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インクルーシブ教育とは?必要な理由や日本の現状、実践例も紹介

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だれもが暮らしやすい社会を目指したシステムである「ユニバーサルデザイン」や「ノーマライゼーション」はすでによく耳にされていると思います。一方でインクルーシブ教育は、まだ知らないという方も多いのではないでしょうか。

インクルーシブ教育は、まさに「だれでも包み込む」ことを目指す教育システムのことですが、今までのシステムとどう違うのでしょう。「だれでも」の範囲はどこまでをいうのでしょう。そしてどのように「包み込む」のでしょうか。

ご自分のお子さんや地域のお子さんたちのためばかりでなく、生涯教育時代に学び直しを目指す大人のためにも、この「だれでも包み込む」インクルーシブ教育について一緒に学んでいきましょう。

インクルーシブ教育とは

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インクルーシブ教育とは、英語の動詞include(包み込む)に、「 〜の傾向がある」「〜の性質がある」を表すive がついたもので、一般的に「包括的な」と訳されることから、包括的な教育と言えます。では、包括的な教育とはどのような教育なのか、まず定義を確認することから始めましょう。

ユネスコが揚げる定義

国連の教育のための機関であるユネスコが掲げるインクルーシブ教育の定義・理念は、サマランカ声明に基づいています。

サマランカ声明は、1994年スペインのサマランカに92か国および25の国際組織の代表が集まって採択されたもので、万人の基本的人権として、必要かつ適正な教育を受ける権利を確認したものです。

その中で「インクルーシブ教育」について次のように述べています。

・すべての子どもは誰であれ、教育を受ける基本的権利をもち、また、受容できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなければならず、
・すべての子どもは、ユニークな特性、感心、能力および学習のニーズをもっており、
・教育システムはきわめて多様なこうした特性やニーズを考慮にいれて計画・立案され、教育計画が実施されなければならず、
・特別な教育的ニーズをもつ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならず、
・このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり、さらにそれらは、大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、全教育システムの効果を高め、ついには費用対効果の高いものとする。

特別支援教育法令等データベース 総則 / 基本法令等 – サラマンカ声明

つまり、「共に学ぶための多様かつ特別なニーズに対応できるシステムをもつ教育」がインクルーシブ教育の定義と言えます。

サマランカ声明の理念は、2006年の国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」でも確認され、共生社会を目指す方向がより明らかにされました。

文部科学省が掲げる定義

国連での声明や条約の採択を受け、日本においても、条約の批准に向けて「障害者基本法」を始め障害者制度の見直しが行われました。

文部科学省は平成24年、中央審議会の報告の中で「インクルーシブ教育」を次のように定義しています。

「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活すて地域におい初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。

1.共生社会の形成に向けて:文部科学省

全面的に多様性を認め、「合理的配慮」という形で個別のニーズを受け入れようとする方向は、ユネスコの定義に通ずる点です。しかし障害の有無への言及はユネスコのものにはない点です。日本においては、インクルーシブ教育構築のために、特別支援教育を重視している姿勢がうかがわれます。

その理由を明らかにするためにも、もう少し日本のインクルーシブ教育の変遷を整理していきたいと思います。

日本のインクルーシブ教育の変遷

自己の生活する地域での共生」と「特別な教育的ニーズに対応」することは、インクルーシブ教育の根幹です。

「特別な教育的ニーズ」とは、欧州や国際機関では「本人の学習の困難さに必要な教育の手だて」とされています。近年は、本人の感じる主観的なニーズが重要視されてきています。

しかし日本では、それを目指す過程において特有の姿が見え隠れしています。

特殊教育確立へ向けて:分離教育が主流

近代の日本の障害者教育は、1878(明治11)年の京都盲唖院の設立に見られるように、盲・聾教育から始まったと言えます。その後、その対象は知的障害、病弱、肢体不自由などの障害のある児童や生徒に広がっていきました。

障害のある子どもにもできるだけ教育の機会を与える考えは、それ以前からもあり、江戸時代の寺子屋は、日本国民の識字率の高さの原点とされています。

1979(昭和54)年には、全養護学校の義務制が政令で定められ、障害児教育は公的な「特殊教育」としてスタートしました。

障害のある子どもへのサポートがなされるようになったことは、大きな前進でした。しかし、障害の有無・種類で教育の場が分けられる結果を生んでしまったのです。

普通教育からの遊離が進み、社会からの排除につながる流れもありました。「手厚いサポートを保証することに重点をおく一方、「共生」の概念がかなり薄くなった感じです。教育が「分離教育」と言われる所以です。

養護学校で必要な知識や技術を学ぶことを積極的に願った本人や親にとっても、卒業後の進学・社会生活は厳しいものでした。

下のグラフは、養護学校卒業後の動向を表したものです。進学率は低迷を続け、就職率は下がっています。多くは社会福祉施設に入所・通所しているのです。

重度の障害を持つ子どもには就学の「猶予」や「免除」といった措置もあり、成長後が危惧されます。

元々特殊教育の基本的な考え方として、「可能な限り普通教育から遊離しない必要性」も謳われています。(参照:特殊教育の基本的な施策のあり方について(報告))

障害児も、成長後は地域社会で生活していかなくてはなりません。またその権利があるのです。特殊教育を受ける本人も保護者も、ある期間治療的な教育を受けることを認めても、それが社会からの遊離・排除につながることを望んでいたでしょうか。

特殊教育から特別支援教育へ:多様なニーズ

その後大きな動きは見られない中で、1993(平成5)年に「統合教育」が「障害者の機会均等化に関する基準規則」に記載されました。学校教育法施行規則の改正によって「通級制度」が始まったことなどから、「共生」「共に学ぶ」がクローズアップされてきたことが見られます。

また、2001(平成13)年には、旧文部省が文部科学省へと名称を変更するにともなって、「特殊教育課」も「特別支援教育課」へと変更されました。

分離教育への問題視・反省がだんだん大きくなっていった流れが、名称の変更にも見られます。

2004(平成16)年には、発達障害の定義を明らかにした発達障害者支援法が制定されました。今までは障害と認められなかった症状が「脳機能の障害」と認定されたり、2つ以上の症状が同時にみられる併存症の事例が増えたりと、従来の障害種では区別仕切れない現状も明らかになってきました。

このことは、子どもたちには障害の有無だけでなく様々な個人差がある、そして社会には元々いろいろな人がいてそれぞれ困難を抱えている、ということを明らかにしてくれました。「特別なニーズ」はまさに多様なのです。

現在の特別支援教育の形は「特別支援学校」「特別支援学級」「通級指導」「通常学級指導」の4つがあります。下のグラフは、通常学級に在籍して通級指導を受ける子どもの数の変遷を表したものです。

グラフ内にある注意欠陥多動性障害・学習障害・自閉症は、発達障害にあたるものです。その発達障害児の数が年々増えていることが分かります。

【関連記事】発達障害とは?診断方法や対応、教育現場の現状も

特別支援教育からインクルーシブ教育へ

分離教育の反省から「統合教育」を打ち出して「共生」に目を向けた日本ですが、一方で子どもたちが持つ「教育的ニーズ」の多様さも考慮せざるを得ない現状でした。このような背景から、少しずつインクルーシブ教育への動きが見られるようになったのです。

インクルーシブ教育とノーマライゼーション・統合教育との考え方の違い

では、ここからどのようにしてインクルーシブ教育へとつながっていったのでしょうか。次に押さえたいのが、国内の事情だけでなく、世界の潮流となった「ノーマライゼーション」の影響、「統合教育」の理念や特徴についてです。

それぞれ見ていきましょう。ノーマライゼージョン

ノーマライゼーション(Normalization)は、normalize( 標準化・正常化する)という意味です。ここでは、「障害のある人が障害のない人と同等に、共に生活できる社会を目指す」という理念やそのための環境を整えていこうとする運動を指します。

1950年代にデンマークのバンク・ミケルセンによって提唱され、北欧から広まった社会福祉理念です。

「標準化」するというのは、障害者などの社会的弱者に変化を求めるのではなく、特別視せずに、だれもが同じ社会の一員であるという一般化を意味します。

日本がまだ分離教育を実施する中、世界では国連が、

  • 1971(昭和46)年:精神遅滞者の人権宣言
  • 1975(昭和50)年:障害者の権利宣言
  • 1981(昭和56)年:国際障害者年指定

とノーマライゼーションの理念に基づいた運動を展開していきました。この動きは、日本の特殊教育のあり方を見つめ直させ、「分離」から「統合」へと向かう追い風となっていきました。

インテグレーション教育

インテグレーションとは、Integrate (まとめる・統合する)ことです。数学で使われた記憶が新しいかもしれません。では教育においてインテグレイト(まとめる・統合する)とはどういうことなのでしょう。

インテグレーション教育

分離教育の反省に立ち、障害者も健常者と同じ場で学習する、いわゆる「共に学ぶ」場として通常学級が想定されています。同じ場で学ぶことで、障害を差別していないような環境と言えるでしょう。しかし、「障害のある子どもを障害のない子どもの方へまとめていくこと」は、分離から一歩前進したものの、個々への配慮が足りず、障害のある子どもが授業についていけなかったり、中傷の対象になったりと、課題が残されたかたちとなりました。

その課題を引き継ぎ、さらに共生社会の形成をより強く目指そうとしたのがインクルーシブ教育です。

インクルーシブ教育はなぜ必要?

これまでの変遷を追う中で、すでにインクルーシブ教育とそれまでの教育の考え方の違いが見えてきました。この章では、なぜこれからはインクルーシブ教育が必要なのか一緒に考えていきましょう。

「すべての子ども」とは:元々ユニークな存在

インクルーシブ教育では、子どもは元々ユニークな存在であり、一人ひとり違うのが当たり前と考えます。そのため、あえて障害の有無で分けることもありません。障害の種類や程度は、個別の教育的ニーズの理由になりますが、障害のない子どもにも教育的ニーズはあるのです。

下のグラフは、小学校に通えていない子どもの世界分布図です。赤い色が濃い地域ほど割合が多いことを示します。

ユネスコは、学校に通えない原因の大きなものとして紛争・貧困や飢餓・不当な身分制度・障害者教育に対する環境不備などをあげています。サラマンカ声明を振り返ってみると、障害の有無という表現ではなく「すべての子どもは誰であれ」とした意図が改めて分かります。

「受容できる学習レベルとその維持」:「合理的配慮」とは?

サラマンカ声明では、本当に広い意味で「すべての子ども」を想定し、「誰であれ教育を受ける基本的権利」をもつとありました。さらにそれに続く文言として「受容できるレベルとその維持」とあります。

日本でも、教育を受けることは基本的な権利であることは以前から広く認知されています。

日本国憲法には、

第二十六条第1項項すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

とあります。「その能力に応じて、ひとしく」とは、「個人の能力や適性の違いに応じて」ということです。

統合教育のもと、障害のある子どもをただ通常学級に入れ、通学させるだけでは「受容できるレベル」「その能力に応じて」とは言えず、「維持」できなかったとしても無理のないことです。そこで、「合理的配慮」が必要となってくるのです。

合理的配慮」は「障害者の権利に関する条約」に定義されていますが、内閣府から出された下のようなリーフレットでも確認できます。

合理的配慮
共生社会実現のために

文科省は、教育の場での具体例として次のような点をあげています。

  1. 教員・支援員の確保
  2. 施設・設備の整備
  3. 個別の教育支援や個別の指導計画に対応した柔軟な教育課程の編成や教材等の配慮

この点への配慮が適切にされることが、インクルーシブ教育の成否に大きく関わってきそうです。

成否の条件を明らかにするために、次章からインクルーシブ教育のメリットとデメリットについて整理していきます。

インクルーシブ教育のメリット

まず、インクルーシブ教育のメリットをあげていきましょう。

多様性の実感

障害の有無だけでなく、社会には様々な人々がいます。近年では、外国にルーツを持つ方、マイノリティ、経済的格差など、多様性の幅はますます広がっています

子どものころから自分たちと違う立場の人と関わることで、「みんなちがうことが当たり前」と多様性を実感できる環境で過ごし、共生社会形成の資質を育むことができます。

合理的配慮を望んだり、それに応えたりすることが自然に出来るようになったりすれば、卒業後も積極的に、少なくとも抵抗なく社会参画に臨めます。

障害児とその保護者にとって負担の軽減につながる

「できれば、地域のみんなが通う学校に通いたい」と願う障害者と保護者は多いのではないでしょうか。

令和3年度現在、全国の時別支援学校は1,160校に増えました。例えば福島県の特別支援学校の分布は下のようになっています。

上記からも分かるように、望むサポートが受けられそうでも、限られた場所にあることで通学手段がハードルになってしまう場合があります。

地域の学校で学ぶことは、徒歩または公共交通機関を利用して自力で通学しやすいという物理的メリットがあります。保護者が送迎できない場合は、地域のスクールバスなども合理的配慮の1つとして考えられます。どちらにしても近いことは負担の軽減につながるのです。

インクルーシブ教育のデメリット

新しいシステムの導入には、不安以外にも混乱も伴うことが多いものです。解決の糸口を見つけるためにも、どのようなデメリットがあるか考えていきましょう。

求められる指導者数と高い指導力

前々章で、インクルーシブ教育の成否に大きく関わる教育の場として、1番目に「教員・支援員の確保」をあげました。

一人ひとりの子どもに配慮することは教育者として当然のことですが、現在1学級に在籍する子どもの数は普通、10数人から30人余りです。それに対して担任は通常1人。支援員は0〜1人という学級が多いのが現状です。

指導者数だけをみても不足は否めませんが、障害児の教育的ニーズは一定ではなく、健常者のなかにも教育的ニーズがあり、それぞれに対応するというのは高い指導力が必要です。「業務が増える」レベルの問題ではなくなりそうです。

教員の業務過多、病気休暇をとる教員の増加、教員志望者の減少などにもつながらないか心配されます。

手厚い支援を受けられないことで不安を抱える障害者とその保護者もいる

みんなが通う地域の学校」に通いたいと思う子ども、通わせたいと思う保護者が多い一方で、拒否したり、消極的であったりする例もあります。

これは環境に起因する場合が多く、それまで少人数で手厚い支援を受けながら過ごしてきた環境ではなくなることを危惧しているからです。

例えば聴覚過敏の子どもは、学習場面では一緒に過ごせるかもしれませんが、休み時間や給食、清掃等の生活場面では不安定になってしまいます。

教育的ニーズとして医療面でのケアを求める子どももいます。

インクルーシブ教育の理念を短絡的に捉えず、障害児がそれぞれのペースで共生を目指せるよう、環境を整えたいものです。

日本のインクルーシブ教育の現状

ここまで、インクルーシブ教育としての環境をいかに整えるかがポイントとお話ししてきました。中央審議会が「インクルーシブ教育システム」を打ち出してから10年、人的・物的環境は整えられてきているのでしょうか。ここからは、日本のインクルーシブ教育の現状を見ていきましょう。

失敗したと言われる理由:指導者・支援員の確保ができない

下の表は文科省による「「教師不足」に関する実態調査」(令和4年度)の結果です。

「教師不足」に関する実態調査

中学校に関してもほぼ同様の結果が出ています。

現状でも不足しているのに、すべての教育的ニーズに応えるには不足し過ぎています。

また、不足数を補うために、本来は指導体制を充実させるために配置されている担任以外の教員や管理職まで代替え担任をしている状況です。これでは「高い専門性」を望むこともかなり難しいと思われます。

教員不足の直接的な原因は、団塊の世代の退職や休職者・休暇取得者の増加にありますが、「なぜ増やせないか」の理由には財源の問題があります。これは人的・物的両面の整備に関わります。

下の3つのグラフは、文科省から公表された令和3年度の教育費関連の調査結果です。

日本の教育費はほぼ横ばい人件費は減少しています。そしてそれは、諸外国と比べてかなり低い支出割合となっています。

各国の政府支出に占める教育支出の割合
出典:基礎データ集(文部科学省)

インクルーシブ教育」の理念と方向性に賛成した上で段階的に実施していく、というのが今のところ精一杯現状のようです。

合理的配慮」の定義には次の文言が続いています。

  • 負担が重過ぎない範囲で(内閣府リーフレット)
  • 均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう(文部科学省)

現在学級担任をしている教師や、エレベーターがないからと施設に入るのを断られる車椅子の方々にとっては、インクルーシブ教育は絵空事に思えてしまうかもしれません。

インクルーシブ教育の実践例

では、ヨーロッパなどの先進国はインクルーシブ教育をどのように実践し、成果を得ているのでしょうか。

諸外国の現状

下のグラフは2015年現在のインクルーシブ教育の現状をまとめたものです。

諸外国における障害のある子どもの教育の現状 - 独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所
出典:諸外国における障害のある子どもの教育の現状 – 独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所

特別な学級」(赤)の部分が、イギリス・アメリカ・ドイツ・イタリアでは一切ありません。さらにイタリアでは、「特別な学校」(青)も0になっています。イタリアの現状をもう少し詳しく見ていきます。

イタリアのインクルーシブ教育

ヨーロッパではすでに「障害のある子ども」と呼ばず「特別な教育的ニーズのある子ども」という表現が一般化しています。

イタリアでは、従来の学校教育制度により疎外されている全ての子どもを組み入れることを明言して、インクルーシブ教育を取り入れてきました。中には聴覚障害や視覚視覚障害など感覚系障害を対象とした特別学校もあるものの、健常児も受け入れる逆統合も行われています。

下のグラフからも、システムがスタートしてから10年間に、普通学級における障害児が占める割合は2倍近くなり、インクルージョンがすすんでいることがわかります。

イタリアのインクルーシブ教育
出典:第2部 各国の状況 第3章 イタリア(1) – 内閣府

2011年3月には、ダウン症の女性が文学の学位を修得してパレルモ大学を卒業したという例もありました。

成功の原因はどこにあるのでしょう。前述の内閣府の報告を読み進めてみます。

教員数の確保

イタリアでは、例えば聴覚障害児がいる場合には、「8人の児童に対して1人の教員を配置すること、12人の児童に対して介助員を1人配置すること」という規定があります。それ以外の障害児がいる場合でも、最大1学級児童は20人で、一学級二担任制や二学級三担任制が進められています。特別支援学校教員免許はイタリアでは法令上存在しないので、全教員が配置の対象になり、結果的に多くの教員が配置されています。

因みに日本の通常学級では、児童数最大40人、1学級1教員です。

参考:小学校設置基準(文部科学省)

インクルーシブ教育を推進するオペレーティンググループ

そして、インクルーシブ教育を推進するために、提案、検証、管理を行うオペレーティンググループが県及び学内に設置されています。教員や専門家ばかりでなく保護者や生徒も構成員に含まれます。

また、病院内学校家庭への訪問サービス、インターネットを利用した遠隔授業も推進されています。多様な教育ニーズに応えるために多様なシステムを考え出している姿がみられます。

物的環境は?

法令上は「学校を含む公的・私的な建造物には物理的障害の除去が義務」とされていて、学校にもスロープや階段昇降機、エレベーターや特別仕様のトイレ等の整備が進められています。しかし財政上あるいは古い建物の構造上の原因で、整備の進んでいる県と進んでいない県があり、両者に格差もみられるとのことです。

インクルーシブ教育とSDGs

最後にインクルーシブ教育とSDGsの関係をみていきましょう。

SDGsは2015年に国連総会で、環境・社会・経済の問題にむけて採択された17の国際目標です。2030年までの解決をめざし、169のターゲットが設定されています。

インクルーシブ教育と密接に関連するのは、目標4「質の高い教育をみんなに」です。

目標4「質の高い教育をみんなに」との関連

この目標は、2030年までに「すべての人々に、だれもが受けられる公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」ことを目指しています。

日本は幸い、この目標4に対して世界的に高い評価を得ています。

しかし、推進されるはずの「インクルーシブ教育」の現状をみると、「すべての人々」の範囲の捉え方や、「公平で質の高い」教育に向けての「合理的配慮」の内容の検討、さらに環境整備など、取り組むべき点がまだまだありそうです。

まとめ

障害者教育の変遷をたどりながら、インクルーシブ教育の現状までをお話ししてきました。障害の有無はもちろんのこと、勉強ができるとかできないとか、どこの生まれだとかなどに関わらず、必要な配慮を受けながら共生できることが大切です。

メリット・デメリットを整理し具体例も見てきましたが、よい方向をめざしながらも、まだまだ現実的な壁にぶつかっている現状も見えました。その中でも、シリーズ化された児童書「アイちゃんのいる教室」(高倉正樹:偕成社)のように、ダウン症のお子さんが6年間通常学級で学んだ事例もあり、励まされます。

互いの違いを認め合いだれもが暮らしやすい社会の実現に向けて、人的・物的な環境を整えていくことが求められています。

〇〇だからできないとマイナス方向を向くのではなく、どうすれば実現できるかと考えることが大切ではないしょうか。

<参考資料>

インクルーシブ教育システム構築事業(文部科学省)
我が国におけるインクルーシブ教育の進捗状況と課題(東京学芸大学)
1.共生社会の形成に向けて:文部科学省
障害者の権利に関する条約|外務省
国立特別支援教育総合研究所
共生教育としてのインクルーシブ教育(論説:西永堅)
特別支援教育法令等データベース 総則 / 基本法令等 – サラマンカ声明
障害児教育におけるインクルーシブ教育への 変遷と課題:高橋純一・松﨑博文:福島大学
特別支援教育の現状等(文部科学省)
【全体】リーフレット「「合理的配慮」を知っていますか?」 印刷用(内閣府)

福島県の特別支援学校(令和4年度)
基礎データ集(文部科学省)
資料3:合理的配慮について:文部科学省
諸外国における障害のある子どもの教育の現状 – 独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所
第2部 各国の状況 第3章 イタリア(1) – 内閣府
小学校設置基準(文部科学省)
我が国の特別な支援を必要とする子どもの 教育的ニーズについての考察(国立特別支援教育総合研究所)
養護学校義務化が障害者福祉政策 に与えた影響:藤井渉
ユネスコ統計資料
令和3年度地方教育費調査の確定値(文部科学省)
障害をもつ人たちと教育:平野華織;日本福祉大学(一橋出版)
インクルージョン教育への道:ピーター・ミットラー/山口薫訳(東京大学出版会)
これからのインクルーシブ体育:藤田紀昭・斎藤まゆみ(ぎょうせい)
アイちゃんのいる教室:高倉正樹(偕成社)