来るかもしれないのです。それは、実に恐ろしいことです。
実はコペンハーゲンが洪水によって水面下に沈む現実を、過去すでに市民は味わっています。それは、2011年と2014年の豪雨による大洪水です。記録的な大雨が続き、コペンハーゲン中央駅の地下道は完全に水没しました。普段利用する、地下に降りる階段の入口すれすれまで水があふれたのです。
コペンハーゲン市内は、古い街並みが続く歴史のある景観が特徴です。観光のメインでもある歩行者天国・ストロイエ周辺には、地下に店を構えるレストランや店舗が多く立ち並びますが、そのほとんどが水没しました。
一般住宅やアパートでも、地下に倉庫を持っている建物が多くありますが、そのすべてが水に浸かってしまったのです。
国連による80年後の予想では、海面上昇は1mでした。しかしながら、温暖化による影響や豪雨の影響が重なれば、100年後のコペンハーゲンの海面上昇は、1,6mにもなるという研究もあります。コペンハーゲン市民にとって、海面上昇は想像に難くない現実の一部といえます。
デンマークには今、気候変動に適応できるだけのインフラ整備が必要なのです。
コペンハーゲン・ベンチへの市民の反応は?
小雪のちらつく肌寒い週末の朝、友人同士ベンチで語り合う若者の姿がありました。こちらは市内ノアポート駅からほど近い、ソルテダム湖脇にあるコペンハーゲン・ベンチのひとつです。
彼らはコペンハーゲン・ベンチの意図を知って、この椅子に座っているのでしょうか。ふたりの男性に、なぜこのベンチを選んで座っているのか、理由を尋ねてみました。
「だって、どう考えても眺めがいいだろう?視線が高くなる。このベンチを見たら誰だって、一度は座ってみたい気になるんじゃないかな」
コペンハーゲン・ベンチの意図について知っているかを尋ねると、「もちろん!」と軽快な返事が。
「気候変動は大変なことだと感じているよ。でも、僕らは北の地に住んでいるけど、北極の氷が解けても海面上昇はしないんだよね?」という若者に、
「グリーンランドはデンマークの所有でしょ。グリーンランドの氷がすべて解けると、海面は7メートル以上は上昇するらしいですよ」と伝えてみたところ、驚いた表情を隠しきれないようでした。
実際に、グリーンランドの氷床は減少しつつあるということですから、デンマークとしてはひとごとではいられないでしょう。
環境意識への高さと現実のひずみ
寒さで薄氷の張った運河の水面には、たくさんの種類の水鳥たちが羽根を休めています。土曜の朝とはいえ、コペンハーゲンの街中には、多くの人の姿が見られます。静かで落ち着いた、週末らしい風景です。
コペンハーゲンの人たちは、たいそう健康意識が高いように見受けられます。それは実際に、土曜日の朝公園まわりを行きかう人たちを見れば、一目瞭然です。
仲良さげに話しながら歩いているカップルは、手に何も持っていないところから想像するに、朝の散歩を楽しんでいるのでしょう。公園周囲の歩道を行きかう人々の、約半数はジョギングの真っ最中です。
しかし、ふと運河の水に目を落とすとどうでしょう。水面にはたくさんのビニール袋が浮かび、氷に閉じ込められて半ば固まったように漂っています。水底にはプラスチック容器をはじめとする、ゴミが幾つも沈んでいます。水鳥が足を絡めてしまう恐れのある、ロープまで浮かんでいました。
公園のベンチ脇には、ほぼ数メートルごとにゴミ箱が並んでいます。黄色く塗装されているゴミ箱は、夏でも冬でもきっとよく目立つことでしょう。市民の目に入らないはずがありません。
ご丁寧に、パント(ペットボトル飲料を購入した際に支払うデポジット)付きのボトルを並べるための、小さな棚までついたゴミ箱です。これは単にペットボトルをほかのゴミと混ぜないための工夫なのか、パントの換金目的のためボトル集めをする人たちが、ボトルを回収しやすいように設計されたのかは分かりません。
しかしここには、多くの人口が暮らすコペンハーゲンのような大都市ならではの問題点や、一般の人々の環境意識に対する現実が見て取れます。国を挙げて環境問題に取り組む現実と、一般市民の環境へ対する意識の間には、ギャップがあるように感じました。
北欧のパントシステムについて知りたい方はこちらから
まとめ
200年以上前に生まれたアンデルセンは、200年後の故郷がこのような危機にあることを、きっと想像もしなかったことでしょう。そしてこの現実を知れば、きっと憂いたことでしょう。
コペンハーゲン・ベンチを見て、行き交う人々は足を止めます。ベンチのあまりにも異様な姿や、めずらしさに思わず近づいて見たあと、そのベンチの意図する目的を知るのです。この視覚的にも分かりやすい試みは、非常に効果的だと感じます。
文字で伝えたり、ニュースで報道するよりも、人に興味を持たせ実際に体感できるコペンハーゲン・ベンチは、さすがデザインの面でも優れた、デンマークならではのアプローチだと思いました。
環境問題の正確な分析を言葉で伝えるのも、確かに大切ではありますが、もっと多くの人に関心を持ってもらうためには、確かに子供にも分かりやすい方法が必要なのです。
80年後の未来に私たちは存在していないとしても、今生まれてくる私たちの子供の年代に、残してあげられる未来です。デンマーク・コペンハーゲンの人たちは、この未来のベンチの上で何を思い、何を語らうのでしょうか。
そして私たちは、この迫りくる危機に、どのような具体的な対策が取れるのでしょう。持続する未来と可能性を、より確かなものにするためにも、世界規模で環境問題に取り組むことがどれほど大切なことかを、コペンハーゲン・ベンチを通して改めて実感できるのです。